20 決別 3/3
星が綺麗に瞬き始めた。
ホウリョクはそっとギンに近付く。かさりと足元でなにかが音を立てた。
「……二人にしてくれ言うたやろ」
ギンの声が冷たい。
ホウリョクはぐっと拳を握り締めて、
「邪魔はしませんよ」
とだけ言った。
そっと、拒絶されないようにギンと背中合わせで座る。膝を抱えてギンの様子を伺った。
「……なにしに来たんや」
「そろそろギンが泣いてるかなぁって思って」
「なんでオレが泣かなあかんのや」
全部を拒絶するような声。だけどギンは動かず、ホウリョクを追い払う仕草まではしなかった。
ホウリョクは靴先を眺める。
「だって……ルキさんが……」
言葉は小さくなる。その先は言えなかった。
ギンも、
「言うな」
と言った。
ホウリョクは黙って、ギンの鼓動に耳を澄ます。
「まだ、言わんといてくれ」
苦しそうな声だった。鼓動はいつも通りゆっくりなのに、心臓が締め付けられているかのように苦しい声。
ホウリョクは空を見上げた。
もう一番星がどこかすらわからない。
「……一緒に行っちゃ、嫌ですよ」
言わなければ、ギンが遠くへ行ってしまいそうな気がした。
目の奥がつんとして、じわりと涙がこぼれる。
「……なんで、おまえが泣くねん」
慌てて袖で目を拭うが、止まらない。
ひっくとえずきながら、ホウリョクはぽろぽろとこぼれ落ちていく雫を眺めた。
「だ……って、ギン、が、泣かないからぁ!」
「……」
止まらない涙を止めようと拭っても拭ってもきりがない。
「せっか、く、会えたのにっ、ずっと、ギン、探してて……やっと、会えたのにっ」
神さまがいるとしたら残酷だ。
どうして二人をこんな目に遭わせるのだろう。
「こんなの、あんまりですっ」
わぁんと声を上げて泣き出したホウリョクを、ギンは止めなかった。
わんわんと子どものように泣いて馬鹿みたいだ。
一度決壊した涙腺はなかなか止まってくれず、ホウリョクはしばらく泣き続けた。
ギンはうるさいとも邪魔だとも言わず、ただ背中を貸してくれていた。
「……ちったぁ落ち着いたか」
ギンがこちらを見もせずにポケットから取り出したハンカチを寄越す。
ホウリョクはそれを受け取って涙を拭き、鼻をかんだ。あっ、と非難する声が聞こえた気がするが気のせいだ。
「ひっく、うぅ、なんで、なんでギンは泣いてねーんですかぁ」
本来泣くのはギンであって、ホウリョクではないはずだ。
鼻をすすりながら、ホウリョクはまだこぼれる涙を拭った。袖も膝もべしょべしょだ。
「男は簡単に泣いたらあかんねん」
なんだそれは。
「ばーっかじゃないですか。そんなつまんねぇプライド、空き瓶と一緒にゴミの日にでも出しちゃえばいいんですよ」
はは、とギンが乾いた笑いをこぼす。
「……ほんっと、つまらんなぁ」
ほたりと、月に光る雫が落ちた。ホウリョクはそれを見なかったことにして、ほんとつまんねーですよ、と言った。
(わたしでは、あなたを支えることは出来ませんか?)
