17 魔界の亜竜族 5/6
ヴァル回。
港町に着いた。
渡し板を掛ける前にヴァーレンハイトは船から港に飛び降りた。同じようにしてルイとギンも飛び降りる。
「もーう、ちったぁ落ち着きやがれって言ってんですよー!」
ホウリョクが手を振り上げて怒鳴っている。
ティアナは船員たちに礼を言ってふわりと港に降り立った。
「落ち着け、ティアナがいねぇと風精霊神官に会えないだろうが」
ヤシャの言葉にはっとしてヴァーレンハイトは少女たちを待った。
走るようにして風魔法族の集落へ向かう。
ティアナの姿を見た大人たちが小さく騒めいたが、今のヴァーレンハイトたちは構うことはない。
真っ直ぐに風精霊神殿へと向かった。
神殿の前を歩いていた眼鏡の少年にティアナが声をかける。
大人っぽい子どもだが、きょとんとした顔は年相応だ。
「風精霊神官さまはいらっしゃる?」
少年は眼鏡を押さえながらヴァーレンハイトたちを見た。
「……カノウさまでしたら、中で療養中だそうですよ」
「そう、相変わらずのようね。……面会謝絶?」
「いえ、ただの風邪――ではあるようです」
ありがとう、とティアナは少年に礼を言って神殿へと入っていった。ヴァーレンハイトも少年に目礼してあとを追う。
中の護衛神官はヴァーレンハイトたちを見てぎょっとした様子を見せたが、ティアナの姿を見て目を丸くした。
「ティアナ、さま……」
「もうただのティアナよ。カノウさまはいらっしゃる? 聞きたいことがあるの」
それは、と口ごもる護衛神官はそっと奥の部屋を伺った。そこに風精霊神官がいるのだろうか。
「入れてええよ」
子ども特有の高い声がして、一同はぎょっと振り向いた。最後尾にいたホウリョクの更に後ろに、アーティアくらいの身長の子どもが立っていた。
普通の子どもと違うのは、少年の背中に大きな鳥の翼が生えていること。頭に鳥の羽根のようなものをつけた軽装の少年はにこりと笑うとティアナを見上げた。
「久々やなぁ、ティアナさん。もうカノウにもウチにも会いに来てくれんかと思ってたわぁ」
「久しぶりね、ヒドリ。カノウさまに聞きたいことがあるの」
ヒドリと呼ばれた少年は跳ねるような足取りでティアナや護衛神官すら追い越し、奥の扉の前に立った。
「ええよ、ええよ。カノウならちーっとばかし驚くやろけど、ティアナさんやったら大歓迎や。まぁおまけもついてるようやけど、入りぃ」
ありがとう、とティアナは少年に微笑んだ。
ティアナとヒドリに促され、ヴァーレンハイトたちは奥の部屋へと招き入れられた。
大きなベッドが一つ、小さなテーブルと椅子が一組。殺風景な部屋だ。
「カノウ~、お客さんやでぇ。驚くなよ~」
くすくすとヒドリは笑いながらベッドに近付いた。
こほん、こほん、と小さな咳が聞こえ、ベッドの住人がこちらを向いたのがわかった。
「――ッ」
げほげほとベッドの住人が勢いよく咳き込んだ。
声にならないなにかを言おうとしているが、咳が邪魔して言葉にならない様子。
ヴァーレンハイトはハラハラと様子を伺うしかできない。
ティアナだけはくすくすと笑っていた。サイコか?
