第三話 産まれてしまったからには。 その七
『ひゃひにひにひにひにひにひにににひひひいい!!』
無数の中年男どもの口が、謎の言葉を合唱させているようだ。
本当に不快な音をさせやがる!それに、この口臭も気分が悪くなる!
腐敗した悪臭が背中から漂ってくる。
本当に気分が悪い。だけど、舐めるな。消火剤を浴びれば崩れるような、下らない妄想ごときが!
オレは蜘蛛の脚をつかむ。つかみたくないけどつかむ!そして、そのまま壁に向かって自分の背中ごと化け蜘蛛を叩きつけてやった。
『ぎゃがひひい!!』
痛むらしい。コンクリートの壁だもんな。オレだって痛いもん。
でも、オレよりも蜘蛛のほうが痛いさ。蜘蛛なんて虫だ。対して頑丈じゃない。
オレは二度、三度、四度と、背中に張り付いてきた化け蜘蛛をコンクリートの壁に叩きつけていく。
『きゅうううううう!!』
甲高く鳴いた化け蜘蛛が、オレの背中から外れていたよ。
そのまま、そいつは床を這って逃げようとする。カサカサと反対側の壁に上ろうとするが、脚が何本か折れているのと……。
ぶちゃりと割れてしまっている丸い腹から内臓が垂れているせいで、上手く動けないようだな。
上れない。焦っているのかもしれない。空回りして、カサカサカサと、壁をヤツの脚先がこすり、滑っていく。
生かしておくわけにはいかない。こいつは危険だ。こんがり童子を増やそうとする。
オレは床に転がる空になった消火器を持ち上げて、逃げようとするそいつに近づいていく。
弱った蜘蛛は、動きが悪かった。
オレに背中と、背中にもある中年男の顔を見せながら、上れない壁に上ろうとカサカサと脚を動かしている。
逃げないなら、仕留めてやる!!
振り上げた消火器を、思い切り振り下ろす!!
ぐちゃり!!
不気味な音と、指に感じる蜘蛛の腹が潰れる感触。
そして、飛び散る緑色をした蜘蛛の内臓……それの悪臭。
味覚以外のすべてで、ヤツはオレに不快な感覚を与えてきやがる。
不快になるが、それでも攻撃は続ける。
何度も何度も消火器を叩きつけていき、オレはその化け蜘蛛を撲殺していた。
殺し終えた化け蜘蛛は、痙攣しながら八つの脚を丸めていく。
無数の男たちの顔面は、口から緑色の内臓の一端と、蜘蛛の赤い血を垂らしながら、やがて煙を吐き始めた。
ヤツに滅びが訪れる。
死んだ化け蜘蛛は、燃え尽きたゴミのように、ボロボロと墨の色をした欠片になりながら、消滅していくのであった……。
戦いは終わったよ。
オレの勝ちだ。
ざまあみろだぜ、くそ蜘蛛が。
勝ったと思うと、気が抜けた。そして、身体中に新鮮な痛みが走る。
ヤツごと壁に背中をぶつけたことによるダメージと、全力で消火器を振り回したことの反動が来ているのさ。
アドレナリンが消費されて、戦いのための脳内麻薬の効果が消えたのか。
人は戦うようには出来ちゃいない。戦うことはゲームや空想とは異なり、体力も精神力も大きく消費するのさ……。
でも、いいよ。
勝利の報酬は手に入ったんだから。
「志郎お兄ちゃん……っ」
瑞穂ちゃんは無事だった。無事だったと思う……とにかく今は、彼女の拘束を剥ぎ取ってあげなければ……。