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21 迷子の迷子の 2

女性三人。

「すみませんが、少し距離を置いていただけないでしょうか」


 突然そう言われて、ティユ・ファイニーズは目を瞬いた。

 彼は薄緑の目をじっとティユに向けている。真剣な目だ。

 どうして?

 ティユは問うが、彼はなにも答えず、ただ首を振るだけ。

 なにか悪いことでもした? なにか気に障った?

 そう言っても、やっぱり彼は首を振るだけだった。

 すみません、ともう一度言って、彼は背を向ける。

 ティユは追いかけたかったが、追いかけられなかった。


「待って」


 その一言がどうしても言えなかった。どうして言えなかったのかは自分でもわからない。


「お願い、待って」


 手を伸ばす。でも彼は止まらない。

 どうして。

 ティユは足元が崩れていく感覚がして――目を覚ました。

 がばりと起き上がって、息を吐く。汗がつうと頬を伝って落ちた。


「……また、夢……」


 でもその出来事は現実だった。

 彼はティユから離れてしまった。

 じわりと目に涙が滲む。ティユは首を振ってそれを堪えた。

 二段ベッドの上では妹のシュマが幸せそうに「おにいさま……」なんて言いながら眠っている。また弟――フォヌメと一緒に遊ぶ夢を見ているのだろう。まだまだ兄離れの出来ない妹のことだ。

 ティユは頬が緩むのを感じた。

 ふと机の上に置きっぱなしになっているアクセサリボックスが目に入った。ベッドから起き上がって、妹を起こさないように机に近付く。

 静かにボックスを手に取って開いた。中にはいつぞや旅人だという子から譲ってもらった緑色の石が嵌った指輪。


「……シュザベル……」


 石を撫でる。その緑は彼の精霊神官のように儚い色ではなく、夢の彼のものに似ていた。


(恋愛のお守り……ニシュヴァーの指輪……)


 確かに学術的に興味があったのは本当だ。あのときの少女に語った話は嘘ではない。けれど、本当にそれに惹かれた理由は――。


「……なにが、悪かったのかな」


 わからない。だって、彼はなにも言ってくれなかったから。

 彼の瞳に似ている石は朝焼けの闇の中でも綺麗に光っている。

 ティユは、そっとその石に口付けた。



 +


 ぼく――アーティアたちが宿のベッドに倒れ込んだのは夜半過ぎだった。

 暗くなり始めたころにようやく着いた町で最初に会ったのは道端で蹲る妊婦。慌てて男――ヴァーレンハイトに抱えさせて自宅だという宿に辿り着いたが、そこから医者が来るまでが長かった。

