第35話 罪の解析
つばさは考えていた。
彼の大好きなくるみが、ほんの一瞬でも、“バイオリンを弾いている時は素敵”だ。なんて思ってくれた、つばさにとっては“義兄の秘密”より、ずっと重大だったかもしれない出来事には、つゆも気づかず、ただ、ひたすら解けない謎に思いを巡らせていた。
父の机の中で見つけたCDROMと、そのパスワード
主治医の佐久間がほのめかした、義兄が、過去にやってしまった“とんでもない事”と、5年間も彼を特別児童自立支援施設に拘束した“心の問題”
このさっぱり検討もつかない疑問の壁を崩す手立てはないものだろうか。
深く深く集中するために、バイオリンの弓を動かし続けた。
モーツアルトのバイオリンソナタ 21番 第2楽章
E線、A線、D線、G線
それらのバイオリンの弦の上を、半ば無意識に動く左指で、よどみなく押さえてゆく。
哀愁に満ちた旋律から艶かしい響きのトリオを経て、短く繰り返すメヌエット。
弓を動かし続けるうちに、自分が奏でる4分の3拍子のバイオリンソナタ以外は、何も聞こえなくなる。そして、今まで心に滞っていた雑念がすべて消えうせ、ラストに向かって、徐々にバイオリンの音色を上昇させていったその時に、突然、つばさの頭の中が空白のように冴え渡った。
一瞬、弓を持つ手を止め、大きく目を見開く。
そして、
「そうか! その手があった!」
一声、雄叫びをあげると、つばさは、無造作に手にしたバイオリンと弓をベッドの上に放り出し、部屋の外へ飛び出していった。
* *
廊下から2階にあがる階段を駆けあがり、父の書斎へ向かう。扉を開けて、部屋の両脇にずらりと並べられた書棚の間にあるパソコン用の机に、飛び込むように座り込み、電源をONにする。そして、トップページが表示されるや否や、キーボードに向かい、
“新聞検索”の文字を入力した。何故なら、
迅兄さんが何らかの事件を起して、特別児童自立支援施設に入ったとしたなら、その事件は、あの人が施設に入った年齢 ― 9歳 ― よりも前の時点で起こっているはずなんだ。……って事は、その2~3年前にあった事件を父が購読登録している主な新聞で、虱潰しに検索してゆけば、きっと、何かの手がかりが得られるはずじゃないのか。と、つばさは考えたのだ。
けれども、膨大な記事を一つ一つ検索していたら、いくら時間があっても足りるはずがない。
より早く目的の記事にたどりつくには、それに見合った有効な検索ワードを考えなくてはならない。つばさは、一寸、キーボードにかけた指を止めてから、
検索ワード……“9歳”“小学生”?
駄目だろうな。こんなんじゃ、学校でやった芋堀りとか、お受験とか、昆虫発見とか、関係ない記事がごろごろ、出てきちゃう。とすると、
“小学生/犯罪”なら、どうだ? まずは、A新聞、迅兄さんが6歳か9歳だった期間に限定して。
「小学生の犯罪被害」
「小学生の放火」
「犯罪の低年齢化」
「衝撃!小学生の殺人」
……
げ、何か見ているだけでも、気分が滅入る。だけど、迅兄さんは、たったの9歳で自分がやってしまった罪のせいで、児童自立支援施設なんて特別な場所に入れられてしまったんだよな。それを思うと、つばさは義兄の事が少し不憫に思えてきた。そんな場所に5年間なんて、僕なら心細くて絶対に耐えられない。
ふと、義兄が入っていたという、長野県にある“特別児童自立支援施設”の文字が、頭に浮かぶ。
“長野県/特別児童自立支援施設”
けれども、その言葉を打ち込み、エンターキーを押してみても、穂高岳の麓に位置するという、その施設に該当しそうな項目を見つけ出す事はできなかった。
他の児童自立支援施設は検索ができるのに……。“特別”児童自立支援……まさか、迅兄さんが入っていたっていう施設って、その名のごとく、超マル秘な場所だったりして。
“特別”かあと、う~んと、眉をしかめる。特別……特別な義兄の行動。
すると、脳裏に次々に浮かんできた、迅の不審な行動の数々。
あのスナフキンがやった特別な事なら、僕は山ほど知ってるじゃないか。
① 僕を助けに、昭さんの研究室の壁をよじ登ってしまったサルみたいな義兄。
② 毒物混入犯を見つけるために、僕の頭の中を勝手に覗き込んだ催眠術師ばりの義兄。
③ 由貴さんが良介さんに渡したガラス瓶の中身を調べるために、警察のサーバーになんなく侵入してしまった、悪質なハッカーとしての……
つばさは、そこではたと考えた。
悪質なハッカー……。あのハッキングの手際の良さは、一日二日で身につくもんじゃないぞ。きっと、迅兄さんは以前にも、同じような事を繰り返している。小学生でハッキングの方法を身につけているなんて、海外じゃわりと知られた話だ。それでなければ、あの回転寿司屋で、“証拠は残さない”なんて大見得がきれるわけがないじゃないか。
この検索ワードなら、いけるかも! と、逸る心を抑えながら、つばさは、
“ハッキング/小学生”の文字をキーボードに入力してみた。けれども、
「小学生通信 ハッキングは犯罪」
「Q & A ハッキングとは」
なんて、項目が出てくるだけで、“小学生ハッカー”などという、つばさが期待していた記事は、どの新聞の検索にも引っかかってくる様子はなかった。
ふぅと息を吐き、壁の時計に目を向ける。午前10時か……、迅兄さんと玄関で別れてから、けっこう時間がたってしまったな。あれ? そういえば、くるみは学校へ行ったんだっけ?
不覚にもくるみの事はすっかり忘れてしまっていた。僕の馬鹿、馬鹿! と猛反省していると、寒気とともに、くしゅんと、くしゃみが出てきた。
また、熱があがったりしたら、くるみは怒りまくるんだろうなと、取り合えず、近くにあったソファーからカバーをひっぺがして、体に巻いてみる。
お、意外に暖かい。
暖かくなったところで、つばさは、もう一度、検索ワードについて考えてみた。
しっくりと当てはまる記事には、たどり着けなかったけれども、迅兄さん=ハッカーの線は、かなり、信憑性があるような気がしてならない。
ハッキング、小学生ハッカー、犯罪……。特別児童自立支援施設への拘束、それを通達するためには……何らかの法律の適用を受けて……か。未成年にそれが適用されるかどうかはわからないけれど、えーと、確か前にハッキングに関してのそんな記事を目にした事があったと思うけど……。一寸、目を閉じて考えてみる。
……“不正アクセス防止法”か。
すぐさま、その言葉をパソコンに入力してみた。
“不正アクセス/小学生” 期間 20××年~20××年
A新聞、Y新聞、M新聞……
けれども、一向に目当ての記事を見つける事ができなくて、ちょっと、頭を抱えてしまいたくなった。……が、その時、待てよ。と、
つばさは、パジャマのポケットに忍ばせていた、父の部屋から持ち出したCDROMを取り出し、そのラベルに書かれた日付に目をむけた。
20××年 5月3日
ふと、その日付が心にひっかかり、それを入力して検索を続けてみる。そして、検索ワードから導かれた幾つかの新聞記事をパソコンのディスプレイ上で、画面を流しながら閲覧していった末に、つばさは、
「これって……?」
その時見つけた、一つの記事に、心臓の鼓動を止めれなくなってしまったのだ。




