12 大きいのと小さいの
本日2つ目の更新。
ちらほらと雪が降り始めていた。
気温は低く、風がないのが幸いだ。
空は灰色の雲で覆われているので太陽は見えない。本格的に降り始めるのも時間の問題だろう。
防寒具らしい防寒具を用意していなかったぼく――アーティアと相棒の男――ヴァーレンハイトは寒さに身を震わせながら次の町へと急いでいた。
「さ――みしい」
「なんで」
「さ――ん角帽被ったおじいさん……」
「誰だ」
「さ――さみ食べたい」
「町に着いたら探せば」
ちなみに今は「寒い」と言ったら罰ゲームという謎ゲームが発生中だ。
外套の前を掛け合わせて首を縮める男はだいぶ寒さに参っている。
風があったらぼくもここまで震えていたかもしれないが、人間族よりも頑丈な身体を持つぼくはまだ平気な範疇。
とはいえ半袖の左腕はそれなりに寒いし、冷気の当たる耳や鼻は赤くなっているに違いない。
さっさと町に着いて温まりたいことには変わりなかった。
変わり映えのない川沿いの平原を歩ていく。
小さな森を越えて、丘を越えて、まだ町に着かない。
これはまた方向を間違えたかと嫌な考えが浮かんだとき、
「きゃああああっ」
子どもの悲鳴が響いた。
近い。
声は近くに見える川の方から聞こえた。
男と顔を見合わせて、走り出す。
近くにいたのに見捨てたと噂されたら商売あがったりだ。
「ティア、あそこ!」
男が指差す。その先には川から伸びる子どもの手。
川に落ちたのか。
川岸からその手を掴もうと手を伸ばす。届かない。
「どいてろッ」
ぼくを横に押し退けるようにして男が手を伸ばした。
あっという間に子どもの手を掴んで一気に引き上げる。
水飛沫が上がって辺りを濡らした。
げほげほと子どもが咳き込むのを見て背中を摩ってやりながら、男は火と風の魔術で子どもを乾かす。
子どもは少女だった。健康的に日に焼けた肌、赤茶けた少年のように短い髪、丸く青みがかった目。頬にはそばかすが浮いていて、半袖のシャツと短いズボンを身に着けていた。
今日の気温でその恰好は寒いだろうに。しかも魔力を感じないことから人間族だ。
少女はがちがちと歯を震わせた。
焚火を作った方がいいだろう、とぼくは荷物の中から固形燃料を取り出す。
意図を理解して男がそれに火を着けた。
申し訳程度の枯れ木を固形燃料の周りに設置し、仕方ないので生木を小さく裂いて火に放り込む。
次第に大きくなった火は焚火として十分なほどに。
それに少女を当たらせた。すぐにほうと息を吐いて手を焚火にかざす少女。
「あああああありがとう、おにいちゃんたち」
少女が男とぼくを見て礼を言う。まだ歯の根が合っていない。
男は肩をすくめると、外套を外して少女にかけてやった。
あったかい、と少女は膝を抱える。
「なんでまたこんな日に川の近くへ?」
少女はぱちりと丸い目をぼくに向けた。同じくらいの年頃に見えるので、十二、三歳くらいだろうか。
「魚捕ろうと思ったの」
さかな、と男が復唱する。
確かに川を覗き込めば二、三〇センチほどの魚が泳いでいるのが見える。
「ニックスがね、魚好きなの。だから一人で捕って、驚かせてやろうと思って!」
くしゅんと少女はくしゃみをした。
へへへと照れたように笑う。
「おにいちゃんたちの名前は? あたし、アンヌ!」
「おれはヴァル。こっちは相棒のティア」
「ヴァルおにいちゃんと、ティアちゃん」
少女――アンヌはなにが楽しいのかくすくすと笑った。
「二人は旅人さん? あたしもニックスと一緒に旅をしてるんだ」
にこにこと笑うその顔と旅人という言葉が結びつかない。
それに彼女は無防備で無手。そもそも旅の荷物すら持っていない。
どうやって旅をするというのだろうか。
というかこんな子どもを放っておいて一緒に旅をしているというニックスとやらはなにをしているのか。
そのニックスとやらがどこにいるのかと聞こうとしたとき、敏感な耳が重たい音を聞きつけた。
思わずそちらを振り返る。
釣られて同じ方向を見た少女が、嬉しそうにあっと声を上げた。
ずしん、ずしん、とのんびりした足音が聞こえてくる。大きな重量を持っていることがわかるその音は徐々にこちらに近付いていた。
そっと大剣の柄に手をかける。
魔獣か。
ずしん、ずしん、音は近付いてきて、止まる様子がない。
ずしん、
木々の間からのそりと顔を出したのは岩のような黒い顔をした大男。額や頬、首や腕など至るところに雪花のような模様が入っている。身長は相棒よりも高い三メートル。巨人族だ。