「相変わらず死にかけているのね、カノウさま」
「……ティアナ……」
思ったより若い男性の声。
「びっくりしたやろ」
得意そうにヒドリは笑う。
そのヒドリに手伝われて、ベッドの中の住人――風精霊神官カノウは半身を起こした。
胡乱な新緑の瞳、顔色は悪く、白い寝間着には赤いものが散っている。というか寝間着はよく見れば左前合わせで縁起が悪い。
薄緑の髪はだらしなく伸ばされたままの長さ。
不健康そうな男はティアナを見た。
久しぶり、というティアナをぽかんと穴が開くほど見つめている。
「驚いて、死ぬかと思いました……」
「いや、流石にシャレにならんわー」
そう言いつつ、ヒドリはケラケラと笑っている。
「そちらの方は――ルイ殿、ですね……」
ええ、とティアナが頷く。
紹介するわね、とティアナは全員(幽霊以外)の名前を紹介した。
こほん、と咳を一つこぼしたカノウは一同を見渡し、ぺこりと礼をする。
「このような姿で申し訳ありません……風精霊神官のカノウと申します……」
闇精霊神官は高齢の老女だったが、風精霊神官は病で死にかけの男らしい。大丈夫か、いろいろな意味で。
「あ、ウチはヒドリやー。カノウの守護精霊やで」
すごいやろー、と胸を張る姿はまだまだ子どものそれだが、以前会ったクロアより強い力を感じる。
「……ティアナとは知り合いなんですよね。どういう知り合いなんです?」
ひょいとギンの後ろから顔を出したホウリョクが首を傾げている。
ティアナはカノウと顔を見合わせ、肩をすくめた。
「元婚約者なの。まぁ今は次期精霊神官も決まったみたいだし、そんなものいらないでしょうけど」
「ティアナが集落を出るときに解消して以来、会うこともないと……思っておりました……」
わたしもよ、とティアナは笑う。
は、とホウリョクが目を瞬かせた。
「はぁ!? 婚約者! ティアナの?」
ホウリョクは勢いよくルイを見た。ルイはなんだよ、とホウリョクを見下ろす。
「いや……えっ、知ってやがりましたね?」
「そりゃここで昔会ったんだから、そうだろ」
それより、とルイはホウリョクの頭を押さえつけた。
「聞きたい話があって来た。教えてほしい、魔法族の集落の近くにある魔界へ通じる道というものについて」
「……ティアナから……聞いたのですね……」
ルイは黙って頷く。
「理由を……お聞きしても……?」
ルイがちらりとヴァーレンハイトを見た。
ヴァーレンハイトは一歩前に進み出て、カノウに目礼をする。
「おれの相棒が魔界に攫われたんです。助けに行くために、教えてほしい」
カノウはじっとヴァーレンハイトを見上げた。
「集落のみなには内緒にしてくださいね。……きっと、混乱させてしまいます……」
「子どもの躾に使われる話なのに?」
ふふとカノウは微笑む。
「みな、本当だと知らないから……気軽にそう言って子どもを脅かすのですよ……」
こほん、こほん、とまた咳をする。
「本当は出直してあげたいのだけれど、ごめんなさい、人命がかかっているの」
はい、とカノウは頷く。
「気にしないで……ください……。話しましょう。魔界へ通じる道について……」
それは何代も前の風精霊神官のころからそこにあるという。
炎、闇、雷の集落の裏手にある森はその道から漏れ出る魔素と瘴気によっていつの間にかジャングルのようになったらしく、今では人は寄り付かなくなっている。
(……いや、セニューが思いっきり日参してるっぽかったな。あとモミュアも迷い込んでたし)
彼の家は集落のはずれにあるから仕方ないのかもしれないが。
そのジャングルの奥深くに洞窟があり、そこに入ると二度とこの地上には戻れないという話だった。
「しかし、魔族や魔獣がこの地上にやってくる以上……戻ってくる道も向こうにあるとは思いますが……」
カノウはヴァーレンハイトを見上げる。
「戻れる保証はありませんよ……」
それでも、とカノウは首を傾けた。
ヴァーレンハイトは頷く。
「それでも、おれは行かなくちゃいけない。ティアがそこにいるなら」
わかりました、とカノウは頷いた。
「ヒドリ、地図を」
「はーいよっと」
カノウのベッドの上に座っていたヒドリはひょいと飛び降りると部屋を出た。すぐに戻って来た彼が手に持っていたのは古い羊皮紙に書かれた地図。