その疑問はついに口から出ることはなかった。
+
大して眠れもしない夜が明けた。
空は腹立たしいくらいに快晴。気温も穏やかで、爽やかな風が吹いている。
ぼく――アーティアはギンとホウリョクを手伝ってルキの亡骸を荼毘に付した。遺骨は彼らの育った集落に、ギンが持っていくつもりだという。
ギンはポケットからチェーンに通されたリングを取り出してぼくの前に差し出す。
「昔、ルキにやったやつや。……サイズ合わんくて、つけられんかったやつをチェーンに通しただけやけど」
「?」
「……ルキの……形見、や。おまえが持っとけ」
「……いいの」
手を出したぼくに、ギンはリングをしっかりと握らせる。
「ええんや。オレが持っとっても、返されたみたいでなんか微妙やしな」
「……まさかあんたとお揃いには……」
「ならんから安心せぇ」
ぼくはほっとしてリングを受け取った。銀色の台にルキの目のように金色に光る石が嵌っている。
すん、とホウリョクが鼻をすすった。
「…………ルキと仲良ぅしてくれて、ありがとうな」
ぽんとギンの手がぼくの頭に乗った。それは一瞬だったけど、いつもとは違う優しい手だった。
「そろそろ、僕は帰るね」
男――ヴァーレンハイトたちのところに戻ると、目が覚めたらしいルカが立ち上がってルイに言うところだった。
「帰るところあんのか」
「うん。今は神界で神族長さまのところでお世話になってるんだ」
ヴァーンのところか。
何故、龍族と魔族の子が神族長に世話になっているのだろうか。なにか事情があるのだろうな、と考えながらぼくはルカを見た。
ルカはちらりとぼくを見て、
「ナールのことも回収しなきゃだし」
と言った。
そういえば、いつの間にかどこかへ行っているなと気付いた。
「兄さんも、神界来る?」
「行かねぇよ」
ちぇー、とルカは唇を尖らせる。
「……また会いに来てもいい?」
「……腕とか首、取りに来ないならな」
「兄さんが父さん殺そうとしなければしないし!」
頬を膨らまして拗ねた顔をするルカの頭をルイが撫でる。それだけでルカは嬉しそうに笑った。
それじゃあ、と手を振って、転移魔法でどこぞへと消える。
行ったか、とルイは息を吐いた。
「話してみれば、可愛い弟さんね」
「……ちょっといろいろ重い気がする」
少し疲れた様子のルイを見てティアナはふふと笑った。
「ルイはこれからどないするん」
ギンの言葉に、ルイはそうだな、とティアナを見た。
「ティアナとの約束もあるし、しばらくはあちこち行ってみるのもいいかってさっき話してたところだ」
ぼくの後ろでホウリョクがぼそりと「あの公開プロポーズ、ちゃんと覚えてやがったんですね」と言ったのが聞こえたが、ルイたちには聞こえなかったらしい。
ギンが笑っていいのか笑う精神状況じゃないから堪えようとしているのかわからないが微妙に肩が震えている。
「まぁ、まずは妹の故郷が行き先だろうな。案内頼むぜ、ギン」
「……は?」
ぽかんとギンが口を開ける。
「まさか、一人で帰るつもりじゃなかっただろうな」
「あら、薄情ね」
「……自分ら、ついてくるつもりなん」
今度はルイたちが目を瞬かせる番だった。
「駄目だったか」
「駄目言うとらんやろ。……関係、」
「ないって言ったら怒るぞ」
ルイは腰に手を当てて息を吐く。
「今まで一緒に旅した仲間のことだ。それに、異母とは言え、妹のことでもある」
「渓流が綺麗なところなんでしょう? どんな景色が見られるのかも、楽しみだわ」
「……おもろい場所やないで」
いいよ、とルイたちは笑った。
ギンは俯いて、小さな声で「おおきに」と言う。
「ホウリョクはどうするの?」
ティアナはぼくの後ろにいたホウリョクに声をかけた。
ホウリョクはとーぜん、と胸を張る。
「まだギンには借りを返してもらってませんからね。ついていきますよ!」
「いつんなったら返済出来るねん」
「さぁ、死ぬまでじゃねぇですか?」
ギンはぱちくりとホウリョクを見下ろした。
「最初っから叶わない恋のつもりでついてきてたんです。ただの仲間として支えてやることくらい許してください。でなきゃ、今のギンってばコロッと死にやがりそうですからね。いつかの誰かさんみたいに魔族殺してオレも死ぬなんてやりやがったら、ぶん殴ってでも止めてやります」
「こい……は?」
