20 決別 2/3
戦闘苦手すぎる。そして若干のケチャップ注意。
アーティアが泣きそうな顔をしている。
どうして。
ルキは勝手に動く身体を見た。両手のナイフがアーティアの前髪を数本落とす。
いやだ、いやだ。
どうして?
ずっとルキはそればかり考えている。
心と身体が乖離していく。自分で自分を動かせない。
アーティアの小さな桃色の唇が何度もルキの名前を呼んでいる。
けれど、今のルキにその声は届かない。
この身はミストヴェイルの呪縛から逃れられない。
悔しい。
こんなに悔しいのは生まれて初めてだ。
それでもルキの身体は目の前の邪魔者を排除しようとナイフを振り上げる。
やめて、やめて。
お願いだから。
ルキの願いは届かない。
ルキのナイフがアーティアの左肩を抉った。
鮮血が舞う。頬を熱い血潮の飛沫が過った。
ほろりとルキの目から涙がこぼれる。
こんなことを続け、繰り返すくらいなら――
「ティ、ア……お願い、殺、して……!」
アーティアの目が驚愕に見開かれた。
+
ナールの手が閃き、ヴァーレンハイトの外套の端を切り取った。
「この……っ」
ヴァーレンハイトの手刀を避けたナールの横腹に長い脚が激突。
男が手を振るとそれに合わせて光の槍がナールを襲った。
「悪いけど、子どもだからって容赦は出来ない。ティアを狙ってるなら猶更、ね」
追撃に炎の砲弾を部屋中にばら撒き炎上させる。
ナールが近付けば男は体術で応戦し、彼が間合いを取れば魔術を持って迎えるヴァーレンハイトは正に規格外魔術師。
「ただの魔術師のくせに!」
「ただの魔術師だけど?」
とはいえ、ナールはすばしっこい。
ヴァーレンハイトはどう抑えたものかと考えていた。
こちらの攻撃が当たるとはいえ、頑丈な魔族の身体は簡単にはダメージに繋がらない。それに彼は魔術耐性が高いらしく、魔術の効きもいまいち。
(どうしたものかな)
確かにヴァーレンハイトは体術もそれなりに修めている。だがそれは身を守るためであって、前衛職のように攻撃するためのものではないのだ。
離れていてくれればいつものように魔術だけで応戦するのだが、そうするとアーティアの方に行ってしまいかねない。それは困る。
「ああ、もう、うっとうしいなぁ……おまえはさっさとエリスを絶望させるために死んじゃえばいいんだよ!」
メキ、とナールの左手が変化していく。爪が伸び、太さが変わる。骨格すら変わったであろうそれを振り上げて、彼は笑う。
「つぶれちゃえ!」
鋭い爪は獣の比ではない。
ヴァーレンハイトは慌てて避ける。小指が右耳を掠っただけでぱっくりと切れた。
ぞっと背筋を凍らせる。耐力強化魔術がなかったらどうなっていたことか。
魔術陣を展開、真空の刃が左右から少年を襲う。
ナールはそれを肥大した左手で防いだ。
「これも効かないかー」
ヴァーレンハイトは苦笑する。多重魔術陣を形成、展開。
目の前にナールの左手が迫っていた。
+
薄紫の光弾を大太刀で弾いてギンは疾駆する。
薙ぐように切りつけるが、ルカはそれを片手で受け止めた。受け止めた腕には薄紫の光る鱗。
ギンは舌打ちしてルカを弾き飛ばした。衝撃を利用して後退。代わりにホウリョクがルカに肉薄。その顔面に拳を叩き込んだ。
「邪魔……しないでよ!」
拳を受け止めた手を振られ、ホウリョクは宙に飛んだ。
「ルイの邪魔しよんはおどれやろが!」
再びルイに迫るギンが叫び返す。敵を真っ二つにするであろう斬撃はルカの髪を数本貰っただけだった。
空中で体勢を立て直したホウリョクがギンの大太刀の刃を踏みつけ重力を加える。
ギャリッと火花が散り、ルカの肩に朱線が散った。
「あーもう、かってぇんですよ! 鱗剥ぎやがれください」
刃の上から跳躍、ホウリョクはルカの髪を引っ掴んで地面に叩きつけた。床が蜘蛛の巣状にひび割れる。
脳天へのダメージが通るかと思えば、ホウリョクの隙をついてルカの手が彼女の首を掴んだ。
「ぐぅっ」
