第38話 少年審判
闇雲家。
「いけね。腹へったって、へたばってる場合じゃなかったんだ」
父のパソコンに突っ伏していた、つばさは、おもむろに顔をあげるとズボンのポケットに手を入れて、その中をごそごそと探り始めた。
せっかく、ロックされていたCDROMのパスワードを見つけたというのに、朝から何も食べていなかったせいか、エネルギーが切れてしまっていたらしい。……で、
「“南天のど飴”が一つかぁ……腹は全然満たされないけど、とりあえず、この“非常用食料”で我慢……」と、その“非常用食料”を一つ口に放り込み、もう一度、パソコンの画面に表示された文字の羅列に目をやった。
文書1、文書2、文書3……
だが、先程、ロックされていたCDROMが開いた時の興奮とは裏腹に、今のつばさの心は、妙に冷めざめとしていた。
義兄の秘密の扉を開くまでの作業には夢中になれたが、いざ、ファイルの羅列が目前に出てきてしまうと、何やら後ろめたいような感情が心に湧き上がってきてしまったのだ。
だって、あのスナフキンが悪質極まりない小学生ハッカーだったっていう事実は、もう確かめたわけだし……。きっと、このファイルは、お父さんや迅兄さんにとって、“超”マル秘な内容に決まってる。
と、思うと、これ以上踏み込むのは、面倒な気分にさえなってくる。
でも、ここまで来て後に引くのも勺にさわると、つばさは、そんな“今一つ割り切れない”気持ちのまま、“文書1”にマウスを乗せてクリックしてみた。すると、
案の定、そこには、次のような、いかにも硬苦しい文章が並べあげられていた。
【 闇雲 迅 君(9)の家庭裁判所における”少年審判“開始決定に際しての報告書】
一.家庭裁判所調査官による“少年調査書”(文書2)
二.少年鑑別所技官による“鑑別結果通知書”(文書3)
作成者 顧問弁護士 佐久間 俊樹“
その作成者の名を一見したとたん、つばさは、大きく目を瞬かせた。
「顧問弁護士が、佐久間俊樹ぃ!」
それって、さっき僕を診てくれた主治医の佐久間先生の息子じゃん! 確か、あの先生ん家の長男は、T大出の弁護士だった。
くそぉ……。
“迅君の詳しい事は、わしは知らない”と、うそぶいたあの老医師に“大嘘つき!”と声を大にして言ってやりたい。
どこまでも白を切りとおした主治医の態度に、してやられたと、つばさは口をとがらせながら、もう一度、パソコンに表示された文章に目をやってみた。
“闇雲 迅 君(9)の家庭裁判所における”少年審判“開始決定に際しての報告書”か。また、長ったらしいタイトルだな。でもさ、僕らにとって、迅兄さんといえば、“桐沢”なんだけど……。
自分と同じ闇雲姓だった、義兄にむずかゆいような違和感を覚える。
まぁ、これは、迅兄さんのお母さんと僕らのお父さんが離婚する前の話なんだから、仕方ないのか。……にしても、“家庭裁判所”に、“少年審判”?
