13 武器を取る者 1/3
ヴァル回。
ヴァーレンハイトの相棒である少女は変わっている。
両目で違う、綺麗な金色と赤の瞳を持ち、小さいくせにヴァーレンハイトよりも力が強い。その小さな身体のどこに入るのかというくらいたくさん食べるし、自分の背丈と同じくらいの大剣を軽々と振り回して敵を圧倒する。
金が絡むと一生懸命になって、損をすることが大嫌い。
自分のことを「ぼく」なんて言って着飾ることより金儲けが好き。だけど少女らしく長くて白い髪は割と丁寧に手入れしていることをヴァーレンハイトは知っていた。
身長も見た目年齢もヴァーレンハイトの半分くらいしかない少女。
よく怒るし、殴るし、蹴るし、厳しいことも言う。けど本当は少女が優しいことをヴァーレンハイトは知っている。
ヴァーレンハイトが言ったことをよく覚えていてくれて、実は一人きりが大嫌いな寂しがりやなところがあり、美味しくないものでも誰かが調理したものだったら残さず食べる。
そして人前では金色の右目を眼帯で隠し、嫌悪する。ヴァーレンハイトの前では出会った最初のころまでは隠していたが、いつだったか魔獣に眼帯を盗られてからは隠すのを止めたようだった。
そんなヴァーレンハイト相手でも嫌がるのが右腕を見られることだと気付いたのはいつだっただろうか。ヴァーレンハイトが寝るまでグローブすら外さないし、朝起こしてもらったときにはもうきっちりと着替えを済ませているくらいだ。
本名はすごく長くて、人にはなかなか名乗ろうとしない。
それから「せんせい」というヒトを連れている。アーサーと呼ぶこともある。
正確には突然一人で喋り出し、その相手を「せんせい」と呼んでいる。ヴァーレンハイトも最初は戸惑った。少女には見えているのか、よくあらぬ方向を向いて喋っていたりする。
最近ではヴァーレンハイトも合わせてせんせーと呼び、会話をすることもあるが、どうにも慣れない。
少女が一人でやっているわけではないのはわかる。自分には見えないがなにかがいることはわかる。だって「せんせい」が喋るとき、少女は少女の声をしていないのだから。
なにかが取り憑いているのか、少女の人格の片割れなのかもよくわからないが、少女にとって彼の存在は必要なのはすぐに理解した。
ならばヴァーレンハイトはなにも聞かない。少女が自分にそうしてくれたように、言いたくないことを聞くような真似はしたくない。いつか話してくれるなら聞いてやろうとは思っているが。
ヴァーレンハイトの相棒である少女――アーティア・ロードフィールドは変わっている。
だって二年もヴァーレンハイトの相棒をしているのだから。
変わった相棒は今日も元気に仕事を探している。
ヴァーレンハイトはそれを見て、今日も平和だなと感じるのだ。
随分と辺境の街に着いた。
雨は降りそうにないが、どんよりとした重たい雲が空を覆っている。風は若干冷たい。
ヴァーレンハイトと珍しく左目に眼帯をしたアーティアは早速、今日の宿を探す。
ついでに冒険者ギルドの位置の把握も大切だ。
連れ立って歩きながら二人は街の広場へとやってきた。
なにやら人だかりが出来ている。
「なにあれ」
アーティアが鬱陶しそうに言った。
アーティアは人込みが嫌いだ。まぁヴァーレンハイトも好きというわけではないが。
大きな声が演説し、それに対して多くの人が賛同しているようだ。
近付くか遠ざかるか迷っていると、二人の女性が近付いてくる。二人も人だかりを遠巻きにしていたのを先ほど視界の端で見た気がする。
背の高い女性と平均身長ほどの女性だ。どちらも黒髪で、整った顔をしている。
「こんにちは」
背の低い方の女性がにこりと笑ってヴァーレンハイトたちに話しかける。
アーティアは警戒しているのか口を真一文字に結んだままヴァーレンハイトの影から出てこない。
「……こんにちは」
仕方なしにヴァーレンハイトが答える。いつも外部との会話はアーティアが担っている。任せっぱなしは悪いかなとは思っているが、ヴァーレンハイトの口はアーティアほど素早く回らない。いや、本音を言うと口を開くことすら面倒くさいだけなのだが。
