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第29話 アラーム PM2:22

  意味深な台詞を意味深な声音で呟く、はやての横顔を見ているうちに、良介は、急に不安な気持ちになってきた。


 確か、迅は香織さんに、犯人を決して抜けれない袋小路に追い込んでから事件を終わらせたいとか、自分が犯した罪の重さを嫌というほど知らしめてやりたいとか……そんな物騒な事を言ってたな。

 ごくんと唾を飲み込んでから、良介は、もう一度、迅の方へ目を向けた。それから、つばさの肩に手をかけ、有無をいわさず、カウンターの隅に引きずっていった。そして、迅に二人の姿が見えないように座り込み、


「なあ、天才少年、お前にならわかるか」

と、つばさの耳元にひそひそと呟いた。


「迅が言ってた、香織さんがウィーンどころか空港にも行き着けねぇっていう言葉の意味が。俺の考えすぎかもしれないが、時間ばかりやたらに気にして……ひょっとして、あいつは……」


 至近距離にある少年の顔をまじまじと見つめて言う。

「香織さんに手渡した由貴さんの携帯電話に、時限爆弾でも仕掛けてるんじゃ……」 


「まっさかぁ……」


 いくら何でもそこまで極悪じゃないでしょ。

と、考えたものの、つばさにも良介の説を明確に否定する自信はないのだ。


 確かに、今の迅兄さんは、やたらと過激で、えらく頭脳明晰で、その上、毒物混入犯に対する怨念めいたものまで感じさせて……爆弾くらいは簡単に仕掛けてしまうかも。

 だが、不安げな寿司職人に、つばさは、

「大丈夫。だって、“迅兄さんは、精神的に追い詰められた犯人は、やがて、自分から罪を認める”とも言ってたじゃない? 爆弾で吹っ飛ばしたりしたら、それこそ、“死人に口なし”って事になって……」


「縁起でもない事を言うなよ……でも、俺はさっきから、香織さんが言ってた、“迅の経歴”の事が気になって仕方がないんだけど」


「ああ、あれ?」

「そう、“児童自立支援施設”って……お前、前から知ってたの?」

「ううん、香織さんに聞くまでは、全然……」


 だが、二人の会話は、その時突然声をあげた、迅によって中断されてしまった。


「お前ら、何やってんだ。そろそろ、カウントアウトの時間なのに」


 パソコンの画面を指差す義兄が、ものすごく怪しい。つばさは、良介とともに戸惑いながらも、彼の後ろに近づき、GPSが表示された地図上の“藤野 香織”の位置を覗き込んだ。


「カウントアウト?」


「正確には、60秒に1回の我慢くらべが何回で終わるかって事なんだけど」


 迅の言っている事の意味が、さっぱり分からない。


 GPSの位置は、首都高速湾岸線を市川JCTに向かって移動し続けている。ほのかに笑みを浮かべながら、熱心に画面を見つめ続ける義兄には、声をかける事なんかできやしない。

 つばさと良介は、ただ無言で顔を見合わせてから、パソコンの画面を走る黄色い矢印を目で追った。


「さて、3分前、午後2時19分」


 パソコンの時刻を読み上げる義兄の声を聞きながら、GPSの画面を見る。

“藤野 香織の位置”を知らせる地図上の黄色い矢印は、まだ、画面上に“生存”している。

 どうやら、時限爆弾の爆発は、起こっていないようだと、つばさは、胸に浮かんできた理不尽な安堵感にほっと苦い笑いを浮かべたが、


「ねえ、迅兄さん」

 意を決したように、義兄に向かって声をあげた。


「何?」


「僕たちには、さっぱり訳がわからないんだけど、いったい、何をしようっていうの。それって、もしかして、あれに関する事? ほら、迅兄さんが“犯人を袋小路に追い詰める”とか言ってた……」


 迅は振り向きもせずに答えた。


「そうそう。よく分かっているじゃないか。俺が仕掛けたトラップに藤野はどれくらいの間、耐えられるか。どこで、GPSの電源が切られるか。これってけっこう興味深いと思わないか」


「興味深いって? ……冗談じゃないよ!」


 怒ったような、つばさの声に、迅は、やっとその方向に顔を向けた。


「兄さんが香織さんに、どんな罠を仕掛けてるかは知らないけれど、あまり精神的に彼女を追い詰めない方がいいんじゃないの。今、香織さんの心の中は、やってしまった罪の重さと、それが暴かれてしまう不安で、はちきれそうに、どきどきしてるに決まってる。あまり彼女を刺激しすぎて、もっと最悪の事態が起こってしまったら、兄さんは、どう責任をとるつもりなの!」


「つばさ、お前が言いたいのは、藤野が自殺でもするんじゃないかって事?」


 わずかな沈黙が、ひどく長く感じられて、二人の会話をそばで聞いていた良介は、いたたまれないような気持ちになってきた。

 だが、不満げに自分を見据える義弟に向かって、迅は言った。


「つばさ、お前が気に病む事なんて何もないんだよ。自殺だなんて馬鹿げた真似ができるなら、彼女は、ここまで俺に抵抗する前に、とっくにそうしていたと思うから。藤野は、自分がはまり込んでしまった迷路からどうにか抜け出したくて、今回の毒物混入事件を起こしてしまったんだ。結果的には間違った方法を選んでしまったのだけれど、追い詰められた袋小路の最後の行き止まりで、彼女はきっともう一度、何らかの道を選択しなければならなくなる。その機会を俺が作ってやっただけなんだよ。どんな道を選ぶかは、藤野の自由だけど、多分、それは、つばさが心配しているような事じゃないから」


 時刻は、“午後2時22分”


