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第46話 秘密の暴露

「その週刊誌には、当時の迅兄さんのプロフィールみたいな物が、物凄く興味本位で書かれている。名前は伏せてあっても、超有名校の理事長の息子とか、算数オリンピックのファイナリストなんて記事が載った日にゃ、自衛隊機に民間機をスクランブル攻撃させようと目論んだ末恐ろしい小学生が誰かなんて、世間には一目瞭然だったんじゃないの」


 その記事は、迅にも覚えがあった。というより、父と母が離婚を決める前にやった凄まじい喧嘩の原因は、その記事によって、自分の子供が“触法少年”だと世間に知れるのを恥じた父と、その父をなじる母のぶつかり合いだったからだ。


「こんな物は、もう二度と見たくもないよ」


 週刊誌を開こうともせず机に放り出した迅に、ちらりと目を向け、つばさは、

「……でね、話をCDROMのパスワードが何だったかっていう事に戻すと、多分、迅兄さんには、その答えが分ると思うんだけど」


「……どうして、俺に答えが分るんだ。お前の言ってるが、俺にはさっぱり理解できないよ」


 そぅかなと、つばさは軽く笑みを浮かべる。


「なら、僕がその文字を教えてあげる。このCDROMをプロテクトしていたパスワード。それは、英語の6文字


 “GIFTED”(ギフテッド)だ。

 

 それでも、迅兄さんは、何もわからないなんて、白を切るつもりなの?」 


「……」


「週刊誌の記事の終わりに、算数オリンピックのファイナリストになった、その小学生は、わずか6歳で、国際数学オリンピックの問題を解いてしまったと書いてある」


 返す言葉が見つからない様子の義兄の方向に、つばさは、さらに別に用意しておいた、コピー用紙を差し出した。


「これは、まだ、迅兄さんに見せていなかった“鑑別報告書”の写しなんだけど、“身体調査、行動観察、心理検査、知能検査”の4つの項目のうちの“知能検査”の欄をちょって見てみてよ」


 そのコピー用紙には、次のような文章が書かれてあった。


 闇雲迅(9)

 【知能検査】


 図形・数学などを用いた理数的な問題からなる検査を主体とした「一般知能検査」を実施。

 その結果、この少年においては、精神年齢÷生活年齢×100で算出したIQ数値が、稀有であり、その後、被験者と検査官が1対1の相互で対話しながら検査を行う「個別的検査」を実地。

 この検査結果は、あくまでも、被験者の少年が一般と比べてどの程度の知能レベルを持っているかの目安であり、この結果が100%、少年の資質を表すものではない。


(検査結果)



 闇雲 迅(9) 知能指数(IQ)180



 手渡されたコピー用紙を握り締めたまま、迅は沈黙している。そんな義兄の様子に苛立った、つばさは、もう、どうにも我慢ができない様子でこう言った。


「よくも今まで、天才児やら何やらと、散々、僕の事をこき下ろしてくれたね。僕が、巷で3万人に一人しかいない、IQ160以上の天才児ギフテッドって言われてるなら、“IQ180”! ……この数字を迅兄さんは、どう説明するつもりなの? まさか、自分の事は知らぬふりをして、ずっと、このまま、僕を ”天才児” 呼ばわりし続けるつもりだったんじゃないだろうね。今日、僕が、一番、聞きたくて、言いたくて、たまんなかった事。それを今、ここで、あんたに教えてやるよ!」


 つばさは、心の丈をぶちまけるように義兄を指差し、叫んだ。


「迅兄さん、あんたも “GIFTED”(ギフテッド)だ! それも、3百万人に一人しかいない、誰も文句の言いようのない、僕なんかより、数百倍も“完全無欠”な!」


 奇妙が沈黙が、二人の間に流れ出した。


 その空気に耐えかねたのか、迅は、

「つばさ……“数百倍も完全無欠”っていうのは大げさすぎるよ。それに、俺は、自分の事を棚に上げてお前をこき下ろすなんて、そんな真似をした覚えはないんだけど……」


「してるよ。だって、何かにつけて、お前は天才児だからとか、扱いにくいとか、性格が悪いとか。けっこう、そういう発言に僕は嫌な思いをしてるのに、迅兄さんは、ちっとも気づいてなかったじゃないか」


