第三話 産まれてしまったからには。 その六
陣痛室から入るよ。ここがあのリネン室の真下にあたるはずだから。
もしくは分娩台に座らされた瑞穂ちゃんを見たくないからかもしれない。
「瑞穂ちゃん!!」
暗がりにそう叫ぶ。暗がりのなかに、何かが蠢いた。あの化け蜘蛛がいる。二匹か三匹か。
どれもが糸を何かヒトの形のしたものに巻き付けている最中だった。
女の死体を保存しているのか?
知ったことか。どうあれ、全部、殺してやればいい!!
恐怖も嫌悪も怒りの前には消え失せる。
死ね!!死ね!!死ね!!口汚く攻撃的に叫びながら、オレは身体中におっさんの顔面がある化け蜘蛛に消火剤をぶちまけてやった。
相変わらず消火剤の殺傷力は強い。女の腐乱死体に糸を巻き付けることに必死になっていた蜘蛛どもも逃げることは出来なかった。
すぐに三匹ともボロボロのゴミくずにしてやったよ。
「……瑞穂ちゃん」
オレは探すんだ。瑞穂ちゃんを。化け蜘蛛が糸を巻き付けていたモノを確認していく。
「……っ!?」
一人目は、看護師の腐乱死体だった。髪の色は茶色だし、ナース服を着ている。
目は死んだ魚のそれみたいに、薄灰色によどんでいるし、目の端には腐敗した体液なのだろう、黄色い膿の涙が垂れている。
あまりにも凄惨なその姿を、長く見る勇気はわかない。
吐き気を催して、薬を吐いてしまうのも勿体ないからね。
オレは二つ目に向かう……糸に顔が覆われている。
指を使い、その糸を剥ぎ取る。一階でのトラウマを思い出すよ、あのときは……腐乱死体の頭皮を髪ごと剥いでしまったもんね……。
いいさ。どうとでもなれ。オレは糸を引っ張った。髪は指に挟まないように注意はした。
腐乱死体とは言え、妄想の産物とは言え、女のヒトの体を崩す行為をもう一度しようとは思わない。
ビリビリビリと、糸が千切れていき……オレは見知った顔と出会う。
「瑞穂ちゃん!!」
「……う」
オレの驚いた声に、瑞穂ちゃんは反応してくれた!!
良かった、生きていてくれた!!この悪夢に囚われてから、唯一の良い出来事だ!!
オレは瑞穂ちゃんに呼び掛けながら、彼女を車椅子に縛り付けている糸を引き剥がしていく。
そして、指が違和感を感じ、ビリリという音が聞こえる。
トラウマがよみがえったよ。
瑞穂ちゃんの皮膚を、オレの指が剥がしてしまったかもしれないと……。
恐る恐る、オレは右手に視線を向けるんだ。
そこには、水色の布があった。
瑞穂ちゃんの皮膚じゃなくて本当に良かった。でも、それは瑞穂ちゃんの上着の一部だ。
この糸は、服を溶かすのかもしれない。薄い夏服といっても、こんなに簡単に破けたりはしないはずだし。
溶ける?
なら、瑞穂ちゃんは?彼女の皮膚は火傷したりしていないのだろうか!?
怖くなり、瑞穂ちゃんの体を確認する。引きちぎってしまった水色のシャツを、少しめくる。
……日焼けした陸上部員の肌と、日焼けしていない、瑞穂ちゃんの白くて繊細な本来の色をした肌が見える。
そして、わずかな膨らみを守る、赤い小さなリボンのついたブラジャーも……。
「志郎お兄ちゃん……?」
粗相を指摘された飼い犬みたいに、オレはビクリと体を震わしていたよ。
悪意を由来とした行為じゃないけど、縛られた女子高生の服をめくり、肌を観察するなんて犯罪的な行為だもんな。
「これは、その」
見苦しくも言い分けしようとする。
しかし、瑞穂ちゃんの顔が青ざめていく。お兄ちゃんにドン引きしているのかもしれない……。
だが。
幸いなことに、そうじゃなかった。
「お兄ちゃん!!後ろ!!蜘蛛がいる!!」
不幸なことに、蜘蛛はもう一匹いたらしい。そいつが、オレの背中に飛び付いて来たんだよ。
首の左右から、毛の生えた巨大な蜘蛛の脚がオレに絡み付いてくる。
恐怖と、嫌悪と……怒りが湧いてくるのが分かったよ。オレは、蜘蛛が世界で一番嫌いなんだぞ!!!!