第8話 「怨霊勇者」
洗脳が解けていたイトスに甘んじて一撃をもらってしまうものの、騒ぎを聞いて駆け付けたクレアミスと共に、彼女を返り討ちに。
獲物である大鎌は、彼がこの場に姿を現すと同時に消しており、私は魔王としてではなく魔術師として戦っていたので、彼が違和感を感じることはなかった様子。
戦闘の余波で室内は滅茶苦茶に荒れてしまっていたが、仕方ないだろう。
「イトス・・・残念です。このような結果になってしまって」
愛しの彼の手前、過激な発言は控えつつ、私はトドメを刺すべく、倒れ伏しているイトスの元へと移動する。
再び洗脳し直せばいいのかもしれないが、彼がこの場にいる以上、下手なことはできない。
それになにより、人形の分際でこの私に傷を負わせたことが、許せなかったのである。
じくじくと痛みを伝えてくる背中の傷が、なんとも腹立たしい限り。
(飼い主に噛みつく犬など、存在価値などありませんからねぇ)
クレアミスは私に一任しているのか、何も言わないで状況を見守っている。
「貴女には特別に目をかけていたのですが・・・まさか私たちの命を狙う間者だったとは」
洗脳が解けたいま、この女がよけいなことを言う前に、始末する必要があった。
「仮初とはいえ、貴女が尽くしてくれた日々は忘れません。だから・・・お別れです」
私が右手を、蠢動するイトスへと向けた時だった。
何の前触れもなく、それは突然だった。
私の脇腹を、白刃が突き抜けていたのだ。
遅れて激痛が私を襲い、込みあがってきた血塊を我慢できず、そのまま吐血。
剣に貫通されたままの私は倒れることを許されず、顔だけを背後へと向ける・・・
私を突き刺している剣を持っている、愛しの彼──クレアミスが、酷薄な笑みを浮かべていた。
※ ※ ※
「く・・・くれあ、みす? なぜ、ですか・・・?」
訳が分からなかった。
なぜ彼から攻撃されなければならないのか。
理解が追い付かず、受け入れがたい事実に思考がマヒしてしまい、ただただ腹からの激痛に苛まれる。
微笑する彼が、ゆっくりと口を開く。
「油断しましたね、ササラさん」
耳に心地よい、聞き慣れたクレアミスの声ではなかった。
とはいえ、聞き覚えがある声でもあり。
「まさか・・・ステラ、さん・・・?」
「ウふふ・・・」
「貴女は、奈落に堕ちたはず・・・」
「戻ってきたんですよ、ササラさん。あなたに復讐するために」
クレアミスの顔で、ステラが狂笑してくる。
「そして、同時に思い出したんです。私が、いかに”彼”を欲していたのかを」
剣を握る右手はそのままで、左手で自分の胸元に触れる。
「だからこうしてひとつとなることで、私はようやく彼を手に入れられたんですよ」
右手に力が込められたことで剣が動き、そのことで脇腹がえぐられた私は顔をしかめる。
「ぐぅ・・・く、クレアミスの意識は・・・?」
「私の中で眠ってもらっていますよ。当然じゃないですか」
なんてことだろうか。
まさかステラが現世に戻ってくるなど。
しかもクレアミスに憑依するなど・・・
弱体化しているとはいっても、クレアミスは勇者なのだ。
精神の抵抗力だって、言うまでもなく強固であり。
悪霊のラギアでさえ、彼に憑依はしなかったというのに。
(下手に奈落に堕ちたことで、よけいな力をつけたということですか・・・)
そもそもが、奈落に堕ちて戻ってくること自体、ありえないことであり、想定外なのである。
(ステラさんの執念を甘く見ていたということですか・・・)
壊れた精神状態で、欲求だけが暴走した結果なのかもしれない。
再び血塊がこみ上げてきて、私は吐血。
口から血の糸を引く私の姿が面白いのか、ステラはクレアミスの顔でケラケラと嗤ってくる。
「このままここであなたを殺すことは簡単ですけど・・・それでは、私の気が済まないんですよね」
無造作に剣を引き抜いたステラは、その衝撃でたたらを踏む私から距離をとってきた。
「私とあなたの因縁の場所で、決着をつけましょう。私が全てを奪われたあの場所で、今度は私が、あなたの全てを奪ってあげますよ」
言い捨てて、悠然たる足取りでその場を去っていく。
脇腹に穴を開けられた私は、とても追撃できる状態ではなく、口惜し気に見送ることしかできなかった。
※ ※ ※
状況が急変したことで手ごまが欲しかった私は、始末しようと思っていたイトスを再び傀儡へと。
もともと虫の息だったイトスは、傀儡となった今でも血の海から立ち上がれない様子。
まあ、無理もないだろうと理解する気持ちもあったりする。
元魔王と元勇者を相手にして、袋叩きにされたのだからだ。
