11 魔法族の集落 7/7
諸事情によりいくつか前からのタイトルを変更し、1/7-6/7になりました。ちょっと短いです。
何日か過ぎた。
今日は雲量五十パーセントくらいの晴れ。風は穏やかで過ごしやすそうな気温。
久しぶりに腕を通したシャツや上着は補強と修繕まで済んでいる。
両手が使えることがこんなにありがたいとは思わなかった。
ぼく――アーティアは左腕にうっすらと残る縫合痕を見る。こちらの腕は半袖だが、まぁ目立たないし気にすることはないだろう。
風魔法族のデザイン好きという人が作ってくれた新しい眼帯を右目に着ける。リバーシブルになっていて、場合によっては左目にも合わせられる優れものだ。デザインも思ったより大人しくて気に入った。
鏡を見ながら調整して、変なところがないかとくるりと回る。
アーティア、完全復活!
とはいえニシキからは左手で重いものを持ったり無理をするのはまだしばらく止めておくようにときつく言われている。
重いものの下限がどれくらいかわからないが、両手で持つなら大剣を振り回してもいいという話は聞いた。
ここ数日、せんせいは人がいないころを見計らって現れては、自分の身体を大切にするようにと口を酸っぱくして言い聞かせてくる。耳に胼胝ができるとはこのことだ。
(ぼくの身体を気遣って、ではなくせんせい諸共死ぬのが嫌なだけなのはわかってるけど)
鏡から顔を逸らし、準備をしていた相棒の男――ヴァーレンハイトを確認する。
外套を羽織ったところだったようで、もう準備は終わりそうだ。
「そろそろ行こうか」
男があくびを噛み殺すのを見ながら荷物を背負う。久々の重さが懐かしいくらいだ。
昨日のうちに世話になったニトーレやジェウセニュー、モミュアたちには別れを告げている。
あとはもう立ち去るだけだ。
扉をノックする音。返事をすると、ニシキが顔を出した。
「もう発たれるんですね……」
ニシキは明日発つと言った際に小声ながら反対していた人物だ。まだ経過観察とやらをしておきたいらしい。
でもこれ以上ベッドの住人になっていたら鈍ってしまう。あと男が本格的に駄目になる。
「十分、世話になったしね」
出て行こうとするとそのままニシキもついてくる。見送ってくれるらしい。
外に出る。
ほとんど久しぶりの外だ。太陽がちょうど雲の隙間から顔を出したところで眩しい。
集落の入り口にはジェウセニューとモミュアが立っていた。
昨日、別れを言ったばかりなのにどうしたのだろう。
「見送りしようと思って」
「お弁当を作ってきたの。よかったらお昼に食べて」
モミュアが包みを渡してきた。男が受け取り、水平になるように持つ。
「ありがと。モミュアの料理、美味しいから嬉しい」
モミュアは嬉しそうに微笑んだ。
「弁当にさっき狩った獣肉つけてやろうかって言ったんだけど、モミュアに止められちまったからなぁ」
「……モミュア、止めてくれてありがと」
「……うん」
見ればジェウセニューは小脇によくわからない獣を抱えている。それは今晩のおかずになるのだろう。
心の中で手を合わせ、そろそろ行こうと男を促す。
「それじゃあ、世話になった」
「お元気で」
ニシキが赤子と一緒に手を振る。
そういえばなんで赤子を背負っているんだ。
「……なんでずっとチェーニを背負ってるの」
ふ、とニシキは遠い目でどこかを見た。
「……この子……実の親相手でも癇癪や泣き喚きが酷くて……たまたまそこにいたわたしが抱いたら笑いましてね……育児ノイローゼだったご両親に代わって面倒を見ることに……はは」
「……お疲れさま……」
「しかもチェーニさまは精霊神官となる素質をお持ちで……この先もわたしが育てることに決まりました……」
流石に実親にはたまに顔を合わせますが、とニシキは力なく笑う。
「他の精霊神官さまは普段、あまり力を使わぬように守護精霊を小さな姿にさせますが、流石に子育てはあのくらいの子どもの姿で出来るものでもなく……わたしだけこの年齢の姿です……」
クロアたちは子どもに見えたが年齢は精霊神官からの力の供給によって自由自在らしい。確かにぼくよりも小さな子どもの姿で子育ては辛いだろう。
「知ってます? ワンオペ子育てって心を殺しますよ……ふふ」
誰か一刻も早くニシキに休みをやれ。
「まぁチェーニさまはお可愛らしいので笑顔を見ればなんてことないんですけどね!」
いや、おまえは即座に休んだ方がいい。情緒不安定の兆しが見える。
ドン引きするジェウセニューたちに挨拶して、いよいよ集落を出る。
「また来いよ!」
ジェウセニューが大きく手を振る。
確約は出来ない。
けど、また来たいとは思った。……出来れば今度はごたごたに巻き込まれないときに。
