第五話 子守唄 その六
オレは名医がくれた魔法の薬を奥歯で潰しながら、迫り来る脳に対して襲い掛かる!!
振り上げた消火器で、脳を打撃するんだよ!!
消火器で殴られた脳がぐちゃりと歪む。何かが、飛び散り、オレにかかるけど、気にしない!!
そのまま、二度、三度、四度と、脳に対して消火器による打撃を叩き込み続ける!!狙うのは、あの機械だ!!
ガゴン!!
機械部品に対して、消火器による打撃が命中していたよ。
『ぎひいいいいいいいいいいいいいい!!?』
膨らむ脳が悲鳴をあげて、しぼんでいくのが分かる。オレの打撃だけじゃなく、精神安定剤も効いているんだよ。
二つ目の機械も叩きつける。脳が二つに裂けた。
半分は、すぐに溶けてしまい、もう半分はオレから逃げ始める。ぐちゅるるる!という不気味な音を響かせながら、ヤツは壁際に逃げた。
怖くはない。安定剤のおかげか、オレは強気だった。
怯んだぐちゃぐちゃのピンク色のアメーバに地下より、消火器で殴り付ける。
『もう、止めてくださいい!!これ以上、これ以上、壊されたら、私は、消えてしまいます!!』
消えればいい。この悪夢の世界にいる全てが間違っているんだ……。
殴り付ける。容赦なく、こちらの手の皮膚が裂けるほどに強く!!
ヤツがまた飛び散り、しぼみながら逃げていく。
あの水槽の下に、打撲した場所から血を吹き出し続ける醜い肉塊が移動する……。
消火器が飛んでいた。
陸上部員が、それをぶん投げていたんだよ。
宙を舞うそれは、ヤツには命中しなかった。
「あれ!?」
だが。水槽には命中して、そのガラスを思い切り砕いていた。
飛び散るガラスと共に、暗い水が脳の怪物に降り注いでいく……。
『ひぎゃあああああああああああああああああああぁぁぁ…………』
脳が溶けていく。どんな危険物質が入っていたのだろうか。
ヤツが溶けて、燃えていく。
ヤツが暴れて、院長室が炎に包まれていく。
壁紙が延焼していき、壁紙に隠されていた巨大な鏡が明らかになる頃、あの怪物はもうすっかり炭化して、崩れ去っていたよ……。
「……やり投げには向いてないっぽいね」
「まあ、でも、いいじゃない?……なんか、上手く行っちゃったもん……鏡、見つけたね」
「ああ」
「それに、あっちの水槽、罠だった。あそこに行ってたら、焼け死んでるところ」
「賢いな、オレ」
「性格が悪いのかもよ?」
「否定はしないよ。皮肉屋で、歪んでいるんだ。子供の頃、いじめられっ子だったから」
「…………でも、いいお兄ちゃんになったよ!!」
「そうかな?」
「うん。助けてくれたし、守ってくれたもの。嬉しかった」
「……喜んでもらえたなら、とても光栄なことだよ」
「えへへ」
瑞穂ちゃんは笑顔になる。
燃えていく院長室は、長居には向いていない。
オレはゆっくりと歩いて、瑞穂ちゃんの手を握る。
消火器を持ち上げるんだ。
この悪夢から、解放されるために……。
「……これで、サヨナラだよ、叔母さん」
見捨てて逃げているような、強い後ろめたさもあるけど……オレに出来るのは、これまでだ。
瑞穂ちゃんを守るために、自分が生き残るために……全力は尽くしたつもりだよ。
オレにとっての、正しいこと。
その仕上げをしなければならない。力一杯に消火器を振り下ろして、その鏡を叩き割るのさ。
鏡ごと、この悪夢みたいな世界が崩れ落ちていくのを感じる……。
そして、意識が遠ざかる……落ちていく。
どこかも分からない、深い闇に………………。
これは、正しいことだった。
オレはそう信じながら、消えていく意識に逆らうのをやめていたよ…………。