「ジャングルの奥のこの辺がその洞窟やて言われとる。貸したるから持っていき」
「……ありがとう」
礼を言って地図を受け取る。
更に気が逸った。
部屋を出ようとしたとき、カノウが小さくティアナを呼んだ。
「ティアナ……戻ってくる気は……ありませんか……」
「――ないわ。みんなもきっと困るでしょ? 風精霊神官を殺そうとした大罪人よ、わたし」
くすりとティアナは笑った。
ふ、とカノウも笑う。
「また……会いに来てくれると嬉しいです……友人として……」
「……ええ、友人として、ならね」
ティアナが踵を返す。
ヒドリが手を振っていた。
「なんかめっちゃくちゃ気になるワードがたくさん出てきたんですけどっ! でも今はアーティアの無事の方が大事なんで、我慢します!」
「賢明やな」
ルイとギンが先行するのについていきながら、ホウリョクが腕を振るのを見る。器用な少女だ。
真っ直ぐ東に走ればジャングルが見えてきた。
誰も躊躇なくそこに飛び込む。奥に進めば進むほど、以前見たような生態のわからない植物や生き物が増えていく。これが魔素や瘴気の影響だろうか。
ルイとギンが枝や蔦を払い道を作る。
ヴァーレンハイトは寄ってくる魔獣を退けた。
地図の通りに進めば、見えてきたのは小さなトンネルのような洞窟。
「これ……か?」
先頭のルイとギンが入り口から覗き込んだ。
中は真っ暗でなにも見えない。
ただ、魔素が濃いのが魔力感知能力を持っていないヴァーレンハイトですらわかるほどだ。
よし、と呟いて足を踏み入れる。
「ぐえっ、ホウリョク、首絞まるわ」
「真っ暗だからはぐれたくねーんですよ」
「やったら手ぇ繋いだらええやろ」
ギンがホウリョクの手を取ったのを横目に、ヴァーレンハイトは奥に目を凝らした。
「明かりつけてみるか」
魔力を調整して光の玉を掌の上に作ったのに、全く周囲が見えない。
「……見えねぇな」
「とりあえずヴァル、先行き。その光目指して歩いてみるわ」
ルイたちの声に押されてヴァーレンハイトが先頭になり、洞窟を進む。
息苦しいような、重苦しいような、そんな重圧が肩に圧し掛かってくる。
どこまで続くのだろうか。
まさかずっと?
そんな気持ちが、不安が湧き上がってくる。
辛うじて数人の息遣いが聞こえることで、近くにみんながいることを感じられる。
どこまで続くのか、と再度思ったとき、瞬きの間にヴァーレンハイトはどこかの建物の中にいた。
はっと周囲を見渡す。
ルイたちもヤシャもいる。
全員、困惑してきょろきょろと辺りを見回していた。
「……ここが、魔界?」
「少なくともさっきまでの場所じゃねぇな」
「空気が違う……多分、魔界だと思う」
ヴァーレンハイトの言葉にホウリョクが鼻をひくひくと動かした。
「においは変わりませんけど」
「空気や言うとるやろ」
「どう違うんです?」
「なんか……違うやろ」
妙な会話をしている二人の手は繋がれたままだ。
ヤシャがそれを生暖かい目で見ているのを横目にヴァーレンハイトは地図を仕舞った。
「ここがどこなのかわからないと、ティアを探しようがないな……」
胸を押さえる。心臓の痣がヒリヒリと痛むようだ。
「俺がちょっと周り見てこようか」
ヤシャの言葉にそっと頷く。
さっと姿を消したヤシャはあっという間に戻ってくると奥にある扉を指した。
「やべぇ、誰か来るぞ」
「――なにか来るみたいだ、どうする」
「とりあえず隠れた方がいいのかしら」
ティアナの案に、全員で扉から死角になる場所に移動する。すぐにやってきたのは四角い箱のような頭をした紳士服の人物だった。
そいつはすたすたと歩いてヴァーレンハイトの近くを通ると、どかりと段差に座り込む。煙管を懐から取り出し咥え、ぷかぁと煙を吐き出した。待て、口はどこだ。
「……あー、やってらんねぇ。上級魔族どもめ、おれが中級だからって見下しやがって。あのスポンジ頭、スライムでも吸収してべとべとになればいいのに」
それは悪口なのだろうか。ヴァーレンハイトがそっとヤシャに目配せする。ヤシャは黙って首を振った。
中級魔族だという彼は尚も一人でぐちぐちとよくわからない悪口を煙と一緒に吐き出している。
そろり、と視界の端でホウリョクが動いた。
「え……」
ギンの後ろからぱっと飛び出し、箱頭の首に腕を絡める。
