第三話 産まれてしまったからには。 その十三
「あそこ、何?」
素直に教えて上げるべきだろうか?……新生児室だよ、と?
迷っていると好奇心旺盛の女子高生は悟る。
「志郎お兄ちゃんの反応から察するに、素直に教えたら、私が怖がるよーな場所ってことっすね」
「……鋭いな」
「いいから、教えてよ?……なんか、ここからしばらく続くみたいだしさ。怖いものでも、何か知っていたら気が楽だし……」
本当にそうなのかな。
判断がつかない。うつ病は認知機能が下がって、判断力が低下するんだよ。
でも。
「仮にオレが瑞穂ちゃんの立場だったら、教えてもらわないと嫌だと思う。だから、教えるよ」
「……うん。その考え方、好きっす」
「……そりゃどうも。ここは、新生児室さ。つまり、赤ちゃんのたちのための病室ってところさ」
「…………うわ。ドン引きする。赤ちゃんのゾンビがいるの、ここ……?ていうか、私が見た、動くのって、そ、そうなのかな?」
ゾンビ?
ああ。歪んだナースとか、ゾンビなのか。言われて初めて気づいた視点だな。
オレは認知機能が低下しているようだ。たしかに、あのチェンソー女医も死体が専門だとか、そもそも腐乱死体どもも動いている。
「……ゾンビか」
「ちょっと、志郎お兄ちゃん、なに納得してるの?」
「いや、ちょっとな……でも、ここにいるのは、さっきの女医の話だと、失敗作のこんがり童子らしいな」
「……なんか、あのオバサンはそんなこと話していたけど、そもそも、こんがり童子って何なの?」
「オレの地元に伝わる妖怪さ」
「ゾンビの?」
「いや……家事で焼け死んだ子供たちの怨霊。親より早くに死んだから、地獄に落ちて永遠に苦しむことになった。子供や赤ん坊の姿をしていて、母親を求めてさ迷うんだ」
「……ちょっと、かわいそうな幽霊なのね」
「まあね。でも、抱きつかれたら……」
ベタベタベタベタ!
「ひいっ!!?」
その音と瑞穂ちゃんの悲鳴と共に、新生児室と廊下を区切るガラス窓には、無数の黒い顔と小さな手のひらが張り付いている。
真っ暗闇の新生児室の奥には、やっぱり失敗作のこんがり童子がうじゃうじゃといたらしい。
瑞穂ちゃんがその場にへたりこみそうになる。オレは左腕で無理矢理に持ち上げるようにして、彼女を歩かせる。
「ここで止まっていたらダメだ」
「う、うん……でも、お兄ちゃんスゴいね。今ので驚かないなんて……黒こげでグチャグチャだけど、顔だよ?手だよ?何十個も、あったんだよ?」
「……正直、慣れている」
「なれてる?」
「最近、うつ病のせいでずっと見えていた黒い影は、コイツらだったんだ」
「……や、やっぱり、取り憑かれてるじゃないの!?」
「言えてるね。否定するための言葉が、見つからないよ……」
「じゃあ、志郎お兄ちゃんはさ……こんがり童子に呼ばれたの?」
背筋にゾクリとした冷たい電流が走り、心臓が変な脈を打つ。
動揺しているようだ。認めたくないと拒絶していたファクトを認めさせられそうになったとき、人ってのは否認しようとする。
本心や理性に抗い、首を横に降るべきだ。己の心の平穏のために……。
でも、うつ病だからかな。それとも、瑞穂ちゃんが相手だからか……オレの首は素直な運動をしていたよ。
「……そう、かも。オレは、小守に戻るつもりもなかったのに……けっきょく、戻ってしまった」
「海岸に、たどり着いたものね……ひっ!」
ベタベタベタベタベタベタ。
歩き去ろうとするオレたちを追いかけるように、こんがり童子の失敗作どもがガラス板に黒こげの顔面と手のひらを押し付けてくる。
「瑞穂ちゃん、無視するんだ」
「こ、これをっすか!?」
「言い伝えだと、リアクションするほど取り憑かれる。遊び相手に認定されるらしい。こんがり童子は、孤独な怨霊だからな」
「そ、そうなんだ……厄介ね」
「ああ。しつこいよ。鏡とか、ガラスが好きらしい……」
あと、母親になってくれそうなやさしい少女も。
その言葉をオレは口にしなかった。瑞穂ちゃんを怖がらせるだけの情報にしかならないから。
「な、なにか話して」
「……オレは、瑞穂ちゃんの言う通り、こんがり童子に呼ばれたのかもしれない」
「……そ、そうかもね」
「だとすると、オレのせいで君を巻き込んだことになる……本当にすまない」
「そ、そんなことない!……助けてくれたし、それで、チャラだよ!」
その言い方だと、巻き込まれたことはマイナス要因としてカウントされているっぽい。
「……何があっても、瑞穂ちゃんを守るよ」
「……っ。う、うん……っ。ま、守って、志郎お兄ちゃん……っ」
ベタベタベタベタベタベタベタベタ。
こんがり童子の失敗作どもは、次から次にガラスに張り付いていく。
慣れてるオレともかく……瑞穂ちゃんは限界そうだ。
どうしよう?……頭を使え、そう心に命じた瞬間。ずっと後ろの方から、ガラスが割れる音が聞こえていたんだ。




