表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/51

第45話 OE(過度激動)

「このお話は、まだ、迅兄さんが闇雲姓だった頃から始まります」


 つばさは、すぅっと息を一つ吸い込む。


「小学3年生の闇雲やみくも はやて君は、学校にあまり友達がいませんでした。その上、家でも、迅君のお父さんとお母さんが喧嘩ばかりしていて、彼はとても孤独でした。その結果、学校にも行かず、まぁ、今で言う“引きこもり少年”になってしまいました。ところが、迅君が他の少年と違っていた事は、彼がもの凄く賢かったという事です」


 ちらりと、義兄の顔を見る。相変わらず表情は変えぬまま目だけがやけに鋭く、つばさを見据えている。


「それから?」


 やっぱり怖い。こんな事、べらべらと本人を前に暴露しても構わないのかと、胸はどきどきのしっ放しだ。けれども、心と裏腹にどんどん大胆になってゆく、自分の口を止める事ができない己の性格を、つばさはちょっと、恨んでしまった。


「まず、彼がやってしまったのは、パソコンから入手した、国家公安委員会のメンバーの名前を世間に流失させる事でした。それで警告を受けたにもかかわらず、次には自衛隊の通信機器に不正にアクセスし、自衛隊機に民間機へのスクランブル指令を……」


 すると、迅が突然、


「もう、いいよ。もう、止めろ! よくそこまで調べあげたもんだ。呆れて反論する気にもなれない……で、何なんだ? その後、俺が、あの推理劇の中で藤野 香織が示唆したように、“特別児童自立支援施設”送りになって、その時の事をもっと詳しく知りたくなって、お前は、俺をここに呼び寄せたっていうのか。それが何になるっていうんだ。あの毒物混入事件の時もそう、昭が避けたがっていた、リバールの弟子の件を言い出したり、もう終わったはずの坂下 由貴の携帯の盗難事件に触れたり、人が隠しておきたいと思っている事柄を、つばさ、お前は、どうして、いつも人前にさらけ出そうとするんだ。いい加減にその悪い癖を直そうとは思わないのか!」


 つばさは、ちょっと口をとがらせたが、


「確かに、僕が首をつっこむ事の9割方は余計……なのかもしれないけど、残り1割は、誰かが言い出さなきゃ、どうにも良くならない事なんだ。これは、その残りの1割なんだって僕はそう思ってる。それでなきゃ、今日、わざわざ“忙しい迅兄さん”を家に呼びつけたりはしないよ」


「大口をたたくな! いくら天才だと持てはやされてたって、お前はまだ子供だろ!」

「なら、迅兄さんは、立派な大人なの? そこまで、大人ぶるのなら、子供の言う事は、きちんと聞いてやるもんじゃないの」


 皮肉な笑みを浮かべた義兄に、つばさは言葉を続ける。


「佐久間先生が言ってたんだ。その児童自立支援施設から、迅兄さんが、5年間も社会に出れなかった理由は、やってしまった罪のせいではなく、“心の問題”だったのだと」


 迅は、一寸、口を閉ざす。


「……で、その“心の問題”とやらが、お前には、分かったっていうのか」


「だいたいはね。迅兄さんが、藤野 香織の裁判に関わりたがらないのは、自分自身の少年審判の時の事を思い出すのが嫌だからじゃないの。でも、僕は、兄さんみたいに精神科医志望ってわけじゃないし、このCDROMに書かれている資料を読んで、勝手に想像しているだけにすぎなくて……だから、本人にしか分からない部分、それを僕は、迅兄さんから、直接、聞いてみたいと思ったんだ」


「俺と藤野を同じにするな。それに、なぜ、俺が自分の事をお前に話さなきゃならないんだ。何度も言うようだが、そんな事は余計なお世話だ」


「そぅかな? 僕にだって関係があるような気がするんだけど」

「関係なんか、これっぽっちもあるもんか!」

「なら、これは、どう説明してくれるの」


 つばさは、手元にあったコピー用紙を義兄の方へ、ばさりと放り出した。


「このCDROMって、けっこう内容が濃いんだよね。結局、全部は読めなくて、ざっと目を通してから、今日、僕がどうしても聞いてみたかった箇所だけをプリントしてみたんだ」


 義弟を一瞥してから、彼が指し示したコピー用紙を父の机の上から拾い上げ、迅は黙り込んだまま、それらに目を通しだした。

 

“【闇雲 迅 君(9)の少年鑑別所技官による鑑別結果報告書】

 顧問弁護士 佐久間 俊樹“


 その表題に、軽く唇をかみ締める。


 顧問弁護士 佐久間 俊樹……そうか、つばさが見つけだしたCDROMっていうのは、俺の少年審判で世話になった主治医の佐久間先生の弁護士の息子が、少年鑑別所から提出された報告書をCDROMに写した物だったのか。しかし、オヤジが、そんなモノを手元に持って残していたなんて……。

 苦々しい気持ちを懸命に心に抑えんで、コピー用紙に印刷された文書の先を読んでみる。

 

“少年の非行の主な原因、背景について取りまとめるとすれば、様々な要因の複合である事と同時に、その資質に惑わされた周辺と、両親の不和の問題が大きくクローズアップされる。

 同情すべきは、保護観察による自宅での更生を希望した母親に対して、一部、マスコミからの風評被害を懸念した父親は、少年の特別児童支援施設への送致を強く望んだ。それが、人より並外れて多感なこの少年の精神に、OE(過度激動)というような心理的障害を起こさせた引き金になった可能性は極めて高い“


すると、頃合を見計らったかのように、つばさが声をあげた。

「僕がね、まず、気になったのは、その鑑別結果報告書の中の“OE(過度激動)”っていう言葉なんだ。……で、また、迅兄さんが嫌がる、その内容の調査をしてみたわけ。その結果、“OE”っていうのは、

