13 武器を取る者 3/3
ケチャップ少量。
暗くなる前に野営の準備を始める。
気温は低いが、凍死するほどではない。天気は晴れ。風は少し。
ヴァーレンハイトはアーティアの集めた枯れ木に火を着ける。
暖かくなって、ヴァーレンハイトはほうと息を吐いた。
携帯食料で寂しい夕食を終え、あとは寝るだけだ。
さっさと寝たいが寝ずの番に途中で起こされるのは嫌だ。けれど先に寝ずの番をするのも耐えられそうにない。さて、どうしようとヴァーレンハイトは腕組みをした。
結局じゃんけんで決めることになり、勝ったアーティアが先がいいと言ったのでとっとと寝ることになった。
荷物を枕にして、アーサーの今日の評価を子守唄に夢の世界に旅立っていくヴァーレンハイト。
それからどれくらい立っただろうか。
ふいに自分たちとは別の気配を感じ、ぼんやりと目を開けた。
「すみません……っ」
焦った女性の声の中には安堵。
眠たい目をこすりながら目を開け起き上がると、若い女性と少年が焚火を見て近寄ってきたのだろう、やってくるところだった。
なんだ起きたの、と呆れた声を出すアーティアは二人を見た。
「すみません、お休みのところ……火に当たらせて頂いてよろしいでしょうか」
見れば連れの少年が凍えているのか肩を抱いて震えていた。
アーティアは一瞬だけヴァーレンハイトを見たが、いいよ、と位置をずれる。
ありがとうございます、と頭を下げた女性はそっと少年を焚火の前に座らせた。
大丈夫ですかと問う姿勢は従者のもの。少年は疲れ果てているものの、どこか育ちの良さを感じる仕草だ。
ヴァーレンハイトは二人を観察する。
まずは若い女性。簡素な胸当て、籠手、脛当てをした護衛騎士姿。その服のあちこちは剣で斬られたような痕があり、薄く血が滲んでいる。怪我をしてから時間は経っているようだ。
栗色の髪を高いところで一つに結び、きりりとした目は魔族とは違うネコ科の金色。特に目を引くのが髪の間から覗いてぴるぴる動く髪と同色の獣の耳。丸みを帯びているから大型ネコ科……虎や豹の類かもしれない。特徴的なそれは獣人族のそれ。
次は少年。どう見ても旅には適さないさらりとした生地のシャツに七分丈のズボン、ズボンと同じ色のベスト。今はそのどこもが汚れていて、もとは高い衣装だったことが伺えるだけにもったいないという気持ちが湧いてくる。くすんだ金髪に空色の目、丸耳。もしかしたら人間族かな、とヴァーレンハイトは結論を出した。
旅慣れているようには見えない。
ただ二人とも両手剣を腰に差しており、女性の方は戦いなれているように見える。
少年の方は剣に慣れていない様子が目に見えてわかる。服に着られている子どものようだ。……いや、実際彼は子どもなのだけれど。
ヴァーレンハイトは荷物の中から携帯食料を取り出し、少年に差し出した。きょとんと少年は目を瞬かせる。
「美味しくはないけど、お腹は膨れるよ」
そう言うと、少年の腹がくぅと小さく鳴いた。顔を赤くした少年はちらりと女性を見、女性が頷くのを見てヴァーレンハイトから携帯食料を受け取った。
アーティアは肩をすくめて同じように荷物からそれを取り出し、女性に渡す。
女性は固辞しようとしていたが、少年の「確かに美味しくないけど、お腹は膨れる」という言葉に押されて素直に受け取った。
もそもそと携帯食料を食べる二人を見る。
どう見ても二人はどこかから追われてきた騎士とお坊ちゃんだ。
アーティアを見れば首を振って「関わるな」と目で訴えてくる。
旅をしている以上、出会う人全てに関わっていたらこちらの身体と心が持たないのはヴァーレンハイトも長年の旅路でよく身に染みている。
だが脳裏をコウの言葉が過る。
――子どもが理不尽に泣かなくていい世界。
少年の頬には涙のあとがあった。なんだか胸の辺りがもやもやする。
少年が食べ終わったゴミを回収すると、少年は頭を下げた。顔色はよくなったらしく、震えも止まったようだ。
「ありがとう。僕はコルバ・エドリッ……いや、ただのコルバだ」
フルネームを言いかけて止めた少年を見る。複雑そうな顔だ。
「申し遅れました、私はファリスと申します。コルバさまの護衛騎士をしております」
女性が胸に手を当てて礼をする。
名乗られたのでこちらも名乗るしかない。
「おれはヴァル」
「ぼくはティア」
「二人は冒険者なのか。……どうして旅を?」
コルバは興味深そうにヴァーレンハイトたちを見た。
こういう質問をするもの旅人らしくない。二人は定住者だったのだろう。完全に訳アリだ。
「なんとなくだよ」
アーティアはまともに答える気はなかったようで、枯れ木を焚火に放り込みながら小さな声で言った。
ヴァーレンハイトは「おれもー」と適当に濁す。
ふうんとコルバは相槌を打つ。
「……僕とファリスは家を追われてきたんだ」
ふうんというアーティアの気のない相槌を聞いているのかいないのか、少年は焚火を見ながらぽつりぽつりと語りだした。
