19 魔法族、よもやま話 2/5
ジェウセニューたちを見送って、そのまま外にあった箱の上に座る。
まだ日は高く、風も穏やか。
ぼく――アーティアはポケットから酒瓶と交換した指輪を取り出し、日にかざした。
木漏れ日のような宝石が太陽を反射してきらきら輝く。
貰ったのはいいものの、どうしたものか。
不意に視線を感じて、ぼくはそちらを見た。
若い女性がこちらを見ていた。女性と言っても、少女と女性の間くらいか。
目が合った女性は少し考える素振りを見せたが、やがて決心したようにぼくに近付いてきた。敵意はない。
ぼくは相棒の男――ヴァーレンハイトが眠って暇だからとついてきていたヤシャと顔を見合わせる。
「なんだぁ?」
さぁ、という返事を飲み込んで、女性を見た。
色素の薄い赤みがかった栗色の髪は肩くらいの長さ、出来上がりつつある身体にまとうのは赤を基調としたワンピース。焚火のような暖かさの魔力を持つ彼女は炎魔法族だろう。
彼女はぼくの前で足を止めると、じっとぼくを見下ろした。
「あの、それ……見せてもらってもいいかしら」
それ、と指すのはぼくの手の中の指輪。
ぼくはぽかんと女性を見上げた。
「まぁ、いいけど」
女性に指輪を差し出すと、彼女はほっとしたように微笑む。
真剣な目で細工をなぞり、日にかざしたりして指輪を眺める。ぼくはそれをただ見ている。
しばらく観察していたと思うと、女性はありがとうと言ってぼくに指輪を返した。
「突然、ごめんなさい。わたしはティユ・ファイニーズ」
「……アーティア」
「その指輪は大切なもの?」
「いや、別に」
酒と交換で貰っただけのただの指輪だ。綺麗だとは思うがそれだけ。怪我が治ったら適当な場所に持って行って換金するくらいだろう。
女性――ティユはそれを聞いて何事か考えているようだった。
意を決したように一人頷くと、ティユはぼくを見た。
「……その指輪、よかったらわたしに譲ってくれないかしら」
「?」
ぼくがわからないという顔をしたせいだろうか、ティユは身を乗り出してぼくの手を握った。
「この指輪はかつて風魔法族のとある男性が恋人の女性に贈ったものと言われ、恋愛のお守りとして有名なニシュヴァーの指輪によく似ているの!」
指輪にまつわる逸話を早口でまくしたてるティユの目は輝いていて、楽しそうだ。
まだなにか語っていたが、一段落したところでぼくは手とティユを交互に見る。
はっとしてティユはぼくの手を離した。とりあえず風魔法族にとって結構な品だということは理解した。
「……なんで風魔法族由来の指輪を、炎魔法族のティユが欲しがるの?」
風魔法族にとって有名ならティアナが知っていてもおかしくなかったが、ティアナはあまり興味がないと言っていたのを思い出す。
あの、その、とティユは手を振った。
「えっと……その、わたし、考古学とかが好きで……調べたりしてて……その……」
言葉に嘘はなさそうだ。まぁぼくから騙し取ったところで居場所はすぐに割れるだろうし、利点がそれほど多いとも思えない。
まぁいいけど、と言うと彼女はぱっと目を輝かせた。本当に嬉しいらしい。
「いいけど、一応貰い物……というか交換したものだから、なにかと交換でもいい?」
ぱちぱちと目を瞬かせるティユ。
ちょっと考える素振りを見せて、手に持っていたらしい一輪の花を差し出してきた。赤い花はバラに似ているが、少し違う。
「これはどうかしら。今朝うちの庭で咲いたの。この花は幸運の花と呼ばれていて、持っているといいことがあるのよ」
咲かせるのも難しく、希少な花ではあるらしい。
正直、交換というのも言ってみただけなのでなんでもいい。……いや、ゴミを渡されたら怒るけど。
ぼくは指輪を差し出して、花を受け取る。薄荷系の爽やかな香りがする。
「ありがとう」
ティユは嬉しそうに指輪を手で包み込む。
丁度その時、ティユの後ろから彼女を呼ぶ青年の声が聞こえた。
ティユと同じ髪色だが、毛先だけが不思議と赤く染まっている。尻尾のような後ろ髪も似たような塩梅で赤い。
どことなく雰囲気の似る彼はティユとぼくを見て、どうしたと言った。
ティユはなんでもないと首を振る。
「ティユ、そろそろ雷精霊神殿に向かおう。ニトーレとラキアが待ってるだろうし」
