第4話 「洗脳」
「なるほど。それで、おめおめと逃げられたわけですか」
ザギンからの報告を受けた私は、冷淡な態度で、眼前で片膝をつく古だぬきを睥睨する。
場所は、ザギン邸の一室。
どうやってここに来たかと言えば、一度訪れたことのある場所ならば、転移魔法で一瞬のためだ。
元とはいえ、私は魔王。
そしてザギンは私の後見人。
私がザギンの邸宅に訪れたことがあったとしても、何ら不思議じゃないのである。
片膝をつく老齢の魔族は渋面、その両脇にいる同じく跪くふたりの魔族は戦々恐々としており。
前回の彼らとの接触ではいなかった無表情の女魔族だけは、これといって反応はなく、尚且つ、私の前だというのに立ったままだった。
「恐れながら、陛下。ご息女が、予備動作なく魔法を行使できることを、我々は知らなかったのですが」
恭しくしながらも、なんで教えなかったんだとばかりな口調のザギン。
答えは、簡単。
単純に、私が教えるのを普通に忘れていただけなのだ。
「くふふ・・・ザギン。自らの失態を私のせいにする気ですか? しばらく見ない間に、ずいぶんと偉くなったものですねぇ」
「とんでもございません。ただ、わしらには情報がなかった。それゆえに、取り逃がしたということです」
「まあ、いいでしょう。期待半分でしたからね。貴方たちに簡単に始末できるようなら、この私が手こずりはしないのですよ」
「いやはや、手厳しいことを仰られる」
取り巻きの魔族ふたりは顔色を真っ青にしているが、当のザギンは苦笑い。
「しかし、陛下。本気で殿下を始末なさりたいのでしたら、なにゆえ、御自らがあの場にて引導を渡さなかったので?」
ある意味もっともな事を言ってくるザギンに、私はことさら冷淡に両目を細める。
「ザギン、言葉を控えなさい」
一瞬でこの場の空気が凍り付き、取り巻き魔族のふたりが硬直。
女魔族は相変わらず無反応であり、慣れているザギンも苦笑いを崩さない。
「この私に、些事に手を下せと? 何の為に、お前たちがいるのですか?」
とはいうものの。
実際のところは、私が本調子ではないからなのだ。
傷の治りが遅い上に、魔力も減退気味。原因は・・・不明。
だから私は、激しい動きはしたくなかったのだ。
だからこそ、もう会う気はなかった古だぬきに連絡をとったというのに。
存外役に立たなかったコマに、あまり期待はしていなかったが、私は落胆を隠せない。
「まさに仰る通りですじゃ。わしら臣下は、陛下のお手を煩わせないための手足なのですからな」
ザギンがそう述べた時だった。
何を思ったのか、女魔族が無表情のままで、いきなり飛び掛かってくる。
これには、さしもの古だぬきも驚きで両目を見開いた。
「イトス!? お前何を──」
女魔族は意に介さず、私に肉迫・抜刀しざまに問答無用で剣を叩き込んでくる。
完全に不意の攻撃なれど。
私は伊達に魔王をしていたわけではなく。
瞬時に出現させた大鎌の柄にて、急迫する銀の軌跡を受け止めていた。
明らかな殺意が込められた必殺の一撃だった。
この女魔族は、一切の躊躇なく、魔王であるこの私の命を狙ってきた。
すがすがしいまでの殺気に、あの女を思い出した私は、思わず苦笑。
「くふふ・・・いったい、何のつもりなのですかね?」
「エクード様。貴女の身代わりで、私の母は勇者たちに殺されました」
「身代わり・・・?」
「・・・私の母は、エクード様の影武者の任を負っていました」
「影武者・・・なるほど」
この娘は、どうやら世間に出回っている噂を信じているらしい。
実際のところ、影武者にトドメを刺したのは、この私なのだからだ。
だからこそ、この娘が私に殺意を向けるのは、ある意味では当然ともいえる。
「エクード様が突然いなくなったせいで、私の母は死にました。母の死は、貴女のせいです」
「くふふ・・・だから、私に刃を向けたと? 母の仇を討とうと?」
「イトス! いい加減にせんか! さすがにこれ以上は、わしも庇いきれんぞ!」
声を荒げるザギンは、かなり珍しい。
怒鳴られた当の本人は、しかし相も変わらず無感情。
「最初から、覚悟の上でここに来ました」
「なんじゃと・・・っ」
声を詰まらせる古だぬきの姿も、なかなか拝めるものではなかった。
そしてザギンは、諦めの溜め息を吐いた。
「イトスや・・・残念じゃが、お前はもう終わりじゃ。陛下は、逆らう者には容赦がない。身寄りが亡くなったお前を引き取ったわしの顔に、泥を塗りおって・・・」
「・・・母の無念を晴らせれば、それでいいです」
無表情ながらも、その奥底には強い決意が宿っている瞳が、私の姿をとらえて離さない。
ギリギリっと、白刃と大鎌がかみ合う箇所から金属音が。
「くふふ・・・ザギン。なかなか面白い手ごまを持っているようですね」
「・・・陛下。わしは、陛下のご判断に意を唱えるつもりはございませんぞ」
さすがに私のやり口をわかっているだけあり、ザギンは実に殊勝な態度である。
(この私に歯向かった以上、この女を生かしておく理由はありませんが・・・)
いまは、少しでも使える手ごまが欲しいところ。
ならばどうするか。