 性格が悪いと言った覚えは本当になかったのだけれど、義弟にそう言われてみると、確かに迅には返す言葉がなかった。


 外に雨が降り出したのか、窓ガラスにぱらぱらとあたる雨の音が、やけに耳に響いて仕方がない。

 迅は、義弟から視線をはずし、彼に言わねばならない言い訳を脳裏の中で色々と模索してみた。だが、ようやく、彼の口から出た言葉は、


「つばさ、お前って雨の音を邪魔に思った事ってないのか」

「雨の音?」

「普段は、気にもかからない普通の音が、こんな時には、すごく強引に頭の中に入ってきて、内側が、その音でいっぱいになってしまうような感じだよ……お前は、よく言ってるよな。“僕は耳がいいからって”それって、俺の不快な感じとはまた違ってるのかな」


 つばさは、父の机の後ろにある窓に目を向けてから、そちらの方向へ歩いていった。

 窓を開いてみると、銀杏の木にあたった雨が、黄色く色づいた葉の上で光っている。ちょっと外の音に耳を傾けてから義兄に言う。


「程よい、ピアニシモって感じかな。街路樹を根こそぎ、なぎ倒す暴風雨って言うんなら、話は別だけど、こんな小雨なら邪魔にも思わないよ」


 迅はほんの少し笑みを浮かべた。


「つばさ、“ギフテッド(Gifted)”って、言葉の語源をお前は知ってる? それって、贈り物を意味するギフト(gift)から来てるんだ。早期教育などの後の努力によってできあがった優秀な子供(ハイーアチーバー(high- achiever))とは違って、生まれつきに超優秀な能力 ― 神あるいは天から与えられた贈り物、すなわち “ギフト”― を身につけた子供の事をそう呼ぶんだよ。ところが、このギフトを持つ人間だからといって、いい事ばかりとは限らない……」


「それって、“OE”の事? 迅兄さんを、児童自立支援施設に5年間も拘束した原因の」


「そう。お前、さっき、言ってただろ“俺が、“OE”なんて酷い状態に陥ってしまった原因、それは、両親の不和が引き金になったなったけじゃなくて、その根っこは、もっと深い所にあったんじゃないか“って。精神科医になりたいって、勉強を始めた今だからこそ、自分の事をこんなに客観的に言えるんだけど、”OE”は、神経の感受性が通常の人間よりも強すぎる、ギフテッドが陥りやすい症状の一つなんだ」


「でもさ、僕は光が嫌で、お天気の日を嫌ったり、暗い所に閉じこもったり、物の音が脳みそに染み込んできたり……吸血鬼じゃあるまいし、そんな事はないけどなあ」


「吸血鬼の脳に、音は染み込まないと思うが……、つばさ、俺はお前がつくづく羨ましいよ。お前って本当に((健全な))ギフテッドなんだな。ポーランドにドンブロフスキって心理学者がいたんだが、彼はその著書の中で、“強いOEを持つ人間は最高にハイな気分とどん底に沈み込む気分両方を味わう可能性があり、決して楽な人生ではない”と記述してる。彼は、このOEの事を“悲劇的なギフト(天からの贈り物)”と呼んだんだ」


「悲劇的なギフト?」


「そう。少年鑑別所で出された結果だけ見れば、俺は確かにギフテッドの部類に入る人間なのかもしれないが、その天からの贈り物は、俺にとっては、まさに負の“悲劇的なギフト”としか、思えないんだよ。児童自立支援施設を出て何年もたった今でも、不意に襲ってくる光や音の刺激は、辛くてたまらないし、それに、いつまでも記憶している文章や言葉や、考えるまでもなく解けてしまう数式を前にして、俺は自分の事が嫌になってしまう事がよくあるんだ」


