第一話 海へと向かう。 その四
昼間はサービスエリアでうどんを食べた。薬は……飲まなくても良かった。心が荒れることはなく、うどんも美味しく食べられた。
「ここのうどん、有名なんだって!」
うどんに対しても真剣になれる瑞穂ちゃんは、一生うつ病なんかにかからないのかもしれない。
そんなことを考えるのは不適切なことかな。彼女だって、悩みの一つぐらいあるだろう。
ああ、色気が足りないとか、筋肉を鍛えてばかりの高校三年間に、ようやく疑問を感じているとか……。
「何か面白いことでもあったの?笑ってるよ、志郎お兄ちゃん」
兄妹ゴッコは続くのかな。
「やっぱり軽いうつ病なのよ。志郎お兄ちゃんは」
そうかもしれない。軽症なのかも?……元気な瑞穂ちゃんにエネルギーを吸い取られるかもと予想していたけど、そんなことにはなっていない。
軽いうつ病だったのかもしれない。それでも、マスターのコーヒー豆は持ち運んでいるけどね。魔除け……いや、厄除けさ。交通事故にだけは気を付けたいから。
昼ごはんを楽しく食べたあとで、瑞穂ちゃんは山の景色をスマホで撮影した。田舎育ちではないからか、彼女は自然が好きだと語る。
オレは田舎者だから、自然が悪意のような勢いで人間のテリトリーを侵すことを知っている。
雑草はアスファルトを食い破りもするし、人類と自然は田舎においては血みどろの戦いを繰り広げている……まあ、言わないけどね。
都会の子からすれば、自然は楽しむための特異な状況に過ぎないんだから。
自然と暮らすことの苦しみは、理解できないよ。
どうでもいい。こんなことを考えているから、黒い子たちの幻覚を見るのかもな。
……高速道路を運転している間、瑞穂ちゃんはずっと部活のことや、学校の友達について語り続けたんだ。
喫茶店の自称・看板娘は本当に明るくて、よく喋る子だな。でも、辛くはない。
自分の学生生活とは異なり、瑞穂ちゃんは充実している日々を過ごしている。就職のために有利だからと、さまざまな資格を取り続ける工業高校生の時間とは明らかに異なっていた。
部活動だって、就職に有利だから球技を目指した。ラグビー部だったな。名門じゃないから、強くはなかったけど、柔道や空手の下地は活きた気がする。
……もっと、本気になれる部活をしておけば良かったかな。人数ギリギリのラグビー部なんかじゃなくて。
暗くなるから、それ以上は考えないことにしたよ。
高速を降りて、地元へと続く国道を走る。夏の草がぼうぼうに生えてしまっているな。地方は年々、何も出来なくなっている。
道の草を刈る金もなく、そのせいで道の劣化も早い。貧しさを感じてしまうが……懐かしさも感じる。
大嫌いな故郷に続く道だし……こんな雑草の生え散らかした場所を見て、心が落ち着いてしまうなんて。
……瑞穂ちゃんには黙っておこう。雑草を見て落ち着くなんて、なんとも田舎者らしくて惨めだから。
スマホのナビに従い、車を走らせて行く。
やがて日本海が見えてきた。暗さを感じる海だ。太平洋よりも、寒げな黒が海に走っているように見える。
「海だあ!!海だよ、志郎お兄ちゃん!!」
「ああ、日本海って言うんだよ」
「知ってるよー。知らないと思った?」
さすがにそこまでは思っちゃいないけどね。フィリピン海の範囲について語れるとまでは思っていないけどさ。
「あー、やっぱり筋肉しか鍛えてないと考えてるね?」
「そこまでは思っていないよ。料理も上手くなった」
ナポリタンを焦がさないのは良いことさ。
「海水浴場はまだかな?」
「今日は泳ぐ気?」
「もちろん、晴れてる……し?」
いいや、いつの間にやら曇ってきていた。雲は薄いようだが……空は暗い。
「あれー?天気予報、晴れるって言っていたのに……」
瑞穂ちゃんはスマホを弄り、驚いていた。
「晴れてる扱いなんですけど?」
「じゃあ、上空に雨雲が来ているだけかもね」
「そうだと良いなあ。このまま雨になると、温泉でしか水着を着れないよ」
「温泉で着るの?」
「うん。あの旅館、部屋に温泉ついてるからさ、水着を着て志郎お兄ちゃんと入るの。そして、部活の皆に報告するの。私の夏休みは輝いているって!」
誤解の温床になりそうだから、やめておいて欲しい。
はあ……とため息を吐いた時だった。
目の前に……車道に人影が現れていた。思わず急ブレーキを踏む。踏まなければ、轢き殺すところだったからだ。