「ひょっ」
カランと煙管が床に落ちた。
ホウリョクはくるりと箱男を押し退け、地面に叩きつける。腕と頭を押さえて、いい笑顔でこちらを見た。
「捕まえました!」
「あっっっっっっほぅ! いきなりなにしよんねん!」
ギンが出ていって箱男の足を押さえながらホウリョクの頭を叩いた。
「いったい! もう、だってこんなに油断しくさってたし、わたしたちの気配にも気付かない愚図なんですよ? 捕まえて情報吐かせるのにちょうどいいじゃねーですか」
「やからって順序ってもんがあるやろ」
「いいんですよー、成功したんだから。時間が惜しいんじゃないですか?」
「……そらそうやけど」
迷った時点でホウリョクの勝ちだ。
ルイとティアナも隠れていた場所から顔を出す。ヴァーレンハイトもヤシャと肩をすくめながら二人に近付いた。
「なななななな、ししし侵入者! 一体何者……」
「お黙りやがれください。あなたはわたしたちの質問にだけ答えればいいんですよ」
「余計なこと喋らんと、足から順に折ってったるぞ」
ひぃと箱男は小さな悲鳴を上げた。
ああだこうだ言っていた割に息があっているし、なにより手慣れているように見えるのはどうしてだろう。
ヴァーレンハイトは考えるのを止めた。
内心で箱男に両手を合わせ、二人の邪魔をしないように周囲の警戒に当たる。ヤシャは再び姿を消して近辺の偵察に向かったらしい。
「ここはどこです?」
「は?」
「はい、一本目―」
ボキンと箱男の右の脹脛が曲がってはいけない方向に曲げられる。
悲鳴はホウリョクが顔だと思われる面を床に押し付けることで響かない。
「もう一度聞きますよー。ここはどこです?」
「ひぃっ――こ、ここは<冥王>さまの居城ですぅ……ぐすっ」
箱男が哀れに思えてきたのは気のせいだ。ヴァーレンハイトは自分に言い聞かせる。
それにしても、ここがアーティアを攫えとルキに命じた魔族の長の居城。
そう思うとなんだか背筋が凍るような気もしてくる。
ホウリョクたちは周囲がどうなっているかや見張り、見回りの有無やトラップの有無の確認を続けている。
ヤシャが戻って来た。目でどうだったかを尋ねると、こくりとヤシャは頷く。
「結構な数の魔獣だか魔族だかわかんねーもんがうろついてる。近くにティアとルキの姿は見えなかった。上の方に偉そうな部屋があるようだな」
ボキンと二回目の音が辺りに響いた。
「ここに地上から攫われてきた子がいるはずなんですよー、知りませんか」
「しっ、知らない」
「本当に?」
ボキン、三回目。
「ああぁあぁあっ、め、<冥王>さまのっ、ところっ」
「それってどこです」
「さっ、最上階のっ……謁見の間っ」
ありがとうございます、とホウリョクは笑顔で力を緩めた。ほっとした箱男はばたりと地面に倒れる。
「もう一つ聞くことあるやろ」
「あ、そうですね。アーティアと一緒にいるもんだと思い込んでました」
言いながら再び拘束される箱男。声にならない悲鳴を上げるそれをホウリョクは軽く小突いて黙らせると、可愛らしく小首を傾げた。
「ルキって方がここにいると思うんですけど、どこにいるか知ってます?」
「は? あの混ざり者がどうかして――」
ゴキン、四回目。
悲鳴にならない悲鳴が箱男の口(?)から漏れる。
「余計なこと言うたらあかんやろ? ちゃーんと答えぇ」
低いギンの声。
箱男はこくこくと頷いた。
「あ、あれならミストヴェイルさまが連れてらっしゃる……今は確か<冥王>さまに呼ばれて最上階に……」
「さよか。おーきに」
素早いギンの手刀が箱男の首に刺さった。がくりと崩れ落ちた箱男は地面と抱擁する。
「……やっちゃいました?」
「やっとらん、黙らせただけや」
そして箱男の上着とズボンを脱がせると、それで彼を縛り上げる。
「これでしばらくは見つからんやろ」
ヴァーレンハイトはもう一度、心の中で箱男に合掌した。
「近くは魔獣だか魔族だかわかんないやつらがうろついてるみたいだな」
「ヴァル、よく気付いたな」
「えっ、ああ、うん」
隊列を決めて隠れ進むことになった。
ルイが先陣を切り、ギンが殿だ。
ヴァーレンハイトは真ん中になった。
(ティア……もうすぐ行くから)
足音を立てぬように注意を払いつつ走る。
最上階までがやけに遠かった。