第7話 「改ざんの影響」
「遅いですね・・・」
読み終えた本をパタンと閉じた私は、窓から見える景色に目を向けた。
外はすっかり夕暮れ色に染まっており、散発的にカラスの鳴き声が。
自宅にてクレアミスの帰りを待っているのだが、一向に返ってこないのだ。
「・・・仕方がないといえば、仕方がないのでしょうがねぇ」
やはりというべきか、記憶の改ざんが脳に与える影響は皆無というわけにはいかないようで。
クレアミスの戦闘力が著しく落ちているのだ。
思うように体が動かないことが多いらしく、最近の彼は自警団の仕事が終わると自主練をしており、帰りが遅くなることが多くなってきていた。
彼の弱体化は私の我が儘が原因だが、これといって私が反省することはない。
(クレアミスが弱くなっても、私が守ればいいだけのこと)
私が愛したのは、彼の勇者としての強さではないからだ。
だからクレアミスも、弱体化したことを気にする必要なんてないのだ。
それでも彼は、弱くなったことが許せないようで、毎日遅くまで鍛錬を繰り返している。
どこまでも生真面目な彼に惚れ直すと共に、二人だけの時間が減っていることに不満も感じてしまう。
(まったく。ままならないものですねぇ)
思い通りにならない現実に、嘆息ひとつ。
あれからステラは姿を見せず、ラギアも目立った動きはしていない様子。
いつものように野良魔物の調伏に向かったらしいという報を受けた程度。
私がすぐに動いたことを知ったことで、慌てて戦力増強をしているのだろう。
まったくもって無駄な努力・・・放置しても何ら影響はないだろうと判断。
そのほかにも何かあれば、すぐに私に連絡をしてくる手はずである。
その一方では、好戦派との水面下での睨み合いのために、ザギンたちも思うように動けず仕舞い。
新魔王を名乗る魔族は、かつてのナンバー2であるために、万全の状態じゃない今の私としても、出来るだけ正面からの衝突は避けたいところ。
ザギンにも念押しをしているので私の名が矢面に出ることはないが、知られた場合、すぐに好戦派と穏健派の潰し合いが勃発することだろう。
私とあの魔族──新魔王との関係は、決して良好とはいえないからだ。
(まあ、いまはこれといって急ぐ事案もないことですし・・・いまは愛しの夫を待つ貞淑な妻として、彼が帰ってくるまでのこの退屈な時間を、愉しむとしましょうか)
少しぬるくなった紅茶を一口すすってから、二冊目の本へと目を落とす──
そして結局、愛しの君が帰ってきたのは、夜半過ぎだった。
「お帰りなさいませ、あなた。遅くまでお疲れ様です」
淑女としての態度と声で、疲れた様子の夫を出迎える。
「ただいま、ササラ。ごめん、帰りが遅くなっちゃったね」
「いえ。いま、晩御飯を温めますね。冷めてしまったので」
彼の為に食事を作るという行為も、いまの私にとっては至福の時間でもあった。
愛しくて溜まらない人に、自分の手料理を食べてもらえる。
なんと幸福なことだろうか。
私がキッチンへと向かおうと踵を返そうとすると、クレアミスは苦笑いを浮かべてきた。
「そういや、仕事で僕の帰りが遅くなったら、不機嫌な顔でレナも出迎えてくれたっけ」
本来ならば、取り留めもない思い出話。
しかし私はピクンと動きを止め、当の彼も、戸惑いの表情を見せる。
「あれ・・・おかしい、な。レナはまだ生まれてないはずなのに・・・? なんで僕は・・・」
改ざんした記憶と過去の記憶が混同しているのだろう。
混乱しているのか、ふらついた彼は、壁に片手をつけて態勢を維持し、額に手をあてる。
「ササラ・・・レナは。僕たちのレナは、まだ・・・」
「クレアミス」
素早い口づけで彼の言葉を制してから、驚く彼からゆっくりと離れ。
「今日は、ひどくお疲れのご様子ですね。お風呂で汗を流してきてください。着替えを用意したあと、疲労に効く薬草茶を淹れておきますわ」
「あ・・・ああ。ありがとう、頼むよ」
足取りが重い様子ながらも、クレアミスは風呂場へと。
(記憶の上書きは、まだ完全ではないようですね)
それだけレナへの愛情が深かったということでもあり。
私にとっては、不快な事実でもあった。
※ ※ ※