「そうね、レフィス。それじゃあ、アーティアさん、ありがとう」
手を振って去っていく二人を見送る。
「よかったのか、結構値打ちもんだったっぽいのに」
「……別に、最初はバナナの房だと思ったらどうでもいいかなって」
あと物々交換なんてあまりしないので、なにが出てくるかがちょっと面白いと思ったのだ。
ふぅんとヤシャはわかったようなわからないような声を出した。
そろそろ部屋に戻るかと思ったら、目の前を走っていた子どもが思いっきり顔面から転んだ。
「うわ、痛そ」
目の前すぎて、無視することも出来ず、ぼくは子どものそばにしゃがみ込む。女の子だ。
顔を上げた少女はうるうると今にもこぼれ落ちそうな目でぼくを見上げた。
ぴょこんと頭から生えた獣耳がしょんぼりとへこたれる。獣人族かと思ったが、この魔力の質は以前会ったクロアやニシキのような守護精霊のものだ。
近くに保護者……もとい、精霊神官の姿はない。
手を貸してやると決壊した涙がぽろぽろとこぼれた。なにか機嫌を取るもの、と思っても今はティユから貰った花しか持っていない。
仕方なしに花を見せてみると、少女はわぁと小さく声を上げた。すぐにきゃっきゃと笑いだす。
「わぁ、きれいなおはな!」
ほっと胸を撫で下ろして、ぼくは周囲を見た。やはり精霊神官らしき魔力は感じない。
不意に顔が陰って、空を見上げる。
ばさりと翼をはためかせて降り立ったのは先ほど思い出したクロアの姿。
「ストラ!」
「あー、くろあだぁ」
少女は知り合いらしいクロアを見てにこりと笑った。
クロアはうわ可愛いとか言いながら心臓を押さえている。
「――じゃなかった。水精霊神官が心配してたぞ。なんでこんなとこにいるんだよ」
「えっと、すとら、まいご?」
「迷子も迷子だよ。……なに持ってるんだ?」
クロアはストラと呼んだ少女の手にある花を覗き込む。
「これ、フワの花じゃん。持ってると幸運が訪れるんだぜ。どうしたんだ?」
「このひとに、もらったの」
いや、まだあげてはいないが。
クロアはぼくを見上げて「お?」と声を上げた。
「ええっと、ティアだっけ?」
頷くと、クロアはストラを見た。
「貰ったならお礼しなきゃいけないんだぞ。ストラ、なにか持ってるか?」
「きれいなどんぐり!」
「……ティア、ちょうど持ってるのがこれしかないんだけど、これと花、交換してくれよ」
クロアが取り出したのは彼の掌くらいある大きなカブトムシ。
「……別にいいけど」
カブトムシが掌の上に乗せられる。ついでとばかりにつやつやのどんぐりも乗せられた。
ストラがにっこりと満足そうな顔で笑っているので、返すに返せない。
「こーうんのおはな、らきあしゃまにあげるの。きっといいことある!」
ああ、とクロアは遠い目をした。
「さっきストラを探しに行こうとして溝にはまって、落ちてきたバナナの皮かぶってたぞ」
「なんでバナナの皮が降ってくんだよ」
残念ながらヤシャのツッコミに答える声はない。
クロアとストラは手を繋いで去っていった。
「……カブトムシ、どうしよう」
「……また誰かと交換したらどうだ」
誰がこんなの交換してくれるんだ、と思っていたら闇魔法族の少年がきらきらした目で見ていたので、彼が持っていた頑丈そうな買い物袋と交換した。ついでにどんぐりもあげると鼻血を吹き出して喜んだ。そんなにか。
「……まぁ、あのくらいのガキにはどんぐりは金より高価だから……」
「そんなに?」
買い物袋を持って立っていると、今度は目の前で老婆が転んだ。今日は目の前で人が転びすぎじゃないかな。
助け起こして、散らばった荷物を拾ってやると礼を言われたが、老婆の買い物袋が破れていることに気付いた。
ぼくが少年から貰った頑丈な買い物袋を差し出すと、老婆は頭を下げて礼を言う。
礼のついでにとバナナを貰った。
「バナナに戻った」
ヤシャが腹を抱えて笑っている。そんなに面白いか。
病室に戻ろうとしたら大きな泣き声に出迎えられた。近くの部屋を覗くと、ニシキがチェーニをあやしているところだった。
「あああ……」
絶望色に顔を染めたニシキがふとぼくを見た。釣られたのか、チェーニもぼくを見る。
あー、と言葉にならない声を出してチェーニがぼくに手を伸ばした。
