23 守られなかった約束 1/2
ルネロームから詳しい場所を聞き出すのに時間がかかった。
ヤシャ(身体)を見かけたという大体の場所を割り出したぼく――アーティア、男――ヴァーレンハイト、ヤシャ(霊)の三人は魔法族の集落を飛び出した。
せんせいはなんだか行きたくなさそうだが、今回は動けない人に選択権はない。
「ヤシャ殿の身体もいいけど、わたしの身体も探してほしいものだね」
「ヤシャは今、情報がある。けど、せんせいはない」
しばらくぶつぶつと呟いていたが無視した。
数日かかって、ぼくたちはルネロームがヤシャ(身体)に会ったという場所まで辿り着いた。
このそれほど大きくもない町なら、目撃情報くらいすぐに手に入るのではないだろうか。
そう思ったものの、町の人に聞き込みをしても全くそんなものはなかった。
丸一日、聞き込みだけで終わってしまって、ぼくたちは肩を落として宿の部屋に入った。
「……だっれもヤシャのこと見てない」
「だーれも会ってない……」
「もしやルネロームが見たのは幻覚だったのでは?」
「ええ……それはなんか悲しい……」
ぼくはベッドに突っ伏した。
無駄足ほど疲れるものはない。
「なんか……悪ぃな」
「謝んないで。余計に疲れるから」
ため息が枕に吸い込まれた。
ヤシャはぼくの頭上で眉を下げて浮かんでいる。
「……謝るくらいなら、自分の身体のことでしょ。なんか感じないの」
無茶言うな、とヤシャはひっくり返ってぼやいた。
そもそも、どうして今頃になってヤシャの身体が活動しているという話を聞いたのだろうか。
ヤシャは神族だ。それも四天王の一人の兄弟で、族長の幼馴染。
きっと目撃情報が向こうに伝わっていたら調査くらいしているだろう。けれど、前に神界に行ったときの様子からすると彼らはヤシャの身体が勝手をしているとは知らないのだろう。
(なら、活動を始めたのは最近?)
どうして?
ぼくは頭上を漂うヤシャを見た。
この気のいい幽霊が嘘を吐いているとは思わない。もちろん、ルネロームも。
「……なんで、ヤシャは幽霊なんだろう」
「へ?」
似たようなことを考えていたのだろう、男が瞼を半分下しながら眠たそうに呟いた。
「おれ、幽霊なんて初めて見たんだよ。毎日毎日、死ぬ人はいっぱいいるのに、どうしてヤシャだけこうしておれたちと話したり出来るんだろうな」
強い未練や死を理解していないという理由なら、もっとこの世界は幽霊で溢れていると思う。
けれど、それがない。
ヤシャと他の死者との違いとは?
「それに、ヤシャは死んでるのに、身体が動いているっていう。なんで?」
「……やっぱりなにかに身体を乗っ取られて」
「それはきもいから勘弁してほしいなー」
ぼくも瞼が重たくなってきた。
でもまだ上着も脱いでいないし、寝る準備もしていない。もぞもぞとベッドの上で腕を動かすが、陸に上がった亀のようにしかならなかった。
「なんで、数百年前にヤシャは死んだって言うのに、身体はずっと目撃されなかったんだろう」
「あー、確かに。でも俺自身、時間の感覚がよくわからないからな……」
幽霊の方のヤシャも気が付くまでに時間がかかったというし、死者は時間の感覚が薄くなるのかもしれない。
ヤシャは窓に顔を突っ込んで外を見ている。
「どうかした?」
首を傾げるヤシャに声をかけた。
男はもう眠っているようだ。外套もそのままなのに。
「なんか……呼ばれてるっていうか、引っ張られるというか……」
なにに?
