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第25話 携帯の時間

「兄さん、迅兄さん!」


 はっと、思考をもとに戻されたはやてに、物思いの原因の義弟つばさが言う。


「ぼうっとしてないで、ちゃんと話を続けようよ。猛毒のアジ化ナトリウムが昭さんのお茶に入れられたタイミングが、迅兄さんの言う通りだとしたら、“由貴さんが携帯電話のアラームを午後2時20分に合わせているのを事前に知っていた人物”の中に犯人がいるっていう事だよね」


 つばさは、頼まれもしないのに、右手の指を折りながら、彼が知っている”犯人候補“の名前を挙げてゆく。さっきまでの面倒そうな態度はどこ吹く風で、基本的にこの少年は、興が乗れば、物事に没頭してしまうタイプらしい。


「犯人の候補は、僕の知っている限りでは、4人だね」


 そう前置きしてから、つばさはその名を挙げた。


 まずは、当の本人、“坂下 由貴”。


 次に、由貴さんから万引依存症の相談を受けていた、迅兄さん ― 桐沢 迅 ― そして、たまたま、由貴さんの悪癖の時間に気づいてしまった、香織さん ― 藤野 香織 ― 最後は、香織さんと同じように、偶然にその事実に気づいてしまった、僕 ― 闇雲つばさ ― アラームの鳴る時間を知らなかった、“闇雲 くるみ”と“岬 良介”は、ここで“”犯人候補“から外される。


  すると、今度は迅が口を開いた。


「坂下の“携帯が鳴る時間”を知っていたのは、正しくは、“山根 昭”を交えての5人なんだけど、まあ、あいつは被害者だから、犯人候補にはならないな。つばさ、偉いじゃないか。そこまで、分かっているなら、話は簡単だろ。なぜなら、その4人の中で、坂下の携帯のアラームが鳴った時に、昭が飲むお茶 ― 写真の昭が右手に持った湯飲み ― を事前に用意しておいて、その中に猛毒を入れる事ができたのは、たった一人しかいないんだから」


 迅兄さんに褒められたって、ちっとも嬉しくないや。と、つばさは不満そうに口を尖らせたが、義兄の“猛毒を入れる事ができたのは、たった一人”説に特に異論はないようだった。


 そっぽを向いてしまっている藤野 香織は、相変わらずの知らん顔を決め込んでいる。


「おい、お前らは、義兄弟同士で勝手に意気投合してるみたいだけど、俺にはさっぱり、訳がわかんねぇよ。だから、俺にもわかるようにもっと、かいつまんだ説明をしてくれよ」


 ようやく重くなってしまった口を開いた良介だったが、自分をそっちのけで、進行してゆく迅の推理話に、彼は居心地の悪さを感じていたのだ。

 そんな元同級生の気持ちを汲み取ってか、迅は多少、声の調子を和らげて言う。


「つばさが名前を挙げた4人の人間が、坂下の携帯電話のアラームが鳴った時に、回転寿司屋のどの位置にいたかを考えれば、事は簡単にわかってくるんだよ。例えば、“坂下 由貴”の場合だったら、彼女はアラームの音を止めるために立ち上がって荷物掛の所へ行ったんだから、その間に、昭のお茶にアジ化ナトリウムを入れる事はできないだろ」


 一瞬、沈黙してから、良介は、


「なるほど、そう言われてみれば、そうだな。あの時、アラームが鳴った事で、回転寿司屋の中にいた全員の視線が、由貴さんの方へ集まっていたとしたら、余計に怪しいマネはできないし」


「そうだろ。なら、“闇雲 つばさ”の場合はどうだ?」


「あの小僧は、携帯のアラームが鳴った時には、回転寿司屋の一番奥の席に座っていた。俺はカウンターの中でみんなの注文を受けてたから、よく覚えているけど、昭の席と小僧の席の間には、由貴さんとくるみちゃんが座っていたんだ。いくらアラーム音に驚いた、みんなの視線が由貴さんの方に集中してたって言ったって、そんな一瞬のうちに遠く離れた席から、昭の飲むお茶に、こっそり毒を入れれるはずがない。だから、闇雲 つばさは、“シロ”ってわけだ」


「じゃ、今度は、俺の場合だな」


 にやと笑みを浮かべた迅に、良介は機嫌良さげに答えを返した。


「 “桐沢 迅”は、当然、“シロ”だろ。だって、お前は、あの打ち上げパーティ自体に出席していなかったんだから」


「そう、という事は残るは一人……」


 迅がその台詞を口に出そうとした瞬間に、つばさは、藤野 香織の方へ興味津々の目を向けた。


 さて、彼女はどう反論する気なんだろ。だって、迅兄さんは、“犯人候補”で昭さんのお茶に猛毒を入れる事ができたのは、4人のうちのたった一人だけだと言った。そして、良介さんとの検証では、香織さん以外は、全員“シロ”だったとも。


