19 魔法族、よもやま話 5/5
本日(2/28)二つ目の更新。ちょっと短い。
身体はだいぶ回復した。そのせいか、気が逸っているルイとギンの苛立ちは日々募る一方のようだ。
ぼく――アーティアはふと気付いた。
ルイの目の中に、見知った色があることに。
あれは覚悟を決めている目。知っている。碌な覚悟じゃないことを。
ぼくはホウリョクの裾を引いて、そっとルイを伺った。
「ねぇ、あれ、放っといていいの」
いいんじゃないです、とホウリョクはため息を吐く。首を振って、ルイとギンを見た。
ティアナもそうね、と苦笑した。
「いいんですよー、勝手にさせとけば。まぁ、突っ走りやがるなら止めますけど」
突っ走るだけならまだいい。
でも、あれは、あの目は――
「……ルイ、死ぬ気じゃない?」
「――え、」
ティアナが目を瞬いた。ホウリョクも目を丸くしている。
根拠があるわけでも、本人から聞いたわけでもない。けれど、あれは。
「あの目は見たことがあるんだ。相手を殺して、自分も死んでやるっていう目。……ぼくが昔、そうだった。自分の中に一滴でもあいつの血が流れてるってことが嫌で、でも一人で死ぬなんて出来なくて。全部が憎くて、それが憎い自分が嫌で」
あの魔族に売られてすぐのころだ。せんせいとの意思疎通もうまく出来なくて、ぼくは一人きりだった。
幸いぼくはせんせいが止めてくれた。あいつを殺して死ぬなんて選択がどれだけ無意味かを説かれたから。
でも、ルイはまだ誰にもそれを止められていない。
「……ぼくと全く同じとは言わないよ。けど、ヘルマスターを殺して自分も死のうとしてるなら、止めてあげてほしい、と思う。勘違いだったら、それでいい」
ぼくだとルイとの距離は遠すぎるから、きっと言葉も届かない。
言いながら、思ったよりも彼らのことを好いているんだなと自覚した。
いつの間にか聞いていたらしいギンがひょいとホウリョクの上から顔を出し、ああ、と唸った。
「確かに、あいつの口からことが終わったらの話、聞いたことあらへんな」
ひゅうとティアナの喉が鳴った。
顔色が悪い。
話さなければよかったかと思ったが、ホウリョクが震える手でぼくの手を取り、「言ってくれてありがとうございます」と言ったので、間違いではなかったと胸を撫で下ろす。
はぁと長いため息を吐いて、ティアナが立ち上がった。
ゆっくりと、離れたところで軽く運動をしているルイに近付く。というかルイ、またニシキに怒られるぞ。
近付いてくるティアナに気付いたルイは動きを止めた。
「……」
「……? どうした」
その様子はいつも通り過ぎて、やっぱりぼくの推測が間違ってるんじゃないかとすら思った。
ルイ、とティアナが小さな声で彼を呼ぶ。
どうした、とルイはティアナを見下ろした。
「ルイ……あなた、死ぬつもりって本当?」
ルイの呼吸が止まる。はっと吐き出して、わからないというように首を傾げた。
「誰がそんなこと」
「アーティアが、あなたと昔の自分は似ているって」
「……」
「……否定、しないのね」
くそ、とルイは髪を搔き乱した。一瞬こっちを睨まれたが、睨み返す。うわ、とホウリョクがぼくとギンを盾にした。
「オレの中にはあいつの血が流れてる。その血をこの世に残すわけには……」
「あなたはあなたでしょう。ヘルマスターなんかじゃないわ!」
ティアナがルイの胸倉を掴み上げる。
ぎょっとして息を飲んだ。
ルイはそっとその手を外させる。
決心は変わらないという表情だった。
それを見て、ティアナはきつとルイを睨み上げる。
「……いいわ、もう、いいわよ。あなたが死ぬつもりなら、わたし、呪われたまま死ぬわ」
呪い、という言葉に目を見開く。
室内だというのに、風が吹いてティアナの髪を揺らした。ふわりと左側の髪が浮く。その下から現れたのは、金色交じりの緑目、そしてその周囲を毒々しく彩る金の刺青。
魔族の呪いだ、と気付いた。
風が収まり、ティアナの前髪で左目は隠される。よくもまぁ今までぼくに気付かせなかったものだ。方法はわからないが、ティアナの精神力によってその呪いは抑えられているのだろう。
