第5話 「会いたくなかった来訪者」
「んー、おいしいっ」
朝食に出された大好物のオムライスを食べながら、私は至福の時を感じていた。
最初こそ、何か薬でも入ってるんじゃと勘ぐったわけだけど、心配は杞憂だった様子。
「・・・あれ。私ってば、いつからこれが好物になったんだっけ?」
なにか微妙におかしい。
確か私の好物は、シチューだったはず・・・
──オムライス、おいしいから別にいいんじゃないの? わたし好きだよ、これ──
感覚を共有しているようで、レナの声は満足気だ。
「・・・まあ、いっか」
美味しいモノに罪はないのだ。
深く考えず、私は食事に専念する・・・
ちょうどすべてを平らげた頃合いに、一番聞きたくない声が聞こえてきた。
「お元気そうですね、レナ。安心しましたよ」
──ママだ・・・──
レナの声に緊張が走る。
「ササラ・・・」
私も、視線と表情が険しくなる。
質素でいながらも豪華さを内包させたドレスをまとう貴婦人──を装うササラは、穏やかな微笑を向けてきた。
「ラギアもお元気そうで。ご機嫌はいかが?」
「・・・さっきまでは気分よかったんだけどね。さっきまでは」
睨み付けるものの、ササラはまるで動じない。
とはいうものの、いまの彼女の表情はなぜか優れない。
本調子にはとても見えなかったのだ。
まさか噂通り、本当に体調を崩しているのだろうか?
私の疑念に答えるかのように、傍にいる女官が案じてくる。
「夫人、ご気分が優れないようでしたら、無理をなされては・・・」
「ありがとう。でも娘の安否をひと目見たくて」
娘の身を心から案じていると言わんばかりの母親としての態度。
彼女の腐った性根を知らない者が見れば、ころっと騙されることだろう。
「わかりました。では、私は席を外します。何かあれば、すぐお呼びください」
前もって話をしていたのか、女官はササラに一礼してから静かに立ち去る。
こうして、この場に残ったのは私とササラのみに・・・
ふたりきりとなったことを確認したササラが、にやりと、笑ってくる。
貴婦人然とした淑やかなものではなく、見慣れたあの嫌らしい笑みだ。
「無様なものですね。囚人生活は満喫していますか?」
「お陰様でね。それよりあんたこそ、顔色が悪いじゃない。死相かしら?」
「くふふ・・・ご心配なく。貴女が気にする必要はありませんよ」
「大方、この神殿の神聖な空気が、魂が腐ってるあんたには毒ってところかね」
「相変わらず口が悪い。くふふ・・・まだ心は折れてないようですね」
「・・・あんたの嫌らしいやり口は知ってるからね。思い通りの反応すると思わないで」
「くふふ・・・勇ましいことで。だからこそ、嬲り甲斐があるのですがね」
そう述べたところで、なんとササラがふらりと、僅かに態勢を崩したではないか。
格子に手をついて転倒は避けたようだけど、私は驚きを隠せなかった。
「・・・あんた、まじで体調悪いの? なんでそんな状態で・・・」
「くふふ・・・利用できるものはなんでも利用する、それだけですよ」
まさかこの女、体調が悪いのを推してでも娘に会いに来た、という事実を得るためだけに、この場に来たのでは・・・とんでもない執念である。
「娘想いの悲運の母親を演じるのも苦労しますよ、くふふ・・・」
娘であるレナの身をまったく案じていない様子のササラ。
「一度くらいは顔を見に足を運ばないと、世間的によろしくないですしねぇ」
「・・・変わってないと思ってたけど、やっぱりあんた、変わったわね」
「おや? どういう意味ですか?」
「昔のあんたは、周りなんて関係ないってヤツだったわ」
「くふふ。大人になったのですよ。個人では限界があるのです。他者からの評価があってこそ、価値があがるというものなのですよ」
まるで陶酔するかのように、ササラは瞳を潤ませる。
「私の価値が上がれば上がるだけ、その私の寵愛を受ける彼の価値も比例してあがっていくのです。すべては、愛しのクレアミスのための行動なのですよ」
歪んだ愛情。
もはやついていけないし、ついていく気もない。
「ごめん、私の勘違いだわ」
「勘違い?」
「あんたは変わったんじゃない。完全に狂ったんだわ」
欲しいモノを手に入れた時に、それを手放さないために。
深すぎる愛情は、それだけ人を狂わせるのか。
もはやそれは、狂気の愛、といっても過言じゃない・・・
私の指摘を受けて、ササラはさも可笑しそうに表情を歪ませる。
「くふふ・・・! 褒め言葉と、取っておきましょうか」
嗤う反動で態勢が崩れそうになり、彼女は格子を掴んで態勢を維持。
「ラギア。いまの貴女の生殺与奪権は私にあるのですよ。それをお忘れなく」
「・・・だったら、どうだっていうのよ」
「くふふ・・・そうですねぇ。いまここで、土下座をしてください」
「はあ? なんでそんなことしなきゃならないのよ、馬鹿か、あんたは」
「私が見たいからですよ。ラギア、プライドが無駄に高い貴女の土下座、一度見てみたかったのですよ」
プライドが無駄に高いとか、一言煩い奴である。
要は、とことん私を貶めたいってことなんだろう。
睨むだけで何もしない私を前に、嫌味な魔女は嫌らしい笑みを浮かべて見せる。
「私の一言で、今晩からの食事が変わることになるかもしれませんよ?」