二人は姉妹だという。
姉は背が高く、ヴァーレンハイトの首の辺りに目線がある。長い髪を棒のような髪飾りでゆったりとまとめ、淡い色のショールを羽織っている。首元まであるシャツの上に前合わせの変わった服を着ていて足元まで露出が全くない。
身体の凹凸は少ないようだがどこか厭世的な色気を醸していて、伏せられた睫毛が頬に影を作っているのがまた美しい。
喋れないのか、話すのが苦手なのか、姉の方が口を開くことはない。それがまた彼女の魅力をミステリアスに引き立てているようで、近くを通る男たちの目は彼女に釘付けになっている。
妹の方は肩までの短い髪をストレートに下ろしていて、前髪をピンで留めている程度だ。
服装は姉に似た前合わせの変わった服。ただしふわりとした袖は短め。姉が指先まで隠しているのとは正反対だ。かと言って露出が多いわけではないが。
クールビューティな姉と快活で笑顔が愛らしい妹だ。
「あたしはコーレ。姉はシュエットと言います」
「おれはヴァル。こっちの小さいのは相棒のティア」
妹――コーレはアーティアにひらひらと手を振るが、少女はむすりと黙ったまま目を伏せる。
本当にどうしたのだろうか。
ヴァーレンハイトはアーティアを外套の中に入れながら、コーレたちに「悪い、なんか人見知りみたいで」と適当に説明する。
まぁ実際、割と人見知りではあるので嘘は言っていない。
「それで、この集まりはなに?」
ちらりと視線を人だかりに向ける。
ああ、とコーレは眉尻を下げた。
「あたしたちも今来たところだったんですけどねー。なんか打倒とかなんとかは聞こえたんですけど」
ふむ、とコーレは耳を澄ませるようにして人だかりを見た。
姉――シュエットも人だかりの中心を見る。
「――であるからして、彼の百年戦争を終わらせた偉大なる魔族の王、<冥王>さまをお助けするため、打倒、神族どもをここに掲げ――」
……なに言っているんだ、あのどう見ても人間族のおっさんは。
いちいち文章が長くてくどくてわかりづらいが、要するに魔族に敵対する神族を滅ぼそう、と言うことらしい。
そもそも神族は神界にいるとされ、地上の管理をしていると言われる姿の見えない種族だ。
ヴァーレンハイトもアーティアに会うまで空想の存在だと思っていたくらいだ。
とくに人間族の間では神族は空想の存在として根深い。
だと言うのにこの人だかりは真剣にその声に耳を傾けている。
(ていうか百年戦争を始めたのがそもそも魔族じゃなかったか?)
言葉はわかるが意味が理解出来ず、ヴァーレンハイトは首を傾げた。
コーレたちもぽかんと口を開けている。
見下ろせばアーティアも唇を歪めて「なに言ってんだ、あのおっさん」という顔をしていた。
「…………うわぁ、本当にそんなこと言う人いるんだぁ……」
ぼそりとコーレが呟く。
姿の見えない種族、神族をどうやって打倒するつもりなのだろうか。
熱に浮かされたような演説者は尚も声高に、如何に神族が恐ろしく無慈悲な種族であるかを説いている。
「――さぁ今こそ人間族よ、立ち上がるのだ! 傲慢なる神族どもに管理されているという現状を打破し、崇高なる魔族の王へ還元するのだ! そもそも神族どもは――」
ご立派なご高説痛み入ります。
還元もなにももとから神族と龍族が世界を統率しているらしいし、神族だけ打倒してどうするとか、魔族に神族のしていることをやらせるのはつまり魔族に管理されるということではとか、どうやって神界とやらに行くつもりなんだとかツッコミどころが満載だ。
あと偉大なるとか崇高なるとか言っているのが語彙力貧しくて聞いていて悲しくなる。
それがほぼ街中の人たちの心に響いているのか、賛同者が多いようで薄ら寒い。
ヴァーレンハイトも耐え切れずに小さく「うわぁ……」と零した。
大きな拍手が巻き起こる。近くの家の屋根からは紙吹雪を振らせている者さえいる。
なんだこれは、自分たちがおかしいのか。
顔が引き攣るのを感じてヴァーレンハイトは頬を抓った。少なくとも夢ではないようだ。
「……すごいな……」
いろんな意味で。