 その時、成田国際空港へ向かうため、首都高速湾岸線から東関東自動車道に入ったタクシーの中で、“藤野 香織”のジャケットのポケットから、突然、携帯電話のアラーム音が激しく鳴り響いた。


 迅さんから手渡された由貴さんの携帯電話ガラケー


 藤野 香織は、一瞬、心臓が止まりそうなほど驚き、戸惑った様子でポケットの中の携帯電話に手を伸ばして、その液晶画面に目をやった。


 アラーム2 現在時刻 PM2:22。


 停止ボタンを押しアラーム音を止めてから、不振げに眉をしかめる。


 こんな時に携帯が鳴るなんて……由貴さんが、設定していたアラームが解除されていなかったの。でも、アラーム2? 確か由貴さんが使っていたのは、アラーム1で……。


「お客さん、携帯電話の“めざまし”の設定を切ってなかったの? そのピーピーっていう音って、勘にさわる音だよね」


 運転手からかけられた不躾ぶしつけな声に答えるでもなく、香織は、もう一度、手にした坂下 由貴の携帯電話に目を向けた。あの回転寿司屋を出る前に、桐沢迅がとった意味深な態度が、今更ながら気になって仕方がない。


 まさか、この携帯電話のアラーム2を午後2時22分に合わせたのは、迅さん? でも、何で……。


 午後2時22分。


 坂下 由貴が合わしていた携帯のアラームと同じ時刻。


 その事に、彼から自分に向けられた非難の思いが込められているようで、香織はきゅっと唇をかみ締めた。すると、迅に告げられた言葉が、彼女の脳裏に不安な渦を巻きながら湧き上がってきたのだ。


“あんたが犯人でないと公言し続けるなら、俺の言葉など無視して、どこにでも好きな場所へ行けばいいんだよ。でも、それができない立場ならば、けっして、その坂下由貴の携帯電話の電源は切るな。そして、それを肌身離さず身につけておけ”


 ほどなく、携帯電話に表示された時刻が、午後2時23分に変わった、その瞬間、


「えっ?」


 再び鳴り出したアラーム音に、びくりと身を縮こませる。それから、何か恐い物がそこにあるかのような表情をして、香織は自分の手元に目を向けた。


 アラーム2 スヌーズ中 現在時刻 PM2:23


「スヌーズ中? だって、私はさっき、アラームを停止したのに……」


 すると、苛立だしげに、また運転手が話しかけてきた。


「お客さん……その携帯の“めざまし”きちんと解除してるの、スヌーズって、何度もアラームを繰り返す機能でしょ。俺も“目覚まし時計”に同じような設定はやってるけど、今、このタクシーの中じゃ必要ないよなあ」


 戸惑った様子で、香織は由貴の携帯電話のアラーム設定画面を開いてみる。


 スヌーズ機能 ON 間隔1分毎


「1分毎って、何でそんな短い時間に……」


 すると、また、手にした携帯電話が鳴り出したのだ。


 アラーム2 スヌーズ中 現在時刻 PM2:24


「お客さん、また、携帯っ! いい加減にしてくれよっ」


 苛立った運転手の声に、香織は焦った様子でアラームを停止してから、スヌーズの設定画面を表示させた。


 1分たてば、また、次のアラームが鳴ってしまう。


 何故、こんな設定になっているの? という疑問とともに、耳に鋭く響く金属的な電子音がまた鳴ると思うだけで、はらはらと神経が過敏になり、一刻も早くスヌーズ設定を解除しようと、香織は携帯電話に向かって震える指先を動かした。

 

 アラーム2 編集 スヌーズ設定 OFF


 ところが、


「……え?」


 動かないっ!


 そして、午後2時25分。

 再び坂下 由貴の携帯電話から、アラーム音が鳴り響いた。


「何で……何で?」


 PM2:26 

 PM2:27 

   :

 PM2:32


 1分毎に繰り返されるアラーム音を停止させても、また1分後には、同じ音がタクシーの中に響き渡ってしまうのだ。どうしても止められない苛立ちの連鎖に、香織は頭を抱えたくなってしまった。


「お客さんっ、いい加減にしてくれよ!!」


「だって、だって……」


 酷く機嫌が悪くなってしまった運転手に、香織は泣きそうな声をあげて言う。


「解除できないの! いくらボタンを押したって、この携帯電話のスヌーズ機能をOFFする事ができないの!」


「なら、電源を切っちまったらいいじゃないか。何回もピーピー、音を鳴らされちゃ、こっちだって、五月蝿うるさくてたまらないよ。故障してるなら、後で、直すか買い換えるかすればいいだろ!」


「駄目! そんな事できない!」


 繰り返される甲高い電子音が鳴る度に、焦りと苛立ちで胸にひどい閉塞感が迫ってくる。


 止めても止めても、アラーム音は1分毎に鳴り続ける。それは、私がこの携帯電話の電源を切るまで止まらない。でも、それだけはできない! だって、電源を切ったりしたら……


 香織は、泣き出しそうなか細い声で、小さくこう呟いた。


 迅さんが……あの人が、毒物混入事件の犯人が写ってる防犯テープを警察に提出してしまう。


 ― そんな事をされたら私は ― 


 “犯人を袋小路に追い詰める”


  迅さん、やっと、あなたが言ってたことの意味がわかった……。


 藤野香織は、その事実に気付いた時、どうしようもない自分の立場を嫌というほど知らしめられてしまったのだ。


 坂下由貴の携帯電話が、次にアラーム音を奏でる時刻は、午後2時33分。その時を目指して、時間は刻々と刻まれてゆく。


 駄目だ、耐えられない。もう、これ以上は進めない……


 成田国際空港へ向かうタクシーの中で、胸を締め付けられるような後悔の思いに身を振るわせ、藤野 香織は、手にした携帯電話を強く握り締めた。




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