第7話 「傀儡」
訓練場にて、剣戟音が鳴り響く。
動きやすい服装に着替えた私が、クレアミス様の対戦相手として、いま剣を交えている最中だった。
決闘というわけではなく、実戦形式のほうが鍛錬にも身が入るとのことで、模擬試合の相手をしていたのである。
この街にいる騎士や兵士では、いくら弱体化しているとはいってもクレアミス様の相手にはならないので、最近はこうして私が相手をすることが多かったのだ。
(さすがに動きがいい・・・)
鍛錬すればするほどに、クレアミス様の動きは洗練されていく。
少しでも気を抜けば間合いに入られてしまい、あっという間に押されてしまう。
魔都から帰還された頃は何かに思い悩んで動きも精細さを欠いていたが、最近はどことなく憑き物が落ちたようで、日々の鍛錬により一層に身を入れている様子だった。
というかむしろ、以前よりも気合いに溢れているようだった。
(驚くべき速さで強くなってる・・・これが勇者の力・・・)
強くなっている・・・その表現は、少し違うのかもしれない。
元の強さに戻ってきている、と言ったほうがいいのかもしれず。
いずれにしろ、まだ弱体化しているクレアミス様は、徐々にだが力を取り戻してきている様子だった。
苛烈な斬撃の応酬。
一見すると一進一退なれど。
私は本来の力のままであり、クレアミス様は弱体化された状態なのだ。
それでいて、戦況が互角・・・
(・・・なんだろうか、この湧き上がってくる感情は)
悔しい・・・のかもしれない。
しかし、なぜ悔しいのだろうか・・・
クレアミス様の力が戻ることは、喜ばしい限りだというのに。
そんな雑念が隙を生んでしまったのだろう。
僅か一瞬だったとはいえ、その一瞬でもって、攻防の決着はついていた。
「ふう・・・どうしたんだい? イトス。動きにブレがあったよ?」
私の鼻先に切っ先を突きつけていたクレアミス様はそう言ってから、切っ先をゆっくりと下げる。
「・・・申し訳ありません。少し、考え事を」
「戦闘の最中に他のことを考えるのは、ちょっと感心しないかな」
「・・・申し訳ありません」
「いや、別に責めてるわけじゃないけどさ。命をかけた戦場では命取りになりかねないから、気を付けないとね」
「・・・はい。肝に銘じておきます」
「よし、じゃあもう一戦といこうか」
「・・・お心のままに」
距離をとる私とクレアミス様。
「・・・クレアミス様、ひとつお伺いしてもよろしいですか?」
「ん? なんだい?」
「・・・最近のクレアミス様の御様子は、鬼気迫るものがあります。何か心境の変化でも?」
「ああ・・・まあ、ね」
クレアミス様は、複雑そうな表情を浮かべて、頬をポリポリと掻く。
「ササラにばかり負担を強いれないからさ。少しでも彼女の負担を減らすためにも、やっぱり僕はもっと強くならなくちゃいけないと思ってね」
「・・・なるほど」
ササラ様とどのようなやり取りがあったのかは知らないが、要は、強くなるための理由が増えたといったところなのだろう。
気持ちひとつでここまは変わるとは・・・
これが、勇者の力なのだろうか。
「だからイトス、悪いけど、僕が納得できるまでは、何度でも付き合ってもらうよ」
「・・・問題ありません」
再び激突する私とクレアミス様。
そんな最中だった。
──ウふふ・・・──
風に消え入るような笑い声が聞こえたかと思うと・・・
「──っ!?」
突然、私の脳裏に様々な記憶が甦ってきた。
それに伴い、ずっと靄がかかっていた意識が、覚醒する。
(私は・・・今まで何を・・・っ)
目の前にいる男──”勇者”を視認するや、私の中から猛烈な憤怒が。
魔王エクードの影武者だった母を殺した、憎き相手。
殺意が、殺気が吹き上がるも・・・私は慌てて抑え込む。
記憶が甦ったことで、いま私が置かれている現状を把握したからだ。
勇者は母の仇だが・・・いまはこの感情を抑えるのが得策と判断。
(ここでこいつを殺すと、エクードが警戒してしまう・・・)
いますぐにでも殺したい、仇を討ちたい。
しかし、それではエクードを殺せなくなってしまう。
危険度から言えばエクードが上であり、奇襲の一撃必殺で先に葬るのは、あの女が先がいいだろう。
勇者とはいえ、いまは弱体化しているので、正面からの戦闘でも、私にも勝機があると判断。
剣を構えなおして深く深呼吸する私を前に、元勇者が少し驚いた様子だった。
「いまの殺気はすごかったね。思わず、全身に緊張が走ったよ」
「申し訳ありません。つい、熱くなりすぎました」
「そうか。それだけ君も本気になってくれているんだね。鍛錬のし甲斐があるよ」
「ではクレアミス──様。続きを」
鍛錬中による事故として元勇者を殺すのもありかもしれないが、結果的にはエクードが警戒を強めるだけなので、下策と言わざる得ない。
あの洗脳によって、私は事故であろうが元勇者を害することは禁止されているからだ。
元勇者と鍛錬による剣戟を展開しながら、私は復讐を胸に思案する──
※ ※ ※
いつものように夜遅くまで鍛錬後、自宅へと戻ると、いつものように淑女然とした様子の女が、元勇者を出迎えてきた。
「おかえりなさい、あなた。お勤めお疲れさです」
本性を知っている私が虫唾が奔る想いを必死で隠す一方では、完全に信用している元勇者は笑顔に。
「ただいま、ササラ。こんな時間なのに出迎えてくれて、ありがとう」
「何を仰るのですか。あなたを待っているこの時間も、私の愉しみなのですよ」
そんなやり取りを前に、私は吐き気がしていた。
(こんなもの、偽りじゃないか)
魔王と勇者が夫婦?