「すごいですね」
コーレも思わずと言った感じで頷いた。
シュエットがコーレになにごとか耳打ちする。
うん、と頷いてコーレはヴァーレンハイトたちに顔を向けた。
「それじゃああたしたちはこれで失礼しますね」
「うん」
ひらひらと手を振って別れる。
結局なんだったのだろうか。
演説者は武器を取って戦おうだとか志ある者はどこへ集まるべしだとか言っている。
「……ティア、大丈夫か」
黙ったままアーティアは外套を引っ張る。どういう意思表示なのか、ヴァーレンハイトにはわからなかった。
そういえばいつもと反対の左目に眼帯をしているのはこのためかと合点がいった。
「宿、探そうぜ」
「……うん」
ようやく答えたアーティアはするりと外套から抜け出る。
さっきの二人から宿の場所聞けばよかったと、ふと思った。
宿を見つけて部屋を取る。少し割高だったので二つベッドのある一部屋だけを借りる。
部屋に入って荷物を置くと、アーティアは「ちょっと出てくる」と言って一人部屋を出て行った。
ぽつんとヴァーレンハイトだけが部屋に残される。
街に着いたら仕事を探すと言っていたのに、それはいいのだろうか。
ともかくアーティアがいないことには仕事にならない。
ヴァーレンハイトは自由時間だと思うことにしてのんびりすることにした。
「……そういえば今日はまだ魔術使ってないから眠くないな……」
普段、異様に眠たいのは魔術を使うからだ。ヴァーレンハイトは胸の辺りをさする。
その下の腹がぐぅと小さく鳴った。
昼食がまだだったなと外を見る。
いつの間にかあの人だかりは解散しており、人々が元気に往来を歩いているのが見えた。
「……なにか食べに行こうかな……」
面倒くさいが、このまま腹が減っている状態でごろごろするわけにもいかない。いつもだったら睡眠欲を優先するが、今はその睡眠欲が家出中だ。
ヴァーレンハイトは貴重品だけ持って宿を出る。
見つけたのは隠れ家的な食事処。
時間も昼時を過ぎているので客はまばらだ。
常連客らしき人間族が数名。まだ日も高いというのに麦酒を呷っているのが見えた。
その常連客たちから離れた席に一人で座る。
注文を取りに来た給仕に適当にメニューを伝え、入れてもらった水を飲む。
一息吐くとどっと疲れがやってきた。
(食べたら宿に戻って夕食まで寝よう)
多分、アーティアが起こしてくれるはずだ。帰ってきてくれれば。
まぁ夕食くらい抜いてもヴァーレンハイトにとって支障はないのだが。
料理を待っているとふらりと新しい客がやってくるのが見えた。
鮮やかな金髪に空色の目。額に遮光眼鏡をかけていて、腰には左右にサーベルのような剣を佩いている。首を隠す白いシャツに茶色のコート、胸の上で青い石のペンダントが光っている。
旅人のようだ。
観察していると、ふと彼と目が合った。
軽薄そうな笑みを浮かべて近付いてくる。
「よう、若いの。旅の途中かい」
近付いて、彼の耳が尖っていることに気付いた。どこの種族だろうか。アーティアがいれば一目瞭然なのだが。
「こんにちは」
とりあえず挨拶を返す。
男は当然のようにヴァーレンハイトの前に座った。
「……は?」
目を瞬く。
メニューを捲る男をもう一度見た。
「……は?」
「なんだそのリアクション、面白ぇな」
「いやいやいや、どちら様? なんで他にも空いてるのに相席?」
思わず早口にツッコむ。
男はケラケラと笑う。
笑っている場合ではない。
「まぁまぁ、そう警戒しなさんな。オレはアレックス。アレクでいいぜ」
にんまりと笑う男――アレックスをどう警戒するなというのか。
ヴァーレンハイトは眉間に皺を寄せる。
律儀にも給仕が注文を取りに来る。完全に連れだと思われているだろう。
アレックスは給仕にお茶だけを頼んだ。
あんなにメニューを熱心に見ておいてなにも食べないのか。
「んで、オレは自己紹介したけど、おまえは?」
「えぇー……」
勝手な男だ。年齢は同じくらいに見えるが、どうにも同年代とは思えない。アーティアのように見た目と実年齢が伴っていないタイプだろうか。
「……ヴァル」
