第四話 精神実験体158号 その三
……タクシー強盗の計画か。日本の女子高生が口にするような、言葉じゃない。
でも、悪くない作戦だとも思う。
このまま、こんがり童子がいるかもしれない雨の中を徒歩で走るのは嫌だしな。
「……えーと、志郎お兄ちゃん、もしかして引いてる?」
「ああ。少しはね。治安の悪い国みたいだよ、タクシー強盗ってのは」
「ち、違うわよ。慰謝料よ!」
「慰謝料?」
「こんな世界に連れてこられて、迷惑してるんだもの。こんな夏休みなんて、あり得ない」
たしかにね。とんでもない夏休みだ。高校最後の夏がこれでは悲しすぎる。
「それに、アイツを倒さないとさ。車で後ろから轢き殺される気がするわ」
「……たしかにね」
「そう。だから、これって正当防衛!」
瑞穂ちゃんはオレがドン引きした己の発言に正当性を与えようと必死だった。
乙女としてワンパク過ぎる発言だったことに気がついたようだ。
だが。
実際、たしかに彼女の言う通りだな。タクシーに……車に乗った歪んだナースを放置するなんて、危険すぎる。
アイツらはオレたちに対して明確な攻撃性を向け続けてきた。
車で轢き殺そうとする可能性は十二分にあるだろうさ……。
殺して死体になった後なら、瑞穂ちゃんを使って『失敗作』のこんがり童子を作れるわけだしな。
……そんなことに何の意味があるのかは、オレには想像もつかないけどね。いつかは本物が作れるのかな?
だとしても、何に使えるというのか。
考えても狂気を理解することなど出来ないものさ。オレは知ってるじゃないか、自分の叔母によって。
今は、ここから脱出することだけを優先しよう。
「……わかった。その方針で行こう。タクシー強盗だ」
「その言い方、やめて?」
「……わかったよ。それで、作戦とかあるのかい?」
「ううん。ありません。だって、私はおしとやかな大和撫子ですもん」
膨れっ面になりながら、自称・大和撫子はそう語る。
オレに消火器で怪物どもが消せると教えてくれたのは君だったのだがな。
……あまり虐めるのは良くないことだ。
作戦担当は、性格の悪いオレが行うとしよう。
「……ヤツに消火剤をかけられるようにしないとな」
「ガラス割っちゃう?」
「車のガラスを?どうやって?」
「そこらの石とか……」
「車メーカー勤務の意見としては、そんなもんでは割れん。専用の道具か、せめてハンマーぐらいの工具がいる」
常人離れの怪力ならともかく、一般人が車のガラスをそれらの道具無しで割るのは難しい。
「……じゃあ、どうするの?」
「客のフリして、ドアでも小突いてみるさ。古いタイプのタクシーだから、客席とドライバーの間に仕切りもない」
「……開けて、くれるかな?」
「タクシーだから、開けてくれるだろ。そのためにいるんだから」
「う、うん。だよね……?」
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「わかった。がんばって!」
雨の降りしきるなか、ネズミみたいに身を屈めながら、病院前の駐車場を駆け抜けていく……。
タクシーにたどり着く。歪んだナース・ドライバーはこちらに気づいていない。
ならば、試してみよう。開けてくれなかったら、何度も車を小突いて、車から出てチェックしたいような気持ちにさせればいい。
無反応だったら……?……工具でも病院に探しに戻るしかないかもしれないな。
とにかく。やってみるだけのことさ。
深呼吸して、オレは曲げた指を使い、後部座席のドアのガラスをノックする。
コンコン!
ガチャリ!……ロックが解除される音が響き、ドアが開いてくる。
『ごごぎゃががあ?』
どこに行くのか訊いてくれているらしいな、仕事熱心なドライバーを襲うのは気が引けるが……。
こっちも今は命がけなんだ。オレはタクシーの室内にめがけて、消火剤をぶちまけていた。
『ぎゃがごおおおおおおぉぉぉ……』
断末魔を響かせながら、歪んだナース・ドライバーは炭化したボロボロの欠片となって、崩れ落ちていく。
……初めてのタクシー強盗は、上手くいってしまったよ。
犯罪行為をしているみたいで、何とも心が苦しくなりはしたが。今は、何をしてでも生き残る覚悟がいるだろう。
……この雨のなかには、こんがり童子がいるかもしれないわけだ。本物の、邪悪な怨霊が……。
何より、オレは瑞穂ちゃんを守ると決めた。どんな悪行だって、してみせるよ……。