第四話 精神実験体158号 その十七
……こんな殺伐とした気持ちでナース・ステーションに向かう日が来るとは、思わなかったよ。
戦う気に満ちている。消火剤が有効な怪物どもを倒す気でいるんだよ。
病院のなかは、どんどん暗くなっていくけど……気にしない。怒りが、恐怖を黒く塗り潰している。
自己嫌悪の感覚も混じっているんだろうな。ヤケクソというヤツだよ。
しかし。
「倒すぞ~!!」
……やる気に逸る瑞穂ちゃんを見たとき、オレは冷静さを少しだけ取り戻すんだ。
小柄な少女が戦士ゴッコか……そいつは許容してはいけない光景だと思う。
眉間にシワを寄せつつ、暗がりに視線を這わせていく。世界は暗くなり、環境は悪化の一途であった。
ついに、壁どころか、床まで血管が伸びて来ているじゃないか……。
……靴底で、その血管を踏みつけたとき、拍動と血圧を感じたよ。
この病院は、生きているみたいだな……恐怖を感じたか?……いや、冷静になっているだけだ。
……そうさ。ここには、どんな怪物がいるか、分かったものじゃない。外には、『アレ』がいた。特大の生物がね。
御子柴という悪意と野心を兼ねそろえた男が作り上げた、狂気の世界。
……叔母さんは、色々なことを教えてくれたけど。
でも、叔母さんだって、全容を把握してはいないんじゃないか?……この病院が現世のネットと通じている理由とかだって。
ここは、かつてはこんがり童子が作り出した、夜鏡の世界……だった。
でも。御子柴がいじくり回し、かつてのそれとは異なるものに変貌しているのだ。それは、注意をより深めるべき事情だよ。
……オレたちみたいな小市民たちは、こんな場所では、勇敢さよりも慎重さで戦うべきだな。
「瑞穂ちゃん、静かに」
「う、うん……うるさかった?」
「……かくれんぼでもしている気持ちで行こう。敵がたくさんいるかもしれないし……今までよりも、危険なヤツだっているかも」
「そう?」
「ああ、さっきの門みたいなヤツもいたしね」
「……たしかに」
「……慎重に行こう。ここは、地獄みたいな場所なんだからな……」
「……そうだね」
気を引き締めて、ナース・ステーションに近づいていく。
暗がりの中、白濁した磨りガラスの張られた部屋が見える。
ナース・ステーションだ。明るく清潔なイメージのある空間のはずなのだが……この場所には臓物が無造作にカウンターの上に並んでいたりして、悪臭が満ちている……。
その臓物たちには、注射器が刺さっていたりするのだが……まさか練習なのだろうか?
そもそも、あの赤黒い物体たちは、人間の内臓なのだろうか?……理解してやれない世界だ。
細部を見れば見るほどに、悪意と狂気に満ちた空間であることを再確認できるよ。
ナース・ステーションの磨りガラス越しに歩いた。息を殺しながらね。
入り口がある……フレンドリーなことにドアはない。バリアフリー対応らしく、床に出っ張りもない。
だからこそ、こちらの物音が中にも響くし、中の音も聞こえてくるんだよ。
ぐちゃむしゃぐしゅがぎ。
……咀嚼の音だろうか。何かを食べているのかもしれない。
オレは、物陰からゆっくりと身を乗り出して、その音が聞こえる方向に視線を向ける……。
それは、一人とも言いがたく、しかし複数とも言い切れない存在であった。
ナース・ステーションに君臨している存在は、巨大だった。たくさんのポータブル式の点滴機材が立ち並ぶ場所に、彼女はいる。
いや、彼女たち、なのか?
とにかく、それは巨体であったよ。軽自動車並みの大きな悪黒い肉体が、床に寝転ぶように広がっている。
溶けかけてでもいるかのように、床へと広がっているのさ……その肉のスカートから生えているのは、四人分ほどの女たち。
正確には、四人分ほどの女の『上半身』だった。肉のスカートから伸びた、痩せた上半身やら、あるいは太ったものが……犬みたいな様子で、床に転がるに臓物を貪っていた。