「なんで邪魔するの……僕は兄さんを止めたいだけなのに!」
ホウリョクを放り投げ、ギンへ一足で跳躍。腹に光弾を打ち込んだ。
黒い鱗がギンを守るが、衝撃までは殺せず内臓を傷付けたのか吐血した。
「兄さんが馬鹿なことしようとしてるんだ、弟の僕が止めなきゃ……!」
「……はっ、それで兄貴傷付けとったら世話ないなぁ!」
起き上がったギンの頭突きがルカに直撃。ぐらりと脳を揺らされたルカがたたらを踏む。
石畳を剥がすような異音が聞こえて振り返ると、床の一部を持ち上げるホウリョクの姿。
「ルイを……傷付けさせ、ませんよぉ……!」
ホウリョクの細い腕がギンよりも大きな瓦礫を持ち上げた。それを軽い調子でルカへ放る。
「ちょ、オレもおんねんぞ!」
ギンは転がって回避。ルカは光弾をぶつけてそれを相殺する。細かい瓦礫が宙を舞う。その間から肉薄するのはホウリョク。
瓦礫が頬や耳を掠める。
ルカが体勢を立て直そうとしたが、遅い。
「つーっかまーえーたっ」
にまりと嬉しそうなホウリョクの顔。
ルカは目を見開く。
ホウリョクの拳が再びルカの顔面に叩き込まれる。直撃したそれは鱗が守ったが痛いのは痛い。
だがそれだけでは終わらなかった。
ホウリョクは現れた鱗を掴むと思い切り手を振った。
嫌な音がして肉が剥がれる。
ルカは感じたことのない痛みに思わず声を上げた。
「ああああぁぁぁぁぁあぁあっ」
「半龍族の鱗ゲットですよ!」
血にまみれたそれをホウリョクが掲げる。
ルカは頬を押さえた。ぬるりとした感触。
「……血……」
肩からの出血は止まっている。けれどここまでの出血は見たことがなかった。
茫然とするルカにギンは大太刀を構える。
「……まぁ、そら痛いやろな」
「綺麗にしたら売れますかね?」
「止めぇや!」
自分の鱗で想像して、ギンはぞっと総毛立った。
+
極細の糸が障壁に弾かれる。
ルイの斬撃が宙で止まる。
ヘルマスターは玉座から一歩も動いていなかった。
実力の差に眩暈がしそうだ。
「貴様と我を同一視するなぞ、烏滸がましいわ」
ヘルマスターが指を振るだけで身体に負荷がかかり、立っていられなくなる。しかしすぐにそれを解除し、彼は薄っすらと笑う。
遊んでいるのだ。
子どもがアリの巣に水を注ぐように、猫が小さな虫を潰すように。
彼にとってはただの暇つぶしの遊びでしかないのだ。
ルイは大剣を握り直す。
もう何度、あの障壁に遮られただろうか。何度、戯れに吹き飛ばされただろうか。
肩で息をする。
まるで歯が立たない。
ルイは自分が強くなったと思っていたが、まだまだだったのだと思い知らされる。
絶望。
以前ならただ絶望していただろう。
だが、今は違う。
一緒に死ぬつもりで戦っていた前とは違う。
大剣を構えた。
「何度来ようと……」
息を整える。
「無駄だと言うのに」
ヘルマスターに向けて斬撃を放つ。それを障壁が防ぐ。ルイは地を蹴って飛び上がった。
ティアナの風が大剣にまとわりつくように覆っている。
「るぁぁあああああああっ」
振り下ろす。
障壁に受け止められ、火花が散る。
腕が折れるかと思うほどの衝撃。
それでもルイは大剣を振り下ろした。
ビシリ、障壁にヒビが入る。
大剣が障壁と玉座を叩き切る。薄紫の髪が数本、宙を舞った。
「……ほう?」
「やっと立ち上がりやがったな、クソ野郎」
真っ二つになった玉座を見下ろして、ヘルマスターはくつりと笑った。
風が舞ってヘルマスターの頬を傷付ける。
す、と上げられた指が示すのはティアナ。ルイははっと地を蹴って後退。ティアナの前に躍り出た。
「血を流したのは何年ぶりだろうな」
衝撃波。
ティアナを庇ったルイは全身にそれを受けた。軽くない身体が簡単に吹き飛び壁に激突した。
肺を殴打して酸素が吐き出される。一瞬の意識喪失。
床に落ちたルイをティアナが支える。
ヘルマスターを睨む。
少年の姿をした王はゆっくりと手を上げた。
+
目の前の友人は今、なんと言った?
