第10話 「大誤算」
「あなた・・・ありがとうございます・・・っ」
元勇者に優しく抱き留められたササラは、さっきまでの表情が嘘のように潤んだ眼差しと媚びた声で、愛しの夫を見上げる。
「君が無事でなによりだよ。それよりも・・・」
慈しむように妻の頬を撫でてから、室内を見回す。
「これはいったい・・・どういうことなんだい・・・」
事態がまるでわかないようで、ただただ呆然とする。
「レナの姿が・・・」
愕然としたクレアミスに指摘されて、私は初めて気づく。
私が憑依する少女の髪の毛が、黒から銀髪に変わっていたのである。
そして瞳も、いつの間にか深紅に染まっていた。
銀髪と紅の瞳は、魔族の種族的特徴である。
もしかすると、8歳の肉体で魔法を行使するのは無理があったのかもしれない。
それに加えて私という悪霊に憑りつかれて、肉体的に変質してしまったということか。
・・・可愛そうだとは思うけれど、同情はしない。
下手に同情すると、情けが生まれてしまうからだ。
(ってか・・・その変化くらい教えろよな、このクソ女)
一方でそのササラはというと・・・
いまにも泣きそうな声で、クレアミスの胸元に顔をうずめていた。
「悪霊がレナに憑りつきましたの・・・! いきなり私に襲い掛かってきて・・・私はどうしたらいいのかわからず・・・無我夢中で・・・っ! ああ・・愛しいレナ・・・っ」
さっきまでの素はどこへやら。
すっかり貴婦人然としている彼女は、どこからどう見ても悲嘆にくれる母親だった。
ササラを信じ切っているのか、クレアミスは複雑な表情を見せる。
「レナに悪霊が・・・なんでそんなことに・・・」
この王都は結界によって守られているので、魔物が侵入できるはずがないのだ。
まあ、私は普通の魔物じゃないから侵入できたわけなんだけれども。
さすがは勇者というべきか。
娘に何かが憑りついているというのは、すぐに見抜いたらしく。
「何が目的かは知らないが、娘を、レナを開放してはくれないだろうか」
そんな交渉してくる彼に、私は馬鹿にするように鼻を鳴らした。
どうやら、元勇者にとってはこの娘の命は価値があるらしい。
(本当なら、ササラを始末した後に、って思ってたけど・・・)
このふたりが揃ってしまうと、もう私に勝ち目はないだろう。
引退したとはいえ元勇者と、認めたくはないけど実力ならかなり高い元魔術師。
いくらこの娘の潜在能力が高いとはいっても、憑依して間もないということもあり、私はまだ完全にこの身体を使いこなせてはいないのである。
(先に、私を捨てたこの男に、絶望してもらいましょうかね)
娘の身体で目の前で自殺して元勇者に絶望を与えてから、霊体に戻って一端この場を離脱して、ササラを殺す算段を改めて整える。
そう考えていると・・・
──お姉さんは、もうわたしを殺せないよ──
(っ! この子、また私の支配を・・・)
さっき黙らせたばかりなのに・・・精神支配が効かなくなってきている・・・?
なんて、末恐ろしい子なのだろうか。
戦慄する私に、レナは幼い声のままであっさりと告げてきた。
──お姉さんとわたしは、同化したから──
『同化・・・?』
元勇者たちとの距離を保ちながら、私は意味深な単語に眉根を寄せる。
──わたしたちはもう一心同体。だから、生きるも死ぬも一緒なの──
『な・・・なんだってええええええええええええええっ!?』
愕然とした私は、すぐにこの肉体から離れようとするも・・・
『で・・・出られ、ない・・・まじで・・・』
まるで溶接されたかのように、私はこの肉体から出ることが出来なくなっていた。
『ちょ・・・あんた! なんてことしてくれたのよ!!』
──だって。わたし、死にたくないんだもん──
『・・・・・・』
子供って怖い。
後先考えずに、とんでもないことをしでかしてくる。
まあ、子供なりに、自身を守ろうとした結果なんだろうけれど・・・
「こ・・・このクソガキ・・・なんてことを・・・」
動揺が、思わず声に出てしまう。
この状況下では、最悪の展開としか言えない。
同化してしまった以上、レナを殺せば私も死ぬことになる。
しかも同化してしまっているので、もうこの肉体から出られない。
(最悪じゃん・・・ああ・・・これ詰んだわ・・・)
『なんでこんな方法を知ってるのよ、あんた・・・』
──いっぱい、いろんなこと勉強したから──
ああ、そうでした。
この子は、神童と呼ばれている天才児でした。
私のほうが甘かった、そういうことなんだろう・・・
(終わった・・・終わったぞ私・・・)
脱力した私は、呆然自失に。
「レナの意識が、まだそこにあるのか・・・?」
私の呟きを耳ざとく聞いたクレアミスが、娘の安否に過敏に反応する。
「まだ救える可能性があるんだな・・・ササラ! レナを助けるぞ!」
「え、ええ。私たちの大切な娘を、救いましょう」
夫に見えないように顔をしかめたササラも、形だけ同意の姿勢を示す。
戦闘態勢に入るふたりを前に、私は呆然と立ち尽くすのみ。
この後・・・
悪霊という圧倒的アドバンテージを失った私は、あっけなく拘束されることに。
(こんなことになるなんて・・・くそったれえええええええええええええええええっ!)
内心で、私の絶叫がこだましていた。