鉱物系巨人族――カナイラル人。
主に山奥に住み着くことが多い者たちで、武骨だが温厚な性格の者が多いと聞く。
彼は黒硝子の中に雪の結晶が入っているように見える石、スノーフレークオブシディアンの身体を持つ巨人族だろう。
背が高いように見えるが巨人族としてはまだまだ小柄、おそらく若いのだろう。
ぽかんと口を開けるぼくたちを見下ろすと、彼はにぃと歯(石で出来ている)を見せて笑った。
「アンヌ!」
「ニックス!」
ぱっとアンヌが笑顔になって巨人族に駆け寄っていく。
ニックスと呼ばれた巨人族はそれを掬い上げるように大きな手で持ち上げると、自身の肩にちょこんと座らせた。
アンヌは嬉しそうにその太い首にぎゅっと抱き着く。
「待ってろって言ったんに、どうして離れた?」
「魚捕ろうと思って! ニックス、好きでしょう?」
そしたら川に落ちちゃって、とアンヌはけろっと白状する。
ニックスは目を大きく見開いた。
「落ちた! 怪我はねーか?」
大丈夫―とアンヌはケラケラと笑う。
「ヴァルおにいちゃんとティアちゃんが助けてくれたから!」
アンヌがぼくたちを見ると、ニックスもこちらを見下ろす。
「おお、そうだったんか。アンヌが世話んなった」
大きな声だ。そんなに大声を出さなくても聞こえる。
巨人族は身体が大きいので小さい種族であるぼくたちのような者の声を聞き取りづらいと聞く。ぼくも出来るだけ大きな声で「どういたしまして」と答えた。
「でも簡単にアンヌから目を離さない方がいいよ。すぐ危ないことしかねないから」
「そうだなぁ。そうする」
ニックスが自己紹介し、ぼくたちも名前を返す。
どうやら本当に二人は旅をしているらしい。目的は二人で定住できる町を探すことだとか。
ずるずるとアンヌがニックスの身体を伝い降りて焚火のそばに寄ってきた。
「やっぱ寒いからニックスも冷たくなってるね」
鉱物系巨人族はその身体を構成する物質上冷めやすく熱を持ちやすい者が多いようだ。
屈んだニックスも焚火に近付くが、一吹きで消し飛んでしまいそうだ。
町に住んでいる巨人族の多くは平地や森を住処とする、動物性の肌を持つクティス人である。
ぼくもカナイラル人とこうして接触するのは初めてだ。
人間族であるアンヌと一緒に暮らすとなると、住居は限定されるだろう。そのための旅か。
納得して二人を見る。
身体の大きさも性別も年齢も出身も種族もなにもかもが違う二人だが、非常に仲が良いことがわかる。
男が川に近付いて雷撃の魔術を低レベルで発動。瞬時に感電した魚が何匹もぷかりと浮かんできた。
ぼくも近寄ってそれを捕まえるのを手伝う。
ちょうど焚火も出来ているし、昼時だ。
ニックスが片手に抱えていた森の果物を一部貰い、小さいナイフで切ってやる。
アンヌが手を叩いて喜んだ。
「はぁ、やっぱ小さい種族は手先が器用だな」
「大きい種族はそのまま食べる人が多いね」
男が焼いた魚をニックスに渡すと、一口で飲み込んでしまった。足りるかな、これ。
「ニックスはねぇ、魚好きなんだ。いっつも一口でたーくさん食べちゃうの」
「アンヌは果物が好きだな。いつもちまちま一生懸命食べる」
二人は顔を見合わせてにこにこと笑っている。
カナイラル人の主食は岩などの鉱物であることが多いと聞いていたが、普通に魚も食べるのか。
ニックスはニックスで人間族の食べ物をあまり知らないらしく、果物を剥いて切って食べるアンヌを物珍しそうに見ていた。
「そうやって食うんだな。知らんかった」
「でもいつもみたいに皮ごと食べるのも好きだよ!」
聞けばアンヌが生まれたばかりのころから一緒にいるという。
「あたしの親、百年戦争で死んじゃったんだって。それで、おとーさんと仲が良かったニックスがずっと面倒見てくれてるの」
この子はけろっとそういうこと言い過ぎだと思う。
初対面のぼくたちにそれを話してどうするつもりなんだ。
もちろん彼女に憐れんでほしいとかそんな小さいことを考えている節はない。
ふと横を見ると、男が眉間に皺を寄せていた。顔色も悪い。
「ヴァルおにいちゃんとティアちゃんは、ずっと一緒に旅してるの?」
焼き魚を齧りながらアンヌが顔を上げた。よく見れば魚も骨ごと食べている。
果物も皮ごと食べると言っていたし、豪快な子だ。
「ぼくらはずっとじゃないよ。二年くらい前に組んで、それから一緒にいるけど」
ふうん、とアンヌはこくこく頷く。
「ティアちゃんとおにいちゃん、結婚式はした?」
ぶふ、と魚を吹き出した。隣では男も果物を吹き出している。
なんだって?
