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第28話 GPSの機能

「GPSっていう機能を藤野は知ってる?」


「GPS? それって、携帯電話とかカーナビなんかについている位置確認の?」


「そう。俺みたいに、頻繁に山に登る人間には絶対の必需品なんだけど、俺はちょっと坂下の携帯に国際ローミング機能をくっつけて、そのGPS機能を海外ででも使えるようにしておいた。俺は餞別せんべつとして、この坂 下由貴の携帯電話ガラケーを藤野に貸し出すよ。たとえウィーンに行ったとしても、電源が切れたり電池がなくならない限りは、これで、藤野の位置はここにあるパソコンの地図上に表示されるってわけだ」


 はやてが示したノートパソコンの画面に映し出された地図。そこには、当然のごとく、今、彼らがいる回転寿司屋の位置が、黄色い矢印で表示されていた。


「迅さんは、私の位置確認をその携帯でやろうっていうの。それって私を逃がさないため? 冗談じゃないわ。私は何も後ろめたい事はしてないんだから、逃げも隠れもしないわよ」


 だが、迅は、

「さっき俺は言っただろ? 電源が切れたり電池がなくならない限りは、GPS機能は作動するんだって。それは反対に、その携帯電話の電源を切るか、電池を使いきってしまえば、もう俺たちは藤野の位置を確認する事はできないんだ。別に藤野がそうしてくれても、俺は全然構わないんだぜ。ただし、」


「ただし、何……?」


「俺はその携帯電話の位置をGPSを使って、ずっとパソコン画面で確認を続けるつもりだけど、電池がなくなった時も含め“電源が切れた時”、もしくは、電源が入っていても、その携帯電話が藤野の目的地の“ウィーンへ行く進路からはずれた時”には……」


 桐沢 迅は藤野 香織に対して、この時初めて優越感に溢れた笑顔を浮かべた。


「その時には、俺は迷わず、ここの回転寿司屋の防犯カメラが撮らえた“毒物混入事件に関与した犯人の姿“が映し出されている“防犯テープ”を警察に提出する! だから、藤野……あんたが犯人でないと公言し続けるなら、俺の言葉など無視して何処にでも好きな場所へ行けばいいんだよ。でも、それができない立場ならば、けっして、その坂下 由貴の携帯電話の電源は切るな。そして、それを肌身離さず身につけておけ」


 坂下 由貴の携帯電話を香織に差し出しながら、迅は言葉を続ける。


「大丈夫だよ。藤野がちゃんと俺の言った事を守って、ここへ戻ってきたなら、警察には絶対に何も知らせない。だから、後の事は、その時にゆっくりと話し合おうじゃないか。俺にだってやりたい事は沢山あるんだ。俺とあんた、話し合いで二人の利害がうまく一致するならば、それはそれで結構な事だよな」


 信じられないといった表情で、女子大生は医学生の顔に目を向ける。


「迅さん……あなた、まさか、私をおどそうっていう気なんじゃ……」


「脅す? なるほど……言われてみれば、そういう選択肢もあったんだな」


 無言の香織を迅はさらに鋭く見据え、

「それより、随分、時間を取ってしまった。だから、その携帯電話を持って、さっさと行けよ。あんた、さっき、俺とは一秒だって一緒にいたくないって言ってたじゃないか」


「待って! あなたは何か誤解してるのよ。だから……」

 

乞うような声音を出した香織を完全に無視して、迅は言った。


「もうこれ以上、俺を怒らせるな。だから、とっとと、この場から出ていってくれ!」


 迅の尋常ではない雰囲気に怯え、藤野 香織は、坂下 由貴の携帯電話と手荷物を持って逃げるように回転寿司屋の出口に向かった。


 扉に手をかけたその時、


「香織さん、ちょっと待って!」


 カウンターから出てきた良介が、彼女を呼びとめた。


「やっぱり、この金は、受け取るわけにはゆかないから……悪く思わないでくれよな」


 憮然とした視線で手渡された紙幣を手に取り、良介を睨めつける。だが、藤野香織は、無言で回転寿司屋から出て行った。


 何か声をかけようと思っても、そのタイミングを完全に逸してしまった、つばさは、扉の向こうに香織の姿が、完全に消えて見えなくなるまで、その姿をただ唖然と見送る他になす術がなかった。

 おまけに、長々と義兄の推理話を聞かされたのと、最後まで緊張状態が解除されなかった迅と香織に気を使いすぎたせいか、頭がくらくらしてきた。その上、


 昭さんへの毒物混入事件の犯人は“香織さん”で、その証拠は、回転寿司屋のカメラが撮らえた“事件当日の様子が映し出された防犯テープ”


 これが結末? こんなのが?


