第二話 悪夢は雨の日に産まれた。 その八
床に座り込んだまま、力なくうなだれる。
気力が消え去り、何も考えられない。
もうイヤだ。
こんな悪夢、終わればいいのに……いや、オレなんて、もう死ねばいいのかも?
叔母みたいに狂って、そのうち、家に火でもつけるかもしれない。
そんな迷惑なヤツ、生きてる価値もな……っ!!
スマホが震えていた。
こんなに落ち込んでいるのに、習慣とは怖く、反射的にポケットからスマホを取り出す。
メッセージが届いていた。
死んで腐ったはずの瑞穂ちゃんからだ。
『さっきより、数が減ってる。でも、まだいるから、早く来て!!』
……どういうことだろう?
支離滅裂だ。だって、瑞穂ちゃんはここにいるじゃないか、臭いにおいをさせながら…………いや。待てよ。
「彼女は、別人なのか……?」
糸におおわれた死体を見る。
頭はグロすぎて見たくないから、他の場所を見た。
足元だ。糸はどんどん薄くなっている。蜘蛛が死んだからだろうか……理由はともかく、彼女の脚の先が、糸から解放されていたよ。
そこにあるのは、白いサンダル?……無地で、何とも味気のない色合いだが、どこかで見覚えがある。
看護師用のスリッパだ。真っ白なそれを、腐乱死体の長い脚が履いている。
「別人だ……別人か……よかった」
……いや、亡くなられた方には申し訳ないが、良かったと心から思ってしまう。
瑞穂ちゃんじゃない。悪夢の中でだとしても、瑞穂ちゃんには、死んでほしくない。
よかった。
よかった。
よかった。
…………でも、急がなくちゃ。瑞穂ちゃんの回りには、まだあの歪んだナースたちがいるのかもしれないーーー。
バキリ!!
「っ!?」
何かが折れるような音がして、音が聞こえた方向に慌てて視線を向ける。
それは、あの死体だった。
腐乱死体の体が、その上半身が、大きく前のめりに曲がっていた。あれは、きっと、背骨が折れる音だった。
そして、変異は始まる……死体の腹が、瞬く間に膨らんでいくのだ。
オレは、狂気の産物が生まれる瞬間を目撃していることに気がつく。
歪んだナースは、こうやって生まれるのだ。
全ての彼女たちがそうなのかはまでは断言できないが、一つの製造方法がこれなのだ。
あの蜘蛛は女の死体の腹に、黒い赤子を産み付けるのかもしれないーーおぞましいことだ。
考えたくもないが、外れていないかもしれないという確信がある。これは、オレの悪夢だ。
だから、オレの考えは当たるような気がする。全ては、オレの狂った心が見せている偽りの現実に過ぎないのだから。
ビリビリビリビリ!!
「……!!」
まずい。
歪んだナースが産まれようとしている。化け蜘蛛の糸を内側から引き裂いて、彼女は甦ろうとしている。
困った。
今は手元に消火器がない。消火器がないぞ。
どうする?走って逃げようか?……それとも、さっきの嘔吐で魔法の薬を吐き出したと想定して、もう一錠、飲んでおこうか。
安定すれば、この狂った世界も歪みが消える。ちょっとはマシになるんだ……。
そもそもだが、悪夢のなかで薬をいくら飲んでも、飲み過ぎになんてならないんじゃないか?
それだけが怖かったけど、問題ないのなら、予防的に使っておこう。
オレが落ち着けば、瑞穂ちゃん周りの状況も改善されるようだしな。
それに、今にも目の前の歪んだナースが飛びかかって来そうだし…………迷いは消えていた。
一錠ほど口に入れる。奥歯で噛んで、飲み込んだ。歪んだナースが暴れるのを止めて、消滅していく。
驚くほどに効果的だ。点滅して消えそうだった灯りも、取り替えたばかりの新品みたいにリネン室を照らしている。
名医がくれた魔法の薬は奇跡の薬効を与えてくれるな……。
あと、四つしかないけど、まあ、しばらくは大丈夫なはずだよな。




