第二話 悪夢は雨の日に産まれた。 その十
オレは血管の走る病院の壁から、2本ほどの消火器を見つけた。
消火器を固定器具から抜き取り、瑞穂ちゃんが閉じ込められているリネン室に向かう。
しかし、消火器で退治出来るのなら、もしかしたらスプリンクラーとかでも怪物どもを消し去ることも可能なのかな……?
映画とかでは、ライターなんかでスプリンクラーを炒めていると、水が吹き出すけど。
有効かもしれない。
そう思うと同時に防火シャッターが目についてしまった。
火災の時は、いきなりアレが落ちてくるのかな?……だとすると、閉じ込められる可能性もある。
それは避けたいことだ。オレの妄想の産物であるこの病院は、おそらく悪意のままに機能しそうだ。
うつ病の影響なのか、シャッターがギロチンに見えてくる。
あそこの下をくぐるときは、動物みたいに素早く走ろう。
……魔法の薬が効いているのか、オレは歪んだナースに遭遇することもなく、しばらく平和な病院探検を行えた。
血管が走る壁紙にも慣れ始めた頃、階段が見えた。
瑞穂ちゃんが即答した目印。あの階段の右側の突き当たり、そこを左折した通路に、リネン室があるはずだ。
つまり、たくさんの歪んだナースとか、他の存在たちがいる場所……。
消火器を抱えて、安全ピンを引き抜く。
その場所に近づいたとき、オレはこの悪夢のルールにまた一つ気がついていたよ。
歪んだナースどもが多くいる場所に近づいてしまうと、この世界は暗くなるらしい。
蛍光灯の光量が下がり、寿命が尽きる寸前みたいに明滅を繰り返し始める。
……じゅる、じゅる……。
粘液質なものがうごめくような音が聞こえてくるんだ。
影じゃなくて、おそらく歪んだナースが『実体化』してるんだろう。
ここじゃない場所には、歪んだナースはいない。黒い影がうろつくぐらいのものだ……。
ここは他とは違う……瑞穂ちゃんがいるからかな?
……そこのところまでは分からない。でも、暗い場所に行かない方が良い気はする。暗がりには、彼女たちがいるんだろうさ。
ぺちぺち……ぺちぺち……。
歪んだナースどもが、壁を叩いている?やたらとソフトに。ドアは開けられないのか。人には動物然とした勢いで飛びかかる元気があるのに?
でも。どこかの部屋に入れば、追跡をかわせるということかも。
まあ……この病院の部屋になんて、絶対に入りたくないけどね。瑞穂ちゃんは、本当に勇敢な子だ。
足音を小さくする。子供の頃の遊びみたいに。気配を消して、歪んだナースどもがいる場所に近づいていく。
近づいて、いきなり消火器を噴射してやるんだ。
そうすれば、あいつらを退治出来る。かんたんさ、要は、ゴキブリに殺虫剤をかけるようなものでーーー。
ーーーじゅるり。
粘液を帯びたモノが動く音が聞こえて、廊下の角から平たいモノが伸びてくる……っ。
それは、なんというか……潰れた若い男だった。押し潰されたみたいに平たく、その表面は体内からあふれ出た黒っぽくなった血液に汚れている。
その平たい男の表面の血液は、彼を移動させる能力もあるようだ。
ミドリムシの蠕動運動というか……平たく伸びきった体を、アメーバーみたいに這わせている。
そいつは、壁を這っていた。明るい灰色に脱色された髪と血だらけの顔が、平面上の体で必死にずれるように歪み、こっちを向いた。
目が合ってしまった。
「かききききききききゃいいいいいいいいいいいい!!」
平たい男は奇声を放つ。平たいから、よく反響するのだろうか?音は圧波だから?
科学も物理も、悪夢の産物には効かないさ。効くのは、とりあえず精神安定剤と、消火器の粉ぐらいだ。
平たい男に対して、消火器を噴射する!!
白い粉を浴びた平たい男は、瞬く間に沈黙し、その薄べったい体をボロボロと崩していく。
壁に血とか、はらわた……みたいなものを残しながら、若い男は悪夢の底に溶けていく。
臭いにおいを残しながら、彼は消えて。彼の残した叫びに呼ばれた歪んだナースどもが、次から次に廊下の奥からわいてくる……。
オレは消火剤を彼女たちにかけて、仕留めていく。
怪物とはいえ、女の形をしたものがボロボロと崩れて、不快な悪臭を放ちながら溶けていく光景はグロテスクだ……。
吐き気を催す。溶け合いながら、ぐちゃぐちゃに混じった歪んだナースどもの手足が、痙攣する瞬間を目の当たりにするとね。
彼女らは痙攣する度に、裂けた腹から未熟なこんがり童子を吹き出しもするしな……。
千切れて溶けかけの赤子の肉が飛び散る様を見ていると、吐き気が込み上げてくる……でも、吐かないようにする。
薬がもったいない。さっき飲んだばかりなんだから、そう何度も吐いてたまるか。あと、四つしかないんだからな……。