 つばさは、回転寿司屋のカウンターにおかれたノートパソコンに表示されているGPS画像に見入っている義兄を、不満いっぱいにめつける。


 これが、迅兄さんが言ってた、“今日、終わらせる毒物混入事件”の終わりなの?


 僕には全然、納得がゆかないよ。


「迅兄さん」


 そう声をかけながら、つばさは義兄のそばに歩み寄る。


「香織さんが、昭さんへの毒物混入事件の犯人……って事は、残念ながら、どんな方向から考えてみても、もう動かしようのない事実だと思うのだけど、でも、たった、一つだけ……」


「一つだけ、何?」


 パソコンの画面から、ちらりと義弟に視線を移した迅の瞳は、心なしか人の悪い笑みを浮かべているようにも思える。不機嫌に口をとがらせ、つばさは、回転寿司屋の天井の一角を指差し言った。


「あの防犯カメラで、事件の当日を撮影したなんて“嘘”だよね!」


 にわかに二人の間に奇妙な空気が流れ出した。それを払いのけるかのように、つばさは声を荒げる。


「ここの回転寿司屋に入った時から、僕にはすごく違和感があった。それが、どうしかわからず、ずっと気持ちが悪かったんだ。けれども、迅兄さんが事件への推理を進めてゆくうちに、はっきりと思い出してしまったんだよ!」


 へぇと迅が小さく呟き、何か言いたげな良介が声を出す前に、つばさは、


「僕は間違いなく覚えている。昭さんへの毒物混入事件が起きた当日に、あんな物はここにはなかった! あれは……あの防犯カメラは、事件の後に、迅兄さん、そして良介さん……あんたたちによって、故意に取り付けられた物じゃないの。事件の後に取り付けられた防犯カメラに毒物混入事件の犯人の姿が映るわけがないじゃないか! なのに、それを記録した防犯テープがあるだなんて、兄さんたちは、二人して香織さんを騙したんだね!」


「まあ、否定はしないけど」


 すんなりと義弟の意見を受け入れてしまった元同級生に、良介はあせった様子で異議を唱える。


「いや、違うぞ。俺は迅に頼まれるままに、香織さんに電話をかけて呼び出しただけで、彼女が犯人だと、はっきりとわかっていたわけじゃないんだ。本当に俺は未だに、あんな何不自由ないお嬢様が、昭に猛毒を盛ったなんて信じられねぇんだから」


「何不自由のない生活をしていたからこそ、“藤野 香織”は“山根 昭”の飲むお茶に毒物を入れざるをえなかったと、俺は考えているんだけど」


 良介は眉をしかめ、平然とした表情の迅に問う。


「それって、どういう意味だ?」


「大学に入学するまでは、藤野は、自分ほど家庭的にも才能にも恵まれている人間は、そうはいないと思っていたんじゃないかな。ところが、T大に来たとたんに、その自信はここにいる天才少年を先陣に、もろくも打ち砕かれてしまうんだ。それでも、彼女は彼女なりに頑張って、大学内ではトップクラスの成績を維持していたんだろうが、なんとか手の届きそうだった昭にもどんどん距離を離されて……もしかしたら、藤野も最初のうちは、猛毒を昭に盛ろうなんて考えはなくて、坂下由貴に依頼したように、甲殻アレルギーの彼がアレルゲンのカニの粉を口に入れて、熱を出す程度の事を望んでいたのかもしれないな。けれども、唯一、彼より先に手に入れたリバールの弟子の座までもが、昭に奪われてしまった。その事を知った時、あのプライドの高いお嬢様が人前で苦やし涙を見せた様子を聞いて、俺は少なからず驚いたよ。多分、その時に彼女を押しとどめていた最後のたががはずれてしまったんだ。ずっと、心の奥底に押し込めてあった“焦りや恐怖感”。あの異常なまでに、ゴミの分別にこだわった彼女の行動は、にっちもさっちもゆかなくなった藤野の気持ちを如実に現わしていたと、俺は思うよ」