身体にだろうか。
ぼくは起き上がって窓を開けた。
通りはしんと静まり返っていて、誰も歩いていない。いつの間にか、家々の明かりも消えている時間だ。
だというのに、眼下を素早く走り抜けるものがあった。
「あれは……」
長い黒髪、暗い色の前合わせの服、一瞬だけこちらを見上げた赤色の目。
「俺の身体!」
ぱっとヤシャが窓から飛び出し、それのあとを追った。
慌ててぼくも大剣を担いで、相棒を叩き起こす。
「ヴァル、ヤシャの身体見つけた!」
「え……えぇ……」
どうせ服はそのままだ。首根っこを引っ掴んで窓から飛び降りた。眠そうな男をそのまま抱えて走る。
「ヤシャの、身体……マジで?」
「多分!」
走りながら、前を行ったはずのヤシャの姿を探す。
町の外かな、と男が眠たそうに呟いた。
ぼくは一層速度を上げる。
男はぼくに抱えられたまま両目に魔術陣を展開。ヤシャの魔力を追う。
「――見えた。このまま真っ直ぐ」
「了解」
「あとちょっと気持ち悪いので速度落としてほしい」
「舌噛むよ」
踏み込んで一気に町の外まで走り抜けた。
町を見下ろす丘の上の一軒家。その前にヤシャ(霊)はヤシャ(身体)と向き合っていた。
「追い、つい、たっ」
抱えた男を落とす。蛙の潰れたような声が聞こえた。
ヤシャ(身体)を見る。
確かに、ヤシャだ。
ただ、黒い髪はぼさぼさで、長さはヤシャ(霊)よりも長いように見える。右目はなにかで怪我をしたのか、布が巻かれている。ルネロームの言っていた怪我とはそれのことだろうか。
服装は同じ。ただ決定的に違うのは、やはり足があること。その足はちゃんと地について、歩いていた。
「……ヤシャ?」
左の赤目がゆっくりとぼくを見た。
ガラス玉のようだ。最近は毎日見ているヤシャ(霊)の目とも、以前会ったシュラの目とも似ても似つかない作り物のような目。
「う……ぅ……」
薄い唇が小さく呻く。それは言語にもならないただの音だった。
けれどその声は聞いたことがある。ヤシャのものだ。
横で立ち上がった男は半透明の彼と足のある彼を見比べる。
「……ヤシャ、だよなぁ」
身体に残存する魔力は確かに薄っすらとしているがヤシャのものだ。しかしぼくの目には違うものが見えていた。
右腕――そこになにかが宿っている。石のようなものを媒介として、ヤシャのものではない魔力がそこから全身に巡っているのが見える。
「ヤシャ、右腕になにかある」
暗くてよく見えない。
月明かりに右手が光った。
「右手に……なにか……」
そのとき、
ドタドタ、バターンッ、
一軒家の扉が勢いよく開いた。
「うるっせぇぇぇぇぇぇ、おまえら何時だと思ってんだ!」
「う……ぅ……」
飛び出してきたのは若い男性。尖った耳に金色の目――魔族だ。
ぎょっとしてぼくは思わず大剣を抜いた。
男性はそんなぼくたちを見渡して、ヤシャ(身体)を見て首を傾げた。
「なんだ戻ってたのか、ポチ」
「……ポチ?」
「誰がポチだ!」
ヤシャが男性に飛び掛かるが、彼はひらりとそれを避けた。
……避けた?
「えっ」
「おまえ、俺が見えてんのか?」
「……あっ、おまえ幽霊か」
男性にヤシャ(霊)の姿はしっかりと見えていたらしい。
男性は面倒くさそうに頭を掻くと、ぼくたちを見た。
「ポチに用か? 中に入れよ、狭いけどな」
そう言って家に消えた。
ぼくと男は顔を見合わせ、ヤシャ(霊)を見た。
ヤシャ(身体)はのそのそと男性のあとを追って家に入ってしまった。
「……ご招待に与かりますか」
男の言葉に、ぼくとヤシャは頷いた。
家はこじんまりとしたものだった。ベッドの上に座る男性の足元にヤシャ(身体)が丸くなって寝転んでいる。……確かに、ポチだ。
「そこの幽霊とポチ関係での訪問ってことでいいのか」
照明のついた場所で見れば、ヤシャ(身体)の右腕には汚れた布が雑に巻いてあった。その隙間から青く光る石のようなものが見える。
「オレはイザナイ。普段は占い師の真似事をしてる」
あんたたちは、と問われて、ぼくは短く答えた。
「ティア」
「ヴァル」
「俺はヤシャ。ポチじゃねぇ」
ヤシャ(霊)は腕を組んで男性――イザナイを睨んでいた。
そう睨むなよ、とイザナイは苦笑する。
「やっと引き取り手が来てくれたんだ。さっさとこいつを持ってってほしいね」
イザナイは足でヤシャ(身体)をつついた。