+
巨人族すら屈まずに入れそうな大きな扉を開くと、更に高い天井の部屋が広がっている。
部屋の中にさえ柱が二本立っているほどに広いその部屋の奥に、ぽつんと一人用の机が置いてあった。
そこに座るのはぼさぼさの黒髪の男。両の目を白い布で覆い、黒い服を身に着けた変わった風体の男だ。
男は机の上で指を組み、何事かを考え込んでいる。
白い布で覆われているせいでどこをどんな目で見ているのかわからない。
それが一層、男を恐ろしく見せていた。
男の前に出された者はまさに地獄の王の断罪を待つ心地。
その男の傍らにいるのは肩までの黒髪を下ろした女。長いスリットの入ったドレスに白いズボン。色気より仕事という雰囲気の似合う女だった。
女の視線に温度はない。
手元の書類を見ながら眉間に皺を寄せている。
静かな空間だったが、ふいにコツコツと扉を叩く音が静寂を破った。
入れ、と男が声を上げる。
両開きの扉が独りでに開いて、藍色の着流し姿の男が歩いて入ってきた。
目の細い男だ。琥珀色の髪がさらりと揺れる。
「呼びましたか、ヴァーン」
入ってきた男は机の男――ヴァーンに問う。
ゆっくりと、ヴァーンが顔を上げ、男を見た。
男はしっかりとヴァーンに見られている、と思った。
「カムイ」
はい、と男――カムイは短く答える。
「光精霊の件、任せた覚えはなかったが……」
「はい、僕の独断ですよ。――手を出してはいませんし、命令違反もしていませんよ」
「……いや、よくやってくれた」
ヴァーンの安堵の声色に、カムイは肩をすくめた。
「実行したのはカゲツです。直接褒めてやってください」
「……おまえからの方が喜ぶだろう」
「人気の名店の限定茶菓子でも与えたら喜ぶと思いますよ」
「善処する」
ちらりとカムイは女を見た。
女はこちらを見もせずに手元の書類に目を通している。
ヴァーンの左右には山になった書類が物言わず鎮座しているのが見えた。
カムイはそれを見なかったことにしてヴァーンを見る。
「呼び出した件はそれだけですか」
そう問えば、ヴァーンは少し不機嫌そうに唇を歪めた。
白い布で目元を塞ぎ、表情も半分しか見えないが、存外にわかりやすい。
ただしそれが自分を含めた数名だけにしか見せない隙なのだと、カムイは理解していた。
「――何故、あの娘を巻き込んだ?」
空気がヒヤリとした。
室内だと言うのにカムイに向かって風が吹く。バタバタと羽織がなびく。
下手な答えを言えばいくらカムイ相手でも容赦しないつもりだろう。
あの娘というのが指し示すのはただ一人だ。
ふぅとカムイは息を吐く。
「一つ、僕たちが直接向かうわけにはいかないから。二つ、仕事ぶりを観察した結果、任せてもいい信用に足る者たちだと思ったこと。三つ、もし不測の事態――この場合、襲撃に遭うような場合ですね――にも対応できると思ったこと。四つ、彼女に関して魔族の出方を見たかったこと」
指折り上げていく。
それから、と最後に五本目の指を折る。
「五つ、いい加減こちらに渡りをつけてもいいころかと思いまして」
すう、と風が止んだ。
カムイは乱れた髪を手櫛で整える。
女を見れば乱れた様子も書類が飛んだ様子もないことから自分だけに向かって吹いていた風だったのだと知る。
「…………あれを巻き込むつもりはない」
そうですか、とカムイは飄々と答えた。
「でも無駄だと思いますよ。彼女と一緒にいるのは<北部の魔族殺し>の人間族。あの封印から逃れた一部が関わっているであろうと目する人物です」
ヴァーンが息を飲んだのがわかった。
ようやく顔を上げた女が首を傾げた。
「<北部の魔族殺し>? どうしてそれが関わっているとわかるのです?」
女はヴァーンを見る。
ヴァーンは少し戸惑った様子を見せたが、やがて口を開く。
「地上の北部で起こった百年戦争のとある戦いにおいて活躍した人間族の魔術師につけられた通り名だ。その名の通り、一人で恐ろしい数の魔族を屠ったという」
「はい、報告書で読んだことがあります。なんでも、本人は五体満足でそれをやってのけた、と」
ちらりとヴァーンがカムイを見た。やがて女もカムイを伺うようにして見る。
「ラセツは報告書で読んだのなら知らないはずですね。彼は当時十を少し超えた程度の子どもだったそうです」
子ども! 女――ラセツが声を上げる。冷静沈着な彼女が声を上げるとは珍しいことだった。
「……そんな子どもまでもがあの戦争に参加していたのですね……」
ラセツの顔が悲し気に歪む。
それで、とヴァーンが先を促した。
「何故、そのときの子どもが例の封印の一部が関わっている、と?」