 そこまで言ってから、仏頂面をしている義弟に目をやり、迅は一瞬、沈黙した。


 そして、もし昭が、つばさを研究室の窓から突き落とした犯人なのだとしたら、昭も藤野と同じような感情をつばさに持ってしまった……という事になるんだろうな。


 “窓の外を見てみて”


 優勝者コンサートがあった日に、つばさが研究室の窓から突き落とされる前に、送られてきたメール。

 藤野香織のマンションで、その送信者が昭だと気づいた時に、大泣きした義弟の姿は、普段の飄々とした態度からは考えられないくらいに痛々しかった。


 “13歳なのに大学生”と、何かにつけて特別視される大学生活の中で、滅多に顔を合わさない義兄の自分よりも、昭の方がずっと兄貴的な雰囲気で親身につばさと接していてくれた。


 それなのに……。


 何か言いたげに、自分に向けられた義兄の瞳。ところが、それを気にするどころか、つばさは、けろりと表情を変えて、物凄く意地の悪い視線を迅に送り返してきた。


「でもさあ、あのテープが嘘だったなら、香織さんがウィーンからもどってきた時に、それを迅兄さんは彼女にどう説明する気? 結局、香織さんが毒物混入犯だっていう“現物証拠”は、なかったって話になって、迅兄さんが香織さんを強請ゆするネタがなくなるじゃん」


「おい、こら、誰が藤野を強請ゆするって?」


「だって、迅兄さんは、エベレストとかに行く資金がいるんでしょ。さっきの兄さんの言いっぷりを聞いて、僕は絶対、香織さんが迅兄さんにカモられると……」


 そこまで言ってから、つばさは、

「あっ、でも、ウィーンに着いてから、香織さんが良介さんから受け取った防犯テープの中身を見たら、迅兄さんたちの嘘は、彼女がこっちに帰ってこなくてもバレてしまうのか。ますます、僕は兄さんたちがやった事の意味が、わからなくなってきちゃったよ。にしても、あの偽テープには実際は何が映っているの? まさか砂嵐?」


 つばさの台詞に、迅がくすと笑みを浮かべる。


「ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの映像が入ってる。きちんと藤野の行き先に合わせてやったなんて、親切な話だとは思わないか」


 思わねぇよ。


 心の中で悪徳なスナフキンに思い切り悪態をついてから、つばさは、彼が出せる精一杯の強面の声を出して、こう言った。


「正直なところ、迅兄さんは、本当に香織さんがここに戻ってくると思っているの? テープの嘘がバレたなら、ウィーンに行ったきり彼女は帰ってこないかもしれないよ」


 すると、二人の会話をそばで聞いていた、良介が、

「俺も香織さんは、日本には戻ってこねぇような気がするな。彼女が犯人であればあるほど、その確立は高いんじゃないのか。俺たちが、どんなに今までの状況証拠を並べ立てたって、警察はそんなんじゃ彼女を逮捕はできないだろ? ほとぼりが冷めるまで、海外にいるっていう方が得策に決まってる」


 ところが、迅は、涼しい顔をしてパソコンのGPS画面を指差し、自信たっぷりにこう指摘した。


「大丈夫。藤野はウィーンどころか、空港にたどり着く事さえもできやしないよ。それより、GPSの地図上の矢印を見てみろよ。彼女は俺の思惑通りに、大通りでタクシーを拾って高速道路に入ったみたいだ。えーと、現在地は、有明JCTか。渋滞もないしそのまま行けば、空港まで50分ってところだな」


 地図上の黄色い矢印は、首都高速湾岸線を新空港の方向へ移動している。

回転寿司屋の壁掛け時計を見上げて、迅は言った。


「午後2時5分。もうすぐ終わるよ。この事件は」


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