第一話 海へと向かう。 その三
……瑞穂ちゃんの自己満足のために、オレは車を走らせることになった。
昨夜の恩があるせいで、瑞穂ちゃんには逆らえない。
でも、さすがに同じ部屋に泊まるのだけはナシにしてもらった。
手を出しかねない。
自分の自制心を信じられるほど、オレの精神状態は健康ではないし、瑞穂ちゃんは魅力的な少女だからだ。
だからといって一生養う?……うつ病ガイドブックにも書いてあった。
うつ病の時は人生に関わる重大な決断は避けるようにしましょう……オレは、あの薬をくれた名医を信じることにした。
だから、オレの役目は運転手。
瑞穂ちゃんのインスタグラムだか何かを飾るために、星五つのお宿を目指して故郷の近くの海を目指す。
オレは、あちらについたらカプセルホテルにでも寝ることにする。
お姫さまのインスタグラムが輝くなか、悲惨な穴蔵みたいなカプセルホテルで過ごすのさ。
せめて、サウナ付きのカプセルホテルにしてやろうかと考えるのは、うつ病が軽快している兆候なのだろうか?
……とにかく、そんなこんなでオレと瑞穂ちゃんの二人旅行は始まってしまった。餞別にもらったグアテマラ産のコーヒー豆と、生々しいゴム製品をバッグにつめてね。
マスターの気遣いというか……いかにもオレのことを信じてくれていないんだとヘコむ。
半笑いだったが、目はマジだった。瑞穂ちゃんのフリー過ぎる両親に代わり、姪っ子を守ろうとしているのだろう。
せめて避妊ぐらいは?そんや守り方で……まったく、マスターはうつ病野郎のことを信じてないらしい。
変な事態だ。精神科に通っているオレの落ちた認知機能でも、それぐらいは分かる。本当にこれは現実だろうか?
「……これは、壮大なドッキリとかじゃないよな?」
「え?どういうこと?」
「いや、夢オチとか。オレ、起きてる?」
「起きてるしー、ちゃんと運転出来ているっぽいよ?」
「怪しい兆候とかあったら、すぐに言ってくれ。即座に停めて、代行運転を呼ぶから」
「まあまあ、夏休みの割りには道路も空いてるし、大丈夫でしょー」
アイスをかじりながら、夏を満喫している瑞穂ちゃんはそう語る。
「志郎お兄ちゃんも、そう神経質にならないの」
「志郎お兄ちゃんって呼ぶのやめない?」
「えー?演技するって決めたじゃん。お宿に、女子高生と会社員が泊まるとか、アウトっぽい響きだし」
「宿には泊まらないよ、オレはね」
「いいじゃん、信じてるから大丈夫よ?」
「オレはうつ病なんだ。信じてもらっても困る」
「軽いうつ病でしょ?」
「酷いさ。幻覚を見るんだから」
「病院に行って、コーヒーで治るんだから軽症でしょ?ママ、看護師だけど、大丈夫って言ってたもん」
前向き過ぎの瑞穂ママに共感を抱くのは、今のオレには難しい行いなのは明白だ。
「志郎お兄ちゃん、変じゃないよ。きっと、じつは見える人だったの」
「オレを霊能力者にしたいのかよ」
「あはは。そんなカンジ。霊能力者の知り合いがいるとか、頼りになるし」
「……ならないよ。あんなのは詐欺師か、心を病んだ人物ばかりさ」
「くわしそう」
「……オレの叔母が、それだった」
「ほんとに?」
「嘘はつかないよ。気が狂って、最後は家に火をつけて、病院に強制入院だ」
「そうなんだ。だから、志郎お兄ちゃんは精神科に行きたがらなかったんだ」
女の子は鋭い。心が男より繊細に作られているのかもしれないな。
「……大丈夫よ。志郎お兄ちゃん、ちゃんとしてるから」
「名医に薬もらうレベルなのにか?」
「薬飲んですぐに良くなるなら、軽傷だよ。問題なんてないの。安心すればいいわ」
「いつ車で事故を起こすかも分からない。君を事故に巻き込みたくないんだ」
「大丈夫。そんなに私を思ってくれるなら、大丈夫だよ」
「……大した度胸だよ、瑞穂ちゃんは」
「女子高生として最後の夏休みですから。もう、それなりの大人女子なんだ」
……大人女子なのかはともかく、今のオレよりもずっと強い精神力があるのは確かだ。
それに……くやしいかな。今日は頭にモヤモヤが来ない。うつ病が治ったようだ。名医のおかげか……それとも、瑞穂ちゃんのおかげなのか。
とにかく、事故にだけは気を付けて、彼女を宿に運ぶことにしよう……。