「個人的に北部の戦いは気になっておりまして、仕事の合間を縫って調べてみたんですよ。そしたらまぁ、なんてことはありません。彼は人間族にしては魔力が膨大過ぎる。処理能力も異常です。おかしいと思ったので接触してみたところ――封印から逃れた力の一部を持っている可能性があると判断しました。確率は九十六パーセント」
「……それが、あの娘と共にいる、と?」
はい、と頷くとヴァーンは片手で頭を抱えた。
「魔法族の封印から逃れた一部が……よもやそんなところに」
ヴァーンは指を組んで考える仕草を見せる。
誰もなにも言わない。
静寂が部屋を支配した。
やがて再びヴァーンが顔を上げ、カムイを見る。
「そいつの監視は」
「既に。リングベルが担っています。ああ、勝手に部下を動かしたことは謝っておきます」
いや、とヴァーンは首を振る。
「それでいい。彼女ならば気付かれず監視できるだろう」
満足そうに頷く。
カムイはくすりと笑った。
「そんなに大事なら、会いに行ったらいいのに」
「……出来るものなら。怖い鬼が見張ってるから出て行けないんだ」
女から目を逸らす。
女はじっと上司たる男を見ていた。
こほん、と咳払いをする。
「ついでだ、炎、雷、闇の魔法族を見張れ。何人か連れて行っていい」
「わかりました。ではハウンドとイーグルを借りますね」
「騒がしいのがいなくなるなら丁度いい」
ヴァーンはくつりと笑った。
話は以上のようだ。
カムイは二人に礼をして退出する。
扉が独りでに閉まった。
「いいんですか」
女――ラセツがヴァーンに問う。
なにが、とヴァーンはラセツを見もせずに尋ねる。
「カムイさまが勝手に動いていることが。……随分と自由にさせていますよね」
下に示しが、とラセツは危惧する。
いいんだ、とヴァーンは答えた。
「好きにすればいい。最終的におれの意図する方を向いてくれるのなら」
カムイはヴァーンにとって部下であり、同時に友人でもある。だから甘いのだと一部に見られているのをラセツは知っていた。
もちろん、ヴァーンも知っている。知っていて、好きにさせている。
「おれはおまえたちも好きにさせているだろう?」
「……そう、ですね」
ヴァーンが口角を上げる。
「おまえたち部下は駒じゃない。自分で考え、おれに、みなに最善となる道を歩んでくれたらいい」
それだけの話だ、とヴァーンは話を打ち切った。
ラセツは黙ってその横顔を眺める。
なにを考えているのか、相変わらず読めなかった。
ふいにヴァーンが一枚の書類をひらりと振る。
「――シュラはいるか」
部屋には自分たち以外誰もいないのに。ラセツは内心首を傾げた。
それと同時に人の気配。
「呼びました?」
びくりとラセツの肩が揺れた。
いつの間にか先ほどまでカムイが立っていた場所に別の男が立っていた。
長い黒髪を高い位置で結び、髪紐を垂らしている。服装は東方の巫服に似た袴姿。腰には一振りの太刀を佩いている。
男――シュラと呼ばれたその人はにっこりと笑った。
「今いいところだったんですよ。シアが新しくゲームを考えましてね……」
「シュラ」
はいはい、とシュラは肩をすくめて黙る。
「この書類の件、お前に任せる」
「――へぇ、仕事でしょうか」
ヴァーンの手から書類がシュラに渡される。
シュラはそれに目を通すと端正な眉をひそめた。
「……これ、本当ですか」
「報告者はカムイだ。虚偽はない」
カムイという名前を聞いてシュラは一層、眉間に皺を寄せる。
唇を歪めて嫌そうに首を振った。
「なんで本人に行かせないんでしょう」
「やつは他に任せていることがある。どうせ暇だろう」
遊んでいたようだし、とヴァーンが突くと、シュラは降参と手を上げた。
「わかりました。わかりましたよ。行けばいいんでしょう」
「部下を連れていけ」
「もちろん、一人でこんな大変そうなことしたくありませんから」
くすりと笑ってシュラは姿を消した。
ふぅ、とラセツは息を吐く。
さて、とヴァーンが机に肘をつく。
「そろそろ休憩が欲しいところなんだが……ラセツ、後ろを向いていてくれないか」
「駄目です。まだ終わっていない仕事がありますので」
「チッ。……ラセツのケチ」
なにか言ったかと視線をやると、ヴァーンはさっと目を逸らした。
ラセツは小さくため息を吐いた。
「最近、魔族が暗躍しているという報告が多数上がっています」
ああ、とヴァーンが頷く。
「ヘルマスターめ、いよいよ動くつもりか」
「……」
ラセツは知らず書類を抱える腕に力を入れた。
ヴァーンがふ、と笑う。
「やつの勝手にさせるつもりはない。……安心しろ」
いつだったか、同じようなことを言われたのを思い出した。
今回でいったん魔法族の集落編は終わりです。