第一話 海へと向かう。 その六
瑞穂ちゃんからすると、細かなことなのかもしれないけど。
オレからすると小守に戻るのは、とてもイヤなことだった。
小学校、中学校とろくな思い出がないからな。叔母は魔女扱いされていたし、その甥っ子のオレは邪悪な存在。
子供は残酷で、悪口を使うことで意思を重ね合わせるんだ。そして仲良くなる。悪口は皆の心を繋ぐんだ、犠牲者を出しながら。
色んなことをされたっけ。
悪口に、SNSでの不快な書き込み、どこで見つけて来たのか、叔母の起こした火災事故の記事を張り付けたり……無視され、石を投げつけられることもある。なんともまあ、惨めなもんだったよ。
ああ……うつ病がやって来るかもしれない。
でも、うつ病と関係無さそうな瑞穂ちゃんはワクワクしてる。
「小守町海水浴場良いじゃん!比較的遠浅で、貝も掘れるとか?叔父さんのお土産だー」
「……貝なんてすぐ痛むから、ダメだよ」
「そっかー。じゃあ、かわいい姪っ子にゆるキャラのキーホルダーとか探したい」
「そんな気の利いたものはないよ。ひとしきり泳いだら、素敵な温泉旅館に連れていってあげる」
「おー、やっぱり泊まるんだ」
「オレはサウナつきのカプセルホテルを探します」
「いやいや、そんなことしなくても大丈夫っすよ。さっき、ホントのお兄ちゃんみたいだったし」
「なんのこと?」
「守ってくれた」
「え?」
「急ブレーキかけたとき、腕で支えてくれたもん、志郎お兄ちゃん!」
「ああ、ホント、そういうこと出来て良かったよ……」
……そうか、オレも、ああいうことが出来たんだ。自然に、誰かを守れることが……。
「なんか感動しちゃった!ナイトさまだよ!友達に報告しよーっと!」
「……うつ病野郎がヒト轢きかけて急ブレーキ。怖い報告だな」
「あはは!後ろ向きなんだから、志郎お兄ちゃんってば」
うつ病ですからね。そう答えることもないままに、オレは運転に集中することにした。
黙りこくって60キロをキープした。田舎道では遅いって言われる速度でね。いいのさ、これなら事故を防げる。50キロにしても良いかもしれない。
安全運転を心がける。ナイトごっこで済めばいいが、ホントの事故は笑えないからね。
しばらく車を走らせて、やがて海についたよ。
……ついたけど、どんどん曇っていく。
駐車場で車を降りた瑞穂ちゃんはガッカリしていた。
「今にも雨が降りそう……それを見越してか、地元民いなーい!!」
海には誰もいなかった。夏休みなのに。車1台いなかった……。
スマホを見ると……天気予報では晴れ。だが、雷雨にもなりそうなほどに、暗く、黒い雲はどんどんと大きくなっていく。
オレだけでなく、オレの田舎も狂っているのかもしれない……。
「宿に向かおう。途中で、カラオケでもゲームセンターでも買い物でも、買い食いでも映画でも、時間を潰すものぐらいはあるよ」
「水着は温泉の中だけかー……残念!だけど、いいや、高級旅館の二泊!明日はたぶん、晴れるし!」
前向きな瑞穂ちゃんが駄々をこねなくて良かった。
さて、とっとと故郷から離脱しよう……そう考えた矢先、大きな叫び声が海の家から聞こえてきた。
「ちょっとー、お客さーん!!」
六十代ほどに見えるおばさんが、大慌ててでこちらに向かって走ってくる。
「ちょっと!!いかないで、お願いがあるんだよ!!」
オレはその人物に向かって歩く。厄介ごとに巻き込まれそうな予感しかしないけど、これを断れるほどオレはイヤな奴じゃない。
「……どうしたんですか?」
「あれ?あんた、結城さんのところの?」
オレにはわずかしか見覚えがないが、海の家のおばちゃんはオレを知っているらしい。正確には、おそらくオレの両親だろうが……。
「ま、まあ、それはいいんだ。ちょっと、手を貸してくれないかい?」
「おばさん、どうしたんです?」
「それがだね、妊婦さんがいるんだ」
「妊婦……?」
「出産が間近だから、帰省してたんだが、いきなり産気付いて」
「大変、救急車!」
「それが、高速の出口で事故があったみたいで……そっちに、救急車が出払っているって」
「彼女はどうやってここに?」
「バスだよ、まだ、一ヶ月は産まれない予定だから、遊びに来てて……と、とにかく、車を貸してくれないかい!?彼女を、小守の……吉崎先生のところの産婦人科に運びたいんだ。先生は、診てくれるって!!」
大変なことだ。うつ病のオレには、本当に大変なことだけど、やるしかないから、やることになる。
「わかりました。とにかく、海の家に車をつけます。瑞穂ちゃんは、おばさんを手伝って」
「う、うん!どーにか、がんばる!」
車に乗る。ストレスが強すぎて、幻覚を、見ている場合じゃない。
除霊珈琲豆じゃたりないから、名医から頂いた魔法の薬を一錠取り出して噛み砕く。
車を動かして、海の家に横付けするギリギリの距離で。
妊婦さんが、出てくる。おばちゃんとパニックになりそうな瑞穂ちゃんに付き添われて。
後部座席のドアを開ける、瑞穂ちゃんは素早く乗り込み、妊婦さんの手を取ってあげた。
三人が後部座席に乗り込み、オレはエンジンをかける。ストレスでいっぱいだが……魔法の薬に頼るしかない。
「行きますよ!」