28 気乗りのしない初デート その1
3月の3週目の土曜日。いつも山本さんが迎えに来てくれる所で、私は立っていた。
仲介してくれた中野さんの話では、家の位置は大体わかるということで、公民館前で下平さんと待ち合わせることになったのだ。
車が停まり助手席の窓が開いた。
「お待たせしました。どうぞ、乗ってください」
下平さんに声を掛けられたけど、私は動けないでいた。
(出来れば帰りたい)
下平さんが動くのが見えて、助手席のドアが中から開いた。
「どうぞ」
もう一度言われて私は助手席に乗り込んだ。
「すみません」
「いえ」
シートベルトをしめて、ちゃんと座ったのに車は動きださなかった。私は下平さんのことを見たら、彼は私の事を見つめていた。
「あの?「どこか行きたいところはありますか」
私の言葉と下平さんの言葉が重なった。私は一旦口を噤んでから言った。
「特に行きたいところはありません」
「では、適当に行きますね」
そういうと下平さんは車を発進させた。
私は口を開かずに座っていたけど、カーステレオから流れてきた曲に、思わず声をだした。
「この曲って・・・」
流れてきた曲は『SOMEDAY』だった。私の呟きに下平さんの口角が上がるのが見えた。
「本当に佐野元春のファンなんですね」
「アルバムを買うくらいにはね」
ニヤリと笑う顔に、この前と印象が違うと気がついた。さては猫を被っていたのかと思った。
ううん。猫を被っていたのではなくて、営業スマイルだったのかもしれない。
「テレサテンは用意できなかったけど」
とぼけたように言われて、つい笑いが漏れた。
「私だって持っていませんよ。テレサテンのアルバムなんて」
「ファンじゃないの」
「違います。歌番組やラジオで聞いていたから覚えただけですよ」
「そうなんだ」
車内に和んだ空気が流れた。
「先日はご馳走様でした」
「いえいえ。それにほとんどは中野さんに出して貰ったから」
「でも、私達は出しませんでしたから」
「中野さんには?」
「うちに来てくださったときにお礼を言いました」
海岸沿いの道を走っていて、渋滞にはまってしまった。この時期は石垣イチゴのイチゴ狩りの季節だ。この道を通ることがない私はラジオの交通情報で渋滞することを知っていた。
「本当にこんなに渋滞するんですね!」
と感嘆符つきで言ったら、面白そうな顔で私の事を見てきた。
「渋滞が珍しいの」
「車の免許を取ってから、そんなに車に乗っていないので、渋滞にかかったことはないです」
「ふう~ん」
と言ったあと。
「イチゴ狩りをしたことは?」
と訊かれた。
「ないです」
「じゃあ、やってみる?」
「そんな気分じゃないからいいです」
私の答えに下平さんはそのまま車を走らせた。
◇
渋滞を抜けて着いた先は東海大学海洋科学博物館。私には『三保の水族館』と云った方が馴染みがある。ここは東海大学海洋科学部付属の研究施設でもあるの。
海洋科学博物館の隣には『恐竜のはくぶつかん』として東海大学自然史博物館がある。海洋科学博物館のことは『海のはくぶつかん』となっていた。
両方合わせての共通券を買った方が入場料は安くなるので、私達は共通券を買った。下平さんは私の分も出してくれようとしたので、入場券を買った後に私は自分の分を渡した。
「デートなんだし驕るよ」
「いえ、理由もなしに驕られるのは嫌なので」
「デートでも?」
「はい」
私達はまずは『海のはくぶつかん』へ。
ここで展示されているものは駿河湾にいる生物が多い。駿河湾の深海生物の標本などもある。クラゲの種類が多かった。水槽の中をゆらゆらと揺れているクラゲたち。
あと、この博物館の目玉はリュウグウノツカイとラブカの標本。リュウグウノツカイは雄と雌の2個体が並んで展示されている。
それの説明分を読みながら魅入っていたら、隣から笑いを含んだ声が聞こえてきた。
「すごく熱心に見ているけど、そんなに面白いの?」
「面白いに決まっているじゃないですか。だって深海魚なんですよ。光も届かない深海にいる生物。水圧だってすごいはずなのに、5メートル超えなんですよ。知らないものを見るのってワクワクしませんか」
「どちらかというと女性って、こういうのを見るのは苦手じゃないの」
「私は平気ですけど」
「これもそうだけど、深海魚ってグロテスクなものが多いだろ」
「そんなこと言ってたら、魚を捌けないじゃないですか」
「もしかして魚を下ろせるの」
「一応調理師免許を持っていますから」
「調理師なんだ」
「いえ」
「免許を持っているっていっただろう」
「今は・・・名ばかりです」
せっかく取った免許なのだから、本当は地元でも生かした職につきたかった。うちの事情的には無理だけど。
そんなことを思っていたら、下平さんがこんなことを言った。
「それじゃあ、さっきのイワシの群れを見ながらどう料理しようかと考えていたとか」
下平さんの軽口に口元に笑みが浮かんだ。
「そんなこと思うわけないじゃないですか。普通に綺麗だなと思いましたよ」
「それはそうか」
「でも、あれだけの数を捌いてみりん干しを作ったら爽快かなとは思いましたけど」
舌をペロッと出してお道化てみせたら、下平さんの手が背中を軽く叩いた。
「思ってるんじゃないかよ」
声を出して笑う彼に、もう一度舌をベエーと出して私は次の展示物の方に歩いていったのよ。




