11 魔法族の集落 4/7
本日3つ目の更新です。
*タイトル変更しました 2020.02.15
ヴァーレンハイトは焦っていた。
腕の中にいる相棒――アーティアがだんだんと冷たくなっていくのがわかる。血が足りていないのだ。
(大丈夫、ティアはこれくらいじゃ死んだりしない)
だから早く治癒術師を探さなければ。
でもどうやって?
ひゅっと喉が鳴る。
周囲はむせ返るほどの魔獣の血で溢れている。衛生面もよくない。
移動しないと。アーティアを横抱きにしてそっと抱きかかえる。左腕は落とさないように。
黒煙は上がっているが、火の手は上がっていない。
水魔法族の自警団たちががんばってくれたのだろう。
けれど今のヴァーレンハイトにそれを確認する余裕はない。
抱えた身体の軽さたるや。いつも小さい小さいとは言っているが、これほど軽いものだっただろうか。
そのまま消えてしまいそうで、ヴァーレンハイトはぎゅっと腕に力を入れた。
「あーーーーーーっ、だめぇ、死んじゃいやぁぁぁぁぁぁぁっ! 俺そんな命背負えないお願い死んじゃダメぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
やかましい声が聞こえて、ヴァーレンハイトは我に返る。
顔を上げると結界を解いた神殿から誰かが飛び出してくるところだった。
「生きてる? 死んでる? まだ生きてるよねぇ? ねぇ? 頼むよ俺のせいで死んだなんて知りたくないあーーーーーーっ無理無理無理無理無理だから本当お願い生きてて死んじゃダメだからねっ! お願い!」
ぜぇはぁと息を切らしてやってきたのは短いロマンスグレーの髪を七三に分けた壮年の男だ。眼鏡をかけている目は白っぽい灰色。煤けた白衣を着た姿はどこかの研究者か医者のようにも見える。だがよく見ればその白衣の下に着ているシャツには「働きたくない」とデカデカと書かれていた。
ヴァーレンハイトは即座に悟る。
(あっ、ダメなおっさんだ)
そのシャツさえ見なければ(あと泣き喚いているのを見なければ)ダンディなおじさまなのに。
壮年の男はひぃひぃ言いながらヴァーレンハイトに近付き、腕の中の少女を見た。
「俺のせい? 俺のせいでこうなったの? 本当に? なんで? なんでそこまでしちゃったの! いや確かに俺も死にたくはないよ? 死にたくはないけどこんな小さな子を犠牲にしても生きてたくないよ! ていうか俺のせいで死んだっていう事実に耐えられないからぁぁぁぁぁぁ! その命背負えないからぁぁぁぁぁぁ!」
ひぃんと泣く壮年の男にイラっとして、ヴァーレンハイトは空いた右足で彼の向う脛を蹴った。ここを蹴られると悶絶するほど痛い。以前アーティアにやられて身に染みているのだ。
ぎゃあああああっ、とやっぱりうるさい悲鳴を上げて蹲るそれを見下ろす。
「……死なないから。死なせないから。……だから、死ぬ死ぬ死んだ死んだ言わないでくれる?」
ね、と首を傾げると、壮年の男は顔を青くして静かに何度も頷いた。
聞き分けがいいのはいいことだ。
「おれ、治癒術師探してるんだ。誰か知らない? あとティアを寝かせてやらないと……静かな場所がいいな。どっかない?」
「……神殿内ならまだ綺麗なので寝かせられるかと……」
そう、と頷いてヴァーレンハイトは壮年の男を置いて神殿へ歩き出す。
壮年の男もひんひん言いながらついてきているがどうでもいい。
嫌に頭の中が静かだな、と思った。
「あるじ、まだ危険かもしれないから外に出ないでほしい……オレが止められないのが悪いのか……そうか……なんかもう、すみません……」
神殿の柱に身体を預けるようにして子どもが立っていた。
柱に頭をぶつける度にゴツ……ゴツ……と音を立てている。
その頭には小さな角。クロアとは違う形だなと気付くと同時に、少年がクロアと同じくらいの身長だと思った。
髪は珍しい白と黒が入り混じった短髪。そこから覗く耳はぺたんと垂れた獣の耳だ。首には大きな丸くない鈴をつけていて、袖のない牛模様のシャツと短パンを穿いている。
