17 魔界の亜竜族 4/6
本日(2/23)三つ目の更新。
ホウリョクとギンが船長を脅……いや、説得したおかげで、五人(と幽霊一人)しか乗っていない定期船はいつもよりも早いスピードで海の上を走っていた。
全員はバラバラに、それぞれ思うままに船の上で過ごしている。ルイは部屋で筋トレ、ギンは財布の中身を数え、それにうんざりしたホウリョクとティアナは甲板に出て潮風に当たっている。ヴァーレンハイトが船室で横になっているのを見たヤシャは暇を持て余して甲板を漂っていた。
どういう理屈か、モノには触れられないのにこうして船などに乗ることが出来る。そういえば辻馬車に乗ったときもそうだったなとヤシャは風に揺れる帆を見上げた。
生きているうちに船に乗った記憶はない。生きていたらアーティアのように船酔いもしたのだろうか。いや、別にしたいわけではないが。
自分が死んでから、数百年と経っているのだという。信じられなかった。
ヤシャにとってはつい最近、ちょっと意識を失っていただけのつもりだったのに。
確かにヴァーレンハイトたちに出会うまで、一人きりで誰か自分を見て話せる者がいないかと漂っていた時間はある。けれどその時間だって、数百年だなんて思うほどではなかった。多分。
時間の感覚が戻ってきたのはつい最近になってからだ。
「……なんだって、ヘルマスターの野郎がティアを攫う必要があるんだよ」
こぼれる声は誰に聞かれることなく波音に攫われていく。
ふと眼下にホウリョクとティアナがいることに気付いた。ヴァーレンハイトによると、以前ちょっとした依頼を取り合ってやり取りをしたことがあると聞いている。
男二人はなにか事情があるらしく、ルキを追っているらしいが、彼女たちはどうなのだろうか。
なんとなく気になって、ヤシャはそっと二人に近付いた。別に見えていないのでこそこそする必要はないのだが。
「アーティア、無事だといいですねぇ」
ホウリョクは手すりに座り込んで足をぶらぶらさせている。
ティアナはそうね、と言いながら左側の長い前髪を風から守るように押さえた。
「ホウリョクは、いいのかしら」
ほえ、とホウリョクがティアナの方を向いた。
ティアナは微笑みながら、ホウリョクの桃色がかった目を眺めている。
「いいって……なにがです?」
「あら、わからない? 誰かさんが探し人に会ってもいいのかしらってこと」
「……べっつにギンが誰に会おうと、わたしには関係ないですよー?」
あらあら、とティアナはころころと笑った。
「誰もギンの名前は出してないわ? 人を探しているのはルイも同じよ」
「うぐぅ」
あ、これ女子会みたいな会話だ、とヤシャは気付くが遅い。ヤシャはその場に胡坐をかいたまま二人を眺めた。
「わたしは! ギンに貸しがあるんですぅ! その貸しを返してもらうためにこうしてついてきてるだけでーすっ!」
ぷいと膨れたホウリョクはティアナから目を逸らす。
「……だって、最初っからギンには想い人がいるんです。いなくなったら追いかけて探すくらいの。入る隙なんて、ねーんですよぉ」
「……ホウリョク」
「わかってます。悪あがきだって。だってどうしようもないじゃないですか、好きになるとか嫌いになるとかなんて。一緒にいられるだけで、それだけで十分なんです」
なんてね、とホウリョクは手すりから甲板へ飛び降りた。
手を組んで伸びをする。風が気持ちいいですね、といつもの笑顔で笑った。
「わたしのことはいいんですよっ。ティアナの方はどうなんです?」
「わたし?」
「ルイとどこまでいったんです? ねぇ、ねぇ」
うふふと笑いながらホウリョクはティアナを肘でつつく。どこのおっさんだ。
先ほどまでの切なさで消えそうな少女の姿はもうない。
「……どこにも行かないわ?」
「ルイだって、結構モテるの知ってるくせにぃ」
「わたしたちはそういう関係じゃないもの」
「……わたし、知ってるんですよ。ティアナがルイに頼られたり、自分だけ名前を呼ばれた日には一人で小躍りしてること」
「ちょ、なんで知ってるの!」
