第三話 産まれてしまったからには。 その十二
分娩室から出たオレは瑞穂ちゃんの手を引いて、この場所からの脱出を開始する。
チェンソーによる手術音のせいで、オレたちの足音なんてかき消されそうだけど、それでも慎重に音を立てないように、歩いていく。
地下一階は、さっきよりも……明るい。分娩室からは、強い光が漏れているからか。
それに赤い非常灯もついている。
そのおかげで、壁に走る血管が増えていることも分かる……。
グロテスクさが、どんどん深刻化しているようだ。
オレの心は瑞穂ちゃんと合流することが出来たのに、さっきまでより荒れているのか?
……それとも。
……ここは、もしかして、オレの空想が生んだ世界ではないのか?
……では、ここは、どこなんだ?
……オレは、それを知りたがっている。さっき、あのチェンソー女医に質問したかったのも、その願望があるからだ。
彼女は、オレたちのことをあえて見逃してくれたように思えるしね……。
でも。悲鳴と、チェンソーの音が響いている今となっては、彼女に質問なんてしなかった方が良かったと考えている。
無言のまま、オレと瑞穂ちゃんは歩いた。
夏のはずなのに。この地下一階はやたらと冷たい。こんなに寒かったかな。
寒いからか、怖いからか、瑞穂ちゃんがオレに体を近づけてくる。
「……ここ、何なのかな……」
「オレも、分からないよ」
思わず認めてしまっていた。そう、それが本音。もう、何がなんだか分からないということを認めちまおう。
「とにかく、この病院を出よう。それが一番の解決策だと思うんだ」
「……うん。ここ、もう嫌だよう……」
いつもは強気で元気が有り余っている瑞穂ちゃんが、こんなに怖がって泣いていると、オレの心は締め付けられる。
守ってあげたいと願うが、この悪夢の病院のなかでは、出来ることはあまりにも少ない。
……なにか、ないのか?
己の無力さに歯がゆくなり、顔をしかめたオレの視界に、赤い光が闇の中に見えた。
消火栓だ。そして、古いタイプの火災報知器と……消火器だ。
「瑞穂ちゃん、消火器があるよ」
「ほ、ほんとだ」
一本だけだが、それでも無いよりマシだ。ここの怪物どもには、何故だか消火器がバカみたいに効果がある。
オレはさっそく、その消火器を回収する。右手でそれを掴み、左手で瑞穂ちゃんの手を握る。
紳士的な行為のつもりだし、オレ自身のためでもある。
瑞穂ちゃんの温もりを感じていると、がんばらないといけないという気持ちになるんだ。
でも、瑞穂ちゃんにはオレの手よりも消火器の方が心強そうだった。
ふう、とため息を吐いた彼女は、ついさっきよりも震えていなかった。武器があることは、人の不安を消し去るようだ。
少しだけ落ち着きを取り戻した瑞穂ちゃんは、いつものように好奇心を取り戻しているようだった。
「……でもさ、なんで、これが効くのかな」
「オレは瑞穂ちゃんに教えてもらった けど?」
「いや、この病院に迷い込んだ後、色々と逃げ回っていたんだけど、変なナースたちに囲まれてさ……そのとき、近くにたまたま消火器があったから、使ったんだ」
「そしたら、やつらがボロボロになったわけか」
「うん。効果テキメンだった」
「……大した行動力だよ」
「……最初は、夢だと思ってたから。なんかゲーム感覚みたいなところがあったの」
「なんか、わからなくもない」
オレもときどき、えらく客観的に自分を動かせる時があった。
うつ病患者とは思えない冷静さでね。ああいうモードに瑞穂ちゃんも入っていたのかもしれない。
躁病モードかと思っていたけど、違うのかもね。ヒトは追い詰められると、自分を客観視して操縦できるのかも。
どこか投げやりな感じで、とてもシャープに行動するのさ……。
その力を使いこなせると、この場も乗り切れるかもしれない。
難しいことだけどね。
とにかく、シャープに動こう。冷静に、どうじることなくーーー。
「きゃあ!!」
「ど、どうした?」
いきなり、瑞穂ちゃんの悲鳴に動じていた。夢穂ちゃんに抱きつかれたことも影響しているかもな。
「あ、あそこ、今、何か動いた気がする……」
瑞穂ちゃんは、大きなガラス窓で区切られた新生児室を指差していた。