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第32話 疑惑のCDROM

 成田IC手前のタクシーの中。


 手にした携帯電話からはやての声が途絶え、ツーツーと乾いた待機音が耳元に届いてきた時、藤野 香織は、はっと、近づいてくる料金所に目をやった。


 成田ICの出口料金所は、左側ブースが成田市街、右側ブースが新空港ICへと続いている。黙っていると、タクシーは右側の新空港の方向へ進んでしまう。香織は、焦った様子で、運転手に言った。


「運転手さん! 私、成田ICで、降りるわ!」


 後部座席の女性客の突然の指示に、タクシーの運転手はえっと、思わず声をあげてしまった。

「だって、今日、お客さんは、新空港からウィーンへ行く便に乗るんじゃなかったの?」

「行き先を変更するの! 高速を降りたら国道295号線から408号線へ入って、私の言う場所へ行って」


 とりあえず、大急ぎで車線を左側へ変更してから、妙な事を言う客だと運転手は首を傾げた。さきほどの止まらない携帯のアラームといい、今日のこの客はすごく変だぞ。納得がゆかないまま、料金所を通過して成田市街への道にタクシーを向かわせる。それから、


「……で、行き先は?」

 運転手は、女性客にそう尋ねた。


「成田警察署」


「えっ、警察署? また、何で、そんな場所に……」


 何か忘れ物でもしたのか。そういえば、この客は、誰かと携帯電話で話し込んでいたが……ちょっと前に、携帯電話が故障した事と何か関係があるのか。だったら、あんな邪険な態度を取らなきゃよかったのかも。

 客のさばさばした口調が、かえって運転手を不安にした。すると、後ろの客がぽつりと言った。


「出頭するの」


「へっ?」


「私……もう少しで、友達を殺してしまうところだった。ウィーンになんて行ってる場合じゃなかった……それに、やっと、気付いたの」


 自首しなきゃあね……。


「……」


 バックミラー越しに垣間見た、女性客は寂しげに微笑んでいる。

 何も言葉が出せなかった。運転手はただ、こくんと一つ頷くと、その後は呆然とした気持ちのまま、国道295号線を彼女の希望の場所に向けて、タクシーを走らすのが精一杯だった。


* * *


 金曜日。闇雲家。つばさの部屋で、


“大学の同級生に猛毒のアジ化ナトリウムを服毒させたとして自首してきた、22歳の女子大生が、22日、千葉県警成田警察署に、過失致死傷罪で逮捕された。「才能のある同級生が羨ましくなって、犯行に至ってしまったが、馬鹿な事をしてしまった」と供述しているという。


 女子大生は、被害者と同じT大芸術学部の藤野 香織 容疑者で、成田署は、容疑を過失致死傷罪から殺人未遂罪に切り替えて、立件に向けての……“


 ここまで、読み上げてから、はぁと力のないため息をつき、つばさの姉、くるみは見ていたネットのニュース画面から目を離した。

 

 弟のつばさ、岬 良介、桐沢 迅、そして藤野 香織。


 絶対に信じたくないという気持ちとは裏腹に、自分を除くこの4人の中に、山根 昭への毒物混入犯がいるという事は、もう覚悟はできていたのだ。にしても、実際に容疑者の名がニュースに載ってしまい、しかもそれが、くるみの憧れの女性の香織だったという結末には、どうしようもない、やり切れなさが残った。


「つばさ、あんたは気づいてたんでしょう? 犯人が香織さんだったって事」

「えーと」

「また、そうやってしらばっくれてる!」


 くるみは頬を膨らませてから、ベッドの上に目をやり、毛布の中へ避難しようとする弟の姿に、呆れたようなため息をついた。


「昨日の夜に、私に黙って、お父さんの部屋でごそごそやってたでしょっ。しかも、パジャマのままで。もう、12月になるんだから、ちょっとは体調管理を考えたら? おまけに、良介さんの所でカップラーメンを大食いしたんですって? だから、今日になって熱なんか出すのよ」


 思い切り核心をついてくる姉の言葉に、つばさは、たじたじになってしまった。でも、今朝になって、不覚にも39度も熱を出してしまったのは、それだけが原因じゃない。

 

 成田ICから、タクシーを警察署へ向かわせた香織さん。


 たった一人で、出頭していった彼女の心細さを思うと、義兄の迅のやり方は冷たすぎると腹が立って仕方がなかった。あの回転寿司屋での携帯電話のやり取りで、迅と香織の最後の通話は、そんな事だったのかと、苦い思いがつのってくる。その上、


 あのスナフキンが、ハッキングやら催眠術やらと、散々、僕の頭をかきまわすような事をやるもんだから……。このままじゃ、どうにもこうにも納得がいかない。


 そんな気持ちを抑える事ができず、つばさは心に決めたのだ。迅が隠している過去を全部、調べ上げてやるんだと。


 薬が効いてきたのか、熱は随分下がっていた。……が、まだ、頭がくらくらする。それでも、一晩中かかってやった父の部屋の捜索が、まったくの無駄に終わったわけではなかった。つばさは、毛布の隙間から、用心深く、姉の動きを覗ってから、パジャマのポケットに隠しもった、CDROMに目を移した。父の机の中の沢山の資料の間に紛れ込んでいた、たった一枚だけのCDROM。こんな古い媒体なんて、今じゃ使われていないが、そのラベルには、


 20××年 5月3日の日付が書かれている。

 昨晩、そのCDを見つけた時に、何かが、つばさの頭にひっかかってきた。


 20××年って12年前だ……どうして、お父さんは、そんな古いデータをしまっておくんだ?

 それとともに、こんな考えが浮かび上がってきたのだ。


 待てよ。12年前……っていうと、迅兄さんが9歳の時だ。確か、香織さんは、こう言ってた。“迅兄さんが例の児童自立支援施設にいたのは、あの人が、9歳から14歳の5年間”だったって。


 もしかしたら、このCDに迅兄さんの秘密が書かれていたりして!?


 逸る胸の鼓動を無理矢理に押さえ込んで、つばさは、父の部屋の隅にあった旧式のパソコンに、それを入れてみた。


ところが、


“パスワードを入力して下さい”


 そのメッセージに阻まれ、中身を見る事ができない。そして、あれやこれやと、考え付くかぎりの文字や数字を入力してみても、一向に適合するパスワードを探し出す事はできなかった。


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