慌て方からしてどうやら事実のようだ。
きゃあきゃあとお喋りに興じる少女たちは気付かない。だんだん結構な声量で話していることを。
そしてヤシャはそっと影になる船の中を覗き込んだ。
そこにいるのは天を仰いで手で顔を覆う色男二人。影になっているが、それでもわかるほどに首まで赤い。
「……青春してんねぇ」
聞こえないのをいいことに、ヤシャは四人に向かって声をかけた。
「……手ぇ出したらんかい」
「……てめぇこそ、どっちを取るつもりなんだよ」
ヤシャは耐え切れず吹き出した。
ああ、なるほど。生前、コウや知り合いの者たちが人の色恋沙汰を聞きたがる理由がわかった。
「確かに他人があたふたするのを見るのは楽しいわ」
けけけとヤシャは笑った。
+
どさりと冷たい床に放り出された。
目隠しが外れ、ぼんやりとした視界に色が戻る。
ぼく――アーティアは布で縛られたまま床に転がされていた。
必死に動けばミストヴェイルのドレスが目に入った。見上げれば跪く美女の姿。
カッと光が走った。
すぐにドォンというすごい音がして、どこか近くに雷が落ちたのだと気が付いた。
「目覚めたか」
低い男の声がして、ぼくは正面を見上げた。
再び稲光が部屋を照らす。
子どもだ。ぼくと変わらない身長、体格。
薄紫の髪はどこかで見たような色。髪を覆うヴェールで影になって顔は見えない。ゆったりとしたローブは白とも黒ともつかない不思議な色。白い肌はどこかルキに似ている気がした。
酷薄な笑みを浮かべる桃色の唇に、稲光で見えた目は恐ろしいほど美しい金色。
子どもの姿をしているのに、全く子どもに見えない。
王座に座るその姿は、まさに王以外の何者でもない。
まさか、これが――
「ヘル、マスター……?」
にい、と薄い唇が弧を描いた。
ミストヴェイル以上の威圧感が、恐怖が全身を駆け巡る。
「我が名を知っていたか」
くつりと笑うそれは絶対強者のもの。
逆らってはいけない。この少年は、ヘルマスターは簡単にぼくという存在を消してしまえるだろう。殺すのではない、消すのだ。
ごくりと喉が上下する。
温度のない金色の双眸がぼくを見下ろした。
「貴様がここにいると知れば、あの<聖帝>はどうするだろうなぁ?」
「聖……帝……」
確かそれはヴァーンの別名だ。ちょっとカッコつけすぎだとか荷が重いだとか言っていた、ヴァーンの。
何故ここでヴァーンの名が出てくるのだろうか。
「……伯父、さんに、なに、するの」
くく、と笑う王は、笑っているのにちっとも楽しそうではなかった。
「最近、やつはどうにも動きが鈍くてな。我の遊びには付き合ってくれぬのよ」
遊び?
「我は暇で暇で堪らない。というのに、かつて三度目の遊戯で我と互角に渡り合って見せたくせに、近頃と来たら張り合っても来ぬときた。それではつまらぬだろう?」
三度。
その言葉でぼくは神族と魔族の争い、神魔戦争の存在を思い出す。かつてあったという第三期神魔戦争。
ヤシャが死んだという、それ。
まさかまた同じことをしようと言うのか。
「……ぼくを、使ったって、伯父さんは……」
「だがやつを引きずり出すことは出来るやも知れぬだろう」
「そんなっ」
そんな馬鹿な話があるか。ぼくはただの旅人で、たまたま血縁上の姪というだけだ。確かにずっと探してくれていたし、優しくしてくれるけれど、それでもぼくはヴァーンの大切な人ではない。
「なに、貴様がヴァーンにとって価値がなかろうとそれはそれでいい」
くすくすと笑う。
「さて、次だ。……我も様々なことを試みたが、さて、貴様の父たるアライアは一体なにを企んでいる?」
「――!」
アライア。忌まわしいぼくの父親に当たる魔族。
その名前がここで出てくるとは。
企む? どういうことだろうか。
ぼくがわからないという顔をしていたせいだろう。ヘルマスターはふんとつまらなそうに鼻を鳴らした。
「知らされていない、か。貴様はあれの実験台だと思ったが……」
実験台。
その言葉に血が冷える心地がする。
そう、ぼくは間違いなくあいつの実験台だ。せんせいと出会ったのもその一環。
