78 カツオ事件? お誘い編
5月も終わる4週目の金曜日。私は電話の前で少し考えていた。時計を見ながらこの時間ならいいかなと、覚悟を決めて電話をかけた。
「お電話ありがとうございます。こちらは〇〇郵便局貯金課、坂本でございます」
「私は沢木と申します。恐れ入りますが、下平さんをお願いできますか」
「下平ですね。少々お待ちください」
少しの間保留音が流れた。切り替わって男の人の声が耳に飛び込んできた。
「お待たせいたしました。下平でございます」
「浩二さん、麻美です」
「どうかしたのか」
受話器に手を当てて声が漏れにくくしているのか、少し擦れるような雑音と共に小声になった浩二さんの声が聞こえてきた。
「あのね、突然で悪いのだけど、浩二さんはカツオは好きかな」
「カツオ? まあ、好きな方だけど」
「それなら帰りにうちに寄って夕飯を食べていってもらえないかしら」
「はっ? ああ、いや。まあ、寄る分には構わないけど」
私の必死な声に浩二さんは戸惑いながらも答えてくれた。
「本当。じゃあ、待っているから。必ず来てね」
電話を終えたら流しの前にいる父が訊いてきた。
「どうだって、浩二君は来れるって」
「うん。帰りに来てくれるって」
「そうか。それじゃあ、さっさとこれを片付けるか」
「そうだね」
私も父のそばによりバットを用意した。
「じゃあやるぞ!」
出刃包丁を握った父が大ぶりなカツオのエラのところに包丁を入れたのだった。
◇
さて、なんで私が浩二さんに、仕事帰りに家に来てほしいと電話をしたのか。
それは父の小学校からの友人が昼過ぎに突然訪ねてきたことに関係があった。たまにふらりと立ち寄る人だから、訪ねて来たことには驚かなかったけど、今回は手土産に大ぶりなカツオを持ってきたことには驚いた。流石に冷蔵庫に入らないから解体してしまうしかない。
父は資格は持っていないけど、魚を捌いたりするのが昔から上手かった。ウナギを捌くところを私が小学生の頃に見たことがあったもの。
父がカツオの頭を落として半身を骨から離した。
「麻美、もう半分をやってみるか」
私は父に代わって出刃包丁を握ると、カツオの身と骨とを離れさせていった。無事に三枚に下ろし終わり父と入れ替わる。
「この骨の部分はどうしようか。まだ身がついているね」
「この血合いの部分と煮てくれるか」
父の言葉に了承してやかんにお湯を沸かす。その間に父が身を四つにしていた。二つをラップにくるんで、冷蔵庫にしまう。残っているものは鉄の串をさして、コンロの火であぶった。周りが白くなったら氷水の中に入れる。もう一つも同じようにした。十分冷えたら水の中から取りだし、キッチンペーパーで水分を取るとラップにくるんで冷蔵庫にしまった。
「これで、下準備はいいわね」
私の言葉に父は頷いて「後は頼む」と言って、台所から出て行った。私は血合いと骨の部分を煮つけにした。先にお湯で臭みを取るのを忘れない。生姜も多めにして入れたのよ。
時計を見ると4時を少し過ぎたところ。いつもなら夕食の準備をするのは5時を過ぎた辺りから。なので、まだかなり早い。メインのカツオの処理が終わってしまったので、しばらく時間があった。
私はコップに水を入れるとそれを持って椅子に座った。一口飲んで溜め息を吐いた。
(さて、どうしようかな。この後、浩二さんに会えるのは嬉しいけど、二人だけになると接触過多になるのが困ってしまうわ。あのゴールデンウイークの告白の後から、どうも過保護にされている気がするのは、気のせいじゃないわよね。確かに最初は体調が最悪に近いくらいに悪かったけど、それも今は元に戻りつつあるし。何より体重もかなり戻ったもの。食事の量も増えてきたしね)
コップを両手で持って揺らしながら考える。
(別に抱きしめられるは嫌じゃないけど、なんかねー。子供になったような気分になるのよねー。・・・そうよ、頭を撫でてくるのも問題よ。それこそ小さな子にするような撫で方なんだもの。婚約者にする態度とは違う気がするわ。あと、あれの事も・・・)
「よう、麻美」
私はハッとして顔を声を掛けてきた人のほうへ向けた。考え込んでいて、声を掛けられるまで和彦がそばに来ていることに気がつかなかった。和彦は上着を脱いでワイシャツ姿だ。確かに今日はかなり暑くて6月中旬くらいの気温といっていたっけ。
「いらっしゃい、和彦。でもさ、仕事終わりにしては早くない?」
「伯父が麻美の親父さんからカツオをやると言われたからって、受け取りに行って来いといわれたんだよ」
「ああ。そういえばそうだったわね」
私は立ちあがると冷蔵庫から、カツオを二つ取り出した。
「えっ、こんなに。多くないか」
「持っていってもらえると助かるわ。こちらのたたきにしたものは少し日持ちが利くから、生のほうから食べてと伝えてね」
「でも、こんなには悪いだろ」
和彦と話していたら父が声を聞きつけて顔を出した。
「和彦、来たのか。それを届けてくれるか」
「おじさん。これじゃ多すぎますよ。こんなに持っていったら俺が伯父に怒られます」
「だがな、食べきれないくらいにあるんだぞ」
「じゃあ、これを半分ずつで、お願いします。それなら、言い訳が立ちますから」
父と顔を見合わせた私は、父が頷いたので刺身包丁を取り出して、それぞれを半分に切り分けた。そしてラップにくるみなおし、それぞれの大きい切り身を袋に入れた。
「それじゃあ和彦、これを届けたらまたうちに来なさい」
「何でですか、おじさん」
「もちろん、その分(残り)の片づけを手伝ってもらうためだよ」
どうやら和彦も、一緒に夕食を食べることが決定したみたいね。