「ギンは生きて幸せになりやがりください。わたしはそれを見届けるだけで充分なんです」
とんでもない告白に一同は目を丸くした。ルイだけはそっと目を逸らしている。
ホウリョクはなんだかすっきりした顔をしていた。目元が赤いが、関係あるのだろうか。
ギンは「勝手にせぇ」と言ってホウリョクに背を向ける。「勝手にします」とホウリョクは笑った。
「おまえらはどうする」
ルイがぼくと男を見た。ぼくは男と顔を見合わせ、ちょっと離れたところで成り行きを見守っているルネロームを見た。
「……とりあえず、あの迷子を町に届けようかな」
「あの強い姉さんなら一人でも平気やと思うけどな」
言うな。だとしてもなんでかわからないが、ついてくるのだ、彼女は。
もう一度ルネロームを見ると、ぼくと目が合ったと知ってにっこりと笑う。
「ギンたちの故郷ってどの方角なんだ?」
男が問うと、ギンは東を指す。
「東部に近い場所や。こっからずっと東やな」
周囲を探って来たヤシャ曰く、現在地はどうやら魔法族の集落から北東の方角にある荒野だったらしい。わかりやすいのが魔法族の集落だっただけで、もう少し近くにも町はあったようだが。
「じゃあほとんど逆方向だな」
ルイたちも頷く。
なら、ここでお別れだ。
手を振って別れる。あっさりとしているが、あちらも旅をする以上、また会える気がした。
さて、とルネロームを見上げた。
「ルネロームは……近くの町と雷魔法族の集落、どっちに行きたいの」
そうね、とルネロームは首を傾ける。
「家族とかいないのか。心配してたりするんじゃないの」
「家族……」
男の言葉に、ルネロームはぼんやりと遠くを見る。
「家族……そう、わたし、家族がいたんだわ。とっても、とっても大切な、可愛い子」
自分の足元を見る。足にすがりつくなにかを見ているようだ。
前から思っていたが、どうやらルネロームは記憶が混濁しているらしい。ふわふわと地に足がついていないような振る舞いはそのせいか。
「……子ども、いるの?」
「あら? ……そうだわ、わたし、子どもがいるのね」
聞いているのはこっちだが、彼女は思い出したことを噛み締めるように頷いた。
子どもがいることを忘れているとは、なにがあったのだろうか。
「子どもの名前、思い出せる?」
ルネロームは少し考えて、悲しそうに首を横に振った。
他に家族や親しい人を尋ねても、同じ調子だった。
「これはもう雷の集落に行って、本人に会ってみた方が早いんじゃないか」
「そうかも」
頷くぼくたちの上で、ヤシャも頷く。
「そんなに大きくねぇ集落だ、知り合いくらいいるだろ」
「そうね、知り合いいたらいいわね」
ヤシャの言葉に頷こうとして――当然のように相槌を打ったルネロームを見た。
「……ヤシャの言葉、聞こえてるの?」
「あら、そこに浮いているのはヤシャくんと言うの?」
「見えてる!」
ルネロームの視線は当然のようにヤシャに向けられていた。ぽやぽやしているだけではなく、ヘルマスターに張り合うほど強く、挙句にヤシャまで見えているとは。
ますますルネロームという存在がよくわからなくなった。
当の本人はにこにことヤシャと自己紹介をしている。
ルネロームが時折見る足元の高さから言って、彼女の子どもはまだ小さいのだろう。そんな小さな子を放ってなにをしているのかも気になるが、どうして記憶障害を起こしているのかも気になった。
雷の集落までは少しかかる。
一度、近くの町に寄ってから向かうことにしようと男と話し合って決めた。
「ティア」
ルネロームたちに声をかけようとしたぼくを男が止める。
どうしたのかと見上げると、いつもの眠たそうな目ではなく真剣な目と出会った。
「……ティアも、ミストヴェイルを殺して死んだりしたら、駄目だからな。相打ちとか、許さないからな」
ホウリョクのギンへの言葉を引きずっていたのだろう。ぼくは首を横に振る。
「あんなやつのためになんか死んでやらない。ぼくは、死ぬつもりなんてないよ」
あんな魔族なんかと心中だなんて、考えるだけでも嫌だ。ぼくがそう言うと、男はほっとしたように息を吐いた。
ルキにしたことを許すつもりはない。けど、今のぼくでは敵わないのは明白だ。
だから、ぼくは強くなる。強くなって、いつかミストヴェイルを討つ。でもそれはいつになるかわからない。これはぼくの気持ちの問題だ。そこまでは男にだって言わない。