 まさかの出産立ち合いまでさせられて、遅い晩ごはんを食べて倒れるようにベッドに潜り込んだのだ。

 この宿の若女将だったその妊婦を助けたお礼として宿代と食事代は出してくれるという。それはありがたいが、相当に疲れた。


「元気な赤ちゃんでよかったわね」


 元気そうなのはルネロームくらいだろう。確かに母子ともに安定していてよかったが。

 隣の一人部屋に入っていった相棒は扉を閉めると同時に倒れた音がしたので、多分床で寝ていると思う。

 ぼくは上着を脱ぐのも面倒くさい気持ちになりながら、ベッドの上で眠気と戦っていた。


「ルネローム、元気だね」

「そう? 流石に今日は疲れちゃった」


 少なくともぼくや男よりは全然元気だろう。

 やっとのことでぼくは上着を脱いで、眼帯を外す。髪を解いて寝る準備を済ませた。

 その様子をルネロームが何故かじっと見ている。


「……なに?」

「どうして眼帯してるのかなぁと思って」


 ルネロームの前では眼帯を着けたことはなかったなと思い出す。タイミングが悪くて両目を晒しているときに出会ったからだ。

 普段、着けていなかった眼帯を町に入る前に急に着けたらそれは確かに何故とはなるか。

 ぼくはベッドに潜り込みながら、「両目の色が違うから」と答えた。


「どうして? とっても綺麗な色をしているのに」

「……変わってるから、じろじろ見られる。それが嫌なんだよ」


 なるほどー、とルネロームは頷いた。


「目にコンプレックスがある人は隠すのが大変なのね」

「……他に、誰かそういう人を知っているの?」


 ルネロームはきょとんと目を瞬かせた。

 今のは誰か他の人を思い浮かべながら言ったような口調だったと思ったが、本人には自覚がなかったらしい。


「そう……そうね、きっと知り合いにいたんだわ、自分の目が嫌いって人……」


 誰だったかしら、とルネロームは首を傾げる。

 ルネロームの記憶障害はいつ始まって、どれくらい混濁しているのだろう。


「なにか、頭に強い衝撃を受けたり、心に強い負荷がかかるようなことあった?」


 ううん、とルネロームは天井を見上げる。


「例えば?」

「死にそうな目に遭ったとか、誰かに裏切られたとか……かな」

「……誰かと争った気がする……」


 ルネロームが率先して他人と争うような性格ではないのはもうわかりきっている。だからそれは少し違和感があった。


「誰かに襲われた、とか?」

「どうだったかしら」


 うーんうーんと首をひねるルネローム。思い出せないようだ。


「無理に考えなくていいよ」

「そうねぇ」


 余計なストレスを与えて記憶に悪影響があったら困る。

 あ、とぼくの目を見てルネロームは手を叩いた。


「そうだわ、あの人も自分の目が他人に見られるのが嫌って言ってたわ」

「……あの人?」


 そう、とルネロームは嬉しそうに笑った。


「あのね、わたしが小さいころから見守ってくれていた人なの……とっても大切な人よ」

「どんな人?」

「……ええっと……」


 そこは思い出せないらしい。けれど、存在を思い出せたことが嬉しいらしく、にこにこと笑っている。

 小さいころからということは、雷魔法族の知り合いだろうか。

 ぼくは重たい瞼をこじ開けながら目をこする。


「名前も、顔もおぼろげだけど、思い出せてよかった……」


 ルネロームは胸に手を当ててほっとしたように息を吐いた。

 ずっとにこにこと微笑んでいるような女性だが、記憶の混濁があることで不安もあったのだろう。


「……明日、買い出し済ませたらなるべく早く出発して、魔法族セブンス・ジェムの集落を目指そう。流石に雷の集落まで行けば、もう少し思い出せると思う」


 そうね、とルネロームは微笑んだ。

 手を伸ばして、ベッドに横になるぼくの頭を撫でる。


「ティアちゃんは優しいわね。いい子、いい子」

「っ、いいから、さっさと寝よう」

「はぁい」


 別にぼくは優しくなんかない。ただルネロームというよくわからない存在を集落に置いていきたいだけだ。


(だから、褒められるようなことはしてない)


 ぼくは枕に顔を埋める。

 ふかふかした感触と太陽のようなにおいが余計に瞼を重くする。


(……ぼくは、いい子なんかじゃない……でなきゃ、)