「は……」
肩を押さえる。ぬるりとした感触がして、激痛が走った。
大丈夫、腕は取れていない。
はぁと息を吐いて、ぼく――アーティアはルキを見た。
頬を伝う涙を見るだけで胸が痛む。
「どうして、そんなこと……」
ナイフを大剣で受け止める。
もうさっきまでの無機物のようなルキに戻っていた。
「くそっ」
押し返して――大剣を振れない。
彼女を傷付けたくない。
ぼくがそう思っていたところで、ルキが攻撃を止めてくれるはずもなく。
「ルキ……!」
反応はない。
(洗脳、人形化……いや、さっき意識がルキだったから脳は破壊されていないはず……)
どうしたら彼女を救える?
彼女の意思で動いていないのは明白だ。
ぼくは大剣を投げ捨ててナイフを持った手を受け止める。体格では負けるが、力では負けていない。
膠着。
ギンが気付いてくれればとも思うが、あちらはあちらで襲撃者の対応で精一杯のようだ。
「ルキ……」
ずる、と足が滑る。床を踏み抜く。
ミシミシとルキの腕の骨が悲鳴を上げているのが聞こえた。
(咄嗟にナイフを使えないようにしたけど、どうしたら……)
ルキの目を覗き込む。光のない目はぼくを睨んでいた。
じわりと目の奥が熱くなる。いやだ、そんな目で見ないでほしい。
ルキの唇がゆっくりと動く。殺して。
はっとぼくは目を見開いた。手を振りほどかれる。
一瞬の隙をつかれた。体勢を崩す。ルキがぼくにまたがり、ナイフを掲げている。
「――ッ」
ナイフは眉間を狙って――
「あら?」
止まった。
場違いな声が聞こえたのだ。
ルカはぽかんと声の主を見ている。
気付いたら全員がその状態だった。
「すみませーん、ここ、どこかしら?」
声の主はにこにこと笑ったままきょろきょろと辺りを見渡している。
艶やかな黒髪に優しそうな黄の目、よく広がるくるぶしまでの長い質素なスカート姿。
ヘルマスターまでもが目を瞬かせ、その女性を見ていた。
「……は?」
声を出したのは誰だっただろうか。
女性――ルネロームは首を傾げてぼくを見た。
「あら、ティアちゃんじゃない。ヴァルちゃんもいるのね」
この状況を理解しているのかしていないのか、ルネロームは困ったように眉を下げた。
「……虐められてるの?」
この状態を見てどうしてそんな言葉が出るのだろうか。
ヘルマスターの目が細められ、手が掲げられる。
「邪魔者が増えたな」
衝撃が飛び、ルネロームを真っ二つに――しなかった。
紫電がルネロームの身体を這っている。バチバチと鳴るそれが彼女を守った。
相殺されたことに驚き、ヘルマスターは目を見開く。
「悪い子はだぁれ?」
ルネロームの目が細められる。
す、と音もなく掲げられた手の中でバチバチと雷撃が発生。
「ティアちゃんとヴァルちゃんを虐める子はぁ、おっしおきでーす!」
バチバチバチバチッ、
目を開いていられないほどの雷光が室内を駆け巡った。
バチンッと弾かれ、ルキがぼくの上から退く。
圧倒的な力に、ぼくは起き上がりながら目を逸らせない。
ヘルマスターもそうだったのだろう、ルイが大剣を一閃。咄嗟に前に出した右腕を切り裂いた。
血の尾を引いて右腕が飛んでいく。どしゃ、と床に落ちた右腕は驚いたように一瞬だけぴくりと動き、停止した。
ヘルマスターの腕からぼたぼたと血が滴る。
「父さん!」
余所を向いたルカの胸倉を引っ掴んだギンが彼を床に叩きつける。
相棒の男――ヴァーレンハイトの蹴りがナールを吹っ飛ばした。
ぼくは飛び退いたルキの頭に自分の頭を叩きつけた。ぐらりと脳が揺れ、世界が揺れる。
「ルキ、しっかりして!」
「……ティ……あ……?」
肩を揺する。光魔法族の集落で操られた人たちを男が脳を揺らしてもとに戻したのを思い出した。
