16 神族の幽霊 5/6
真面目でかっこいい長なんて存在しないんだよ!!!(逆ギレ)
「……姪?」
思わず出た自分の声にぼく――アーティアは驚いた。
今、目の前の彼――ヴァーンはなんと言った?
驚いて目を見開く。
目の前までやってきたヴァーンはあれ、と首を傾げてぼくの顔を覗き込んだ。
「知らなかったか? 数十年前に何度か会ったことがあったんだが」
うっすらと誰かが母に会いに来ていたのは知っている、覚えている。
だがそれが目の前にいる彼かどうかは覚えているような、覚えていないような。こんな人だったっけ。
幼いころの記憶だから曖昧だ。
「おまえの母、レノリィア・ロードフィールドの兄に当たる」
ヴァーンはぼくと相棒の男――ヴァーレンハイトを見た。
相棒は目をぱちくりと瞬かせている。
確かに母の兄は偉い人だとは聞いていたが、族長だとまでは聞いていない。
まぁ、とヴァーンは頬を掻く。
「兄妹と言っても血縁上であって、一緒に育ったことはないんだがな」
一緒に育ったことがないとはどういうことだろうか。
はて、と首を傾げているとおもむろにヴァーンは「まぁ、座れ」などと言って赤い絨毯の上に直接座り込んだ。後ろでラセツがちょっと、と声を上げたがコウに取り押さえられている。
「そんなに使う部屋でもないし、掃除も行き届いてるから座っても平気だぞ」
そういう問題だろうか。
横の男はそれならとさっさと座り込んでいる。
これはぼくの感性の方が間違っているんだろうか。
周囲を見れば、四天王たちも首を横に振っている。諦めろということか。
ぼくもしぶしぶ男の横に座った。
二人と視線がちょっとだけ近くなる。
ヴァーンがじっとぼくの右目の眼帯を見ているのに気付いた。
「眼帯を外して見せてくれないか」
戸惑う。
母のことを知っているなら、きっと父親のことも知っているだろう。だからそう言うのだろうということはわかる。
けれど、周囲に立ったままの四天王やラセツたちがいることに躊躇する。
ぼくが固まっているとヴァーンはふと息を吐いた。
「安心しろ。ここにおまえのそれを厭うやつはいない、差別するやつはいない。もし誰かがその目を嫌悪するのなら、おれが直々にそいつを罰してやる。大丈夫だ」
その言葉がすとんと内に入ってきて、ぼくはそっと眼帯を外した。
おお、と誰かがどよめいた。
じいっとヴァーンの視線を右目に感じる。いや、白い布で目は覆い隠されているんだけど。
はぁと長いため息を吐くヴァーン。それはどういう意味なんだろうか。
身体が固まる。
「……マジで魔族との子なんだなぁ」
どきりとした。無意識に俯いてしまう。
男が名前を呼んだ気がしたが、見れない。
そんなぼくの頭にぽんと乗せられた大きな手。相棒のものとは違う手だ。
はっとして伯父を名乗る男を見上げた。
優しく動く手が温かい。
「よく生まれてきて、ここまで育ってくれたなぁ。えらい、えらい」
完全に小さな子供に対するそれだ。けれど何故か不快ではない。
横ではてなを浮かべる男に、ヴァーンは「神族は出生率がそれほど多くないし、魔族の子は胎生に向いてないから生まれたことが奇跡なんだよ」と説明していた。
手を退けたヴァーンが頬を緩める。
「まぁ、本当に伯父だっていう証拠は出してやれないんだがなぁ」
ぼくは首を横に振る。
「……見れば、わかる。母さん――母と、似た魔力を、してるから」
魔力感知能力か、とヴァーンはぼくの頬に触れた。じっと目を見られている。
母と似た魔力。母よりもずっと大きくて、広い草原のような魔力。それがこの伯父の魔力。圧倒的過ぎて眩暈がしそうだ。
