20 決別 1/3
本日(2/28)三つ目の更新。
気持ちよく晴れた朝だ。気温は少し高めで、風もない。
久しぶりの背中の重みにぼく――アーティアはほうと息を吐く。
横では眠たそうな男――ヴァーレンハイトがいつもの暑苦しい恰好で目をこすっている。
散々世話になったニシキたちに礼を言って、外に出る。
外には久しぶりに完全装備のルイたち四人。
「ルイ」
ぼくは駆け寄って名前を呼んだ。
男と同じくらいの長身がぼくの方を向いた。
ぼくは息を整えてその顔を見上げる。
「ルキに、助けに行くって言ったんだ。一緒に連れていってほしい」
きょとんと四人は顔を見合わせて目を瞬かせた。
がばりとホウリョクが抱き着いてきて、
「あったりまえじゃねーですかー」
と言った。
「ここに来て行かん言うたら、女子どもだろうとどついたるところやったわ」
「人が多いのは心強いわ」
ギンがぼくの頭をぐしゃぐしゃと混ぜっ返した。脛を蹴って止めさせる。相棒もそうだが、背の高いやつは意外と下を見ていないようだ。
ギンが蹲っている隙に、髪を簡単に直す。
男がぼくに並ぶ。ぼくは男を見上げた。
「……ヴァルは、用事ないから待ってる?」
「……本気で言ってるなら、ちょっと怒るぞ。おれはティアの相棒なんだから、置いてかれちゃ困る」
「言ってみただけだよ」
「偵察くらいなら任せろよ」
ヤシャがくるりとぼくたちの周りを回った。
よっしゃ行ったりますよぉ、とホウリョクが拳を振り上げる。
男とヤシャが小声で「おー」と続いた。
魔界へは前回、ぼくを助けに来たルートを試してみるという。駄目ならそのときはそのときだ。神界に乗り込んでヴァーンを脅してでも魔界への道を探るつもりだ。
闇の集落裏に広がるジャングルの奥を目指す。
邪魔な枝や蔦は先頭を行くルイとギンが払ってくれるのでとても歩きやすい。不思議と魔獣の姿は見当たらなかった。
「?」
急に開けた空間が現れる。その中心には相棒がやっと通れるくらいの大きさの洞窟の入り口。
「これが、魔界への通り道?」
「ああ」
ルイがそっと手を伸ばす。消えてしまったかのように闇に飲まれた。
「以前より闇が濃くなってるな」
「通れるやろか」
「通れなくても通るまでだ」
ぞわりと嫌な空気が洞窟の方から漂ってくるようだ。入ったら出られなくなる。そんな気持ちさえ湧き起こらせる、真っ暗なそれ。
だが前回もこんな感じだったと聞いて、ぼくは思わず顔をしかめた。
そのままだなんて、馬鹿にされているようで、おまえたちに気を払う必要などないと言われているようで、腹が立つ。
「行くぞ」
ルイの言葉に頷いて、ゆっくりと洞窟に足を踏み入れる。
「ホウリョク、引っ張んな言うたやろ」
「真っ暗すぎるのは駄目だって言ってるじゃないですか」
声は聞こえるのに全く姿が見えないのはちょっと落ち着かないな、と手探りで目の前を探った。ひらりとした布の感触がして、それを掴む。
いつまで続くのだろうと思った直後、瞬きの間にぼくたちの身体は外に出ていた。
「!」
「この感覚、二度目でも慣れないわね」
ゴロゴロと鳴る空。分厚い黒い雲。
ひやりとした空気にねっとりと肌にまとわりつくような風。
稲光で周囲が光り、目の前に大きな城が建っていることに気付いた。
それは神界で遠目に見たときの城に似ているようで少し違う。
目の前の大きな扉が耳障りな音を立てて開く。
ぞろり、と闇が這い出したようだった。
雷が近くに落ちる。
魔獣や魔族がざわざわと広がり道を塞いでいく。
ぼくはいつの間にか握っていた男の外套を離す。
「来やがったな」
「あら、団体さんね」
ルイが大剣を構えた。
ホウリョクが自身に身体強化魔法をかける。
男は一歩下がって全員に耐久力強化魔術をかけた。
ぼくも背中の大剣を抜き、構える。
カッと稲光が走り、ぼくたちは一斉に駆け出す。
ヤシャがふらりとぼくのそばに寄ってきて「ナビくらいなら出来るぜ」と言った。
頼もしい限りだ。
「邪魔っ」
横薙ぎに大剣を払って一掃。それでもわらわらと湧いてくる魔獣たち。
大型の火炎が大きな扉を焼くように周囲の魔獣たちを焼き尽くした。
「……走るの面倒くさいな……」
「おぶってあげようか」
「遠慮しまーす」
軽口を叩きながら城内へ飛び込む。
城内も魔獣だらけだった。
右から左から飛び掛かってくるそれを斬って殴って退けていく。
ようやくたどり着いたのは、以前と同じ玉座の間。
以前と同じように少年姿の王は気だるげに玉座にいた。
来たか、と頬杖をついたまま、ぼくたちを見下ろす。