「貴様、やつにとっては失敗作か」
ひぅと喉が鳴った。
かつて最後に会ったあの男に言われた言葉が蘇る。
――ようやく生まれたのがおまえのような失敗作だとはな。
――失敗作、欠陥品。おまえに相応しい言葉だな。
――もういい。これ以上、おまえにかかずらうのはやめだ。
頭から血の気が引いていく。
もう忘れたと、関係ないと思っていたのに、鮮明に思い出される声。
あれがぼくに言ったのはそんな言葉ばかりだった。
そして突然、奴隷商に売られたのだ。
ヘルマスターに言われて気付く。
そうか、あんなやつでもなにか目的があったのか。そのためにぼくや母を使い捨てたのか。
布で拘束された拳を握り締める。
「まぁ、あの男に連なる神族の娘と魔族の混ざり者だ。使い道はあるだろう」
「……あんたの、言うこと、聞くと思う?」
「はは、反抗しようと、屈服させる方法はいくらでもある。……そうだな、例えば」
パチンと少年の指が鳴った。
どさりと近くで音がして、なにかが投げ出されたのだとわかった。
金色の目がぼくから逸らされ、その音の方を見た。釣られてぼくもそちらを見る。
「……う、ぅ……」
「――ッ、ルキ!」
姿が見えなかったルキが倒れていた。
頭から血が出ている。頭からだけじゃない。全身を殴打したような痕と出血。せっかくの綺麗な顔が腫れて、片目が開けられなくなっている。
手には先刻までぼくがつけていたような手枷。
「この……ルキになにしたんだ!」
ヘルマスターはつまらなそうに首を傾げる。
「なに、勝手なことをしたから仕置きをしたまで」
なにがおかしいのかとでも言うように、彼は王座を降りてぼくの前まで歩いてきた。
「子を躾けるは親の務めなのだろう?」
なにが躾だ。ルキは苦しそうに息を吐きだしている。時折、咳き込んでいることから肺に異常があるかもしれない。
ぼくは手を伸ばそうと腕に力を入れるが、布は引き千切れる素振りすら見せない。
圧倒的な力の差に絶望しそうだ。
「久方ぶりに聞き分けがなくてな。貴様を逃がせ、だと」
「ルキ……」
どうしてそこまでするんだ、馬鹿。ぼくのことを見捨てればそんなにボロボロになることはなかったのに。
ああそうだ、とヘルマスターは自然な動きでぼくの頭に足を乗せた。ぐり、と回転と力をくわえられ、ぼくは床に押し付けられる。
「ルキ、我の言うことを聞けるな」
ルキの目が見開かれる。
ふるふると首が小さく振られる。
「やだ……やめて……お願い、父さま、やめて……」
「聞こえぬな」
みしりとぼくの頭蓋が悲鳴を上げた。
うぁ、と言葉にならない呻きがぼくの口から洩れる。
やだ、とルキが起き上がろうともがいた。
「やめ、やめて……お願い……ティアが、死んじゃう……やだ……いや……っ」
「止めてほしいならば、相応の態度というものがあるだろう」
ルキの喉が上下する。
ルキは震える身体を叱咤して床に座り込み、頭を下げた。
「おね、がい、します……ティアを、殺さないでください……ちゃんと、言うこと、聞きますから……お願い……」
床に透明な雫が落ちる。
ルキ、と呼ぶ声はぼくの口から発せられなかった。
「まぁよいか」
出来の悪い生徒を見るような口調でヘルマスターはぼくの頭から足を退けた。
解放された安堵とルキの身の安全を思う気持ちで胸の辺りが気持ち悪い。
「ティア……ごめんね……大丈夫?」
「ばか……なんで……」
いいの、とルキは首を振った。
なにもよくない。なにがいいって言うんだ。
ぼくは何度目かの拳を握り締めた。みぢり、と布が鳴く。
「無駄な抵抗はお止めなさいませ」
ぎりと布がきつく締まる。腕の骨や肋骨が悲鳴を上げる。
「止めて、ミストヴェイル――っ!」
ルキの悲鳴が響く。
ぼくは自分の無力さに呻いた。
どうにかしたい。でもなにをどうする。わからない。
だれか、
「――ッ」
相棒の顔が脳裏に浮かぶ。どうしてこんなときに思い出すんだろう。
意識が落ちそうになる寸前――ガラスの割れる音がした。
前半と後半のテンション差が激しい。