ぼくが黙っていることに、男は気付いているかもしれないが。
「さっさと近くの町まで行こう。魔界で魔獣の核をたくさん拾ったから荷物が重たいんだ」
「いつの間に! そんな余裕どこにあったんだ……」
ヤシャとルネロームに声をかける。
暗くなる前に町に着けるといいのだが。
「ティアちゃん、聞いて! ヤシャくんってばすごいのよ。ちょっと話しただけでわたし、忘れてたことを少し思い出せたの!」
「へぇ、なに思い出したの?」
家族や知り合いについてだろうか。家がわかればいいのだが。
「水回りの水垢の取り方!」
「……それ、今思い出す必要あった?」
どや顔している二人には悪いが、その情報は今必要ではないと思う。
そろそろ太陽が中天に差し掛かる。
パーティのボケ人口が多いなと思った。
+
「おれは、愛しいと思ったはずの者を必要だと信じて殺した。……なのに、実はそれが必要でなかった。そんな馬鹿な話があるか?」
ヴァーンは顔を歪めて笑った。
ラセツが息を飲む。
カムイは黙ってヴァーンを見下ろした。
「……わかったら、魔法族の集落への干渉は不必要だ。安定しているかどうかの確認だけでいい」
「……わかりました」
カムイはデスクから下り、ヴァーンに礼をした。
「ラセツ、すまないがしばらく一人にしてくれ」
「……はい」
ラセツと並んで真っ白な部屋から出る。
ちらりと伺ったヴァーンは頭を抱えるようにして俯いていた。泣いているようにも見えるが、きっと泣かないのだろう。
(愛しいと思った、か……)
彼はその後の雷魔法族の集落を知っているのだろうか。例の<雷帝>を殺したあとの雷の集落を。その子どもがどうなったかを。
カムイは首を振る。
横でラセツが気遣うように見上げていた。
「わかっているとは思いますが、このことは公言してはいけませんよ」
「はい、もちろんです」
彼女は真面目だ。心配はないだろう。
カムイは落ち着いて頷いた。
他の部署を回ってくるというラセツと別れ、カムイは自室に向かう。
ヴァーンは理由こそ話してはくれたが、結局魔法族の集落に封じられているという『モノ』については詳しく教えてくれなかった。
(神魔の力を封じているのではないのなら、どうしてそんな話に? 魔族はどこまで知っているのでしょうかね)
考えながら歩いていると、廊下をこそこそと走るように抜ける影を二つ見つけた。
「おや、ルカ。お散歩は楽しめましたか」
「ぎっくーっ」
びくりと二つの影は身体を震わせ硬直した。ギ、ギ、ギ、と古びた人形のような音を立てて二つの影が振り向く。
「か、カムイさま……」
ひくりと頬をひくつかせるのは龍族と魔族の子、ルカ。そしてその後ろでルカに隠れるようにして震えているのは随分と魔力が薄いが魔族の子だ。
「また珍しいお友達を連れていますね。ヴァーンは知っているのですか」
小さくこくりと頷くルカ。
「ヴァーンさまは……なにも言いませんでした」
でしょうね、とカムイは肩をすくめる。
「まぁ、あまりそちらの彼をよく思わない者もいるでしょうから、気をつけなさい」
「はーい」
「あと勝手な外出は控えること」
「……はい」
返事は素直なのだ、この子は。
部屋に戻るように言いつけ、二人と別れる。
自室の前で止まり、周囲を見渡した。
「……カゲツ、いますか」
す、と音もなく現れたのは女性のような顔をした青年。ふわふわとした髪が長めであることもあって、初対面ではまず間違いなく間違えられるだろう。身長もそれほど高い方ではなく、ラセツやリングベルと変わらないくらいだ。
カムイから見ても小柄な少女にしか見えないときがある。
「カゲツ・トリカゼ、ここに」
「部下たちからなにか報告はありましたか」
「特に変わりはないとのことです」
そうですか、と頷いて、カムイは目の前にあるつむじを眺めた。
「……雷魔法族の集落での報告をもう少し密にお願いします」
「雷魔法族……ですか」
わかりました、とカゲツは頷く。
「必要なら人を増やしても構いません。ただ、魔族との交戦は控えるように」
「はい」
以上だと伝えると、カゲツは消えるように見えなくなった。
「……ただの杞憂だといいのですが、ね」
自分がなにを案じているのか、カムイ自身にもわからない。
けれど、なにかが起こる気がしていた。
カゲツ:友人I
旅の仲間がまた一人増えました。