第2話 「取り引き」
立ち去る元勇者の背を見続ける私は、拳を握りしめていた。
(間違ってたとは思わない・・・っ? 私を切り捨てたのは間違いじゃなかったって・・・まだそんなことを言うの、あの男は!!)
あいつのその判断のせいで私は・・・っ!
「全部あんたのせいじゃないの・・・ッ」
ササラ同様に、あいつも本質的には何も変わっていない。
自分は常に正しいことをしていると思い込んだままだ。
(レナの影響を受けているとしても・・・私の復讐心は消えやしない)
私の中で渦巻く復讐心が一気に再燃する。
私は間違ってはいない。
あいつに復讐するのは、当然の権利なのだ。
あいつにわからせなければならない。
その独善的な考えが、他者を不幸にすることもあるのだと。
(私は、その犠牲になったんだ・・・!)
──パパは、お姉さんにひどいことしたの?──
私は大人げなかったと思う。
でもいまの私は苛立っていたので、心配そうに聞いてきたレナに八つ当たりをする。
『そうよ。あんたの父親はね、すごい独善家なのよ。でも滑稽よね! あんたの大好きなパパはね、ママに騙されてるんだからね! 笑っちゃうわよね!?』
ステラと恋仲だったはずのクレアミスが、魔王討伐後にササラと結婚した理由は、ひとつしかない。
あの時に魔王城の宝物庫で見せられた、あの惚れ薬が原因だろう。
薬で騙された感情。
なんて無様なんだろう。
いい気味である。
内心で嘲笑する私とは正反対に、レナの声はトーンが下がっていた。
──パパは、ママにだまされてるの?──
彼女のちょっとした変化に、私は気づかない。
『いまごろは、そのママも邪魔な子供がいなくなったもんだから、パパと二人っきりの時間を堪能してるだろうね。パパを独り占めされて、あんたも可愛そうね』
子供に八つ当たり・・・なんともかっこ悪い。
少し冷静さを取り戻した私は、両目を閉じて内側へ。
レナは、今までにない神妙な表情を浮かべていた。
私が内側に来たことに気付くと、彼女は私に視線を向けてくる。
「お姉さん、相談があるの。・・・ママをね──」
思い詰めた様子のレナは、こちらの予想外のぶっ飛んだ発言をしてきた。
「──殺すのを手伝ってほしいの」
※ ※ ※
「・・・え? ちょっと、いきなりすぎて意味がわからないんだけど・・・」
「ママのことは好きだけど、パパのほうがもっと好きなの」
愛らしい容姿の少女は、外見にそぐわない過激な言葉を紡ぐ。
「そのパパが騙されてるのは許せないし、パパを独り占めにするなんてもっと許せないの。パパを独り占めにするのはママじゃない。わたしなの」
「・・・・・・」
あの親にして子あり、といったところなのだろうか。
まだ幼くとも、彼女も"女"だったのだ。
幼少期の娘が父親に恋愛感情を抱くのはよくあることだけど・・・
母娘の関係が希薄だったゆえに、それが歪んでしまったのかもしれない。
もしくは・・・私と同化した影響か。
(まあ、母親があいつだから、当然といえば当然、なのかもね)
私の八つ当たりが予想外の斜め上をいく展開になるも、これは好機ともいえた。
「レナ。私とあんたには、共通の"敵"が出来たってわけよね」
「でも。お姉さんにとっては、パパも敵なんだよね?」
「それは・・・」
「取り引き、しようよ」
瞳の奥が怪しく煌めくその姿は、とても外見通りの愛らしい少女とは思えない。
「取り引き?」
「ママを殺すのは共通目的として。それ以外のお姉さんの行動も邪魔しないかわりに、パパへの復讐レベルは下げてほしいの。殺さない程度にしてほしいの」
(この子・・・ほんとに8歳なのかね・・・)
この辺のしたたかさは、まさに母親譲りと言わざる得ない。
ササラの腹黒さを彷彿とさせる。
(さすがは、あの女の娘、ってところね)
油断すれば足元をすくわれかねない。本当に末恐ろしい子だ。
(あいつへの復讐レベルを下げろ、か)
復讐を止めて、と言わないあたりが、彼女なりの妥協点なのだろう。
でも、元凶であるあの男を殺せなくなる・・・
そのことに少しだけ安堵する自分がいるけれど、これは自分の感情じゃないと切り捨てる。
(ここで下手にこの子と敵対関係になるのは、得策じゃない、か)
どのみち、まずはササラを先にどうにかしないといけない。
危険度でいえば、こちらのほうが圧倒的に高いからだ。
クレアミスに関しては、ササラに復讐を果たしてから考えることに決める。
まずは、この子──レナ・ロイドを味方につける。
どのみち、現状は一蓮托生なのだから、敵対関係よりも協力関係のほうが動きやすいだろう。
「取り引きに応じるわ、レナ」
打算を内心に秘め、私は彼女へと片手を差し出す。
「よろしくね、お姉さん」
にっこり微笑み、私の手を握ってくるレナ。
その彼女の姿が、ササラと重なる。
(たぶんこの子・・・もっと深いことを考えてる)
見た目は愛らしい少女なれども。
あの腹黒女の娘なのだ。
父親を独占するために母親を殺そうとするような少女。
(この肉体の所有権はまだ私にあるけど・・・油断できないわね)
虎視眈々と、肉体の所有権の奪還も目論んでいることだろう。
いま私の手を握り返しているこの可愛らしい手が、いつ私の喉元を掻っ切ることか。
「レナ、裏切りはなしよ?」
「うふふ。お姉さんこそ」
空々しい笑みを見せあう私と少女。
こうして私は、危険な小さなパートナーを得ることになるのだった。