 つばさは少し首をかしげた。


「それって、困る事なの? 難しい数式が考えなくても解けてしまうのが嫌だなんて言ったら、留年寸前のクラスの誰かさんに恨まれる……」


 ……と、そこまでを口にした後で、つばさは、なるほどと、


「そういう事か。要するに、迅兄さんは、、他の人と“違う”“変わっている”って思われたり、妬まれたりする事が嫌なんだね。でも、もともと、ギフテッドっていう人間は、他とは違ったレベルに生まれてきてるんだから、それは悩んでも仕方のない事なんじゃないの」


「けれども、この社会の中で、そんな言い分が受け入れられていると思うのか。やれ、天才やギフテッドやと、口では上手い事を言っていても、結局は、一般大衆に同化できない人間は疎外されて、心理的な圧力を受けてしまうんだ」


 つばさは、ちょっと、黙り込んで義兄の言葉について考えてみた。確かに、信頼していた山根昭が自分の事を疎んで、大学の研究室の窓から突き落とした犯人だと気がついた時には、哀しくて目の前が真っ暗になってゆくような気がした。それでも、自分自身が嫌になってしまう……そんな気持ちを持つ気にはなれなかった。


 迅の顔を横目でちらりと見る。


 心なしか青ざめていて、ちょっと哀しいような気分になってきた。だって、いつものスナフキンなら、つばさがどんな突っ込みを入れたって、涼しい顔でかわしてゆくのに……。そう思うと、今度は、腹立たしいような気持ちが胸に湧き上がってきた。


「だから、迅兄さんは自分の事を哀れんでるわけ? 自分が他人と違うから? 人より優秀すぎて、みんなが妬むから? 結局、それって、自分が他よりよく出来すぎて困るって、誇示したいだけのうぬほれじゃん! おまけに世間を騒がす事件まで起こして、どうにか、みんなの関心を引こうとするなんて……その当時は、まだ小学生であったとしても、それを大学生の今になってまで引きずって山に篭ろうっていうんだから随分情けない話だよな」


「……」


 硬く口を閉じ、自分を睨めつけている迅に向かって、つばさは、


「僕から言わせれば」


 深く息を吸い込んでから、吐き出す息と混ぜこぜにして、こう言った。


「((馬っ鹿))じゃないの!」


 その瞬間、つばさの体が後ろに大きく弾き飛ばされた。本棚に強く叩きつけられ、背中に走る痛みに顔をしかめた時、咽喉もとに迅の右手が伸びてきた。


「減らず口をたたくな! 誰が好んでEDなんかになるものか! 分ってるぞ。お前だって実はまわりに気を使って生きている。それを隠すために、いつも、へらへらと笑って飄々とした態度を取ってるんだろ。昭がお前を窓から突き落としたと分ったときに、大泣きした態度は何だ? くるみに、他と違うと指摘されて黙り込んだのは何故だ? お前だって、感じてるんだろ、俺と同じ世間からの疎外感を!」


「迅兄さん……そんなに手を強く押し付けないでよ。息ができなくなる……」


「このまま、咽喉を締め上げて、二度と生意気な口を聞けないようにしてやろうか」


 つばさの咽喉を今にも握り締めそうな義兄の瞳には、困惑と憤りの間で揺れる不安定な精神状態がありありと見てとれる。明らかに普通でない状態の迅を目前に、つばさは、


 ヤバイっ……。これは、何とかしないと、本当にヤバイ。


「兄ぃさん……、ちょっと、この手をゆるめてよ。棚の上から本が落ちてくる」

「見えもしないのに、いい加減な事を言うな」

「聞こえるんだ、本が微妙に動く音が」

「お前は耳がいいからか。まるで、超能力だな。他人に聞かれたら、気持ち悪がられるぞ」

「失礼だなっ、個性だって言ってもらいたいんだけど……それに、僕はこんな所で絞殺死体になるわけにはゆかないんだよ」


 迅は皮肉な笑みを浮かべて言う。


「それもおもしろいじゃないか」


「駄目だよ、駄目、駄目……」


「俺は、別にかまわないけど」


「だって、そんな事になったりしたら……」


 つばさは、この時ばかりは、真剣に目を潤ませて断言した。


「くるみが一人になっちゃうんだ」

 

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