渋々答えるとアレックスは嬉しそうに笑った。
「ヴァル。ヴァル、な」
アレックスが頷く。
丁度、アレックスの飲み物とヴァーレンハイトの昼食がテーブルに運ばれてきた。
どうぞ、と何故か勧められヴァーレンハイトは頷いて匙を取った。
相棒ほどではないが、ヴァーレンハイトもそれなりに食べる。普段は睡眠欲に負けているだけだ。
アーティアには「どうして食べて寝ているだけなのにその体型その体格を維持出来るんだ、おかしいんじゃないの」とよく言われる。
そう言われてもヴァーレンハイトは自分のしたいようにしているだけだ。
テーブルの上を見る。
硬いパンに豆のシチュー、肉の串焼き、川魚のフリッター、シーザーサラダ。どれから手をつけようか迷うが、匙を持ったのでシチューを口に運ぶ。
濃い目の味付けで、硬いパンがよく合う。
ヴァーレンハイトがひたすら口と手を動かす様子を、正面からじっとアレックスが見ていることにも気付かなかった。それほど腹が減っていたのだろう。
一通り食べ終わり、水を飲み干す。
はぁ、と満足げに息を吐いた。
アレックスがその様子をにこにこと楽しそうに見ている。
「……なに」
「いやぁ、美味そうに食うなーと思って」
「……それで、アレクはなんの用でここに座ってんの」
アレックスがお茶を一口飲む。美味いなこれと嬉しそうに声を上げた。
「ん、ああ、用事か。用事な」
うんうんと頷くアレックス。
「オレ、人探してるんだよね」
最近なにかを探している人が多い気がする。ヴァーレンハイトは無言で続きを急かす。
「陰気で根暗でネガティブで融通効かなくて頑固で引きこもりなやつなんだけど、知らねぇ?」
「知らない」
マイナス面しか見当たらないがどういう関係なんだ。
「うーん、耳の垂れたウサギみたいな……あ、左右で目の色が違ってなぁ。えーとどっちがどっちだっけ、確か右が赤で左が銀?」
「知らない」
「オレの相棒なんだけど、どこ行っちまったんだか」
はぁ、とヴァーレンハイトは適当な相槌を打ちながら残っていたパンに齧り付く。
アレックスは頬杖をついたままコップを傾けた。
「まぁいいや。ディに会ったらアレクが探してたって伝えてくれよ」
「はぁ」
気のない返事になったのは申し訳ないが、何故数いる中から自分を選んで頼むのだろうか。
「ヴァルは魔術師だろ。魔術を使ってて困ってることとかないか」
困っていること?
ヴァーレンハイトは首を傾げる。
「……強いて言えば、連発すると眠気がヤバイ、とか?」
ちょっと前の魔法族の集落でのときは無詠唱でいられないほどに行使したし、身体にも無茶をした。あれっきりだと思いたいが、同じようなことがあったらまたヴァーレンハイトは同じことをするだろう。
あのあと眠ったら起きれないのではないかというほどの眠気がヴァーレンハイトを襲った。
魔術を行使するたびに眠たくなるのはどうしようもない。
正面を見れば、ふむ、とアレックスがなにか考え込んでいる。
「じゃあこれを持っているといい」
そう言ってコートのポケットから取り出したのは赤の中に金色が混じる不思議な石。掌にすっぽり収まる大きさで、つるりとした表面が触っていてなんだか面白い。
「これは?」
「ま、お守りだな」
アレックスはヴァーレンハイトの手を取り、それをしっかり握らせる。なんとなく石がじわりと温かくなった気がした。
「じゃ、そろそろオレは行くな」
ひらりと手を振ってアレックスはあっさりと椅子から立ち上がる。ちゃりんとお茶代には多い金額がテーブルの上に置かれた。
「ちょ、待って……」
驚いて石から顔を上げる。
「……え?」
今、椅子を立ったばかりのはずなのに、アレックスの姿はどこにもなかった。
ぽかんと口を開けるヴァーレンハイトが残されただけだ。
給仕が不思議そうな目でヴァーレンハイトを見ている。
狐に抓まれた気持ちで、ヴァーレンハイトは椅子に座り直した。
白昼夢かとも思ったが、手の中には金色の混じった赤い石がある。
「……なんだそれ」
給仕が皿を下げに来るまでヴァーレンハイトはそうしていた。
手の中の石がじわりと熱を持った気がした。