どうも、親が事故で亡くなった途端に親族に家を乗っ取られ、殺されかけたところを逃げてきたという話らしい。
それで、とアーティアは大剣を引き寄せた。
「その話をぼくたちにしてどうしたいの。同情でもしてもらいたい?」
「そ、そういうつもりじゃ……」
「腰の剣はなんのため?」
それは、とコルバが口ごもる。
周囲でがさりと音がした。
はっとファリスが顔を上げる。
アーティアが大剣を抜いた。闇夜に向かって構える。
ヴァーレンハイトは焚火の火を大きくする。
暗闇から出てきたのは兵士崩れの格好をした野盗たち。
ヴァーレンハイトたちをぐるりと囲んでいる。
ファリスが剣を抜く。
野盗たちがなにかわめいているが、汚い言葉なのでヴァーレンハイトはコルバの耳を塞いでやった。ぽかんと口を開けたまま彼らを見上げる少年と焚火を背にする。
「面倒な数だなぁ。ファリスは何人任せていい?」
「コルバさまをお願いします、半数は斬り捨ててみせましょう!」
ファリスが飛び出す。
素早く振られた剣が野盗の一人を袈裟斬りにした。
アーティアも反対側の野盗たちに向けて大剣を振る。腕と首が黒血をまとって飛んでいく。
「ひっ」
コルバが小さく悲鳴を上げた。
それを横目で見ながらヴァーレンハイトは遠くで詠唱する魔術師に向けて火の矢を放った。詠唱途中だった魔法陣が霧散し、ぎゃっという悲鳴を残して暗闇に消える。
その間にアーティアは剣を持った野盗たちを全て斬り捨てていた。
あちこちに部品となったものが落ちているのが薄っすらと見え、朝になったら嫌なものが目に入ることにうんざりした。
高火力で焼き払うにしてもにおいがつくのは嫌だな、とヴァーレンハイトは暢気に考える。
ひぃ、と少年がヴァーレンハイトの外套を掴んだ。
やはりいいとこの坊ちゃんには刺激が強かったらしい。
魔獣の場合、このあと身体のどこかにある核を取り出さなければならないので更に陰惨な現場になるが、それを見たら少年はどうなってしまうのだろうか。
ヴァーレンハイトがぼんやりと考えているとファリスの方も終わったらしく、焚火に近寄ってくるのが見えた。
やはり大型ネコ科の獣人族だったようで、夜目はよく効くようだ。
剣についた血を拭って鞘に納める仕草は手慣れたものだ。
それに比べてコルバはずっとヴァーレンハイトにしがみついていた。
それを見てアーティアは眉間に皺を寄せた。
「――こんな程度で腰が引けてるなら、復讐なんて出来ないよ」
「な、」
なんで、とコルバの唇が動く。
当然だろう。手に肉刺も出来ていないような子どもが剣を取る理由なんてそう多くない。更に彼の境遇を考えれば自ずとわかるものだ。
「いくら剣の腕を磨いたところで実戦に耐えられないようじゃ意味がないと思うんだけど」
アーティアは首を傾げる。
心底不思議だという顔だ。
まぁ、きっとアーティアにはわからないだろう。だって、ヴァーレンハイトにもよくわからない心理なのだから。
復讐を誓い、全てを破壊するつもりで世界を見れば自分を脅かす存在に容赦は出来ない。相手を殺すためには相手より強くならなければならない。相手より強くなるためにはより強い相手と戦うのが効率的だ。
ただのお稽古を続けたところでなにも斬れない。
僕は、とコルバは俯いて唇を噛んだ。
「……コルバさま、時間はまだまだたくさんあります。だって、命があるのですから」
ファリスがコルバの肩を撫でる。
コルバはファリスの外套を握った。
「考えましょう、ゆっくり。自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか。それからでも遅くはありませんから」
ね、とファリスがコルバを抱きしめる。
うん、とくぐもった返事が聞こえた。
アーティアは肩をすくめて、もとの位置に座った。
魔法陣を展開し、地を操る魔術で申し訳程度に野盗たちの残骸に土をかける。朝なるべく見なくていいように。
もう暗すぎるので場所を移動するにもどこに移動するべきかが見えないので応急処置だ。ただ単に動くのが面倒くさいともいう。
やれやれとヴァーレンハイトは荷物を枕にして再び横になる。
アーティアが交代を目で訴えてくるが、眠れていないのだから仕方ない。
彼女のため息を聞きながら少年たちを見る。
少年はいつの間にか騎士の膝の上で眠ってしまったようだった。
眉間に皺が寄っている。
そんな顔をしていたらアーティアみたいになっちゃうぞ、と思いながらヴァーレンハイトも目を閉じた。
+
視線が低い。
夢を見ている。
ヴァーレンハイトは辺りを見渡した。
孤児院だ。ヴァーレンハイトが十歳ごろまで育った、メルディーヴァ孤児院。
養父たる男――ゼネラウスはどこだろう。
小さなヴァーレンハイトは扉に手をかけた。
そっと押すと、養父の背中が見える。
「ゼネ……」
声をかけようとして、養父の向こうに人がいるのに気付いた。
お客さんかな?