満身創痍を通り越してボロ雑巾と化していても、生きていること自体が奇跡である。
「イトス。勝手に死ぬことは許しませんよ」
「・・・は、はい。ご命令の、ままに・・・」
再び意志なき人形と化した彼女は、息も絶え絶えに答えてくるが、満足に動けない様子。
だが私は命令をしたのだ。
だからこの人形は勝手に死ぬことは許されない。
そのため、もうイトスに構うことなく、私はよろよろとした足取りでソファへと移動して、倒れるように座り込む。
「・・・まったく。ステラさん、貴女という人はどこまで・・・」
軽傷の背中の傷は放置して、重症な脇腹の傷を治療魔法で癒しながら、私は独りごちる。
事態は最悪としか言えないだろう。
ラギアのような拉致ではなく、意志を封じ込めた憑依。
怨霊のままだったらまだしも方法はあったのだが・・・
私では、クレアミスに憑りつく精神体であるステラを、どうこうできる手段がなかった。
(どうすればいい・・・どうすれば・・・)
私は、久しぶりに焦慮を感じていた。
思考がまとまらず、焦りだけが先行していく。
ここまで焦るのは、初めてかもしれなかった。
全てがうまくいっていた。
あと一歩で、全てが終わるはずだったというのに。
その一歩を目前にしての、この足踏み。
上げた足を下ろす場所がないという現状。
しかも、私自身ではどうすることもできないという・・・
(・・・そういえば、因縁の場所といっていましたが・・・)
十中八九、魔王城のことを示唆しているのだろう。
魔王の間にて、私の手によってその生涯に幕を下ろしたのだから。
しかし現在、魔王城はこちらの管轄下に置かれている。
ザギンの手回しで、あの双子剣士が新魔王に就任したからだ。
とはいえ、さすがに幼いということで、宰相としてザギンが表舞台に立っていたが。
前回の反乱によって不満分子を一掃できたことで、態度を決めかねていた無派閥の連中も穏健派の傘下に加わることになり、私の傀儡政権が完成。
こうしてようやく、魔族国を掌握できたわけなのだが・・・
(ザギンに、魔王城の警戒を強めるよう警告したほうがよさそうですね)
しかしその判断は遅かった。
こちらに姿を現す前に、事前に準備でもしていたのだろう。
魔王城がゾンビの群れに強襲され、陥落したとの知らせが届くのだった。
※ ※ ※
「何をしていたのですか、貴方たちは」
ザギン邸にて、私は憤慨の声をあげていた。
「無能という言葉を知っていますか? 貴方たちのような者を指すのですよ」
そんな私の眼前には、隠し通路にて無事に逃げおおせていたザギンや、双子剣士の姿。
「いやはや・・・突然のことでしたので。対応が遅れてしまい、このような醜態を」
腕を怪我している様子の古だぬきは、私の怒りの視線を受けても飄々としており、むしろ視線を向けていないというのに、双子剣士のほうが萎縮している様子だった。
「ごめんなさい、ササラ様・・・」
「戦ったんですけど、数がいっぱいで・・・」
私は、ひとつ息を吐く。
「ザギン、感染などはしていないでしょうね?」
「ご心配召されるな。すでに解毒済みですじゃ」
「くふふ・・・それは残念。ゾンビと化してくれれば、その憎たらしい顔を踏みつぶせたというのに」
「ほっほっほ。怖いことを真顔で仰られる」
過去の恨み辛みもあるので、半ば本気でその顔を踏みつぶしたかったのだが。
(利用価値がなければ、とっくに殺しているのですがねぇ)
いまは想像するだけで我慢。
しかしいずれは、必ずその不快な顔を踏みつぶしてやろうと固く決意。
「それで、いまの魔王城の現状はどうなっているのですか?」
「完全にゾンビ共に制圧されておりまする。城内に生存者は、もはやいないでしょうな」
「生存者・・・ですか」
唯一いるとするならば、魔王の間にて私を待つ、クレアミス──彼の身体を乗っ取ったステラだろう。
「しかも魔王城の周辺にも大規模なゾンビの集団がうろついており、近づくこともままならぬ状態ですじゃ」
ザギンがそう報告したところで、なにやら外が騒がしくなり始める。
と、その場に血相を変えたメイドが飛び込んできた。
「た、大変です! 街中にソンビが溢れかえっています!」
「なんじゃと・・・っ?」
さしもの古だぬきも声を荒げ、双子剣士も動揺を紛らわせようと互いの両手を握り合っており。
私としても、嘆息を隠せなかった。
(ステラさん・・・貴女はどれだけのバケモノになって、戻ってきたというのですか)
後にすぐ知ることになるが、ゾンビの襲撃はこのガミレアだけではなく、人と魔、獣人に関係なく、各所にて発生していた。
世界が、たったひとりの狂った怨霊によって、動乱の渦へと・・・