どのような類の呪いかもわからないが、並大抵のことではないのは明白だ。
ぎり、とルイが奥歯を噛み締める。
「…………ッ、なら、ここで解散だ」
ルイはティアナを見ずに言うと、部屋を出ていった。途中、ティアナが外套を引っ張ったが、それを振り払ってルイは行ってしまった。
「……」
ティアナは黙って彼の背中を見送る。
……と、思ったら、ブッチィッと切れてはいけないものが切れた音が聞こえたような気がした。
ティアナは俯いたまま動かない。
ひえぇ、とホウリョクがギンの首をがくがくと揺すった。
「えええええ、どどどどうしやがるんですかこれぇぇぇぇ!」
「おおおオレに聞くなや!」
その頭上から、あっはっは、と気楽そうな笑い声が降ってきて、見上げればヤシャがひっくり返ってぼくたちを見ていた。
「いやぁ、懐かしいな。昔はよくあいつらとあんな風に揉めたっけ」
あいつらとはヴァーンたちのことだろうか。ぼくは人と仲違いしたことはあっても、それを繋ぎ直したことはない。
ヤシャならどうすればいいのかわかるだろうか。
こっそりとぼくはヤシャに声をかけた。
「そういうとき、あんたたちはどうしたの」
相棒の男――ヴァーレンハイトも起き上がって、こちらを様子見している。
「殴り合い」
ヤシャが言った。
「……は?」
だから、とヤシャはくるりとぼくに向き直った。拳を握って見せる。
「殴り合い」
「……殴り……合い?」
「気が済むまでお互い殴り合いながら意見をぶつけてやる。そうするとそのうち和解する。しなかったら死ぬだけだ!」
「……」
「……」
ぼくと男は顔を見合わせた。
「……殴り合い、か……」
ぼくがティアナをちらりと見ると、横で男は首を振る。
「流石にルイたちにそれを適用させるのは止めようか」
うふふ、とティアナが笑い、驚いたぼくたちはびくりと身体を震わせる。
俯いたままのティアナはふふと笑った。
「ふぅん……そう、殴り合い、ね……」
いらん部分だけ聞こえてしまっていたらしい。
顔を上げたティアナはにこりと笑った。
背筋が凍るように冷たいものが通り過ぎる。
ひぇっ、と男がぼくの腕にしがみついた。
果敢にもホウリョクが立ち上がってティアナに近付く。
「す、ストップ! ストップですよ、ティアナ!」
ギンも頷いて手で押さえるジェスチャーをする。
「そうや、ティアナ。早まらんといてくれ」
「大丈夫よ」
吹雪を幻視した。ティアナの背後に地獄もかくやと如き猛吹雪が吹いている。
にこりと笑ったままのティアナは二人の手を軽く振り払うと、ルイのあとを追って外に出ていった。
「ぼく、余計なこと……した……?」
「殴り合い発言は余計だったと思う」
ぼくたちは目を見合わせて……あとを追った。
ルイは外の開けた場所で大剣の素振りをしていたらしい。
そこに近付いていくティアナを見つけた。
「そこの色男さん、ちょっと顔貸してくださらない?」
振り向いて大剣を地面に突き立てた――瞬間、ルイの顔面にティアナの拳が激突した。
突然のことによろめき、ルイはたたらを踏む。
つ、と垂れてくる鼻血を見て、ルイはぽかんと口を開けてティアナを見た。
うふふ、とティアナは綺麗に笑っている。
は、と吐き出し、ルイは一つしかない拳をバキバキと鳴らす。
その額には青筋。
瞳孔かっぴらいてる。
「おまえと闘るのは、この傷を貰ったとき以来だなぁ?」
目の傷を指したルイはティアナを見下ろす。
「……」
にっこりと、一際美しくティアナは微笑んだ。
カーン、とどこかで鐘が鳴った。
二人はその場から拳を交差させる。頬に掠っただけだった。
距離を取り、地を蹴る。ティアナの上段蹴りをルイは拳でいなして足を掴む。
足を掴まれたティアナはもう片方の足でルイの顔側面を狙った。
片腕しかないルイはそれを止めきれず、モロに食らう。だがルイは掴んだ足を上空へ振り上げて離した。空中でバランスを整えたティアナがすぐさまルイの脳天に踵を落とす。