私の両目が、魔力を帯びる。
クレアミスの時のように抑えた魔力ではなく、脳にダメージが出ようが関係ない、問答無用での強制洗脳である。
「──っ!」
咄嗟に飛び離れる女魔族なれど、一瞬だけその判断は遅く。
彼女の両目は、すでに洗脳の影響を受けて、薄っすらと魔力を帯びていた。
「く・・・魔王エクードのやり口を、失念していました・・・っ」
「くふふ・・・私に歯向かった罪は、ボロぞうきんのように酷使することで、贖ってもらいましょうか」
「・・・私は、言いなりには、ならない・・・っ」
「ほう? 私の洗脳に抵抗しますか・・・これは面白い」
抵抗を示しながらも、やはり抗いきれないようで、その双眸を苦し気に細める女魔族に、私は笑む。
「母親がその命を私の為に使ったように、娘の貴女も、その命を私の為に使いなさい」
「い・・・いや、です・・・」
「おやおや。母親の意に、娘が逆らうと? くふふ・・・なんて親不孝な娘でしょうかねぇ」
「か・・・母さんの、意・・・?」
「貴女の母親は、命を賭して私に尽くしたのです」
殺したのは私ですがね、と心の中で付け足し。
「ならば娘である貴女も私に尽くすことが、ひいては貴女の母親の意思を尊重することになるのですよ」
「母さんの・・・為・・・」
強固な意思であろうとも。
一度生じた隙が致命的となり、心の隙間から侵食した魔力が、彼女の魂を捉えて離さない。
「わ、私、は・・・」
必死に抵抗していた女魔族から、私に対する敵意が消えていく。
やがてすぐに、その両目から意思の光が消え、傀儡人形の出来上がりに。
もともと感情に乏しかったようだが、これによりさらに人形っぽくなったものである。
事が落着したのを見計らい、ザギンが口を開いてきた。
「陛下。此度の事、わしの監督不行き届きとしか言いようがなく・・・」
「構いませんよ、ザギン。不問にしましょう」
「なんと・・・」
驚く古だぬきに、しかし私は酷薄な笑みを浮かべる。
「ただし、この女は傀儡として、壊れるまで使わせてもらいますよ」
「・・・陛下の御心のままに」
逆らうことなく、頭を垂れるザギン。
控える取り巻きたちは、顔面蒼白でひたすらに頭を垂れるのみ。
「くふふ・・・なかなか使えそうな手ごまが、手に入ったものです」
この人形をどう使って、あの女を追い詰めようか。
新しい玩具の用途を思い浮かべ、私はほくそ笑む。
※ ※ ※
傀儡にした人形はザギンの元に置いてきてから、私は転移魔法にてジャラオの自宅へと。
置いてきたのは、単純に、連れて帰る理由がないからである。
顔に泥を塗られて怒り心頭のあの古だぬきが、腹いせであの人形に何をするかわからないが、私にとってはこれといって興味もなく。
私の所有物となった以上は、壊すようなことも一応は控えるだろう。
「・・・ふう」
息を吐いた私は、自室にあるソファに深々と座り込んだ。
すぐに愛しの彼の顔を見たかったが、どうやら残念ながら不在の様子。
皇王や一部の高官らを洗脳しているので、何もしないでも高水準の生活は保障されているというのに、クレアミスは人々のために働きたいと、わざわざ自警団に入団していたのだ。
彼の気高き精神に改めて惚れ直すと共に、二人だけの時間が減ることに、多少の不満もあったりする。
(まあ、いまは彼の好きにさせておきましょうか。私のほうとしても、いま優先させるべきは、あの女を排除することですしね)
しかし・・・
(相も変わらず、傷の治りが遅い・・・)
胸元に手を触れると、しつこい痛みが伝わってくる。
魔力のほうにしても、減退しているのがわかる。
(まったく。しつこいのは、ラギアだけにしてほしいものですがねぇ)
10年経って現れた悪霊を思い出し・・・ふいに、またどこかからか薄っすらとした笑いが。
窓は閉め切っている・・・さすがに違和感を感じた私は、ある可能性に気が付いた。
(・・・まさか。いや、しかし・・・)
ソファから立ち上がった私は、全身を見ることができる大鏡へと移動。
(元とはいえ、魔王の私に、そんな可能性があるとは思えませんが・・・)
大鏡の中の自分を見据えながら、私は”その存在”がいるかもしれないと、認識しようとする。
いま私が試そうとしていることは、自分に怨霊が憑りついているかの確認。
実体化できる悪霊とは違い、怨霊は憑りついた相手にしか見えず、尚且つその対象が怨霊の存在を認識しなければ、姿すら見えないという存在。
一般人ならば、憑りつかれていることに気づかないままで、その生涯を終えることも多い。
限定的な精神攻撃しか出来ないので、悪霊と比べると、その危険性は低いのだが・・・
私が”その存在”を意識したことで、私の視界にぼんやりと映り込んでくる”もの”があった。
まるで私にまとわりついてくるような、煽情的な人型。
(ありえないですが・・・やはり憑りつかれていましたか)
次第にその人型の顔が見えてくると・・・私は、笑いを隠せなかった。
「くふふ・・・まさか、貴女だったとは。お久ぶりですね──」
元魔王であるこの私に憑りついていたのは・・・見知った顔。
「──ステラさん」




