11 魔法族の集落 5/7
バレンタインだからリア充添えてみました。嘘です、たまたまです。
*タイトル変更しました 2020.02.15
朝日が顔に当たって目が覚めた。
知らない天井だ。身体が重い。
起き上がろうとしたが身体が動かなかった。
ぼく――アーティアは首を動かして辺りを見る。
白い壁、白い天井、白いベッド、白い枕、白いシーツ、白いサイドテーブル……。
白ばかりだ。
どこだろう、ここは。
相棒の男――ヴァーレンハイトを呼ぼうとして口を開けたが声が出なかった。掠れて乾いている。
腕を上げようにも腕も動かない。視線だけ動かして見れば、ぼくは白い服に着替えていた。
いつの間に。
それに視界が広い。
(あ、眼帯……)
あるべきものがないのだと気付いて不安になった。
男がいない。どこかわからない。なにがあったのかわからない。
どうしよう。
ふいに誰かが近付いてくる気配がして、そちらに目をやる。扉が開くのが見えた。
入ってきた人はおや、と声を上げるとぼくが横になるベッドに近付いてきた。
誰だろう。
黒髪のおかっぱ頭の青年だ。目は閉じていてどうやってぼくを見ているのかわからないのに何故か見下ろされているとわかる。
朱色の変わった前合わせの服に、淡紅の前掛けをしていて下は丸みを帯びたズボンにサンダル。長いらしい袖はたすき掛けにされていて白い腕はむき出しだ。
なにより目を引くのはその背中。――乳飲み子を背負っているのだ。
赤子はすやすやと眠っているらしく、青年はしいと人差し指を唇に当てた。
近付かれて気付いたのは、その赤子を背負うための子守り紐だと思っていたものが白い蛇だと言うこと。ちょっと意味がわからない。よく見れば蛇は二匹いて、代わる代わる赤子を眺めている。
(……なんで……蛇……?)
危なくないのだろうか。
「ようやく目が覚めたようですね……よかったです」
青年はにこりと微笑んだ。
ここは、とかおまえは、とか聞きたいことはいっぱいあるのに声が掠れて出ない。
それに気付いた青年はサイドテーブルにあった水差しを取ってぼくにゆっくりと水を飲ませる。手慣れた仕草だなと思った。
思っていたよりも喉が渇いていたらしい。水を半分ほど飲み干して、ぼくははぁと息を吐いた。
ありがとう、という声はまだ掠れていたが出ないわけではない。
どういたしまして、と青年は水差しをまたサイドテーブルに戻す。
「ここは闇魔法族の集落にある闇精霊神殿の中にある治療室です。あなたは五日前にここに運び込まれました。ずっと熱が下がらず、意識が戻らなかったんですよ」
五日?
「……五日?」
「はい、今日で五日です。正確には今日の夕方、五日目になります」
そんなに眠っていたのか。
それなら相棒はどうしているだろうか。別の意味で五日間眠っていそうで心配になった。
「……ヴァルは?」
青年はちらとぼくの腕を見て、指差した。
「ヴァルさまなら、そこに……。ずっと手を握っていたんですよ」
青年に手伝ってもらって身体を少しだけ起こす。
赤銅の頭がぼくの腹の上に乗っていた。身体が本調子じゃないことを加味しても、こいつがこうして眠っているから起きられなかったのでは?