ふとルキの目に光が戻る。ぼくを見て、また涙をこぼした。
「ティア……ごめ……」
謝るな、と言おうとしてルキが崩れ落ちそうになるのを受け止める。目を回していた。
ぐらぐらする頭を根性で引き留めて、ぼくは周囲に視線を走らせた。
雷鳴は治まっている。
中心地であるルネロームはにこにことしたまま首を傾けていた。
「は……ははは……!」
ヘルマスターが笑う。
瞬間、滴る血がびゅるりと伸びて落ちた右腕と繋がった。一瞬の出来事に息を飲む。
その右手が振られ、ぼくは床に叩きつけられた。ぼくだけではない。敵も味方も関係なく、全員がその場にひれ伏していた。
いや、ただ一人、ルネロームだけが平然とそこに立っている。
バチバチとルネロームの周囲で雷が弾けた。
「貴様は一体何者だ? 何故その魔力を……いや、違う、あれではない……のか……」
問うていたヘルマスターの声は次第に独り言のようになっていく。
あれとはなんだろうか。
ルネロームは首を傾げながら、ヘルマスターを見た。
「なにを言っているのかわからないけれど、わたしはただのルネロームよ」
ヘルマスターはしばらくルネロームを見ていたが、息を吐くと、そうかと呟いた。
「ならば……ノエルという人間族の女を知っているか」
何故ここでノエルの名前が出てくるのだろう。
いや、同名の他人かもしれない。けれど、ぼくは何故か彼が言っているのはいつぞや出会った迷子のノエルだと確信していた。
ビシリ、と床に亀裂が走る。
ルネロームは目を瞬いて、「姉さん?」と首を傾げた。
「わからないけれど……姉さんなら、きっとまたどこかで迷子になっているんじゃないかしら」
そういう自分も迷子だったじゃないかという言葉は口から出てこなかった。むしろ内臓が出そうだ。
ヘルマスターはなにも答えない。
はぁとため息を吐く。
「……興が削がれた。もういい、勝手にするがいい」
パチンと指が鳴る。
感じていた圧が消えた。
もう一度、ヘルマスターが指を鳴らすとぼくたちの身体が分解され光となっていく。強制転移だ。
「待て、このくそ親父……」
言葉を残してルイが消える。ティアナが消える。
男が無事なのを確認して、ぼくも目の前が真っ白になった。
「……そうか、生きているのか……」
そのつぶやきを最後に、ぼくは魔界から消えた。
+
はっと目を覚まして起き上がる。ぐらりと視界が揺れた。
頭を振ってやりすごし、辺りを見渡す。
いつかのようにぼくたちは荒野に倒れていた。
ルネロームだけが自分の足で立っているのが見える。
ぼくと目が合ってぱっと笑顔を咲かせたが、ぼくはそれどころではない。悪いとは思ったが彼女を無視して近くに倒れるルキのもとに走った。
「ルキ!」
薄っすらと目を開ける。ぼんやりとしているようだが、ぼくの名前を呼んだことから意識はちゃんとしているようだ。
ほっとして、彼女を抱きしめる。
驚いたルキがぼくの名前を呼んだ。
「ルキ……よかった……」
「……わたし、またティアに迷惑……」
「かけてない。……かけてないから」
肩に濡れた感覚。ルキが泣いているのだと気付いた。
「迎えに来てくれて、ありがとう……」
うん、とくぐもった声が漏れた。
ぎゅうと抱きしめ返される感触がして、ぼくは息を吐く。よかった、と。
ゆっくりと身体を離すと、ルキも力を緩めた。涙を拭って、安心したように笑う。
ふとルキの目がぼくの背後に流れた。
見ればギンが遠くでこちらを見ているのに気付いた。
一瞬だけ、ぼくに視線をやるルキ。ぼくは頷いてルキから手を離した。
よろけながら立ち上がり、ギンへ真っ直ぐ近付く。
「ルキ……」
ギンが小さく彼女を呼んだ。
それと同時だった。
はっとルキが走ってギンの前で手を広げる。真っ赤なものが宙に散った。
「……は、」