 でなきゃ、なんだっけ。

 瞼が重い。

 思考するのも重たくて面倒くさくて、ぼくの意識は夢の中に落ちていった。



 +


 草原の真ん中で休憩を取っているルイたち四人はギンとホウリョクが狩ってきた獣肉を焼きながら雑談していた。

 ギンもだいぶ表面上は以前のように笑うようになった。

 ホウリョクもそれはいい傾向だと思っている。

 けれど。

 少し引っかかっていることがある。


「……なんか当然のように過ごしてますけど、ティアナの呪いは解けてねーですよね?」

「そうね」


 温めた水でお茶を入れながら、ティアナは頷いた。

 その様子があまりにも普通過ぎて、ホウリョクはくらりと眩暈がする。


「いや、そうねじゃねーってんですよ。どんな呪いか知りませんけど、解呪するためにヘルマスターに挑んだんじゃないんですか?」


 そう、ルイやギンのためだけでなく、ティアナはそのために魔界まで二度も足を運んだはずなのだ。

 自身にかけられた呪いを説くために。

 ホウリョクは未だに詳しく聞けていないからよくわからないが、それが原因でティアナは風の集落にいられなくなり、ルイと旅に出たはずだ。

 放っておいていいものではないし、普通に友人としても心配である。

 だが、当の本人はけろりとしていて、まだ熱いお茶に息を吹きかけながらこてりと首を傾けた。


「呪いの元凶がヘルマスターだとは言ってないわ?」


 確かに言ってはいない気がする。

 ティアナはうふふと笑う。


「死の呪いではないのよ。ただ、たまに近くにいる人たちを惨殺しそうになるだけで」

「わたしたちが危ねぇじゃねーですか!」


 うふふ、ではない。

 ギンは知らなかったのかホウリョクと同じように目を丸くしているし、ルイは知っていたようで首を振っている。

 なんとしてでも解呪させなければならないのでは?