青年の言った通り、男はぼくの右手を握ったまま眠っている。
その頬や腕には白い包帯や大きな絆創膏が貼ってあるのが見える。
「あなたが倒れたあと、彼があなたを抱えて光魔法族の集落からここまで走ってきたんですよ。驚きました。自身も結構な出血でしたのに」
聞けば身体強化魔術を自分にかけて走ってきたらしい。
そういえばホウリョクが自分で自分に強化魔法をかけていたなと思い出す。あれを真似したのだろう。
腕を取ってきてもらったあとから記憶がない。そうか、ぼくは気を失ったのか。
情けない。
そうだ、依頼はどうなったんだろう。光精霊神官は無事なのだろうか。
「身体、動かない」
「今は麻酔が効いているのでしょう。時機に動けるようになります。ただ、まだ完全には治っていないので必要以上に動かないでくださいね。……そこのヴァルさまのように」
「……ヴァル、なにしたの」
ふぅ、と青年は息を吐くと、困ったように眉をひそめた。
「ティアさまが心配だからと横になってくれないんです。隣のベッドだって言ってもずっとそこにそうしていて……。もうティアさまが起きられたのですからベッドに入ってくださるといいのですが」
なんだそれ。
いつも自分が怪我したときは寝れば治るとか言っていつまでもベッドに潜り込んでいるくせに。
「……ばーか」
前髪を引っ張ると、ううんと嫌そうに身動ぎした。
こほん、と青年が軽く咳払いをする。
「……怪我の状況をお知らせしてもいいでしょうか」
「……うん」
「……まずはティアさま。ティアさまは左腕の切断が一番の重傷でした。あとは頭蓋骨折に頭や腕、足などからの出血。あ、あと鎖骨にもヒビが入ってました」
思ったよりも怪我していたようだ。
続いて、と青年が男に視線をやる。
「ヴァルさまは全身の出血ですね。頬、首、肩、腕、足……。あとは筋肉痛ですのでそちらはすぐに治ると思います」
「筋肉痛」
そう言えば光魔法族の集落からこの闇魔法族の集落まで走ったって言ってたっけ。
「ティアさまは――魔族の血が入っているとのことなので、回復は早いと思います。ただ、左腕の傷は多少時間がかかると思ってください。ヴァルさまは人間族なので少々時間がかかるかもしれないので無理はしないように言い聞かせてください」
まるでぼくが保護者かのような言い方だ。
「それではこれで失礼します」
青年は静かに言うと、さっさと部屋を出て行った。
ぼくは結局あの蛇がなんだったのか聞きそびれたなと思いながら、男の前髪をいじる。
片腕が完全に固定されていて動かないので三つ編みなども出来そうにない。
手を伸ばして頬をつつく。
ううん、と身動いだ男の瞼が震える。
起きるか、と思ったらぱちりと開いたそれが合う。
「――ティア!」
がばりと男が起き上がる。
こんなに勢いよく起きる男を見るのは初めてではないだろうか。
「……おはよう」
男はぽかんとぼくの顔を見た。
どういう意味なんだろうか。
「……ティア、起きた?」
「起きたよ」
「四日、目が覚めなくて」
「さっき聞いた。ぼくもびっくりした」
「……もし、起きなかったらどうしようかと思った……」
「起きなきゃ依頼料貰い損ねちゃうかな」
「……ティア」
ぎゅうと右手を握られる。男の大きな手は温かい。
ふとぼくの右腕が包帯で巻かれていることに気付いた。手の甲までしっかりとそれで隠されている。……右腕は特に怪我をした覚えはない。
(ああ、傷痕、見られたんだ)
気を失った自分が悪い。そうは思っても、お腹の中に冷たい鉄の塊を入れられたように重たく冷たい気持ちが這い上がってくる。
「……ティア」
ふと我に返る。
男が心配そうにぼくの顔を覗き込んでいた。
「起きてくれて、よかった」
男は両手で握り込んだぼくの右手を額に当てる。
まるでなにかに祈っているみたいだ。
「……迷惑、かけて……ごめん……」
前髪の隙間から赤銅の目がぼくを見た。
眉間に皺が寄っている。視線に熱はないはずだ。なのに、熱い。
「……ティアは結構、馬鹿だな」
「な――」
いきなりなんだ、こいつは。
顔を上げた男は真剣な目をしていて、ぼくはなにも言えなくなる。
「そこは心配かけてごめん、だろ。迷惑なんて、かけられてない」
「……心配、したの?」
「……怒るぞ」
そうは言ってももう怒っている。
男は滅多に怒らない。怒るのは疲れるから。
だから、そう、ほとんど初めてだった。こんな男を見るのは。
ぼくはごくりと唾を飲み込む。
知らない。
こんな男、知らない。
「おれたち相棒だろ。相棒の心配くらい、するに決まってる」
それも面倒くさいと言うのかと思った、とは言わないでおいた。言ったらきっともっと怒る。
ぼくは小さくごめん、と言うのが精一杯だった。
「頼むから、もうあんなことしないでくれ……」
あんなこと? ぼくが首を傾げると、男は眉をひそめた。
「……おれを庇って怪我をするようなこと」
肝が冷える、と男は視線を落とした。
ぼくは前衛、男は後衛。前衛は後衛の盾。庇うのは、当たり前だ。
「……だって、ヴァルは人間族。ぼくは神族と魔族の混ざり者。怪我が早く治るのはぼくの方だし、後遺症も少ない。ぼくが庇って怪我した方が効率的でしょ」
ばっと音がするかと思うほどいきなり男が顔を上げた。
その顔はなにかに傷付いたように歪んでいる。
どうして?
