56 別れた報告?
山本さんの車が見えなくなるまで、私は家の入口に立っていた。それから踵を返すと、公民館のところまで歩いていった。そこに公衆電話があったから。
受話器を持ち上げて番号を押しながら、自分は何をしているのだろうと思った。けど、家から電話をかけたくはなかったの。
一度のコール音で相手が電話に出た。
「もしもし」
「麻美さん。どうなった」
私が一言言っただけで、下平さんは勢い込んで訊いてきた。
「えーと、まあ、無事に話し合いは終わりまして、彼とは別れました」
「そうか・・・」
ホッと息を吐く下平さん。本当に心配してくれたんだと思った。
「それでは、これで」
と、電話を終えようとしたら、後ろを大音量で音楽を流しながら車が通っていった。
「待った。この電話は家からじゃないの」
「あー、はい。公民館のところからです」
「・・・麻美さん、そこで待っていろ。30分・・・いや、20分で行くから。いいな」
私が返事をする前に電話は切れた。
(待っていろって・・・ここで)
私は困惑したけど、足に根が生えたようにそこから動く事が出来なかった。
彼の家はうちから車で30分はかかるところだったと思う。渋滞に引っ掛かれば1時間かかることもある。それを20分だなんて。飛ばし過ぎて事故に遭わないかと心配になった。
本当は家に帰って両親に顔を見せた方がいいのだろうけど。でも、素直に家に帰りたくなかったの。
そんなことを考えていたら、あっという間に時間が過ぎて、気がついたら下平さんの車が見えた。車を停めると降りてきた下平さん。
「麻美さん、無事か」
そう言って私の事を抱きしめた。
「あ、あの・・・」
(何で抱きしめられているの、私? えっ? えっ? 無事って何?)
絶賛パニクリながらも、近所のおばさまの姿が目に入った私は、下平さんの上着を引っ張った。
「し、下平さん。見られているから離して」
私の言葉に「ああっ」と言って離してくれた下平さんは、助手席のドアを開けて「どうぞ」とした。乗ることに躊躇ったら背中を押されて、私は乗ってしまった。下平さんは助手席のドアを閉めると、運転席に乗り込んだ。
「とりあえず、少しドライブをしようか」
そう言って車を発進させたの。
◇
ついたところは家からかなり離れた港。それもわざわざ高速を使ってまで、ここに来た。なんでここまで来たのかと思ったけど、夕日が沈むところが見れたからいいかと思った。
夕日が沈んだところで、下平さんに顔を覗き込まれて焦った。頬に手を当てられて目の下を親指が撫でていった。
「泣きたかったら胸を貸すぞ」
と言われて、下平さんの手をパシッと叩いた。
「泣きません。泣く資格はないもの」
「でも、涙の痕があったけど」
「あなたには関係ないでしょ。というか、何で私をこんなところまで連れてきたのよ」
下平さんは私から視線を逸らした。
「家だと泣けないかと思ったんだ」
その言葉がなぜか胸にすとんと落ちた。知らず、涙がせり上がってきた。私は窓のほうを向いて、涙を堪えようとした。なのに。
そっと腕を回されて頭を抱えこまれたの。
「俺がいるんだから、一人で泣くな」
「うっ・・・うわ~ん!」
私は堪えきれなくなり、声をあげて泣きだした。
(本当はお別れなんかしたくなかった。彼と一緒にいたかった。こんなにも恋しくて、まだ好きなのに。なんで、なんで)
ずっとそんなことばかりが、頭の中を回っていた。
下平さんはそんな私を抱きしめて、頭を優しく撫でてくれていた。その優しい手つきにいつしか心は落ち着いて、私はそのまま意識を手放したのでした。
◇
目が覚めたら外は暗くなっていた。シートが倒されていて、体には下平さんの上着がかけてあった。
私が身じろぎしたら、気がついた下平さんが声を掛けてきた。
「目が覚めたか。気分はどうだ、麻美さん」
手を差し出してくれたから、その手に掴まって体を起こした。そしてシートの位置を直した。
「えーと・・・少しはいいかな」
「そうか。お腹は空かないか」
「そんなには、空いてないです。でも水分が取りたいかも」
下平さんは笑ったようだ。
「まあ、そうだな。じゃあ、行くか」
まずは近くのコンビニに寄った。そこでお手洗いを済ませて、飲み物を買ってすぐに出た。
そのあとファストフード店によってドライブスルーでハンバーガーのセットを頼んだ。泣いて見られた顔じゃないから気を使ってくれたようだ。
車を停めても大丈夫なところに停まり、ハンバーガーに齧りついた。食べ終わって、どうしようと思った。
(また、醜態を晒してしまった。・・・というか、この状況って、何? えーと、私はおつき合いを断って、それで、それで・・・えーと、心配をかけたのよね。ちゃんと別れることができるのかって。それを報告して・・・。なんで会うことになったんだっけ?)
「食べ終わったのなら、送って行くよ」
「あっ、はい。お願いします」
声を掛けられて考えるのを中断した。シートベルトを締め直して前を向いた。
そして、家の前まで送られて「ありがとうございました」と降りようとしたら、手を掴まれた。
「麻美さん」
「はい」
(・・・何? このためは。怖いんだけど)
「じゃあ」
といって手を離された。私が車を降りたら、また手をあげて車を走らせて去っていったのでした。




