59 すっとばしのプロポーズ その3
私は話そうとしていたから、口を開けていた。そこを唇を唇で塞がれて、私は固まったように動きを止めた。開いた口の中に下平さんの舌が入り込んできたから。
しばらくして唇を離した下平さんが「あれ?」と言って、私の顔を覗きこんできた。
「もしかしてキスをしたことがない・・・わけじゃないよな」
「・・・したことはあるけど・・・」
呆然と呟いたら。
「ああ、こういうキスはした事がないんだ」
と、下平さんは嬉しそうに笑った。そしていつの間にか私の腰に回していた腕に、力を入れて引き寄せると再度唇を重ねてきた。舌を絡めとられるだけじゃなくて、呼吸まで奪うようなキスに私は翻弄された。
唇が離れた時には支えて貰わないと、立っていられないくらいだった。体を下平さんに預けるように寄りかかった。
「ヤバイ、やり過ぎた」
そう言った下平さんに抱き上げられて車まで戻り、助手席に下ろされた。運転席に乗り込んだ下平さんを涙が浮かんだ目で睨みつけたら、もう一度キスをされた。今度は軽く触れてすぐに離れていったけど・・・。
そして、もう一度優しく抱きしめられて、耳に私の好きな少し低い声が聞こえてきた。
「麻美、好きだよ」
その言葉にビクリと震えたら、私を抱きしめる手が優しく背中を撫でてくれた。
少しして手を離して「じゃあ家まで送るよ」と車を発進させたけど、なんか下平さんの機嫌がいいみたい。
そして続けて呟くようにいった言葉に、声の余韻に浸っていた私は目を剥いた。
「親父さんに言われたけど、既成事実まで作らないで良さそうだな」
「・・・はぁ~?」
「だから今日は帰さないでいいからって言われたんだよ」
私はこぶしを握りフルフルと震えた。
「なんでそうなんのよ、父さんのバカ~」
「親父さんもお袋さんも心配していたからな。麻美のこと」
「なんで、そんな話・・・。待って、それっていつ話したの?」
「先週」
「ちょっと、おかしいでしょ。なんで私が居ないところで両親と話しているの?」
「えっ、家に電話したら麻美がもう出かけた後で、そうしたらご両親から話があるって言われたからだけど」
下平さんが話してくれたことは、次のようなことだった。
うちに来た下平さんに両親は家を私に継がせたいから、婿養子に入って欲しいこと、結婚したからといって無理に同居はすることはないと言ったとか。
それと、私と元彼との交際に反対をしていた理由についても語ったと言った。私が彼とのデートから帰ってきて楽しそうな様子が見えなくて、段々やつれていく様子が目についた。娘から笑顔を奪う男のことが許せなくて、挨拶に来たとしても会う気はなかったそう。
娘は勝手にお願いをして下平さんを紹介してもらったことをすごく怒っていたけど、相手の顔を立てて会いに行って帰ってきた時の表情が楽しそうだった。だからもう一度会わせようとしたらしい。
彼と別れた後に下平さんと会うと聞いて、父は少し考えた後こう言ったそうだ。
『娘が断ったそうだが、もし、少しでも娘のことを好いてくれているのなら、翌週に気晴らしに連れ出して欲しい。そのまま一晩帰ってこなくてもいいから』
と。
この話を聞いて私は親に心配をかけていたのだと思った。
(・・・思ったけど、何してくれようとしたのよ~。父さんのバカ~)
◇
家について、下平さんも車を降りてきた。私は体は疲れ切っていたところに、キャパオーバーなことをが言われたから感覚が麻痺していたのだと思う。
だから、玄関で父に挨拶をする下平さんの言葉をぼんやりと聞いていたの。
「こんばんは、沢木さん。こんなに遅い時間まで麻美さんを連れ回してしまい、申し訳ありませんでした」
「いやいや、下平くん。麻美も気晴らし出来たようで、連れ出してくれてありがとう」
深々と頭を下げた下平さんは顔をあげると、父のことをヒタッと見据えた。
「それで、沢木さん。明日なのですが、少しお時間をいただけませんか」
「時間? ああ、いいだろう」
「では午後1時頃でいかがですか」
「ああ、承知した」
「それでは午後の1時に伺わせていただきます」
そう言って、もう一度頭を下げた下平さん。
「では、失礼します」
玄関を出て行く下平さんを、父が車が出るのを見るために追いかけて出て行った。
その様子を黙って見ていたら、母が言った。
「麻美、朝早くから出掛けて疲れたでしょう。お風呂に入ってサッパリしておいで」
「うん、そうだね」
ノロノロと靴を脱いで、自分の部屋に行った。着替えを持ってお風呂に向かった。その途中で父とすれ違った。
「早く休むんだぞ」
とだけ、父は言って寝室に行ってしまった。
私はぼんやりとしたままお風呂に入り、出てくると布団を敷いて潜り込んだ。目を瞑ったら、今日のあれやこれやらが思い出されて、顔に熱が集まってきた。
「あ~、どうしよう~。・・・なかったことに出来ないかな~」
私は布団の中で丸まって考えていたけど、疲れた体は睡眠を欲したようで、いつの間にか眠りの淵へと落ちていったのでした。