「大丈夫よ、今のところ抑えられてるから」

「これからが不安なんですよ」


 やっぱりティアナはうふふと笑う。ちくしょう、可愛い。ホウリョクは実はティアナの笑顔に弱い。わたしの友達がこんなにも可愛い。


「まぁ、冗談はこのくらいにしましょうか」

「どっからどこまでが冗談なんです!?」

「うふふ」

「だからうふふじゃねーですよ!」


 こちとら本気で心配しているのに。ホウリョクは頬を膨らませた。

 その膨らんだ頬をティアナは人差し指でつつく。ぷすぅと空気が抜けた。間抜けな音がする。


「呪いのことは本当。ヘルマスターに会いに行けば、元凶に会えると思ったから魔界へ行ったの。結局、元凶には会えなかったけどね」


 つんつんとティアナはホウリョクの頬をつつく。


「ルイとも話し合って、解呪に詳しい人を訪ねてみることにしたの。それが東部にいる方でね、行く先は同じだから今まで特に話題に出さなかったのよ」


 ギンもいっぱいいっぱいだったし、とティアナはギンを見た。ギンは気まずそうに目を逸らす。


「……友達だから、いろいろ話してほしいと思うんですよ」

「ええ、ごめんなさい」

「あとつつきすぎです。いてぇんですよ」

「あらあら」


 あらあらではない。ホウリョクは赤くなった頬を撫でた。

 話を聞いて少し安心した。ティアナは諦めたわけでもないのだ。

 ほっとしていると、長い耳が遠くの音を拾った。


「?」


 音というよりも声だ。誰かが歌いながらこちらに近付いてくる声。

 声の方角を見る。ギンも気付いたらしく、同じ方向を見た。

 ゆっくり、というよりものんびりと近付いてくるのは女性だ。

 淡い稲穂のような頭髪は肩口で切り揃え、丁寧に櫛梳られている。着ているものは上等な布で拵えたであろう淡い色のワンピース。長い裾がひらりと風に舞っている。

 目の色は空を映したような広く優しい青。


「~♪」


 歌っているのは彼女だ。聞いているとなんだか安心して眠くなりそうな歌。子守唄のようにも聞こえる。

 それにしても一人旅だろうか。若い女性のように見える彼女は遠目に見ても丸腰だ。


「……こっち来やがりますね」


 ホウリョクはちらりと三人を伺った。

 ルイは肩をすくめ、


「野盗の類ではないんだろ」


 と言った。出たとこ勝負というか、様子見でいいようだ。

 関わってくるなら関わる、無視して通り過ぎるならそれでよし。


「~♪ ……あら」


 女性はホウリョクたちの目の前まで来ると、立ち止まってじっとこちらを見た。

 音や気配を殺していないので気付いているだろうと思っていたが、どうやらこちらの存在に気付いていなかったらしい。

 女性はぼんやりと四人を見渡した。

 そして止まる視線の先は――いい感じに焼け始めた獣肉。

 ぐぅぅ、と女性の腹の虫が鳴いた。

 女性はお腹を押さえ、困ったように眉を下げる。


「……お腹から変な音が聞こえる……」

「そりゃお腹減れば腹の虫も鳴きやがりますよ」


 思わずツッコんだ。

 女性はホウリョクを見ると目を瞬かせた。


「お腹に、虫がいるの……? まぁ、どんな虫かしら」


 のんびりとした口調も相まって、随分とマイペースな女性のようだ。


「あなた、見たことある?」

「ねーです」

「……わかった、姉さんもこっち来て昼飯にしたらええ」


 不毛な会話が続きそうな気配を察知したギンが二人を手招きする。

 いいの、と首を傾げた女性に有無を言わさずお茶の入ったコップを渡した。


「……いいにおい」

「せやろ」


 ギンが焼けた肉を切り分け、全員に配る。ホウリョクは嬉しそうに肉に齧り付いた。横で女性ももそもそと食べ始める。


「なんの肉かわからないですけど、美味しいもんですね」

「せやな。なんやったんやろな、こいつ」

「……毒の有無くらい確認したんだろうな?」


 ホウリョクはギンを指す。


「ギンが食べて大丈夫そうだったんで、大丈夫だと判断しました!」

「自分ほんまええ加減にせぇよ?」


 ホウリョクはこうして雑談しながら食べる食事が好きだ。ふと横を見ると女性はにこにことしながらホウリョクたちを見ている。

 不思議な女性を加えての食事も終わり、片付けを済ませる。夜までには近くの町に着きたいところだ。

 さて、女性と別れるか、と一同が女性を見たとき、女性はぱんと手を打つ。


「そうだ、ご飯のお礼をしなくちゃ」


 なにをする気だろう、と女性を見ていると、女性はティアナに真っ直ぐ近付いた。


「あなた、不思議なものを憑けているのね……重たそう」

「え?」


 女性がそっとティアナに手を伸ばし、前髪に隠れる左目に手をかざした。

 すぅと金の刺青が薄くなる。


「えっ」


 驚いたのはホウリョクだけではない。ルイまでもが目を丸くしてティアナの左目を見た。


「――痛みが、消えた……」


 痛かったんかい、というホウリョクのツッコミは出てくる前に飲み込まれた。

 あら、と女性が不思議そうに首を傾げる。


「……この呪い、思ったよりちょっと複雑みたい……ごめんなさい、全部は解けなかった……」


 しょんぼりと女性は肩を落とした。


「いえ……ええっと、ありがとう。随分と楽になったわ」

「本当? よかった」


 にこりと女性は嬉しそうに笑った。


「ティアナ……大丈夫なのか?」

「ええ。ずっと治らなかった眼精疲労が治ったような気分」


 どんな気分だそれは。とにかく、女性のおかげでティアナの呪いが薄まったのは確かなようだ。

 ホウリョクもほっとして女性に礼を言った。


「もしかして有名な解呪師だったりするんですか?」

「?」


 首を傾げる女性を見て、ホウリョクは違うのかと息を吐いた。本物の解呪師だったら、途方もない金額を請求されてもおかしくない。

 ただの簡素な昼食(焼いただけの獣肉、お茶)だけの礼としてやるものではないだろう。


「みんな喜んだ……嬉しい」


 ほわほわと微笑む女性は、申し訳ないが凄腕の解呪師には見えない。

 などと考えている間に、女性はぺこりと礼をしてくるりと背中を見せた。


「えっ、もう行くんですか?」


 思わず声を出したホウリョクに、女性は首を傾げる。


「駄目……だった?」

「いや、駄目ではないですけど。ええっと、わたしはホウリョクって言います。あなたは?」


 きょとんと女性は目を瞬いた。

 そしてにこりと笑うと、


「わたしはノエル。ただのノエルよ」


 と言った。

 そしてさっさと振り向くとさくさくと歩いていく。ホウリョクたちが茫然としている間にその姿は小さくなっていった。


「……ノエル?」


 最近どこかで聞いたような名前だ。なんだっただろうか。

 他の三人もそう思ったのだろう、首を傾げている。


「まぁ、呪いが薄まってラッキー、ということにしましょうか」


 ティアナがくすくすと笑った。

 当事者であるティアナがそれでいいならいいか、とホウリョクは肩をすくめる。

 四人は誰ともなく歩き出した。ギンの故郷を目指して。


三度目の魔法族の集落へ、いざ。

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