「何度やろうと貴様は我に触れることすら出来ぬというのに」
室内の威圧で挫けそうだ。
「今度は殺しに来たんじゃねぇ」
前進するルイは大剣をヘルマスターに向ける。
「てめぇと戦って、オレはオレだということを自分に証明する!」
くくと笑った王が指を鳴らす。
すっと音もなくルイの前に立ち塞がったのは――ルキ。
「ルキ!」
ゆっくりと上げられたその目に光はなく、人形のようだ。
「ルキ……!」
ギンの声を聞いても、ルキの様子が変わることはない。
ルキ、とぼくはもう一度呼んだ。ルキはじっとぼくを見て――
「早いっ」
こちらに向かって来た。その速度は以前の比ではない。
大型ナイフを大剣で受け止めて、ルキを呼ぶ。
「殺すんやないで、ちみっこ!」
「わかってる!」
出来ることなら傷一つつけたくないが、そうは言っていられなさそうだ。
ギンが加勢に入ろうとこちらへ走ってくるのを背中で感じながらぼくはルキを押し返した。
ガシャーンッ、
大窓が割れ、降ってくる人影が二つ。
「兄さん、父さんを殺しちゃ駄目ぇー!」
「エリスを殺すのはボクだよ!」
ガラス片と一緒にルイ、そしてぼくに向かって降ってくるルカとナール。
ぼくは舌打つ。
ルキの剣戟を避けながらあれの相手は無理だ。
そう思ったとき、ぼくをナールから庇う男の姿が目に入った。
「ルイの邪魔したらんなや!」
「邪魔、させるか!」
ルカの前にギンが、ナールの前に相棒が立ち塞がった。
「僕の邪魔しないで!」
「そうだね、きみを先に殺してあげるって言ったもんね!」
ホウリョクがギンと並び、ティアナがルイの背後で風を巻き起こした。
「一人で戦うつもりじゃないでしょうね?」
「ルイの邪魔はさせねぇですよ!」
ぼくは地を蹴ってルキに斬りかかった。
+
ぱさり、ぱさり、書類がめくれる音だけが部屋に響いている。
部屋の中にいるのはヴァーン、ラセツ、そしてカムイだけだ。
さて、とカムイは書類に目を通す男を見下ろした。
「そろそろ、話してくれてもいいのではありませんか」
「……なにをだ」
カムイは琥珀色の髪を揺らして首を振った。
「なにを、と言いますか。でははっきり言いましょうか」
こつ、とカムイは一歩、書類だらけのデスクに近付いた。
ラセツはなにも言わずに黙って処理の終わった書類を確認している。
こつ、もう一歩カムイは踏み出した。
「あなたがどうして魔法族に手を出さなくなったのかを、です」
ぴくりとヴァーンが動きを止めた。白い布で目元を覆っているため、どこを見ているのかは定かではない。
「その目の傷を受けてから……あなたの様子はずっとおかしい」
「……」
はぁ、とカムイはため息を吐いた。
「ヴァーン」
「……」
「……ヴァーン、僕は、僕たちはそんなに頼りになりませんか」
緩くヴァーンが首を横に振る。
そんなことはない、と薄い唇が紡いだ。
カムイはもう一度、ため息を吐く。
「でも、話してくれない、と」
悲しいですねぇ、とカムイは袖で涙を拭う仕草をした。
「嘘泣きは止めておけ。似合わない」
「でしょうね」
けろっと顔を上げたカムイの目はいつも通り細い。
ヴァーンはしばらく考える素振りをした。
カムイはそれを見ながらデスクに腰かける。
ラセツの眉が一瞬だけ吊り上がったが、それだけだった。
「……魔法族の封印、その要である精霊たちの様子はどうだ」
おや、とカムイは首を傾げた。
やっと話してくれると思ったのに。しかし答えない道理はないので、カムイは「問題ありませんよ、七つ全て監視中です」と答えた。
そうか、とヴァーンは息を吐く。
(魔法族の封印、我ら神族の側は光、地、風、水の四つ。安定であることを監視するならこの四か所で十分なはず。何故、魔族側である三つまで監視を命じたのでしょうか)
カムイは思考するが、もとよりヴァーンの考えがわからなくて結局聞きに来たのだ。
その答えを待つ。
ヴァーンははぁと重たい息を吐いた。
「魔法族の封印について、どこまで話したんだったか」
今更なんの確認だろうか。カムイは首を傾ける。
「かつて戦った神族の長と魔族の長、両者の力がぶつかり分離、<魔石>となったものを<龍皇>の名のもとにそれを封印し、休戦となった。その封印をしているのが魔法族の精霊たち。光、地、風、水は魔族の力を封じ、闇、炎、雷は神族の力を封じている」
カムイはちらとヴァーンのつむじを見た。動かない。
「だから魔族は光などの魔法族を襲い、我ら神族は闇などの封印を解こうと地上に降りる。……最近はあなたに禁じられているので、監視のみですが」