じっとその顔を見ていたら、するりと思ったことが口に出た。
「……どうして一緒に暮らしてなかったの」
そうしたら、きっとあの父に母がたぶらかされることはなかっただろう。
ヴァーンはぼくから手を離して、口をへの字に曲げた。
「あー……まぁ、初めて会ったのがもうお互い成長してからだったからな」
がりがりと頭を掻くヴァーン。
そういえば一緒に育たなかったと言っていた。
ぼくの目が疑問ばかりだったからだろう、ヴァーンは苦笑して話し始めた。
「おれは生まれてすぐ両親と生き別れててな、そこにいるシアと一緒にサーカス団で育ったんだ。おれを拾ったやつが見世物小屋にでもと売ったんだろうな。んで、そのあと両親は妹――レノリィアを生み育てた。おれが妹の存在を知ったのは長になってからだ。血縁が残っているか調べていてな。妹は早くに両親を亡くし、先代派でも反乱軍派でもない中立派だったロードフィールド夫妻に引き取られ育てられたそうだ」
一度、ヴァーンはそこで切る。
「ロードフィールド夫妻は妹をよく可愛がって育ててくれたらしくてな。……可愛がりすぎてちょっとばかりぽやぽやした子になったような気もするが」
それには同意する。
母は割とお花畑の住人だった。まぁ、だからあの男に引っかかったんだろうけど。
「初めて会ったとき、夫妻は亡くなって妹はまた身寄りがなくなったところだった。一応、おれは就任したばかりとはいえ長だったから支援を申し出たんだが……断られた」
しょんぼりとヴァーンは肩を落とす。
それでどうやって定期的に会うような仲になったんだろうか。
「まさかの断り文句が、『わたしは一人ででも生きていけます! キャベツともやしの区別くらいつくんですよ!』だったから速攻で断りを断って支援することにした」
「……母さん……」
ちなみにその場でレタスともやしを見せたところ見事に間違えたらしい。葉物も見分けついていないじゃないか。
横で男が肩を震わせている。
なんか身内の恥を広めてしまっている気分だ。
「……ティアがヴァーンの姪だってことも驚きだけど、ヴァーンの妹にも別の意味で驚くわ……」
ヤシャが頭上で何か言っているが聞こえないふりをした。
男は一層、肩を震わせているが。
「あのときの彼女には驚きましたね」
「流石ヴァーンの妹君」
そんな声が聞こえるのも無視だ。
こほん、とヴァーンが咳払いをする。室内はしんと静まり返った。
「地上で暮らすと言われたときは反対したんだがな。気付いたら姪まで生まれてるし」
この人、だいぶ慌ただしい人生を送っているようだ。ぼくもあまり人のことは言えないけど。
母が亡くなってからぼくの行方は探してくれていたらしい。それでも見つからなかったのはぼくがさっさと売られた先から逃げ出していたからだろう。
「だから、今日こうして会えてよかった」
安心した笑顔でヴァーンはぼくを見る。ぼくは思わず目を逸らした。
話が一段落したと見た男があのぅとヴァーンに声をかける。
「それで、なんでおれまで呼ばれたんですかね」
「姪と組んでるっつーやつがどんなやつか見たかった」
即答だった。
周りではロウとカムイが
「知っテルゾ。こういうの親バカっていウンダ」
「正確には伯父バカですね」
などと話しているのが聞こえる。
こほんこほんと、再度ヴァーンが咳払いをした。二人も黙る。
「アーティア」
ヴァーンがぼくを呼ぶ。顔を上げると、手をぎゅっと握られた。
「アーティア、このままこっちで一緒に暮らさないか」
「えっ」
何故か横の男が驚いていた。なんでおまえが驚く?