「ん? あんたら番じゃないんか」
え、違うの、とアンヌまで首を傾げる。
どうしてそうなったんだ。
「……おれとティアはただの相棒だよ」
「えっ、そうなの?」
本当にどうしてそうなるのだか。
喉に詰まった魚のせいで食道がイガイガする。
「なんでそうなるんだ……」
だって、とアンヌはニックスと顔を見合わせた。
「だって、男女で一緒にいるのは好きだからでしょう?」
「じゃああんたたちはどうなんだ」
「あたしたち? あたしたちは、あたしが結婚出来る年になったら結婚するんだよ! ねぇ、ニックス」
んだ、とニックスも頷く。
ああ、そういうこと。
「自分たちがそうでも、全ての人がそうとは限らない」
えー、とアンヌはよくわからないという顔をした。
わからなくても今はそれでわかってくれ。
隣の男を見たが、複雑な顔をして苦笑している。顔色は戻っていた。
なんだかんだで騒がしい昼食を終えて、焚火の始末をする。
アンヌは再びニックスの肩に乗った。
彼らの行き先はぼくたちが来た方向らしい。
逆方向だからここでお別れだ。
「それじゃあティアちゃん、ヴァルおにいちゃん、ばいばーい」
「んじゃなー」
アンヌが大きく手を振る。
ずしん、ずしん、と大きな足音をさせてニックスが歩いていく。
「……なんか、すごい疲れるやつらだった……」
ふぅとため息を吐いて男を見上げた。
男は未だニックスたちの後ろ姿を眺めている。
その表情は険しい。
「……ヴァル、どうかした」
「……」
あー、と言い辛そうに男は頭を掻き回す。
「……あの子、百年戦争で親失ったって言ってたよな」
「? ……うん」
「ニックスに場所聞いたんだ。……北部だったんだって」
北部は百年戦争後期に過激化した戦場となった場所が多い。
「……おれ、北部の部隊にいたんだ」
「……うん」
「おれ、あの子の親に会ってるかもしれない」
「……そう」
あの辺りは激戦区の一つで、犠牲になった者も多い。
それに、噂では味方の攻撃に巻き込まれて死んだ者も多くいるという。
男の言いたいことをなんとなく察した。
「あれは誰か個人がどうにか出来た争いじゃなかったよ」
「……うん」
男が俯く。
ぼくはそれを横目に歩き出す。
雪はだんだん強くなってきている。相変わらず風は出ていないが。
この様子だと近場は明日にでも真っ白になるだろう。
あの戦争を覚えていないぼくには男に言えることなどなにもない。
さっさと歩いていくぼくにゆっくりついてくる音がして、男が歩き出したのだと知る。
「さっさと歩かないと、日が暮れるよ」
ぼくはそれだけ言う。
うん、と男が小さく頷いたのが聞こえた。
+
人々が騒めいているのが聞こえる。
本人たちは小声で話しているつもりだろうが、それが何十、何百と連なれば大きな雑音となるのだ。騒がしいことこの上ない。
「また出たんだって」
「出たって、なにが?」
「噂の通り魔!」
「これで何人目?」
「冒険者に聞いたけど、他の街でも出たらしいよ」
「こわいよー。十二歳くらいの子どもばっかり狙われてるんでしょ」
「だいたいは女の子みたい。うちの子も気を付けないと」
「子どもは早く家に帰るべきだ」
「早く捕まえてくれないかな、自警団」
そんな声があちこちから聞こえる。
薄紫色の髪をした青年はその声たちをすり抜けて、人気のない路地裏へと入っていく。
薄汚れた路地を曲がり、誰もいない袋小路に出た。
そこに真っ黒な外套を羽織った小さな影がいるのを見つける。
青年は嬉しそうに金色に光る橙の目を細めた。
外套の影はゆらりと青年を振り返る。顔が血にまみれていた。
「あらら、またやっちゃったか」
くすくすと青年が笑う。
外套の影に隠れたそこには真っ赤な海。
その中に沈む色素の薄い少女の身体はぐちゃぐちゃに滅多刺しにされている。
「その子はきみの彼女じゃないよ」
ふぅふぅと肩で息をする影に向かって声をかける。
「……………………ルカさん……」
泣きそうな少年の声だった。
ぱさりと外套のフードが落ちる。現れたのは暗い金色の瞳を持ったまだまだ幼い少年の顔。
ルカと呼ばれた青年は少年に近付き、ぽんぽんと頭を撫でた。
ふぅふぅと荒く息をする少年にルカは優しく笑いかける。
「この町にはいなかったみたい。次の場所に行こうか」
こくりと頷く少年を見て、ルカは一層笑みを深くする。
「あーあ、僕も早く兄さんに会いたいなぁ」
血でべったりと汚れた少年の手を引く。白いシャツやズボンが汚れるのには構わなかった。
「きみも早く会いたいだろう、彼女に」
フードを被りなおした少年の口が歪に弧を描く。
「待っててね、兄さん。必ず僕が止めてあげるから」
ルカは歌うように踊るように足取り軽く歩いていく。
少年もそれに従った。
「父さんに見つかる前に、早く見つけなきゃ」
ふふ、とルカは更に笑みを深く深くする。
少年も楽しそうに口角を上げた。
「ボクも早く会いたいなぁ、ねぇ――エリス」
うふふ、と少年――ナールがフードの奥で笑った。
二人はそのまま手を繋いで町の影に消えていく。
あとには蹂躙された名もない少女の遺体だけが残されていた。
ルカ:友人I