「・・・どういう意味よ」
「貴女は確か、豆系の食べ物が苦手でしたねぇ。今後、ずっと豆料理だけになるかもしれませんねぇ」
「ササラ・・・あんたってやつは・・・」
地味すぎる嫌がらせなれど、食事くらいしか楽しみがない現状、かなりキツい嫌がらせである。
「くふふ・・・どうしました? 顔色がわずかに変わりましたよ?」
「・・・すれば、いいんでしょ」
悔し気に目を伏せた私は、ササラと格子を挟む形で前へと移動すると、ゆっくりと跪く。
「おや? 意外と素直なんですね。驚きましたよ」
「・・・この私が土下座・・・」
両手を床につき、おでこをゆっくりと下げながら。
「──するかああああああああああああああ!!」
「なっ・・・」
格子の隙間からガッと右手を伸ばし、ササラの左足を掴むや、一気に引っ張り上げる。
ササラは咄嗟に右手をついて無様な転倒は避けたようだけど、尻もちをつく形に。
「調子に乗るなよ、このクソ女が!!」
私は立ち上がりざまに、ササラの掴んでいる足を強引に引っ張り続け。
股に格子が食い込む彼女は小さく呻くも、すぐに自由なもう片方の足で何の躊躇もなく私の顔面に蹴りを放っていた。
「ぶっ・・・痛・・・!」
鼻からの激痛で思わず手を離し、鼻を押さえると・・・薄っすらと血が。
「この野郎・・・エロいパンツ見せつけてんじゃないわよ! この売女が!」
「くふふ・・・勝手に見ておいて、なんて言いぐさですか」
立ち上がってパンパンと服の誇りを払ったササラは、先ほどのことで右手を痛めでもしたのか、左手で押さえていたりする。
しかしそんな彼女の顔に浮かぶのは、相変わらずこちらを見下している嘲笑。
「まったく貴女という方は。ちょっと油断するとこれですからね。くふふ・・・昔を思い出しますねぇ。これは、調教のし甲斐があるってものですよ」
「調教とか・・・勝手に言ってろ」
吐き捨てる私だけど、少しだけ意外だったりもする。
(こいつ・・・本当に調子悪いみたいね)
本調子だったなら、いまの程度なら余裕で躱しているはずだからだ。
手首だって痛めるはずがない。
まあ・・・こいつが調子悪かろうが、知ったことじゃないけれど。
「ラギア。私が有言実行する女なのは知っていますね? 今晩からは、豆料理を堪能してくださいね」
「ササラ・・・あんたってヤツは」
「自業自得、という言葉を貴女に送りましょう。くふふ・・・」
彼女の言う通りなので、私は返す言葉がない。
でも私は知っている。
さっき普通に土下座したところで、私の嫌がることを止めるわけがないのだ。
こいつはそういう女なのだから。
「利用価値があるうちは、まだまだ生かしておいてあげますから、安心してください。くふふ」
嫌らしく笑ったあと、彼女は貴婦人然とした淑やかな態度へと戻る。
「久しぶりに充実した時間を過ごせました。やはり、本来の自分で会話をするというのは解放感がありますね。感謝しますよ、ラギア」
「・・・そりゃどーも。だったら、お礼で豆以外も出してほしいわね」
「くふふ・・・特別に、上質な豆料理を出すよう指示しておきますよ」
「クソ女が」
「くふふ・・・!」
気分が悪そうにしながらも実に愉し気な様子で笑ったあと。
「さて。ではそろそろお暇しましょうかね。本格的に気分が悪くなってきました」
「・・・なによそれ。私のせいだって言いたいわけ?」
「くふふ・・・そういうことにしておきましょうかね。では、ご機嫌よう」
優雅に一礼したあと、ササラは立ち去って行った。
「ササラのやつ・・・」
あの女は、どこまで腐った性格なんだろうか。
蛇の生殺しのように、じわじわと嬲ってくる。
やはり、いつまでもここにいるわけにはいかないってことだろう。
狂ってるあいつの気まぐれで一喜一憂するなんて、冗談じゃない。
──でもさー、お姉さん──
今まで黙って成り行きを見ていたレナが、声を出してきた。
──わたしから言わせてもらうと、ママとお姉さんって似た者同士じゃない?──
『はあ? ふざけたこと言わないでくれる? 私の性根が腐ってるって言いたいわけ?』
──自分が腐ってることに気が付かないのってね、ゾンビっていうんだよねー──
『私はゾンビじゃなくてレイスだっての』
──ママとお姉さんってさ、あれだよね。同族嫌悪っていうんだっけ。それじゃないの?──
『ちょっと黙ってなさい』
母娘共々、つくづく私をイラつかせてくれる。
私とあのクソ女が同じ?
ふざけるのもいい加減にしてほしい。
私は、あそこまで腐っちゃいないのだから。
しかもだ。
あいつのことだから、本当に今晩から豆料理しか出てこなくなるだろう。
──わたしは別に嫌いじゃないからいいけどねー。お姉さん、豆が嫌いとか。子供か! ってね──
『煩いっての』
レナとの念話を中断した私は、そのままベッドへと移動して横になる。
血は止まったようだけど、さっき蹴られた鼻がじんじんと痛みを伝えてきた。
(思いっきり蹴りやがって)
普通、娘の顔面を躊躇なく蹴る母親がいるかって話だ。
・・・まあ、あのクソ女に世間一般の母親像は当てはまらないってことだろうが。
(まあいいわ。いまに見ていなさい。いつまでもあんたの思い通りにはいかないからね)
決意を新たにする私だった。