なにが起こったのかわからなくて、ぼくは目を瞬く。
ルキに刺さる、何条もの細い布。それは見覚えのあるものだ。
容赦なく布はルキから引き抜かれる。更に血が噴き出し、ルキはその場に倒れる。
ギンが汚れるのも厭わず手を伸ばしてそれを受け止めた。
「……ギ、ン……」
流れる血の量が多い。いくら亜竜族の血が入っていようと、致命傷なのは明白だった。
ごふりと血を吐き出すルキ。
血が止まらない。
「ルキ!」
ギンが呼ぶが、ルキは身体を震わせるだけで答えられない。
「このっ、布女っ!」
ホウリョクが拳を振る先にはいつの間にかミストヴェイルが立っていた。
布がホウリョクの拳を受け止め、軽い身体を簡単に転がす。
まぁ、とミストヴェイルは微笑んだ。
「だから言いましたのに、ルキさま。離反すれば、愛するトカゲさんがどうなっても知りませんよ、と」
うふふと口に手を当てて笑う様は正に邪悪。
目を細めてルキを見下ろしている。
「まぁ、まさかご自分が盾になられるとは思いませんでしたが」
くすくすと笑う。
ぼくは近くに落ちていた大剣を拾って、地を蹴る。二歩でミストヴェイルに肉薄。しかし振り切った大剣が切り裂いたのは布の切れ端だけ。
ふふと笑うと女の姿は霧のようになって消えた。
くそ、とぼくは拳を地面に叩きつける。
「……うそ、姉さん……?」
ルカがルイに止められ、目を瞬かせている。
は、とルキが息を吐くのが聞こえてぼくはギンに抱き起されるルキを見た。
「……やっと、会えた、のに……ごめん、ね」
「……喋んな、阿呆」
ふふ、とルキは嬉しそうに手を伸ばす。白い指が褐色の肌を滑った。
「わたしね、友達が、出来たの。ティアって、言うんだ」
「なんや、オレは友達ちゃうんか」
「ギンは、大切な、幼馴染」
こふ、とルキが血を吐く。
苦しそうにしながらも、ルキはえへへと笑った。
「あえて、うれしいなぁ」
オレもや、とギンがこぼす。
ふふとルキは嬉しそうに笑った。ぱたりと手が落ちる。血だまりが広がっていく。
「……ルキ?」
ギンがルキを揺する。目を閉じたルキは動かない。
「おい、ルキ。しっかりせぇ、ルキ!」
ルキ、と何度もギンが呼ぶ。
だが返ってくる言葉はない。
ルキ、とギンは何度も彼女を呼んで身体を揺する。
「……なんや、ねん……」
「……ギン……」
ホウリョクが小さく呼ぶ。
ギンはそれに答えず、首を振った。
「……ちょっと、二人にしてくれんか」
わかった、とすぐに動いたのはルイだった。もごもごとなにか言いたそうなルカを抱えてホウリョクを促して遠ざかる。
男はそっと二人の周囲に魔術陣を張り、野犬などを遠ざける術をかけてひっくり返ったままだったナールを抱えてルイのあとに続く。
ティアナに視線で促され、ぼくもその場を離れた。そのあとをルネロームがついてくる。
二人の姿は見えるが声は聞こえない距離までくると、ルイはルカを離した。
ルカはぽかんとギンたちの方を見ている。
「……姉さん、が……」
その言葉で、ああそうか、ルキはルイたちにとって異母姉妹なのだと気付いた。
ルイはルカを見下ろしたままなにも答えない。
ルカは振り返ってルイを見上げた。その顔はどうしていいかわからない迷子の子犬のよう。
「どうして、姉さんが……? なんで」
ルイが首を振る。
ルカは目をぱちぱちと瞬いた。
「ルカ、おまえはどうしたい」
「……?」
「まだ、オレを殺すつもりか」
ルカの唇がぎゅっと引き結ばれる。ぽすんと力のない拳がルイの胸に当たった。
「……バカ。殺すつもりなんて、最初からないよ。だって僕は、父さんが兄さんを殺すのも、兄さんが父さんを殺すのも見たくなかっただけだもん」
はぁとルイが息を吐きだす。
「じゃあ、オレの右腕ももう必要ねぇな」
きょとん、とルカは目を瞬いた。