ゆっくりと振り向いた少年の目は三白眼の垂れ目。眉は小さく、目の上にぽつんと点を落としたようだ。
少年はヴァーレンハイトとその腕の中のアーティアを見ると、ああ、と声を出した。
「雷精霊神官さまから伺ってます、ヴァルさまとティアさまですね……」
陰気な声でのっそりと呟くように喋るので少々聞き取りづらい。
「あるじを守るために戦ってくれてありがとうございました……。いや、あるじはあんなんですけど本当……やるときはやるんです……やるときは……そう……やれないときはやれない……ははっオレのせいなのかなぁ……」
自虐的な少年だ。
いつもなら多少は心配するところだが、今は自虐に付き合っている暇はない。
「それはいいから。ねぇ、ティアを寝かせてやりたいんだ。どこに寝かせたらいい? あと治癒術師を呼んでほしいんだけど」
ひぃっと後ろで壮年の男が息を飲んだ。
少年も顔を引き攣らせてこくこくと頷く。
なんだかみんな、怒ったティアを見たみたいだ、とヴァーレンハイトはおかしくなる。
「ええっと、流石に聖堂は困るので……床で申し訳ないですけど、この辺にどうぞ……掃除は行き届いてるので……はい……大丈夫です……ははっ」
ありがとう、と言ってアーティアを寝かせ、自身もそこに座り込む。
壮年の男と少年が伺っているのはわかっていたが、それを気遣う余裕は今のヴァーレンハイトにはない。
「治癒術師は?」
「聞いてきまっす!」
慌てて壮年の男が神殿を出ていく。その背を追って少年も走っていった。
静かになった神殿の入り口で、ヴァーレンハイトはアーティアの右手を握る。
「ティア……」
声が嫌に響く。
自分だって無傷でいたわけじゃない。切れたあちこちから血がにじんでいる。それでもアーティアほどではない。
自分のせいで左腕を切断されてしまった。いくら魔族の血が入っているとはいえ、全く元の通りになるのかはわからなかった。
もしなにか障害が残ったら。
そう考えるとヴァーレンハイトの全身に怖気が走る。
出血が多かった。こんな小さな身体のどこにそんな血液が入っていたのだろうと思うくらいに。
そのせいで今アーティアの顔色は悪い。ただでさえ白いのに、今は紙のように白い。
右手をぎゅっと握る。
「ごめん、ごめん、ティア……」
おれのせいで。
あの少年じゃないが、そう言いたくて仕方ない。
きつく縛ったはずなのに、左腕の傷からは血が滲み続けていた。
早く。早く。早く。早く。
治癒術師でもなんでもいい。アーティアの傷を治せる人はいないのか。
「……なんでおれ、治癒術使えないんだろう……」
ヴァーレンハイトが使えるのは主に攻撃するための魔術と身体強化、あとは少しの補助的な魔術だけだ。だけと言うには多いが、それだけあってどうして治癒術だけ使えないのだろう。
そのせいで幼馴染は命を落としたと言ってもいいのに。
ぎり、と奥歯を噛み締める。鉄の味が口に広がるのが不快だ。
アーティアがいなくなったらどうしよう。
考えて、ヴァーレンハイトは首をぶんぶんと横に振る。
「ない。そんなことない。だって、ティアはしぶといし、強いんだから」
そういえばせんせーも顔を出してくれない。
ヴァーレンハイトは一人でアーティアを見下ろす。
息はしている。大丈夫。
自分に言い聞かせて少女の右手を強く握る。
やがてバタバタと騒がしい音がして、神殿に人が駆け込んできた。
ヴァーレンハイトは億劫そうにそれを見上げる。
自警団団長を名乗った青年だ。確か、名前はシャルド。
「大丈夫か!」
大丈夫に見えるのだろうか。
シャルドはヴァーレンハイトが胡乱な顔で見上げているのに気付いてごほんと咳払いをした。
「いや、悪ぃ。光精霊神官さまたちからアンタらが怪我して大変だって聞いて。ティアはもちろんだけど、アンタも酷い顔してるぜ」
「……治癒術師は」
「今手配してるんだが……どうも一番の腕利きが集落から出られないってんで話がまとまらねぇんだ」
はぁ、とヴァーレンハイトは顔をしかめた。
怪我人がいるのに、動けない?