ヴァーレンハイトは大人しくしていなきゃ、と扉を開けるのを止めた。隙間から二人の様子を伺う。
聞こえるのは知らない男の声。なにを言っているのかは聞こえない。
養父が腰の双剣に手をかけた――瞬間、養父の首が飛んだ。
「……え……?」
扉の前までごろりと転がってきた、目を見開いた養父の顔。
どさりと身体が倒れた音。確認は出来なかった。その虚無の瞳から目を離せなかったから。
(誰か呼ばなくちゃ、誰か助けて、誰か……)
その誰かはいつも養父だった。ひぅと息を飲んで、扉の隙間から外を見る。
一瞬だけ合ったのは真っ赤な温度のない目。
ごくりと唾を飲み込んでいるうちに、その人物はヴァーレンハイトに背を向けた。
(待って、待って、待てよ、どうしてゼネラウスを、どうして、なにがあったんだ)
悲鳴のように流れ出る声は口からは出てこなかった。
つうと頬を冷たいものが伝う。
(いやだ、いやだ、いやだ、いやだ)
どうしてこんなことに。
きっと悪い夢を見ているに違いない。そっと扉を押して、養父の頬に触れる。
いつもの温かみのある頬ではなかった。無機質なものを触っているような、だけど生物のような不思議な感触で、思わずヴァーレンハイトは手を引っ込める。
「ぜ、ね……?」
ようやく出てきた声はカラカラで、自分のものではないようだった。
立ち上がろうにも足が弛緩して動かない。
ひっひっとしゃくり上げるだけの小さなヴァーレンハイト。
ふいに首の唇が歪んだ。
驚いて声にならない悲鳴が喉から漏れる。
唇が動いてなにか言っている。
なに、なにが言いたいの、ゼネラウス。
ヴァーレンハイトは耳を澄ませる。
「…………て、……んだ」
「え……?」
「どう、して、助けて……くれなかった、んだ……」
ひぅと喉が鳴った。
どうして。
どうして。
どうして。
ヴァーレンハイトはそれを見下ろしている。
いつもの目線だ。
どうして、助けられなかったんだろう。
小さな子どもが大人を助けられるわけがないのだが、今のヴァーレンハイトの頭はそれでいっぱいだった。
どうして。
どうして。
どうして。
「あぁ……」
小さい頃の自分とゼネラウスの首がヴァーレンハイトを責める。
どうして助けなかったの。
どうして助けてくれなかったの。
どうして相手の顔を覚えていないの。
どうして。
「や、めろ……やめて、くれ……」
ヴァーレンハイトは耳を塞ぐ。
しかしそれは自分の内から出てきた言葉。耳を塞いでも意味はない。
「あ、あぁ……」
意味のない言葉ばかりが唇を震わせる。
「どうして助けられなかったの」
小さいヴァーレンハイトが今のヴァーレンハイトを見上げている。
やめろ。
やめてくれ。
「もう、止めてくれ――ッ!」
ようやく叫んだところで、ヴァーレンハイトの意識は真っ暗になった。
+
ばちん、と耳元で音がして、頬が熱くなった。
ヴァーレンハイトはぱちくりと目を瞬かせる。
目の前には手を振り上げたアーティア。何故か男の首元をもう片方の手で掴んでいる。
「……えっ」
「……起きた?」
ぱっと少女の手が離れる。どさりと地面に落ちた頭をなにかにぶつけた。
見れば自分の荷物の特に硬いところが後頭部に当たったらしい。
ヴァーレンハイトは頭を掻きながら半身、起き上がる。
ため息を吐いたアーティアが眉をひそめていた。
「……え?」
「あんた、うなされてたんだよ。なに言ってるかわからないし、起こそうと思って揺すっても起きないし。で、叩いたら起きたんだよ」
叩いた。どこを?