「…………だからって、効率で自分の身を危険に晒すようなこと、するな」
どちらかが怪我をするならぼくの方がいいに決まっている。
なのに、どうしてこいつはこんなに辛そうな顔をするんだろう。
傷が残ったって今更だ。右腕なんて、見れたものじゃない傷が残っているくらいなんだから。
痛いのはぼくだけでいい。
なのに、どうしてこいつはこんなに痛そうな顔をするんだろう。
「おれのせいで、ティアが傷付くのは嫌なんだ」
どうして。
言葉が出てこない。
男の熱い視線がじっとぼくを射抜く。
自分の頬に血液が集まっていくのがわかる。なんで。
「……………………ヴァル、熱くない?」
いや、熱い。
ぼくが熱いんじゃなくて、ぼくの手を握る男が熱いのだと気付いた。
手を振りほどいて男の額に手をやる。じわっと熱さが掌に伝わった。
「ちょ、熱出てるじゃん! いつから? なんで言わないんだ!」
「ねつ……?」
瞳が潤んでいたのも視線が熱かったのもこのせいか!
ぼくは大声で人を呼んだ。
ああもう、さっきの蛇の人の名前、聞いておくんだった。
無事にベッドの上の住人になった男と並んでベッドに横になる。
二人揃って馬鹿みたいだ。
男が座っていた場所が空いたので、向こう側に鏡があるのが見えた。
包帯で頭をぐるぐる巻きにしたぼくが不機嫌そうにこちらを見ている。
それはそうだ。
だってぼくのせいで男は熱を出したのだから。
ぼくが起きるまでずっと無理をしてそばにいたのだろう。
「……ぼくだって、ぼくのせいでヴァルが倒れるのは嫌だって思うよ」
横のベッドを見る。
男は氷嚢を当てられうんうんと唸っていた。熱でうなされているらしい。
「ばーか」
隣のベッドなのに、手が届かない。
「――なんで、こんなに……」
こんなに?
こんなに、なんだろう。もやもやして、ぐるぐるする。
またよくわからない感覚だ。
ふいにせんせいが現れる。ずっと周りに人がいたから久しぶりな気がした。
(……ああ、一度助けてもらったっけ)
頭を負傷したせいか、記憶が朧気だ。
せんせいは珍しく口を歪めていた。
「……きみのそれは、自覚してはいけないという無意識の抑圧だろうか」
「?」
まぁいい、とせんせいは肩をすくめた。
それよりも、せんせいは眉間に皺を寄せる。
「もっと身体を大事にしたまえ。わたしもろとも死ぬつもりかね」
「……腕斬られたくらいじゃ死なない」
はぁ、とせんせいはため息を吐く。
「アーティア、わたしときみは一蓮托生だということをわかっているかい。きみが死ねばわたしもただでは済まない。それは困るのだよ。わかっているだろう」
わかっている。
けど、あのときは勝手に身体が動いたのだから仕方ない。
ぼくが拗ねるように口を尖らせていると、せんせいは首を振った。
「ヴァーレンハイトくんを庇うのはきみの勝手だ。それは認めよう。しかし庇うにもやり方はあるはずだ。あのとき腕を伸ばすだけが最善だったかね。他に方法はなかったかね。考えたまえ」
……考えている。ずっと。
多分、最善ではなかった。あのときは頭が真っ白になって、とにかく男をあの場所から遠ざけないととしか考えられなかった。
咄嗟に手を伸ばしたけど、なにかあったと思う。
自分の浅慮を恥じる。
だけど同時に間違ったことはしていないという思いもあった。
ぐるぐるして、よくわからない。
せんせいはまたため息を吐くと、「考えたまえ」とだけ言って姿を消した。
