54 彼との別れ話 前編
4月の3週目の土曜日。気持ちが落ち着かない私は少し早く家を出た。
山本さんが迎えに来てくれるのを待つ間、私はどう話そうか考えていた。言いたいことは決まっている。だけどどんなふうに話すかは決まらなかった。
山本さんの車が停まり私は助手席のドアを開けて乗り込んだ。
「こんにちは」
「こんにちは・・・麻美どうかしたの」
固い表情の私に戸惑ったような声をあげた山本さん。
「話があるのですけど」
「えーと、話? どこかお店に入る? それとも他の人に聞かれないところで?」
「それは・・・お任せします」
「・・・わかった」
山本さんは車を走らせると、岬へと向かった。そして、そこの駐車場に車を停めた。
私は行き先がわかってからぼんやりと考えていた。始まりはここだった。だから終わらせるのも、ここで丁度いいのかもしれない、と。
車が停まり、私はどう切り出そうかと、困っていた。いきなり別れてくださいでは、乱暴すぎる気がする。でも、世間話をする気分にはなれないし。
そうしたら、おずおずという感じに山本さんが話し掛けてきた。
「その麻美、お見合い相手とはどうなったの」
「その話は断りました」
私の言葉に山本さんはホッと息を吐き出した。そんな彼に今から別れを告げなければならないかと思うと、心が痛んだ。
私はごくりと唾を飲み込んで言った。
「山本さん、私と別れてください」
「えっ? 麻美?」
山本さんは驚愕の表情を顔に張り付けて私の事を見つめてきた。そして、眉間にしわを寄せると疑わしそうな顔を向けて言った。
「麻美。断ったというのは嘘だろう。俺と別れてそいつとつき合うんだろう」
「違います。本当にお断りしました。もう、会うことはないと思います」
「じゃあ、何故! 俺達が別れなければならないんだ!」
山本さんは睨むように私の事を見つめてきた。私はその目を逸らさずに見つめ返した。そうしたら、山本さんは怯んだように目を逸らした。
「ごめんなさい。私の我儘です」
「俺の事が嫌いになったの」
「嫌いになっていません。今でも好きです」
「じゃあ、何故。嫌いになっていないのなら、このままつき合っていたっていいだろう」
山本さんは懇願するような声を出した。私は涙がせり上がってくるのを感じて目をギュッと瞑った。
(いま、泣くのはお門違いだ。泣いて別れを迫ることだけはしたくない)
目の奥に力を入れて涙を押さえると、私は目を開けた。そして山本さんの顔を見つめた。
「いいえ、このままお付き合いを続けても、私には未来が見えないですから」
「未来が見えない?」
「はい。・・・私の勝手な気持ちですが、話していいですか」
山本さんは瞬きをした後、頷いてくれた。
「私は山本さんとおつき合いをするまで、男の人とつき合ったことがありませんでした。だから、山本さんに好きだと言われてお付き合いをしたいと言われて、舞い上がっていたのだと思います。私は自分でも気がついていなかったのですが、山本さんと会う時にはかなり作っていました。作っているというのとはちょっと違うのかもしれませんが、山本さんに素の自分を見せることが出来なかったのです。おかしいですよね、おつき合いを始めてもう8カ月になるのに、会う度に緊張するんですよ。それに、年が変わってから何故か不安でしょうがなかったの」
私は山本さんの顔から視線を外して、前を向いた。口元には自嘲の笑みが浮かんできた。
「私は、山本さんに話せなかったうちの事情があります。山本さんは覚えていますか。私が高校を卒業後、家を離れて働いていたことを」
山本さんは肯定するように頷いてくれた。
「あれは親には調理師免許を取りたいからと言いましたけど、本当は家を離れて生活してみたかったのです。理由がなければ家を出ることが出来なかったから。・・・でも、いつかは戻るつもりでいました。だから、家のことに目を向けないようにしていたの。母から家に戻って欲しいと言われたのが4年後でした。家の事情が帰らざるえないものだったのです。4年って短いようで長いですよね。この間に、母のヘルニアが進んで、手術をしなければいけない状態になっていました。父も心臓病を患ってましたし、祖母の痴呆も進んでいて一人にしておけないくらいになってきていたの」
深呼吸をしてから、言葉を続ける。
「でも、家に戻って最初は楽観視していたのよ。母の手術が済めば、私は家を出ても大丈夫だと思っていたの。だけど、母の手術は失敗したのよ。ヘルニアの手術としては成功したとは思うの。でも、手術中に神経に触ったのかリハビリを始めたら、母の右足は歩くのに支障をきたすものになってしまっていたのね。そんな状態じゃ仕事に支障も出るわよね。心臓病を抱えた父一人に負担を強いるわけにいかないから、私は働き始めた仕事を辞めて家のことを手伝うことにしたのよ」
私は溜め息を吐きかけて、深い呼吸に変えた。
「でも、私はまだ夢見ていたの。この家を出てお嫁に行けるのだろうと」
私は今までのことを思い返して目を閉じた。