「……どこの誰」
「闇魔法族の闇精霊神官さまと守護精霊」
確かにそれは動けないだろう。
よし、と頷き、ヴァーレンハイトはアーティアを再び抱える。
「おい?」
「闇魔法族の集落ってどっち」
「マジか」
いいから教えろ、とシャルドを見下ろす。
シャルドは唇を歪めたが、ため息を吐いて外に出るように促した。
外では先ほどの二人がぎゃーぎゃーと騒いでいる。
「うるさいんだけど」
ヴァーレンハイトがそう言うと振り向いた二人がびしりと固まり静かになる。
「え、どこ行くの!」
「闇精霊神官のところ」
二人はシャルドを見た。シャルドは首を振った。
「そうは言っても、この光魔法族の集落から闇魔法族の集落までは三キロちょっとはあるんだよ。子どもとは言え、人一人抱えてそんな怪我ではたどり着けないよ」
壮年の男が心配そうに眉を寄せる。
「……申し遅れたね、俺は光精霊神官のキリアキという。こっちは守護精霊のハラミ。俺のせいでこんな怪我を負ったんだ、すまない」
この壮年の男が光精霊神官だったのか、とぼんやり考える。
でもそれよりも今はアーティアを癒す治癒術師か医者が必要だ。
「闇魔法族の集落の方角、どっち」
見下ろすと、怯えた目をしたキリアキが悲しそうな顔でゆっくりと首を振る。
「恩返しがしたいなら今でしょ。闇精霊神官に今から行くから準備しとけって伝えてくれる?」
どうやって伝えるかはわからないが、来れる来れないの言い争いをするなら出来るはずだ。
ヴァーレンハイトはアーティアを落とさないように抱え直す。
方角は、とシャルドに尋ねると指を差して教えてくれた。真っ直ぐ東の方角だ。
もう日が傾いている。急がなければ。
「でもどうやって行くつもりだい」
「走る」
「……は?」
アーティアほど早くは走れないが、身体強化をすれば少しは走れるはずだ。
「“身体強化開始――完了”」
魔法陣がヴァーレンハイトの足元に浮かび、身体が明滅する。血流がよくなり筋肉が活性化する。ぶちりといくつかの血管が切れた。
頬や首、肩や足などの傷口から出血が起こる。
「やめなさい、死んでしまうよ!」
キリアキが悲鳴を上げる。
でもこのままだとアーティアが危ない。
アーティアがいないのにヴァーレンハイトだけ生き残るのはおかしいのだ。
キリアキたちの声を無視して、ヴァーレンハイトは足に力を入れて一気に走り出した。
+
闇魔法族の集落の入り口で、一人の青年がうろうろと歩き回っていた。
背中には乳飲み子といういで立ちでなにをやっているのか。
「ニシキさま、神殿にお戻りください。彼の者がやってきたらお伝えします。それに、そんなにすぐに来れるわけがありません。光魔法族の集落からなんですよ」
「そうですが……」
ニシキと呼ばれた青年は乳飲み子をあやしながら集落の外を見る。
先ほど、光精霊神官の守護精霊から「怪我人が出たから見てほしい」という要請が来た。襲撃されたとは聞いていたが、他の魔法族に比べて光と闇は真逆の位置にあることからなにもしてやることが出来なかった。
闇精霊神官と守護精霊が特に治癒術の研究や医療に精通していることから、怪我人を診ることくらいなら出来るはずだと集落中で話し合い頷き合った。
それが今朝の話だ。
有事の際に駆けつけることが出来ないであろう自分たちが唯一同じ魔法族の仲間として出来ることはこれくらいだ。
来たる日に向けて集落中で準備を始めたのが昼頃。
そして襲撃の知らせを聞いたのが昼過ぎ。
慌てて準備を終わらせてさぁ行くぞと気合いを入れたところで、彼の守護精霊から連絡が入った。
「怪我人が多く出た。助けてくれ」、と。
医療の心得がある闇魔法族は駆け足で光魔法族の集落へ向かって行った。
残されたのは神殿を離れることが出来ない闇精霊神官とその守護精霊、護衛神官と何人かの住民たちだ。