「おれはあまり帰れないだろうけど、家を用意する。ちゃんと暮らせるように必要なものは全部揃えよう。使用人を雇ってもいい。やりたいことがあるならやってもいい」
白い布の奥に真剣な目が見えるようだった。
でも、ぼくは首を振る。
「ぼくは旅人だから、一所にはいられないよ」
それに男を一人にするのも忍びないし、せんせいの身体探しも終わっていない。
そうか、とヴァーンは手を離した。
代わりにぐりぐりとまた頭を混ぜっ返す。
「まぁそうだろうなと思ったけどな。言ってみただけだ」
気にするな、と笑う。
「でもここはアーティアがいていい場所だ。よかったら、また会いに来てくれ」
「……うん」
「あと、出来たら伯父ちゃまって呼んでもいいんだぞ」
「伯父さん、ありがとう」
「……」
手を払うと悲しそうに口を歪めた。目元は見えないがわかりやすい表情をする人だ。
後ろでヤシャがひっくり返って笑っている。
真面目なんだか変な人なんだかよくわからない。多分、変な人なんだろう。なんたって母の兄なんだし。
「どうしてぼくにそこまでしてくれるの?」
そうだなぁとヴァーンは首をひねる。
周囲の四天王たちを見た。ぼくも釣られてそちらに視線をやる。
「おれには家族同然のやつらがいる。けど、血の繋がった家族ってものを知らないんだ。だから、興味があった。最初はそれだけだな」
ふうんと相槌を打つ。
血の繋がりなんて、正直よくわからない。けど、目の前の彼はたったその小さな繋がりというだけでぼくを可愛がろうとしてくれている。それはすごいことだと思った。
「レノリィアも、アーティアも、おれには勿体ないくらいのいい子だからな、大切にしたいと思ったんだ」
また頭を撫でられた。どうして背の高い人はすぐに頭を撫でてくるのだろう。
ヴァーンはまた、綺麗な目だなと笑った。
というか本当にどうやって見ているのだろうか。
「……どうやって見てるの」
「念写……みたいな? こう、目じゃないもので見てるっていうか……説明難しいな」
「目、どうかしたの」
「……あー……この目はちょっとやらかして、眼球が溶けて顔も傷だらけで見れたもんじゃないことになっててな。んでこの布を巻いてる。けど、もともと目で視てなかったから支障はないんだ」
ちょっと踏み込みすぎた話題だったかもしれない。
それでもヴァーンは気分を害した風に見えず、簡単に答えてくれた。
「そういえば、俺が最後に見たときはそんな布してなかったよな。いつそんなことやらかしたんだよ」
ヤシャも首を傾げている。
ま、もともと変な目だったから見世物小屋に売られたんだろうけどな。と、ヴァーンは笑っているが、笑いごとではないのでこちらは笑えなかった。
四天王たちも気まずそうに目を逸らしている。いや、シアリスカだけは、はははと笑っていた。
「もう、すぐに発つつもりか」
「……特に予定もないし、お礼貰ったら地上に戻ろうかなとは思ってる」
そうか、とヴァーンは寂しそうに呟いた。
「……ああ、そっか。ティアは早く友達に会いに行きたいんだもんな」
「いや別に会いに行くとは言ってないし!」
横で男が余計なことを言ってくれた。
「ほう、友達がいるのか。それはよかった」
「べ、別に友達っていうか知り合いで! いや、仲良くしたいって言うから……その……えっと……」
駄目だ、周囲の視線がどんどん生暖かいものになっていく。ぼくは黙って俯いた。頬が熱い。
「そういう用事があるなら無理に引き留めることは出来ないな……。せめて昼飯くらい食っていけ。職員用の食堂だけどな、美味いぞ」
なんでこの人たちはこんなに食堂を推してくるんだ。いや、もうお昼の時間だし食べてから発つことにするけど。
それと、とヴァーンは立ち上がる姿勢になりながら言った。
「コウから報告は受けている。ヤシャの愛刀を届けてくれたそうだな。やつの上司として、幼馴染として、友人としても礼を言う。ありがとう」
立ち上がったヴァーンが頭を下げた。
「長が簡単に頭を下げるものではありませんよ」
「どうせここだけの話だ。私用だし、許せよ」
頭を上げたヴァーンが笑う。
ぼくも立ち上がった。横の男も怠そうに立ち上がる。
「……届けて、よかった」
「来た甲斐あったな」
男もふふと笑った。
「あいつの遺体は吹き飛んで、なにも残らなかったらしいからな」
ヴァーンの言葉に息を飲んだ。
そんなに酷い有様だったのか。
だが当の本人はぼくの後ろでけろっとしている。
「うっわ、俺そんなにひっどい状態だったのかよ」
ヤシャは腹を抱えて笑っているが、笑いごとではない。
本人がそんな調子なので、横では男とロウの肩が震えていた。
重ねて言う、笑いごとではない。
そろそろ昼時だなとヴァーンが笑う。
「ボク、ハンバーグ食べたい!」
「今日の定食は煮魚かオムライスでは?」