病室でぼくだけが起きている。隣を見れば、男はいつの間にか安らかな呼吸で眠っていた。
ほっとする。
安心する。
あのとき手を伸ばさなかったら、男はぼくのように腕を切断されるだけじゃ済まなかっただろう。
もしかしたら死んでいたかもしれないと考えて、心臓が冷える。
(同行者なんて、誰でもよかったはずなのに)
いつからこんなに入れ込んだのだろう。
なんでこんなに失うのが怖かったんだろう。
「…………わかんない」
ぼくは天上を見上げた。
+
絶食状態だったのだからとどろどろの穀物を出され、それを胃に流し込む作業が終わってから、青年が「面会者がいますが、入れても大丈夫ですか」と言ったのでそれに頷く。
そういえば光魔法族の集落はどうなったんだろう。
依頼はどうなったんだろう。
やってきたのはジェウセニューとモミュアだった。
ぼくの顔を見てほうと息を吐く。
ジェウセニューが果物の入った篭をサイドテーブルに置いた。
モミュアはぼくのそばに寄ってきて頭を撫でる。くすぐったい。
「昨日まで面会謝絶だって言われてて……。心配してたのよ」
安心した顔で微笑む。
心配。
たった一日会っただけの人物に?
よくわからない。
「具合はどう?」
「身体が固定されてて動けないくらいかな。熱も下がったみたいだし。寝過ぎてちょっとぼーっとするけど」
無事でよかった、と二人は笑う。
目を瞬く。
「……なんで心配するの? 他人なのに」
なにを言われたかわからないとばかりに今度はジェウセニューとモミュアが目を瞬いた。
「……そりゃ、心配するだろ、友達のことくらい」
友達?
「…………友達だったの、ぼくら」
「えっ、そう思ってたのオレだけ!?」
それ悲しいじゃん、とジェウセニューが目を丸くした。
友達、と口の中で言葉を転がす。
なんだか頬が熱い。さっきとは違うどきどきが胸を圧迫する。
「なんだよー、オレたちと友達じゃ嫌か?」
嫌?
……そうは思っていないことに気付いた。
「いや、じゃ……ない」
「よかった」
モミュアがほうと息を吐いた。
「果物、セニューが採ってきたばかりだから新鮮なの。よかったら食べてね」
「そうだ、ニトーレたちも心配してたぞ」
雷精霊神官が。
あの人は流石に友達じゃないと思うのに、どうして心配するんだろう。
「……ヴァルも、心配したって言ってた」
きょとんとジェウセニューたちは首を傾げる。
「それは心配するわよ。だって大切な相棒なんでしょう?」
「大切?」
大切は、大事ってこと。大事は、好きなものってこと?
「…………ジェウセニューにとって、モミュアが大切、みたいに?」
「ななななななんでここでモミュアが出てくるんだよ!」
「そそそそそうよ、わわわたしたちは相棒じゃなくて!」
二人ともどもりすぎだ。リークがじれったいと思うのも無理はない。
とにかく、とモミュアは咳払いをした。顔が赤い。
「みんなティアちゃんのことが好きだから、心配してるの」
好き。
大切。
唇を噛み締める。
そんなこと、言われたことなかった。
胸がどきどきしていて、いつかとは違うもやもやが広がる。
顔が赤くなる。
「……こういうとき、どうしたらいいの」
「――ありがとうって、笑ってくれたらうれしいわ」
笑うの? それだけでいいの?
きっと今のぼくの顔は下手くそな笑顔を浮かべているんだろう。
「……ありが、とう」
どういたしまして、と二人は笑った。