爆音が轟き。
矢玉が飛び交い。
空が連なる閃光で染められる。
兵士たちの怒声が飛び交い。
絶叫となり。
断末魔と成り果てる。
死体が量産されていき。
踏みつけられて残骸と化し。
大地が真っ赤に彩られていく。
オーブから見えてくる光景は、血で血を洗う戦場と化したジャラオの外周だった。
現在、このジャラオは戦禍に見舞われていた。
しかしその相手は、魔物勢を率いるラギアではなく、かといって魔族軍というわけでもなく。
ジャラオ皇国と、領土を巡って小競り合いを繰り返している隣国である。
皇国とは休戦協定を結んでいたようだが、協定を破り、侵攻してきたというわけだ。
(くふふ・・・同族同士で争うとは、人族の、なんと愚かなことでしょう)
価値観の違いというやつだろうか。
私にとっては、領土が広かろうが狭かろうが、どうでもよかったりする。
・・・元魔王のセリフではないのだろうが。
(まあ、いまの魔族国も同じような状態ですか)
正直なところ。
私にとっては、こんな小競り合いには何の興味もない。
所詮は小競り合い。
国の存亡をかけた大戦でもないので、両国共に引き際を見誤らないだろう。
ではなぜ、私がオーブ越しで興味のない戦場を観戦しているかというと・・・
オーブ越しで私が気にかけているのは、前線にて雷まとう剣を振るう青年──クレアミスである。
自警団の一員でもある彼は、率先して前線に向かってしまったのだ。
世話になっている国のために戦うのは、当たり前だと言って。
さすがに私としても、弱体化している彼をひとりで戦線に送るのも躊躇いがあったので、一緒に戦うと言ったのだが・・・身重な妻を戦場には立たせられないと、断れていた。
(くふふ・・・まだ身重じゃないんですがねぇ)
私が妊娠していると信じ切っている彼は、本当に私を大事にしてくれる。
それが嬉しくもあるが・・・現状では、そうも言っていられないというのが本音。
オーブからの映像では、クレアミスの奮闘ぶりは目を見張るものがあった。
さすがは、勇者といったところだろうか。
卓越した剣戟もだが、得意の雷撃も的確でいて、まさに敵なし状態。
なのだが・・・
彼の全盛期を知っている私としては、歯がゆい思いがあったりする。
確かに、有象無象からしたら、いまのクレアミスでも十分脅威だろう。
しかし私の目には、その動きには精細がなく、体が重いのではないだろうかと思ってしまうのだ。
だから先ほどの表現なのだ。
無双、ではなく、敵なし状態、と。
100%の圧倒でない以上、もはや無双とはいえないのである。
(しかし・・・まさか二度目の記憶改ざんが、ここまでの影響を及ぼすとは)
三度目の記憶改ざんがないように、立ち回らなければならないだろう。
などと思っていると、不意をつかれたようで、クレアミスが守勢となっていた。
それでも持ち前の戦闘センスで持ち直し、反撃の一刀が敵を切り伏せていた。
この戦場にいるのは、ただの雑兵。
いくら弱体化しているとはいえ、勇者であるクレアミスが後れをとるような相手はいないだろう。
(・・・とはいえ。このまま黙って見ているというのも、精神衛生上、よろしくないですかね)
クレアミスが負けるとは思っていないが、だからといって愛しの彼が雑魚なんかに傷つけられるというのも、我慢がならない。
「止むを得ませんね」
私は、手早く着替える。
淑女然とした華美すぎないドレスから、動きやすい黒のドレスへと。
顔を覆う黒のベールで顔は見づらいだろうが、念のため、認識阻害の魔法も自分に掛けておく。
そして右手に、愛用の蒼炎吹き上がる大鎌を生み出し。
慣らす様に一振りすると胸の傷が痛みを伝えてくるも・・・いまは気にしない。
所詮、戦場にいる敵は、脅威とはいえない雑魚共なのだから。
クレアミスには身重と思われている以上、魔術師としてのササラでは、戦うことはできない。
そのための偽装である。
「くふふ・・・勇者を守るために、魔王がその刃を振るう時が来るとは。皮肉なものですねぇ」
これもすべては、惚れたものの弱みというやつだろう。
「さて・・・いきますかね」
転移魔法を発動した私は、愛しの彼が奮戦する戦場へと──