ヤシャ(霊)が憤慨するが、それを手で払ってぼくはイザナイとヤシャ(身体)を見た。
「ヤシャ……そいつはなに? どうしてここにいるの?」
きょとんとイザナイは目を瞬かせる。
「ん? わかってて来たんじゃないのか」
「?」
噛み合わんな、とイザナイは顎を撫でた。
「まぁいいか。こいつは数百年前に落ちてたのを拾ったんだ。それまでは腐りも動きもしなかった。中身がなかったからだろうな。んで、何故か少し前になって急に動き出したんだよ」
「……中、なにか入ってんのか?」
ヤシャ(霊)が恐る恐るヤシャ(身体)をつついた。触れられていないが。
「知らん。なにも喋らんし、なにもしてこないからな。たまーに魔獣を狩りにどっかに散歩行く程度だ。オレは特になにもしてないし」
最初見たときは傷だらけだったけどなにもしてない、とイザナイは肩をすくめた。
この男、本当に拾っただけでなにもしていないようだ。
「怪我が治っていくのを見るのはちょっと面白かった」
誰もそんなことは聞いていない。
ぼくは男を見上げた。男はぼくを見下ろしている。
「占いで数日以内にこいつを引き取りに来るやつがいるって出たから待ってたんだ。……こんな夜中に来るとは思わなかったが」
それについては少しだけ申し訳ないとは思う。
「……じゃあ、これ、連れてっていいの」
「ああ、もちろん」
イザナイは快く頷く。ヤシャ(霊)を見れば、こくりと頷いた。
「よく魔族なのに、神族の身体なんて拾ったね」
「オレのダチが拾って置いてったんだよ、正確には。あいつそれっきり戻ってこねぇし、オレは一人でのんびりとしてたいの」
特異な友人を持っているようだ。
イザナイは全てを話したと言わんばかりにぼくたちを追い出し始めた。
「さ、とっととポチ持ってってくれ。オレはもう眠い」
横の男も眠たそうだ。
ぼくはヤシャの身体を抱えて礼をする。
イザナイはひらひらと手を振った。
家を出て、少し離れる。
「……で、身体見つかったけどどうするの、これ」
身体の方のヤシャは案外、大人しくしている。
幽霊の方のヤシャはぐるぐるとぼくの周りを回って鬱陶しかった。
「これ、中にヤシャ(霊)が入ったら生き返ったりするのかな」
「(霊)とか言うの止めてくんねぇ?」
他にどう言えばいいんだ。
とりあえず宿に戻ろうという話になった。
肩に担ぐようにして身体を抱えれば、小さくだが鼓動があるのを確認できる。
この身体は生きている。
では何故、ヤシャ(霊)がいる?
宿に戻ってもう一人分の料金を払い、ぼくたちは部屋に戻った。ベッドにヤシャの身体を横たえる。眠っているかのように大人しい。
そっと目に巻かれた布を取った男が「うわ、えぐ」と呟いたのが聞こえた。
「なにしてんの」
「だってヤシャ(霊)がどうなってるか見たいっていうから」
「いやぁ、思ったよりえぐかったわ。目玉抉れてる」
説明しなくていい。
それよりもこれからどうするのかを考えてほしい。
「身体に飛び込んでみたら入れないかな」
男が言うのを聞いて、ヤシャ(霊)は飛び込み台から飛び込むようにして横たわる身体に吸い込まれていった。
「おっ」
ずるり、とベッドの下から這い出る幽霊。完全にホラーの類だ。
男たちは肩を落とす。
ぼくの目には一瞬、右腕の青い石のようなものが光ったような気がした。
「そういえば、右腕はどうなってるの」
ぼくは汚れた布を剥ぐ。その下から現れたのは、手の甲に嵌め込まれた青い石とそこから延びる血管のような刺青が腕全体に巻き付く様だった。
「うわっ」
「きもい、きもい!」
男たちは腕をさすっている。
ぼくはそれから目を離せなかった。だって、ぼくの右腕の刺青によく似ていたから。
「これ……」
ぼくは自分の右腕に触れる。傷で抉れる前の刺青だ。脳の裏がチカチカする。
「ティア、大丈夫か」
後ろに回った男がそっとぼくを支えた。ぼくは男を見上げて、目を瞬かせる。
「これはわたしの力の一部だね」
不意にせんせいが言った。
驚いて男たちがぼくを見る。
「この青い石、見覚えがある……そうだ、わたしを封じた者が持っていた石だ」
「せんせーを封じた?」
その辺りのことは男たちには話していなかったな、と思う。
せんせいはこくりと頷いてヤシャ(身体)の右腕に嵌る石に手をかざした。
「このままでは石が身体を完全に乗っ取るのではないかね」