ありえない。
きっと魔王が何かしたのだろう。
もしかすると、私にしたように洗脳でもしているのかもしれない。
(まあ、どうでもいい。もうすぐこの茶番も、私が終わりにしてやるのだから)
そしていつものように、元勇者は汗を流しに風呂場へと。
姿が見えなくなった途端、元魔王の態度と口調が変わった。
「何をしているのですか、イトス。早く彼の着替えを用意してきなさい」
いつもの流れ。
だからだろう。
元魔王は言い捨てるや、私に無防備に背を向けてリビングへ。
この好機を逃すほど、私は馬鹿じゃない。
深呼吸してから、ひと息に元魔王へと飛び掛かり、抜刀。
突進の勢いが乗せられた鮮烈な残光が、無防備な背中へと叩き込まれ──
「ぐう・・・っ」
元魔王の背中を切り裂くも──浅い。
気配で察したのか、直前で飛び退かれていたからだ。
とはいえ、回避されるのは想定済みであり。
私は一瞬の遅滞なく、元魔王へと追撃を繰り出している。
直後にあがるは、金属音。
元魔王の両手に生まれていた大鎌が、私の斬撃を受け止めていたからだ。
「まさか、仕留めきれないなんて・・・っ」
さすがは、魔王といったところだろうか。
私には一切慢心なんてなかったというのに・・・
必殺の奇襲が不発に終わったことに、私は半ば諦めを感じていた。
魔王と正面からやり合って勝ち目などあるはずもなく、しかもその戦闘音を聞きつけた元勇者が来れば、当然ながら妻の援護に回ることだろう。
一撃必殺の奇襲が失敗したいま、私は完全に詰んでしまったのだ。
(敵討ちに失敗に、揚げ句に良い様に洗脳され、そして、こんな最期か・・・)
「くふふ・・・どうやら洗脳が溶けてしまったようですねぇ」
冷笑を浮かべる元魔王の両目が怪しく光る──その前に、私は大きく飛び離れていた。
同じ轍は踏まないということである。
目を見ないようにしながら、私は剣を構えなおす。
「くふふ・・・無駄なことを。この私相手に、目を見ないでまともに戦えるとでも?」
「・・・もとより、私はあの時から、死を覚悟して挑んでいる」
いまさら死ぬことなんて恐れない。
最初から玉砕覚悟なのだから。
「母の仇・・・とらせてもらう」
私がそう言い放ったとき、その場に現れる人物が。
勇者クレアミス。
予想よりも早い登場に、私はもはや完全に諦めの境地に。
「・・・せめて、腕の一本でも!」
1対2という劣悪な状況、しかも相手は元魔王と元勇者。
私に勝機などあるはずもなく。
戦闘時間はどれほどだったことだろう・・・1分か2分か、あるいはもっと短期だったか。
私は・・・血の海に沈んでいた。
辛うじて致命傷は避けていたが、このふたりを前には意味がないことだろう。
立ち上がり、一矢報いようという気力すら沸いて来ない。
(ああ・・・こんなことになるのなら、せめて元勇者だけでも訓練場で仕留めておくべきだったか・・・)
失血と疲弊による影響か、私の視界はだんだんと暗くなっていく。
同時に襲ってくるは、心地よい睡魔。
もうこのまま、永遠になるだろうこの睡眠に身を委ねてもいいかもしれない。
暗い視界のせいでよく見えないが、何やら元魔王と元勇者の間で何かあったらしい。
よく聞こえないのは、ぼやける視界同様、聴覚すらもが低下しているのだろう。
(もうどうでもいい・・・どうせ私は、もうすぐ殺されるんだから・・・)
両目を閉じると、元魔王が何やら苦し気な口調で声をかけてきた。
「くふふ・・・始末しようと思っていましたが、状況が変わりました。まだお前には、私の為に役に立ってもらいますよ」
「──っ、まだ私を利用する気か!」
思わず目を開いてしまったのは、失敗だった。
魔力を帯びている元魔王の両目と、視線が合ってしまう。
「あ・・・ああ・・・」
はっきりしていた意識に、再び靄がかかり始める。
目をそらそうとしても、もう身体が言うことを聞いてくれない。
「そん、な・・・い、嫌だ・・・もう、殺してくれ・・・」
意志のない人形に成り果てるのは、もう嫌だった。
こいつのために自分の命を費やすなど・・・絶対に嫌だった。
意志が消えていく私からの懇願に対し、元魔王は──口の端から血の糸を引きながらも、冷笑。
「くふふ・・・怨むならば、…さんを」
もう声すらまともに聞こえない。
(嫌だ・・・イヤだ・・・いやだ・・・)
消えていく”自分”。
また人形と化していく”自分”。
怖い怖い怖い怖い怖い・・・
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ・・・
「ま、魔王様・・・どうか、どうか御慈悲を・・・」
淀んでいく意志の中で、私はすがるように、慈悲を乞うていた。
しかし──
「くふふ・・・諦めてください」
無慈悲な宣言。
(ああ・・・助けて・・・母さん・・・)
私の”意思”は、闇の中へと沈んでいった・・・