ふと掌を見る。
先代の炎精霊神官を殺したのは他でもない、自分だ。数少ない他種族の友人だったというのに。
カムイは拳を握り締める。
ヴァーンは息をしているのかすら不明なほどに微動だにしない。
どこを見ているのかすらわからない。
もともと自分の目が嫌いだとかで、前髪で目元を隠すような男だった。最初はどこを見ているのか、なにを考えているのかわからなくて、大嫌いだった男だ。
それがいつの間にか、こうして頼ってくれないことに憤りを覚えるほどには絆されている。
悪くはないが、少しむず痒かった。
「そういえば、三年前に前炎精霊神官カノウェルを殺したときは烈火のごとく怒りましたね」
勝手をするな、と。
カムイだって殺すつもりはなかった。ヘルマスターの手先が彼を操り、精霊を解放し殺そうとしていたと知らなければ。
カムイが向かったときにはもう、なにもかもが手遅れで、彼を殺すことで止めるしか方法がなかった。
精霊は無事、現炎精霊神官レフィスに受け継がれた。
それを見届けて神界に戻ったカムイを待っていたのはヴァーンの強い叱責だった。
今でもあれは理不尽だと思っている。友人を殺してまで、魔族が守る神族の封印が解けるのを阻止したというのに。
本来なら放っておいてもよかったはずだった。だが、それ以前にヴァーンから全ての封印が解けないよう監視しろという命がカムイを動かした。
何故、自分が守るべき魔族側の封印を魔族が壊そうとしたのかなど、考える余裕もなかった。
「……あれにも、意味があったんですよね」
もちろん、と強めに言うと、ヴァーンは肩を落として「悪かった」と呟いた。
「それはあのあと、謹慎中だった僕にわざわざ言いに来たので聞き飽きました。謝るくらいなら、全部話してください。……頼ってください」
「……ああ、そうだな」
ヴァーンは再び沈黙する。
それほどまでに話しづらいことなのか。
ぽつりとヴァーンの唇が動く。聞き逃したか、とカムイは耳を澄ませた。
「カムイは、自分がやったことが無意味だったと知ったときは、どうする」
きょとんと目を瞬かせた。
「……僕がカノウェルを殺したのが、無意味だったと?」
「いや、違う。あれは正しかった。カムイは悪くない」
嫌な汗が背中を伝うところだった。
自分のした、友人殺しという行為が無駄だったら。考えるだけでも恐ろしい。
はっとカムイはヴァーンを見た。
「おれはもう一つの封印の要である<雷帝>が生まれるのを阻止するため、雷魔法族の集落へ向かった。そこで……ある少女と出会った」
<雷帝>は雷魔法族にのみ発現する特異な人物だという。それを殺せば、魔族側の力は削がれ、神族の封印を解く近道になる。そう当時のヴァーンは考えた。
「……けど、殺せなかった。<雷帝>は、幼い少女だった」
子どもが、誰もが理不尽に殺されなくていい世を作りたいと願うヴァーンにはとても出来そうにもないことだった。
何度も抜け出して会いに行っていたのは知っている。子どもの遊びだろうとカムイは黙認していた。
あのころはだいぶ神界も落ち着いてきて、やっとカムイも休憩が取れるようになったくらいだったから、ヴァーンにも休息は必要だろうと思ったのだ。
それが間違いだと知ったのはすぐあとのことだったが。
「おれは何度も彼女を殺そうとした。けど、出来なかった。そうしているうちに地上で百年戦争が終わった。もう、猶予はないと思った。そして……九年前、おれは彼女……<雷帝>ルネローム・サンダリアンを殺した。この目はそのときのものだ」
「……そのころから、ですね。あなたが積極的に動かなくなったのは」
こくりとヴァーンが頷く。
未だにこれ以上のことを話すかどうか迷っているようだった。
「……その<雷帝>となにかありましたか」
ヴァーンは黙って首を振る。肯定も否定もしない。
「あれは最後まで笑っていた。それだけでも後悔しているというのに……」
ヴァーンは頭を抱えた。
泣いているのだろうかと思ったが、傷だらけの双眸は雫をこぼさない。
「数百年、神族も時に魔族のように魔法族の者を殺した。おれも、この手を血で濡らした。……それが、全部間違いだった」
「……間違い、とは?」
カムイの喉がごくりと鳴った。
ラセツもはっと目を見開いている。
「魔法族の封印、あれは――神魔の力を封じているものではない」
ひゅっと息を飲んだのは誰だろうか。
「もっと邪悪で、解き放ってはいけないものだ」
ヴァーンの重々しい声が耳にこだました。
次は……戦闘……ですって( ˘ω˘ )