言葉は知っていても、実際、身近に出てきてしまうと、それらの意味はおぼろげにしか分からない。
それが再び、つばさの眠りかけていた好奇心に火をつけてしまったのだ。
「えっと、とりあえず“少年審判”で調べてみるか」半ば高揚したような気分で、その言葉をパソコンで検索してみる。すると、
“非行を犯した、また犯すおそれのある少年を対象とし、刑事罰を与える事を目的とせず、少年の更生に配慮し、その処遇を決める裁判制度”
そんな説明と、簡単な少年審判の流れが画面に表示されてきた。
なるほど、その“少年の更生に配慮した処遇”っていうのが、迅兄さんの場合は、“特別児童支援施設行き”って事だったんだな。 ……てことは、これを“迅兄さん”に当てはめてみると、
この時、つばさの脳内で出来上がった、“闇雲 迅(9)”の少年審判の流れ~コンパクト説明図はこんな感じである。
迅兄さんがスクランブル事件を起こした。
↓
家庭裁判所に通告。
↓
少年鑑別所に送致。ここで、面接やら心理テストやら、ややこしい調べがあって、ファイルに書いてあった“少年調査書”とか“鑑別結果通知書”が作られる。
↓
家庭裁判所に調査書が送られて、この少年は、このままにしておくのはよくないぞ。審判を開きましょうと判断される。
↓
少年審判が開かれる。
↓
そして、迅兄さんの場合は、特別児童支援施設に入れてきちんと更生させましょうと判決が下った。
ここで、つばさは、胸につまったモヤモヤを吐き出すみたいな深呼吸をした。香織さんにその事を伝えられてから、ずっと気になっていた、迅兄さんの過去。
“少年調査書(文書2)”に“鑑別結果通知書(文書3)”か。
それら二つのファイルに、彼の秘密が具に書かれているのは、もう間違いのない事実なんだ。
右手に持ったパソコン用のマウスを動かし、矢印を“少年調査書(文書2)”の上においてから、つばさはもう一度、自分の心に聞いてみた。
本当に見ちゃっていいのか。
脳裏に浮かんできた、主治医の佐久間が言った言葉。
“一つだけ言っておきたいのは、確かに迅君のやってしまった事は、とんでもない事だったのだけど、彼が特別児童自立支援施設に5年間もいなきゃならなかった理由は、それが原因というよりは、主に彼自身の心の問題だったっていう事なんだ”
迅兄さんの心の問題……これを読めば、それがわかるはず。
心臓がどきどきと高鳴った。知ってはいけない秘密を垣間見るような罪悪感と好奇心が交互に湧き上がってくる。
けれども、やはり、後に引くわけにはゆかない。
クリック、ON。
【闇雲 迅(9)君に関する少年調査書】
難しい専門用語や言葉は取り合えず飛ばして、つばさは、自分にも理解できる部分だけを目でおってゆく。
「闇雲 迅……父が理事長を務めるT大付属小学校、3年生。友人関係は孤立する傾向あり。公安委員会への不正アクセス行為で補導後は、登校を拒否。その期間中に自衛隊機への不正アクセス行為を再び行った」
父母とは同居。家庭の経済的状況は良好で、その点での問題は認められない。ただし、少年は非常に稀な資質を持ち(文書2 鑑別結果報告書 参照)父、母の少年に対する教育方針の違いから混乱状態にあった可能性は否めない。特に父親の性質は非常に厳格であり、世間体を重視するあまり、少年に自己の価値観を押し付け続けた結果……」
ここまで読んで、つばさは、さもありなんと思わず深く頷いてしまった。見栄っ張りで傲慢で自己中心的な、あの父親に閉口してしまうのは、彼だって同じだったのだ。
ただし、義兄に関する報告書と大きく違っていたのは、つばさ自身が、父親に何かを強制された覚えは一度もなかった。T大に超とび級で入学したのも、一応は本人の同意を得てからの事だった。
父親のつばさとくるみに対する教育方針は、レールに乗せたら、後はひたすら放置する事だった。それはそれで、彼らにとっては苦痛であったのだけど、気難しい父親と接する機会が少ないという点では、義兄よりは良かったと言えるのかもしれない。
つばさは、ふと、こんな事を考えた。
もしかしたら、お父さんは迅兄さんの件があったために、僕らの事は放ってあるのかな。でも、そうでしか自分の子供と接する方法が分らないというなら、あの人って悲しいくらい不器用な人間だ。
まあ、それはいいかと、さらにファイルの続きを読んでみる。
「少年の非行の主な原因、背景について取りまとめるとすれば、様々な要因の複合である事と同時に、その資質に惑わされた周辺と、両親の不和の問題が大きくクローズアップされる。
同情すべきは、保護観察による自宅での更生を希望した母親に対して、一部、マスコミからの風評被害を懸念した父親は、少年の特別児童支援施設への送致を強く望んだ。それが、人より並外れて多感なこの少年の精神に、OE(過度激動)というような心理的障害を起こさせた引き金になった可能性は極めて高い。(詳細は鑑別結果報告書 文書3)」
類稀な資質にOE……心理的障害?
“詳細は鑑別結果報告書”……文書3。そう、それこそが、自分が一番知りたかった、義兄の秘密だったのではなかったのか。
もう、ここまで知ってしまった後なのだ。
つばさの心にわだかまっていた、― 義兄の秘密― を垣間見る事を躊躇する気持ちは、いつの間にか、どこかへ消えうせてしまっていた。そんなわけで、彼は“文書3”を開いてみるのだった。