「あっ、バナナ! ほら、チェーニさま、バナナですよすみませんそのバナナくださいお願いします」
「……いいけど」
ニシキにバナナを渡すと、チェーニの目の前で振る。チェーニはきゃっきゃと喜んで泣き止んだ。食べるんじゃないのか。
助かりました、とバナナを剥いてチェーニに小さくしたものを与えるニシキの顔には死相のようなものが浮いているが本当に大丈夫だろうか。
「チェーニさまはバナナが大好きなんです……本当に助かりました」
ぺこりと頭を下げるニシキは、そうだと言って近くの引き出しを開けた。チェーニはご機嫌でバナナをしゃぶっている。まだ噛めないらしい。……そんな子にバナナとはいえ固形物を与えていいのだろうか。知らんけど。
ニシキが取り出したのは小瓶に入った液体。色が毒々しい緑の混じった紫で、自然物とは思えない。
「こちらは試作で作ってみた内臓に効くお薬なんですが……ちょっと材料が希少過ぎて流通させるには難があるので放置してたものなんですけど」
よかったらどうぞ、と握らされた。
これをどうしろと言うのか。
ニシキはバナナに満足したらしいチェーニを抱え、頭を下げて部屋を出ていった。
これをどうしろと以下略。
まぁ貰ったものはなにかに活用させてもらおう。内臓に効くらしいし、二日酔いした相棒とかに飲ませてみるとか。
小瓶をポケットにしまって、ぼくは部屋に戻った。
翌日。
天気がいいので散歩がてら、風精霊神殿に行くことになった。用事は地図を返しに行くこと。
ティアナとホウリョクがついてくるという。男とヤシャを連れて五人で風魔法族の集落へ向かう。ルイとギンは部屋で運動をしているのがバレたとかでニシキに怒られていたので放置。
「よう来たな~」
そう言って迎えてくれたのは数日前と同じようにヒドリだった。
「心配しよったんよ。ニシキが怪我したティアナさんたちを保護してるー聞いて、カノウも粥ひっくり返しとったくらいや」
「心配かけて、ごめんなさいね」
「えーよ、えーよ。こうして元気そうな姿見せてくれたんやし。……二人ほど足らんけど」
「あれはちょっとやらかしてやがったんで置いてきました」
ほーか、と言うヒドリに連れられて先日と同じカノウの部屋に案内される。
部屋に入るとカノウが起き上がっているところだった。
ぱっとヒドリはカノウのそばに寄り、背中を支えて起き上がるのを手伝ってやる。
「ティアナさんたち来はったよ。地図返しに来てくれたんやと」
「ああ、それはどうも……」
言いかけて、カノウは咳き込む。
おいおいとヒドリが背中をさすってやるが、咳は酷くなるばかり。ついには吐血した。
「ぎゃーっ、カノウが死ぬー! 坊さん呼んでぇー!」
「先に医者呼びやがれですよ! ええっと、タオル、タオル……」
混乱するホウリョクとぼくがぶつかり、ぼくのポケットから昨日ニシキに貰った小瓶が転がった。
「あー! その小瓶、ニシキのやろ!」
目ざといヒドリが叫ぶ。ぼくが頷くと「なんの薬!」とぼくに詰め寄った。
「なんか内臓に効くとか言ってたかな。希少な材料で出来てるらしい」
「ちょ、それ渡してくれん?」
こんな毒々しい色の液体でよければ、とヒドリに渡すと、ヒドリは躊躇なく小瓶を開けてぜぇはぁと肩で呼吸するカノウの口に突っ込んだ。
「~~~~っ」
「ニシキの薬や、飲め、カノウ!」
ごくりと喉が上下したのを確認して、ヒドリはカノウを撫でる。
「……一瞬……花畑が見えました……」
「おお、綺麗なもん見れてよかったなぁ、カノウ」
ちょっと違うと思う。
薬を飲んだカノウはほうと息を吐く。顔色は悪いままだが、もう吐血はしなさそうだ。
効き目がありすぎて怖い。
「あ、アーティアもありがとうな。せや、お礼せなあかんなぁ」
なんかあったかな、とヒドリはベッドの上から飛び降りて部屋を出ていった。
ありがとう、とカノウにも頭を下げられる。
「あー、びっくりした。ティアナとのあれこれを聞き出す前におっ死んだらどうしようかと思ったじゃないですかー」
「あれこれもなにも、特になにもないのだけれど」
戻って来たヒドリは本を数冊抱えていた。
「あげれそうなもん、本くらいしかないわー」
「別になんでもいいかな」
大元はバナナだし。