“刺激に対する並ならない反応”(OE Over-Excitabilities 過度激動)の事なんだってね。

 もっと、詳しく言うと、この“OE”に陥ってしまう人間は、神経の感受性が敏感すぎて、普通の人よりも刺激を強く経験してしまう。そして、この特徴が高いほど、一般の人達との感じ方や見ている世界、考え方にすれ違いが大きく生じてしまうんだ。少年鑑別所で作られた、迅兄さんの“鑑別報告書”には、兄さんが、この“OE”っていう心理的障害を引き起こしたと書かれている。かいつまんで言うと、迅兄さんが、5年間も児童自立支援施設から社会に出れなかったのは、この“OE”っていう心理的障害を克服するのに、それだけの時間がかかってしまった……って事なんでしょ」


「……」


 質問に答えようとしない義兄に、つばさは、さらに言葉を続けた。


「兄さんが、今、手にしているコピー用紙の2枚目に、精神科医 橘 岳人って人が作った、“生活調査書”っていうのがあるけど、その岳人ってお医者さんが、前に僕に話したくれた、兄さんが精神科医になりたいって切っ掛けを作った人だったんだね。兄さんが山を目指すようになったのも、多分、その人の影響なんだ。その“生活調査書”には、児童自立支援施設での、迅兄さんの様子が細かに書かれている」


 つばさに、そう指摘され、迅は、レポート用紙の2枚目を開いた。黙読しながら、その内容に苦々しげに唇をゆがめる。


【生活調査書 穂高特別児童支援施設(精神科医 橘 岳人)】

 闇雲 迅君(9)の症例


感情が高ぶると、まぶしい光、大きい音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する事がある等の極端な“知覚性OE”


・時計の時を刻む音等の生活音が、気になって集中できない。

・光や色の刺激を強く感じ、暗がりにとじこもっしまい、外に出たがらない。初めての場所や入り組んでいたり、人が多い場所でパニックを起こしてしまう。


 特に、この少年においては、入所以前からの傾向として、正義にはずれた行いや裏表がある人を見抜き、それをとても嫌い、嫌悪を露にする。


 相変わらず、黙り込んだままの義兄の顔色を伺いながら、つばさは言った。

「でも、おかしいよね。報告書では、正義にはずれた人を嫌悪していたはずの闇雲 迅君が、何で不正アクセスなんて悪行をやっちまったんだろ」


 返事がない。

 さすがに、つばさも、ちょっと義兄の事が心配になってきた。


「……迅兄さん、大丈夫? ちゃんと、息してる?」


 迅が、読みふけていたレポート用紙から目をはずし、顔をあげた。


「心配しなくても、生きてるよ。ただし、嫌な事をしこたま思い出さされて、心臓には相当に堪えてるけど。……えっと、何だっけ? 正義にはずれた人を嫌悪していた俺が、どうして、スクランブル事件を起こしたか……だったか……それは、後から思えば、あの時の俺は、周囲に助けを求め訴えていたんだよ。我慢ができなくなるくらい過敏になってしまった自分を誰かどうにか救ってくれと。世間が騒ぐ事件を起こせば、みんなが自分に注目してくれるって、そんな考えを持ってしまって……」


「それを救ってくれたのが、穂高特別児童支援施設の精神科医、橘 岳人先生だったんだね」


「そう……」


「この先生と一緒に、迅兄さんは、誕生日に穂高岳へ登ったんだ?」


「……最初は疲れるだけの登山が俺は嫌でたまらなかった。けれども、根気よくつき合ってくれた先生の後をついてゆくうちに、施設の中の狭い部屋でのカウンセリングよりも、山歩きの方が好きになってしまって、いつの間にか穂高の絶景に魅せられてしまったんだ。不思議なもので、心に余裕ができると、前に嫌だと思っていた物音や人ごみにも少しずつ耐えれるようになってきた」


「だから、迅兄さんは、自分と同じような“心の病”に苦しんでいた由貴さんにこだわったんだね」


「そう……なのかもしれない」


歯切れの悪い声で答えてから黙り込み、視線を下に向けた義兄の態度に、


「迅兄さん?」


 つばさは、少し怪訝そうに、その名前をもう一度、呼んでみた。ところが、顔を上げた迅は予想外にあっさりとした声で言った。


「もう一つ、補足しておくと、児童自立支援施設を出た後にも、俺はなかなか、世間になじめなかった。だから、俺は山に逃げたのかもしれない。けれども、それじゃ駄目な事は自分でもわかってるし、だから、そんな生活の最後の節目としてエベレスト登頂を思い立ったんだよ。さあ、ここまで聞いたらお前も満足できただろ? だから、こんな話は、もう、これで終わりにしよう。そろそろ、俺も行かなきゃならないんだ」


「ちょっと待って。もう一つだけ、聞いておきたくて、言っておきたい事が、僕にはあるんだ。それをしなきゃ、今日の意味なんて全然ないんだよ。迅兄さんが、“OE”なんて酷い状態に陥ってしまった原因、その一因は、両親の不和が引き金になったなんて報告書には書いてあったけど……でも、その根っこは、もっと深い所にあったんじゃないの?」


 不審げな迅の視線を、つばさは敢えて無視した。


「僕がお父さんの机から、このCDROMを見つけた時に、パスワードに邪魔されて中身を見れなかったって話をしたよね。僕がその後、そのパスワードの文字が何だかわかってしまったって事も。それを知る事ができた資料っていうのがこれだったんだ。」


 ごそごそと、父の机の中から古びた週刊誌を取り出し、つばさは、迅にそれを手渡した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
この小説を気に入ってもらえたら、クリックお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