 ゆっくりと体を迅の方に向け、不敵な笑顔を向けた香織の仕草に、心臓がどきどきする。つばさは、深呼吸しながらその言葉に耳を傾けた。

 

「迅さんは、どうしても私を犯人にしたいみたいだけど、こういう考え方はできないかしら? 猛毒のアジ化ナトリウムが、昭さんのお茶に入れられていたと仮定して、


“そのタイミングは、由貴さんの携帯電話のアラームが鳴った時ではなかった”って。


 だって、口のお上手な迅さんは、案の定、自信満々で自分の説をみんなに信じ込ませようとするけれど、たまたま、あの時に寿司屋にいた、みんなの視線がアラームを止める由貴さんの方に集中したからと言って、なぜ、それが犯人が毒物をお茶に混入したタイミングと決めつける事ができるのかしら。その他にも、色々と毒物混入のタイミングはあったと思うわ。例えば、寿司職人の良介さんなら何時でも、それは可能だったはずじゃない? それとも、迅さんは何か絶対的な確証をお持ちなのかしら? そんな物があるなら、是非、見てみたいものだわ」


「なら、俺は藤野に一つ聞きたい事があるんだが」

「また、質問なの?」

「大丈夫。これが最後にするから」


 二人の間に飛び散る冷たい炎を敢えて無視するように迅は香織に微笑み、手にした坂下由貴の携帯電話のボタンを2、3度押してから、表示された画面を彼女に示した。


 アラーム1 OFF 午後2時20分


 迅は、言葉を続ける。


「これは、アラーム設定画面だけど、藤野、あんたは毒物混入事件があったあの日に、なぜ、この坂下 由貴の携帯アラームを午後2時20分に設定し、それをONにしたんだ? それは、回転寿司屋の中にいた他のメンバーの視線を自分の手元から、他に向けるためじゃなかったのか」


「私が、由貴さんの携帯アラームを午後2時20分に設定したって! 迅さんの言ってる意味がさっぱりわからないわ。それに、その携帯のアラーム画面はOFFになってるじゃない!」


「画面がOFFになっているのは、坂下があの時にアラームを止めたからだ。もう、俺の言葉の意味がわからないなんて言わない方がいいんじゃないのか。あの日、藤野は、間違えて坂下のバッグをトイレに持って行っただろう? その時、あんたは坂下の携帯電話に一度も触れなかったって言い切る事ができるのか」


「……由貴さんのバッグを間違えて持っていったのは確かだけど、あれは本当に私のバッグと由貴さんの物が同じ色で、うっかりしていたからなのよ。それに、由貴さんは、いつも携帯電話のアラームを午後2時20分に合わしていたんだから、その設定が携帯に残っていても不思議でも何でもないじゃない! それなのに、何で迅さんは、私がわざとアラームを合わせたって言い張るの」


 香織の言葉に、迅は珍しく声を荒げた。


「坂下由貴なら、携帯アラームを午後2時20分に合わせる事は絶対にありえない」


「えっ?」


 その台詞を聞いた全員が、何かに化かされたような気持ちで、迅が持つ携帯電話に目をやった。


「彼女が携帯電話のアラームを合わしていた時間は……」


 そう言いながら、迅は、手にした携帯電話で117の時報をコールする。


 午後1時3分23秒をお知らせします。午後1時3分24秒をお知らせします。 午後1時3分25秒を……。


 連続的に時間を告げる機械的な女性の声を皆に聞かせてから、迅は言った。


「この時報と坂下の携帯電話に表示されている時間を比べてみろよ」


 携帯電話の時計は午後1時5分。


「わかるだろ。坂下由貴の携帯の時間は日常的に2分進んでいたんだ。最新式の携帯ならば、自動的に時間が合わさって、こんなズレは起こらないだろうけど、彼女は旧式の携帯電話を使い続けていたんだよ。俺は万引癖の相談を受けた時に、この携帯を見て、彼女の物持ちの良さと、その几帳面な性格に閉口したもんだ」


 坂下は、購買部のアルバイトが交代する午後2時30分の10分前に、正確に携帯アラームの時間を合わせようとしていた。そして、彼女の携帯は2分間、進んでいた。


「坂下由貴は、携帯のアラームを午後2時20分ではなく、“午後2時22分”に合わせていたんだよ」


 迅は彼の横に座っている女子大生に鋭い視線を送り、こう宣言した。


「この携帯を午後2時20分に合わせたのは、坂下 由貴じゃない。それは、坂下がその時間にアラームを設定していた事を知り、なおかつ、あの毒物混入事件のあった日に、彼女の携帯をその時間に合わせる事が可能だった人物なんだ。そして、それは ― 藤野 香織 ― あんたでしかありえないんだよ」


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