第三話 産まれてしまったからには。 その九
「お、終わったよ……」
「……う、うん。ありがとう、助けてくれて」
瑞穂ちゃんは車椅子から立ち上がる。
オレがチラ見していたことやら、ときどき肌に指が触れていたこととか、今では彼女のシャツがズタボロな状態なのも気にしているかも。
顔が赤い。
胸元を隠そうとしている仕草が、愛らしくもあるが……オレは保護者として行動しなくちゃな。
上着を脱いで、彼女に手渡した。
「とりあえず、それ羽織ろうか?……汗かいてて悪いけどさ」
「ううん。いいよ。ありがとう」
そう言って彼女はオレの上着を羽織る。
心的な行動を取れたからね、少しだけ罪悪感が薄まるよ……ああ、それとスマホも彼女に手渡すバッテリーは切れているけど。
そして。
オレは彼女にねだることにした。
「……瑞穂ちゃん、変な意味じゃなくてさ。ちょっと抱き締めてもいいかな?」
「え」
「イヤならいいんだ。でも、何て言うかさ、瑞穂ちゃんを助けられたこと、確かめたいんだ」
「…………うん。いいよ、私も。抱き締められたいかも」
「……うん」
オレは腕を広げて、瑞穂ちゃんはそんなオレに近づいてくれる。腕で、抱き締めたよ。
悪意も欲も、この行動にはない。純粋に、この悪夢の世界で瑞穂ちゃんを見つけることが出来たことが嬉しくて仕方がないんだ。
「……ほっとする。君のこと、助けられてよかった」
「……ありがとうね。助けに来てくれて。こんな変なところまで…………うれしいよ」
そのまま、しばらく抱き合っていた。でも、だんだん二人して恥ずかしくなってしまい、どちらからともなく離れていたよ。
瑞穂ちゃんは、気まずさに耐えられないのと、胸のなかに秘めた大きな疑問を無視することが出来なくなったようだ。
オレの手を取りながら、じっと、こちらの目を射抜くような真っ直ぐさで見つめながら訊いてくる……。
「……あのね、志郎お兄ちゃん」
「……なんだい?」
「ここって、どこなの?」
「オレにも分からない。オレはここが現実じゃないと考えている」
「いやいや。現実じゃないなら、どこ?」
「……オレのうつ病が見せる、壮大な悪夢とか?」
「それに私がいるのは変でしょ?」
「……まあ、そうかもしれない。でも、これが現実に起こりえることかい?」
「そこは、わかんない。私も、これって自分の見てる悪い夢かもって思っていたけど、だんだん、そうじゃない気がしてきたの」
……わからなくはない。とても現実感があるからね。というか……まるで現実みたいだ。
「……ここ、どこだと思う?」
「病院……どこなのかは分からない。吉崎先生の病院の待合室で寝るまでは現実だったと思う。そこで眠ったら、全てがおかしくなっていた」
「じゃあ……ここは、本当に志郎お兄ちゃんの悪夢?」
「……そうだとしか、思えないからね。オレは幻覚まで見ていたうつ病患者だもん。こんな悪夢ぐらい見るかも」
「でもか。それに、私が巻き込まれてる?……科学的じゃないわ」
科学的?
オレをうつ病じゃなくて、悪霊が取り憑いてるんだと考えていた女子高生とは思えない発言だったね。
「……説明はつかないけど。この悪夢はオレの精神状態と連動しているところがある」
「どゆこと?」
「精神安定剤を飲むと、この病院の歪みがマシになる。だから、オレの空想の産物じゃないかと思う」
「……それでも、私は本物よ?どこの誰かハッキリ分かるし、志郎お兄ちゃんが知らない自分の秘密だって覚えてる。それは、どんな説明がつくの?」
「つかないよ。でも、こんなのが現実だとは思えーーー」
口論になりそうだったけど、その不毛な口論に水を差す形で会話は中断される。
『ぎゃがひひいいいいいいいいいいいいいいあいいいいああああっっっ!!』
「!?」
「な、なに!?」
車椅子に座らされた糸に巻かれた女の死体が叫び声を、上げながら、悶えて苦しむように身を動かしていた。
そして。その死体の腹が膨らんでいく。
こんがり童子が孵化したのか。彼女の腹がふくらみきったときーーー世界はさらに歪むんだ。
明かりが点滅し、音楽が始まる。
それは優しげな戦慄。癒しの楽曲とかで検索すればヒットしそうな音楽だ。
やさしいが、スピーカーが壊れているのか、ランダムに酷く耳障りな音が入ってくる……。
「これ、田園だ」
「え?」
「この曲、ベートーベンの田園……音飛び酷いけど」
「……それで?」
「ううん。それだけしか分からないけどーーー!?」
隣の部屋でものすごい量の足音が聞こえてくる。オレと瑞穂ちゃんは怖くなった。歪んだナースの大群に襲われたら?
危険過ぎる……廊下からも、足音が聞こえてくる。まずい、逃げ切れない。
「どこか、隠れられるところは?」
「志郎お兄ちゃん、あそこにソファーがある。下に、隠れられそう」
対面式の広々としたソファー。その下には確かに無理矢理持ち上げたら潜り込めそうな隙間がある。
……他には隠れられそうなところはない。オレと瑞穂ちゃんは、そこに隠れることにした。