それを避けたルイは着地の瞬間を狙ってティアナに向かって掌底を食らわせる。
吹っ飛んだティアナの周りで風が巻き起こり、体勢を起こす。
「うわわわわわ、どうすんですかこれどうすんですかこれぇぇぇぇ!」
ティアナに向かってルイの拳が飛ぶ度にホウリョクの悲鳴が上がる。
手加減はしているだろうが容赦のない互いの攻撃にギンはうわぁと口を開ける。
「これ、止めたら止めたやつが先に死ぬんちゃう?」
ぼくもうわぁとこぼした。
「うわ、ティアナも鼻血……いや、ルイの方がなんかボコボコだけど」
「あっはっはっはっは、なっつかしいなぁ、おい。誰か酒注いでくれよ」
「飲むな! いや、飲めないだろうけど」
思わず声に出してツッコんでしまった。
だがホウリョクとギンは目の前の乱闘に夢中で聞いていなかったようだ。
ルイとティアナの目に殺意はないが、恐ろしいものがあった。
+
ルイは走馬灯のように、幼いころのことを思い出していた。
幼いころのルイを支えてくれたのは、たった一人の家族である母だった。
小柄で、優しくて、強くて、真っ直ぐな人。
だから父のことも真っ直ぐに愛した結果だった。
公言したわけでもないのに魔族と交わったことを知られ、ルイを産んだころには酷い迫害に遭っているも同然だった。
最初はわけがわからなくて、ただ周囲を憎んだ。なにも悪いことはしていないのに。
父親のことを知って、少しだけ母の軽率さを恨んだ。自分が虐められるのは親のせいだ、と。
だけどすぐに気付いた。
悪いのは父親と、そして自分なのだと。
母が病で死んで、悟った。
母を殺したのは病でもなんでもない。母を騙した父と、その血が流れる自分が殺したのだと。
ルイは故郷を飛び出して、強くなるために必死で生きた。
いつか、この手であの男を殺し、自分を殺し、この身に流れる血を淘汰してやるために。
+
はっとルイが目を見開く。
ティアナの拳が顎に入った。
ぐらりと揺れる頭でルイはティアナの肩を掴み、彼女の額に頭突きをする。
動きが止まった。
ふらりと揺れた二人は同時に倒れた。
「……女が拳握ってんじゃねぇよ」
うふふとティアナは笑う。
「あら、女だとか男だとか関係ないわ」
「くそっ」
二人ともボロボロで、酷い顔だ。
ルイがはぁと長いため息を吐く。
「……悪かった。おまえに世界を見せてやるっつったのはオレだったな」
ええ、と空を見上げたままティアナが頷く。
「呪われて、婚約者も周りの人もみんな殺しかけて死のうとしたわたしを止めたのは、あなたよ。……だから、ちゃんと責任取って」
ふ、とルイも笑った。
「……勝てる気がしねぇ」
「ふふ」
二人は拳を宙でこつんと合わせた。
「あいつのために死ぬなんて馬鹿らしいな」
ルイの声は憑き物が落ちたようだった。
ぱたりと二人の腕が地面に落ちる。
「……」
「……」
「……あれ、動きやがりませんよ……?」
「……気絶してる……?」
まずい、とぼくたちは野次馬体勢から飛び出して二人を囲んだ。
お互い最後の一撃で脳を揺らされたのだろう、脳震盪を起こしているようだった。
ホウリョクがニシキを呼びに行き、ぼくと男とギンの三人で、二人の頭を揺らさないように病室に運び込んだ。
ニシキが飛んできてボコボコ状態の二人を見て頬を引くつかせた。
「なんっで、あなた方は怪我人だっていうのに大人しくしていないんですかねぇ」
「……すみませんでした」
揃って正座で怒られる。
いつものぼくならきっと後悔して、もう絶対口に出すのは止めようと思っていただろう。けど、今は違った。
今は二人があるべき場所に落ち着いたらしいのを見届けて、ホッとしている。
存外に、ぼくは彼らのことを気に入っていたようだ。
「それで、二人の間にあったっていうあれこれってのはなんだったんです?」
うふふ、とベッドに横になったままのティアナは微笑んで人差し指を唇に当てた。
「なーいしょ」
「……ずりぃですよ!」
ね、とティアナはルイのベッドを見た。横になったルイは目を逸らす。
ニシキが騒がないと一喝した。
ちょっと吹っ切りました。