族長さえ走って出て行ったのはどうかと思ったが、一番医療の心得のある闇精霊神官と守護精霊が行けない以上、二人の分まで頑張ってくるとない力こぶを作って笑っていたのが族長だ。
彼らが勇んで出て行った少しあと、再び光の守護精霊から連絡があった。
出血の多い重傷者がいる、という話だった。患者は動かせないから来てくれと言われたが、闇精霊神官は動けない。精霊神官が動けない以上、守護精霊も動けない。
あーだこーだ言い合っていたが、ふいに向こうがこう言って来たのだ。
「そちらに行くから見てやってくれ」、と。
どういうつもりだろうか。重傷者を動かすのは危険だ。
最低限の治療を向こうで済ませたのだろうか。それだとしても動かすには早い。
嫌な予感がして、ニシキは乳飲み子を背負ったまま集落の入り口に様子を見に来たのだ。
朝は普通に晴れていたのに、今は厚い雨雲が集落を覆わんとしている。
それがまた嫌な感じがした。
「ニシキさま」
護衛神官が再びニシキの名前を呼ぶ。
わかっている、ここにいても仕方ないし、なにより赤子の身体が冷えてしまう。
戻ろうと思ったところで、視界の端になにかを見た気がした。
「あれは……」
誰かが走ってくる。
まさか。
あの連絡を受けてからどれくらいが経っただろう。一時間も経っていないはずだ。それどころか……。
「……怪我人を運ぶ準備を」
「え、」
急いでといつにない大声を出す。
赤子がその声に驚いて泣き出した。慌ててあやしながら黒い影を見る。
顔かたちが見えてきた。赤銅色の髪をした背の高い男だ。横抱きにした誰かを抱えている。
近付いて気付いた。――彼も随分な出血をした怪我人だと!
「誰か、人を呼んでください……!」
再び大声を出す。赤子が泣く。
驚いて住人たちがやってくるまで、ニシキは男から目を逸らせなかった。
+
どれくらい走っただろう。
意識がぼんやりとしてきた。
でもここで倒れるわけにはいかない。
ぽつりと頬を雫が叩いた。降り始めてしまったか。
アーティアを抱え込む腕に力を入れて、落とさないように雨に濡らさないように体勢を変える。
多少走りにくくなったが気にしてはいけない。
辺りが暗くなってきた。
喉が渇いて呼吸すら苦しい。
それでもヴァーレンハイトは足を止めなかった。
人のざわめきが聞こえる。
見えた、集落だ。闇魔法族の集落のはずだ。
ぶちりとまたどこかの血管が切れる。
足が棒のようだった。
倒れてはいけない。倒れたらアーティアが潰れてしまう。
「――怪我人は!」
年若い男の声が聞こえる。
ヴァーレンハイトは止まりそうな足を必死に動かしてその声のする方へ走った。
もつれる足。
あっと思ったときには体勢が崩れていた。
「――ティ、」
アーティアを潰さないようにしないと。身体が動かない。
ガクリと視界が揺れ、ヴァーレンハイトは自分が体勢を崩したのだと気付いた。
「っ――ティア!」
掠れた声で相棒を呼ぶ。
「大丈夫、この子も抱き留めたから」
ふとお香のような柔らかな香りがすることに気付いた。
ヴァーレンハイトが見上げると、おかっぱ頭の青年が自分を見下ろしているのに気付く。
「……あれ……」
よく自分の体勢を見てみる。倒れていた。
倒れて、青年に支えられていた。
青年はにっこりと微笑むと、
「よくここまで走ってこれましたね。もう大丈夫……あとはゆっくり眠っていてください」
と言った。
ぼんやりとした頭で反芻し、理解する。
「……おれ、集落、着いた?」
はい、と青年が優しい声で頷く。
「ティアは、治る? ……強がりだから、何でもない顔するだろうけど、きっと腕がなかったら辛いんだ」
「はい、治します、きっと。いいえ、必ず」
そっかぁ、とヴァーレンハイトは重たい瞼をゆるゆると下ろす。
「ティア……もう、だいじょぶだって、さ……」
最後は声にならない。唇に重りでもつけられているようだ。
大丈夫、という青年の声を聞きながら、ヴァーレンハイトの意識は黒に落ちていった。
別題:走れヴァル