「サイコロステーキ……」
「寿司が食べたいですね」
四天王の反応もおかしい。そんな話題転換あるか。
横の男も「リゾット……」とか言っているし。
さっきまできっちりと並んでいた四天王はわいわいと騒ぎながら王座の間を出ていく。困惑したままのぼくの手をヴァーンが引いて、そのままぼくも食堂まで連れていかれることになった。
男どもが変なのか、それともぼくの脳内処理が遅いのか。
よくわからない。もうよくわからない。
食堂で見た松という女性は気のいい姐御肌で、A定食のオムライスを食べるぼくに抹茶プリンというものをおまけしてくれた。すごく美味しかったということだけは伝えておこうと思う。
+
相変わらず雷が鳴っている。
少年の姿をした王――ヘルマスターはつまらなそうに窓の外を見ていた。
背後にはいつもの通り盲目の美女――ミストヴェイルが控えている。
「調べはついたのか」
「はい」
ほう、とヘルマスターはミストヴェイルを振り返った。
首を垂れた女性は微動だにしない。
話せ、とヘルマスターが言えば、はい、と彼女は唇だけを震わせる。
「例の少女の父親はアライア。――百年戦争を唆したと目されている者です」
「――ほう」
そして、とミストヴェイルは続ける。
「母親の名はレノリィア・ロードフィールド」
「ふむ、何者だ、その女は」
カッと稲光がしてヘルマスターの幼い顔を照らした。
ミストヴェイルはこくりと小さく唾を飲み込む。
「――はい、彼女は血縁上、<聖帝>ヴァーンの妹に当たる者」
ヘルマスターの目が見開かれた。
は、と少年の唇から息が漏れる。
「は、はは、ははははは! そうか、あの男の血縁か! それはいい!」
少年の姿をした王は天を仰いだ。
外套を翻し、王座に座る。
くくくと笑いがこぼれた。
「あのお優しい男のことだ、その娘が傷付けばどうするかな?」
嫌がらせを考えるのは楽しい。いい暇つぶしになる。
ヘルマスターはミストヴェイルを王座から見下ろした。
雷が落ちる。
「<龍皇>から遊びが過ぎるとのことですが」
「知ったことか」
にやりと口角を上げる。
「誰でもいい、アライアとやらの動向を探れ。それから――あの娘、なんと言ったか……」
「ルキさまのことでしょうか」
「ああ、それだ。それを例の娘のところへ。そうだな、珍しい故、殺さずここへ連れてこいと伝えおけ」
「……御意に」
ミストヴェイルの姿が消える。
さて、どうなるだろうか。少年の桃色の唇が三日月を描いた。
暗い地下にミストヴェイルは降りていく。
コツコツと自分の靴の音だけが石作りの壁に響く。
最下に至ったとき、じゃらりと幽かな音がした。
鉄格子の先に人がいる。
ミストヴェイルはたった一つだけある牢の前に立った。
盲目の目で見下ろすのは牢の中の繋がれた少女。
ミストヴェイルが手を振ると、カシャンと音を立てて少女を繋いでいた鎖が崩れ落ちた。
「……?」
「出なさい」
少女は戸惑いながらそっと鉄格子を押す。キイと耳障りな音を立ててそれは開く。
ミストヴェイルよりも背の低い少女だ。いや、ミストヴェイルが高いのか。
他種族のことなどよくわからない。
少女の砂漠の砂を思わせる髪はぼさぼさで、その隙間から見える灰色の目からは女性への敵意と困惑が入り混じっている。
ふとミストヴェイルの口に笑みが浮かぶ。
少女は警戒に身を強張らせた。
「ヘルマスターさまからの命です。心して聞きなさい」
「……」
少女の手枷の痣をするりと撫でれば、少女はびくりと肩を震わせた。
「アーティアという名の少女を主の前へ。決して殺してはなりませんよ」
獲物を殺さずに持ち帰るだけという指令を聞いて、殺さずに済むことにホッとしたのか、少女は胸を撫で下ろす。
「あなたと同じ、混ざり者ですよ、ルキさま」
「え……」
少女――ルキが掠れた声を上げた。
度重なる拷問でもうほとんど声は出ないだろうに。
ミストヴェイルは笑みを深める。
「でも、同じだと思ってはなりませんよ」
「……」
「彼女は旅人で帰る場所はない。けれど、あなたにはここという帰る場所があるのですから」
あなたの帰る場所はここです、とミストヴェイルは少女の耳元でもう一度、囁く。
「逃げようとすれば……そうですね、あなたの愛するトカゲさんがどうなっても知りませんよ」
ふふと笑えば、少女は目に見えて震えた。ぶんぶんと首を横に振る。
「……ちゃんと、するからっ……おね、がい、します……彼には、手を、出さないでっ」
少女の目が恐怖に見開かれる。
ミストヴェイルは更に笑みを深めた。
「ええ、あなたがいい子にしていたら大丈夫ですよ。ほら、お父上の言うことを聞けますね」
「……は、い」
少女が小さく頷いた。
ふふ、とミストヴェイルは楽しそうに笑った。
ルキ:友人I
さて、また勝手に魔族勢がなにかしてくれちゃってます……なんで?