ふと頬が痛いことに気付いた。手を当てるとじんわりと熱を持っている。
「……ええっと、おれは叩かれたことを怒ったらいいの? 痛いって泣いたらいいの? それともティアに起こしてくれてありがとうって言うべき?」
「三番目」
「あっ、はい……起こしてくれてアリガトウゴザイマス……」
なんとなく理不審なものを感じながら、ヴァーレンハイトは頬を撫でた。
ぼんやりする頭のまま、周囲を見渡す。
中途半端に土に埋められた腕や足が見えて、昨晩のことを思い出す。ついでに近くでぽかんと口を開けてこちらを見ている女性と少年の姿を見た。
どこから見られていたんだろうな。
なんとなく気恥ずかしい気持ちが胸の辺りでもやもやする。
「……おはよう」
「……おはよう、ございます……」
とりあえず挨拶をしてお茶を濁す。
「どうする? 朝ごはん、ここで食べるか、それとも移動してから食べる?」
アーティアが荷物をまとめながら周囲を見渡す。
雑に土をかけられた野盗たちが周りを囲んでいた。
「……流石に景観が悪いかな……」
横からコルバの「そういう問題か」という声が聞こえたが無視する。
わかった、とアーティアは荷物を背負った。
ヴァーレンハイトもそれに倣う。
コルバとファリスに聞けば、行く先はヴァーレンハイトたちとは逆のようだ。
「お世話になりました」
ファリスが頭を下げるのを見て、コルバも同じように頭を下げる。
「このお礼はどうしたらいいか……」
頭を上げたファリスが眉尻を下げる。
アーティアはそちらを見もせずに、
「ぼくたちに返そうとしなくていいよ。けど、気になるなら困ってる旅人を見かけたときに手を貸してやって。回り回って、ぼくたちのためになる……かもしれないから」
旅人としての心得の一つだ。
わかりました、とファリスが頷いて、コルバの背を押す。
コルバは周囲を見ないように気を付けながら手を小さく振った。
ヴァーレンハイトはそれに同じように振り返してやる。
ちょっとだけコルバが笑った。
二人が去っていくのを見て、ヴァーレンハイトたちも歩き出した。
「あの子、まだ復讐したいって思ってるかな」
「知らない」
間髪入れず帰ってくる返事にふっと吹き出した。
復讐か。今朝の夢を思い出す。
ゼネラウスを殺した相手は、もしかしたら神族かもしれない。
小さい頃の記憶だから間違っているかもしれない。
けれど。
ヴァーレンハイトは隣を歩く小さな頭を見下ろした。
「なぁ、ティア」
なぁに、とアーティアがヴァーレンハイトを見上げる。
「もし、おれが復讐したいって言ったら、ティアは止める?」
きょとんと赤と金の目が瞬いた。
朝日を浴びて綺麗に光るそれを、なんとなく好きだなと思う。
「……止めないけど」
「けど?」
「手伝わないからね」
「わかってるよ」
ふふと笑う。
アーティアは首を傾げた。
「なに、復讐したい相手でも出来た?」
わかんね、とヴァーレンハイトは肩をすくめる。
なんだそりゃ、とアーティアは呆れた目でヴァーレンハイトを見た。
「……もしかしたら、だよ」
「……そう」
もしかしたら、だ。
そもそも相手がどこの誰かもわからない。
夢とは違って、ゼネラウスはヴァーレンハイトを責めないはずだ。だって、相当可愛がられていたのだから。
それにしても悪夢でうなされるなんてどれくらいぶりだろう。アーティアと出会ってからは初めてかもしれない。
ふとポケットの中にころりとしたものが入っているのに気付いた。
なんだろう、と取り出してみると先日アレックスに貰ったよくわからない赤と金の石だ。
朝日にかざしてみる。
「なにそれ」
アーティアがそれを下から覗き込む。
「なんだろ、貰った」
「なんでもかんでも犬みたいに拾わないでよね」
「拾ったんじゃなくて貰ったんだよー」
ふと横の小さな頭を見下ろす。
赤と金の瞳が訝し気にヴァーレンハイトを見上げている。
(あ、)
きらきらとして綺麗だと思ったそれが、石と色合いが似ていると気付く。
「なんかよくわからないけど、綺麗だな」
そう、というアーティアの興味なさそうな相槌に苦笑しながら、ヴァーレンハイトはもう一度、石を太陽にかざす。
きらきらと光って綺麗だと思った。
次はもうちょっと明るい話になるといいなと思いながら真っ白なワードに向かいます。