数刷のうちから一冊を適当に選び、受け取る。魔法族の歴史の本のようだった。軽くめくると、魔法族は別種族と子どもを残してはいけないことや昔は光、風、水、地が神族に由縁があり、闇、炎、雷は魔族に由縁があるとされていて魔法族は二分されていたことなどが書いてあった。
「……神族と魔族、ね」
以前、魔族が襲ったのは光の集落だった。偶然だろうか。
男とヤシャもぼくの頭上から本を覗き込む。
「セニューとモミュアなら同じ雷魔法族だし、結婚しても問題ないな」
「結婚式には呼んでもらえるといいな」
十四のやつらに結婚式呼ばれたらびっくりする……。
気の早い男たちは放っておいて、ぼくは本を閉じた。
ホウリョクは未だにカノウとティアナについて聞き出そうとしている。それを聞きに来たかったのか。
「だって、婚約者なんて関係だったんですよ! なんかねーのかと思うじゃないですか」
「そうは言ってもねぇ……わたしはカノウさまのこと、近所のお兄さんくらいにしか思ってなかったし……」
「そうですね……わたしも、ティアナのことは妹のように思っていますよ……」
あら嬉しいとティアナはカノウを見て微笑んだ。
そうじゃないんですよー、とホウリョクはつまらなそうに唇を尖らせる。
「まぁ、本当になにもなければそのまま結婚していたでしょうね」
「なにもなければ! そこですよ! なにがありやがったんです! ねぇ?」
ティアナはうふふと笑うだけだ。
「教えてくれたっていいじゃないですかー。わたしとティアナの仲ですよー」
「ルイに聞いて、答えてくれたら教えてあげるわ」
「それ誰も教えてくれねーやつですよね!」
楽しそうでなによりだ。
病人の前でいつまでも騒ぐわけにはいかず、ぼくたちは挨拶をして部屋を出る。
その背中に投げられたのはヒドリの声。
「せや、届けもんあるんやけど、代わりに行って届けといてくれん?」
そう言って渡されたのは袋に入った紅白饅頭。
「これを水の族長の家に届けてほしいんよー」
お願いと首を傾ける姿はあざといの一言。
まぁ急ぎで戻る必要もないし、と引き受けた。
外に出ると通りがかった影とぶつかった。届け物の饅頭だけは死守したが、本が吹っ飛ぶ。
ぶつかったのは青年だった。大人っぽく見えるがまだ未成年だろう。眼鏡とゆるりとカーブを描く髪が特徴的だ。……ああ、そういえば初めてこの風精霊神殿に来た時にティアナがカノウがいるかどうか聞いた青年だ。
青年は散らばった本や紙を集めている。慌ててぼくも手伝った。
「ごめん、前見てなかった」
「いえ、こちらこそ、急に飛び出してすみませんでした」
ふと青年の目にぼくの持っていた本が目に入った。開かれたページを凝視している。
「この本……」
「魔法族の歴史の本?」
見れば青年の持っていた本も似たようなジャンルの本だ。歴史が好きなのだろうか。
本を手に取った青年は本とぼくを見比べ、ずいとぼくに詰め寄った。
「すみません、この本を譲って頂けないでしょうか!」
「え……ええ? 別にいいけど……」
ありがとうございます! と青年は丁寧に頭を下げる。
はっと姿勢を正して、青年は改めてぼくを見た。
「失礼しました。私はシュザベル・ウィンディガム。魔法族の歴史を学んでいます」
ぼくたちも名乗る。
改めて、とシュザベルは本をぼくに譲ってほしいと言った。
「大したものは持っていませんが……そうだ、こんなものでよかったら貰ってください」
差し出されたのは雫の形の青い髪飾り。曰く、貰ったけどちょっとデザインが可愛すぎるので使うのを躊躇していたらしい。
どちらも貰い物同士だし、とぼくは髪飾りを受け取って本を渡した。
シュザベルは嬉しそうに本を抱える。本当に歴史好きなんだな。
改めて礼をするシュザベルに目礼して別れた。風の集落には博物館のようなものがあると聞くし、歴史好きが育ちやすいのかもしれない。
(……いや、ティユは炎魔法族か)
あと彼女は考古学と言っていた。まぁいいか。
「あとは水の族長のところへ行って、この饅頭を渡すだけか」
ぼくは髪飾りをポケットに入れた。
水の集落までは南に真っ直ぐ行けばいいだけだ。すぐに終わるだろうとぼくたちは風の集落を出た。
シュザベル/ティユ:友人苺
ヒドリは特定の方言ではなく関西系中心に混じった適当な話し方をしています。