「げぇっ、どうにか出来ないのかよ」
さて、とせんせいは首を傾げる。
「石を身体から引き剥がし、ヤシャ殿(霊)が身体に飛び込んでみればよいのでは」
「身体から石を引き剥がすって言ったって……結構深くくっついてるよ」
ぼくは爪で石を掻いた。
「ナイフで抉ってみる?」
ヤシャ(霊)を見上げる。
彼が頷いたのを見て、ぼくは野営用のナイフを抜いた。ちょっと大振りだが、仕方ない。
手の甲と石の間に刃を滑り込ませ、てこの原理で石を――外せなかった。
「あ、これ駄目だわ。ティア、腕ごと切ってみてくれ」
「はぁ?」
見上げると、ヤシャは自分の身体を見下ろしていた。
指差して、ぼくの顔を覗き込む。
「よく見ろ。右腕と他の肌。死んでるだろ、この右腕。石から延びてる青い血管みたいなのが脈打ってるから勘違いしてたけど、もう死んでるんだ」
青白い肌を見る。よくみれば、確かに死人の腕だった。全体的に血色は悪いが、それ以外はまだ病人かなにかの肌くらいには見える。
ぼくは息を吐いて、いいの、と聞いた。
男はヤシャの身体の下にいらない布を敷き詰める。
「一思いにやってくれ。どうせ死んでるんだ」
頷いて、ぼくはナイフを握り直した。肩関節に差し込むように刃を刺す。びくりとヤシャの身体が震えた。でも暴れる様子はない。
メキ、と水分を含んだ音を立てて肉を開く。思ったほど出血はなかった。骨の接合部に刃を突き立て、腕を切り離した。
男が新しい布を持ってきて、ヤシャ(身体)の肩に巻く。
頭上を漂っていたヤシャ(霊)が「ありがとな」と言って消えた。
「アーティア、石を壊せないかね」
腕を切り取ったことで脈動は止まっている。そっと石に触れると、先ほどとは違いぽろりと外れた。
ぼくはそれを掌で握って力を入れる。
クルミの殻よりも簡単に割れた石は、どろりと青い液体になってぼくの手を滴った。
見えないなにかがぼくの右腕を掻き毟っているような痛みが襲う。
「――ッ」
ティア、と男が呼んでいるが返事をしている余裕はない。
ぼくは右腕を押さえて蹲った。
目の前がチカチカする。
痛い。
「ティア!」
男がぼくの肩を揺する。
ぼたぼたと大粒の汗が頬を伝った。意識が暗転、ぼくは気を失った。
+
ぼくはなにかを探している。
森の中を、平原を、雪山を、川沿いを、探して回る。
なにを探しているのかはわからない。でも、とても大切なものだ。
奪われたそれを探していると、みんなが邪魔をしてくる。
ぼくはそれを手で振り払って先へ先へと進んでいく。
不意に小さな影が二つ、ぼくの前に飛び出してきた。
ああ、また邪魔するやつらが来たんだな。
ぼくはそれを薙ぎ払う。小さい片方が動かなくなった。
もう一つがぼくに向かってくる。
どうして邪魔をするの。
ぼくはそれの心臓を抉った。
……。
…………。
熱い!
突然ぼくは火に飲まれた。
熱い、熱い。
ぼくは全部を薙ぎ払う。それでも火は消えなかった。
熱い、苦しい。
皮膚の焦げる気持ち悪いにおい。
いやだ、いやだ。
ぼくは足を踏み外す。
どぼん。
ぼくの意識は真っ黒に塗りつぶされてしまった。
+
一軒家に男が訪れた。
家主であるイザナイは久々の訪問客を笑顔で迎え入れた。
男は家の中を見て、「石は?」と尋ねる。
「石ぃ? ああ、ポチにつけたまんまだから、引き取り先にあるんじゃないか」
「引き取り先?」
男が首を傾げる。
「何故、勝手に他人に渡した?」
「おまえが数百年放置したものをオレがどうしようと勝手だろうが」
男は舌打つ。
「占いで来た客に渡せって出たんだから仕方ない」
男は鼻で笑った。
「なんだ、まだ占い師などというわけのわからない仕事をしているのか」
「いいだろ、他に才能ないんだから」
男はくつくつと喉の奥で笑った。
イザナイは肩をすくめる。
「それにしても、急にこんなとこにまで来てどうしたんだよ」
イザナイは男を見る。以前会ったときの寸分変わらぬその姿に安堵した。ただ、少々疲れているようにも見える。
「石を回収に」
「嘘でもそこは久々にダチの顔を見たくなって、とか言ってみろよ」
はは、と男は笑った。どういう意味だ。
まったく、とイザナイは頭を掻く。
「おまえは変わらないなぁ――アライア」
男――アライアが口端を上げて笑った。
なんで魔族勢はこう……勝手に動くのか。