「? ……兄さん、もう、父さんを殺そうとしない?」
はっとルイは笑う。
「オレには無理だったみたいだ」
その顔はいろいろなものを吹っ切ってすっきりしたようだ。
ふふ、とルカは声を出した。
「あんなヒトだけど、父さんを必要としている人はたくさんいるんだよ」
知ってた? と眉を下げて笑うルカ。
ルイは知るか、と吐き捨てた。
ルカの金色がかった橙の目からぽろりと雫がこぼれた。
ルイの外套に手を伸ばす。
ルイはそっとルカの肩を抱き寄せた。
「僕……僕ね、ただ家族で仲良く暮らせたらって思ってただけなんだよ……思ってた、だけなのに! どうして姉さんが……姉さん……うぅ、うわぁぁぁん」
ルイはルカの頭を撫でた。
「……ままならねぇもんだな」
そっと、二人にティアナが寄り添っていた。
じわりと目の奥が熱くなる。まただ。嫌な感覚。
ぼくは三人から目を逸らして遠ざかる。
男が抱えていたナールをルネロームに託している横を通り過ぎた。
+
ルネロームに目礼をして、ヴァーレンハイトはアーティアのあとを追った。
「ティア」
アーティアの足は止まらない。
どこまで行くのだろうかと思ってもう一度、名前を呼ぶ。
「なに」
ようやく止まったアーティアは振り向きもせずに言う。
顔は見えないが、泣いている気配はない。
「ティアも、泣いてもいいと思うぞ」
ぴくりと小さな肩が揺れた。
なんで、とか細い声が耳に届いた。
「そりゃ……その、友達、だったんだろ」
「……」
アーティアは答えない。動かない。
どうしたらいいのかわからなくて、ヴァーレンハイトは空を見上げた。一番星が見えている。
ここがどこだかわからないが、周囲に人里が見当たらない以上、野営の準備をしないとと思った。
「……後ろ、向いて」
アーティアが小さく言った。
ヴァーレンハイトは言葉通りに後ろを向き、「これでいいか」とアーティアに尋ねた。
答えは返ってこない。
どうしたらいいのだろうか、と思ったとき、ごそごそと外套の中に入ってくるアーティアの気配。小さな手がヴァーレンハイトの腹に回された。
後ろから抱き着かれた状態になったヴァーレンハイトは見える手をぽんぽんと叩く。
身体が小さく震えているのに気が付いた。
アーティアだって、おそらく自分よりは年上だろうがまだ子どもだ、とヴァーレンハイトは息を吐く。
泣くのなら、好きなだけ泣かしてやりたいと思った。
「……る……い、から……」
「うん?」
なにか言っている。
ヴァーレンハイトは耳を澄ませた。
「絶対、許さないから……ミストヴェイル……!」
みしり、と小さな手から力が加わり、身体から嫌な音がする。
(あ、これ背骨死んだかもしれん)
ヴァーレンハイトは空を見上げた。
小さく星が瞬き始めている。綺麗な空だな、と思った。
ルネロームの膝の上でナールは目を覚ました。
視線の先にはあの大男がいる。飛び掛かろうとして、ナールはルネロームに腕を引かれて尻餅をついた。
「邪魔しちゃ駄目よ」
「な、なんだよ、おまえ」
振り向くと、ルネロームはにこりと微笑む。
「ただのルネロームよ」
「は? いや、そうじゃなくて」
「いい子だから静かにしててね」
腕を引かれるままにそばに寄ると、ルネロームはナールの頭を撫でた。
は、とナールの口から息のような言葉が漏れる。
ぱっと彼女の手を振り払って立ち上がった。
「こ、この……次に会ったときは覚えておけ!」
「ええ、またね」
にこやかに手を振られる。
ナールは意味がわからなくてその場から駆け出した。
ルネロームはその姿が見えなくなるまで見送り、ふとヴァーレンハイトたちに目を向ける。
「……それで、ここはどこなのかしら?」
その声に答える者はいない。
なんか……変なフラグ立った??