第7話 「脱獄」
コツン・・・コツン・・・コツン・・・
夜の静けさに包まれている廊下に、規則正しい足音が響く。
夜中の警備兵の足音である。
今ではお馴染みの、いつもの光景。
でも今日は・・・いつもとは違う。
ようやく、待ちに待った瞬間なのだ。
くそ不味い豆料理とも・・・これでおさらばである。
「こほんっ、こほんっ」
私はわざとらしく、大きな咳をする。
そして苦しそうに表情を歪めて、ベットの脇でうずくまった。
「ど、どうしたんだい、レナちゃんっ」
私の異変に気付いた警備兵の男が、格子越しで視線を向けてくる。
「・・・お、お胸が苦しいの・・・」
胸元をぎゅうっと抑える私に、その警備兵は慌てふためく。
「まさか悪霊がっ? それとも何かの病気っ? す、すぐに人を──」
応援を呼びに行こうとする警備兵を前に、私はその場に崩れ落ちた。
「こほんっ、こほんっ、お兄さん・・・苦しいよお・・・」
涙目で警備兵を見上げるも、その警備兵は違うものに目が釘付けとなっている様子。
倒れた拍子と胸をかきむしる動作で私の衣服は乱れており、そのことでちらりと覗いている小ぶりな胸に、その警備兵の目は釘づけだったのだ。
──たまに来る夜の警備兵さんね、わたしたちのことえっちな目で見てくるんだよ──。
レナから作戦を聞かされた際は半信半疑だったけれど・・・
この警備兵の様子から察するに、レナの観察眼は本物だったというわけだ。
天才児の称号は、伊達じゃないってことだろう。
(私は気づかなかったっていうのに・・・)
ちょっとだけ悔しいと思う反面、そんなことを思っている状況じゃないと思い出す。
(あと一歩・・・っ)
演技をすることでの恥ずかしさで頬がいい具合に紅潮している私は、濡れた目で警備兵を見上げて、すがるように弱々しそうに手を向ける。
「助けて・・・苦しいの。お胸をさすって・・・」
「ええ・・っ、む、胸を僕が・・・っ」
あからさまに挙動不審となる警備兵。
「で、でも悪霊付きとは接触するなって命令が・・・っ」
などと言いながらも、ちゃっかり周囲に目を飛ばして誰もいないことを確認。
「こほんっ、こほんっ。──お兄ちゃぁん、助けてぇ・・・」
私の『お兄ちゃん』発言に、ついに警備兵の理性が吹っ飛ぶ。
「れ・・・レナちゃん! いま助けるからね!」
急いで腰に下げている鍵を手に取り、錠を開けるや、無防備に牢内へ。
「い、いまさすってあげるからね!」
欲望に血走った眼の警備兵が無造作に片膝をつき、私の胸に手を伸ばす──
「があっ!?」
その手をすり抜けた私は、獰猛な肉食獣のごとく、警備兵の喉元に喰らいついていた。
不意を突かれた警備兵は愕然と目を見開くのみ。
私は警備兵が我に戻る前に、その喉元を噛み千切る。
パッと鮮血が飛び散り、目を見開いたまま倒れ込んだ警備兵は、もはやピクリとも動かない。
「ぺっ。ばーか」
口の中に残った肉片を吐き捨てた私は、口元についた血のりをシーツでふき取る。
そのことでシーツに血のりがついてしまうけど、もうどうせ使わないので気にしない。
「幼女に変な気を起こすからだ、この変態。死んで反省してろ」
死体を侮蔑する私に、レナがわざとらしい嫌悪を示して来る。
──うーあー。男の純情を利用するなんて、悪女だぁー──
「これは純情とは言わないでしょーが。ってか、立案者が何言ってるのよ」
そう返してから、死体を前に平然としている様子の彼女に、私は眉根を寄せた。
「あんた、何をしでかしたか理解してるの? この肉体で人を殺したのよ?」
──それは違うよ。このお兄さんを殺したのはね、悪霊のお姉さん、なんだよ──
迷いなくはっきりと断言するレナに、私は思わず言葉を失う。
「あんたまさか・・・都合の悪いのは全部、私のせいにして逃げる気なわけ?」
──うふふ。これからも仲良くしようね、お姉さん──
「このクソガキ・・・」
油断ならないとは思っていたけれど、ここまでずる賢くなっていたとは。
いざとなったら、全部の罪を私ひとりに擦り付ける腹積もりなんだろう。
自分は純真無垢のままで、悪霊に利用されただけなんだと。
(こいつは・・・やっぱりあのクソ女の娘だわ)
言っておくと、今回のこの作戦は、レナが立案したものである。
レナが主犯で、私が実行犯。
つまり、レナは純真無垢なんかじゃないってことである。
まあ、なんにしても、だ。
ついに賽は投げられたってことだ。
あとは時間との勝負になってくる。
巡回兵が規定時間になっても戻らなければ、この事態はすぐに露呈するだろう。
連中に気付かれる前に、せめてこの神殿からは抜け出しておきたい。
「・・・ん」
地下牢から抜け出た瞬間、本調子ではないものの、体に力が漲ってくる感覚が。
「魔法を封じる結界ってのは、牢内だけみたいね」
──早く、いこ!──
「言われなくたって」
こうして私は、ようやく久しぶりに自由を手に入れたのだ。
・・・厳密には、まだ自由の身にはなっていないけれど。
しばらくの間だけども、お世話になった牢内を一瞥後、私は駆けだしていた。
※ ※ ※
幸いというべきか、夜中の神殿ということもあり、人の姿は皆無だった。
単純な構造だったのでそれほど迷うこともなく。
私は無事に地下から1階にたどり着いていた。
「ここは・・・」
──みんながお祈りする大礼拝堂だよ──
扉を開けた先に広がる室内に声を漏らす私に、声だけのレナが説明してくれる。
どうやら、ようやく彼女が見慣れた場所に来られたようである。
荘厳な造りの大広間。
神々しいステンドグラス。
神を象っている雄々しい像。
(まさに、ザ・神聖な場所! って感じね)
敬虔な信徒にとっては畏敬の念を抱く場所かもしれないけれど。
悪霊となっているいまの私にとっては、悪寒で寒気がするというものだった。
いずれにしても、この場に長居はしたくないっていうのが、素直な感想である。
──お姉さん、外への出口は、あの大きな扉だよ!──
レナがそう教えてきた時だった。
カーン! カーン! カーン! カーン! カーン!
耳障りな警笛音が鳴り響く。
それは鳴りやむことはなく、むしろ音はどんどん大きくなっていく。
──あーん、うるさいよぉーっ──
悲鳴をあげるレナとは対照的に、私は忌々し気に舌打ちひとつ。
「気づかれたみたいね。思ってたよりも早いわね・・・」
予想では、もうちょっと時間を稼げると思っていたけれど。
現実は、そうそう甘くはないらしい。
私は扉前へと急いで移動。
「・・・デカい」
とても大きく分厚い扉が、私の行く手をふさぐ。
こんな大きな門、たったひとりの少女の力で開けられるわけがない。
しかも当然のことながら、鍵もかかっていることだろう。
そして私は、この大扉の鍵を持ってはいない。
──どうするの? お姉さん──
「問題ないわ」
私はひとつ深呼吸したあと、右手を扉へとかざし、左手で右手首を押さえる。
そして、魔法を発動させた。
手の先に展開された魔法陣から、炎の玉が飛び出す。
直後、警笛音に負けず劣らずの爆砕音が轟いていた。